トーマス・トロワード氏が
「万般の事象が現象化して来る“もと”の根底となるところの“霊的原型”」と書いている“霊的原型”というのは、
ヨハネ伝が説く「神の言」のことである。
【万物はこれ神の心、万物はこれ神のコトバ】
と『聖経甘露の法雨』に書かれている“実相世界”のことである。
われわれは神想観をするにあたり、
実相世界を観じるのである。
別の表現をすれば、
「実相が独在する世界」を
観じなければならないのである。
現象の人間が願う具体的なことがらは、
トロワードの言う“霊的原型”に基づいて
現象化してくるのである。
トロワード氏が「如何なる外界の事物を造り出すにも、その第一歩は“霊的原型”の創造である」と述べ、
実相世界を想念することが祈りの先決問題だ、
と強調するのは、
祈りの本質は「実相を祈る」ことだと
述べているのである。
(奇蹟の時は今 アディントン著)
【トーマス・トロワード判事はその『講演集』の
中で「吾々は万般の事象が現象化して来る“もと”の根底となるところの“霊的原型”を想念に描かなければならない」と言っているのである。彼曰く・・・「こんな風に思考する習慣を得るための最も簡単なる実際的方法は、すべての現象的存在の根底となるところの、万般の事象の霊的原型たる“霊的世界にある存在”を想念に描くことである。もし斯様にしてわれわれが“霊的原型”というものを事物の精髄的原型としてみとめるように自分自身を習慣づけるならば、そして物質的な“形”というものは、この原型が発展して外部的表現となったものだとみとめる習慣を養うならば、その時われわれは、如何なる外界の事物を造り出すにも、その第一歩は“霊的原型”の創造だということを認めざるを得ないであろう。この“原型”は純粋に霊的なものであるので“想念”の働きによってのみ形づくられ得るものである。そして霊的世界に於いて形成せられる事物の“原質”となるものは、実際にそこに存在するとして想念に描かれるアイディアにほかならないのである。】
実相世界というものは、
あるにはあるにしても、
想念しないことには、
顕われるものではないと言っているが、
ここは大事である。
つまり真理を学ぶとか、
祈りの工夫とか、
一人一人の求道が
実相の想念につながるわけなのだ。