ヨハネによる福音書の、
【初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。】の神の第一創造の世界は、
まさに吾ら人間の本体となっている。
これは動的実体なのである。
人間の本体は「神の心、神の言」なのである。
この真理が現象の中核として見えなくても実在しているのだから、
安心してこの「神の国」を
ただ受け入れてしまえばよいのである。
この大事な大事な真理を、
吾らはどれほど自覚しているであろうか。
これこそが「真理キリスト」なのである。
アディントン氏は
フレデリック・ベイルズが
自身の祈りによって糖尿病を癒した時の観の内容を、
『奇蹟の時は今』に於いて
採り上げて記述している。
私たちが「実相の観」をする際に、
とても参考になる。
実相世界とはいかなる世界であるのか、
われらが実相を観じる時はどんな「世界」をイメージすべきなのか、
この点につきとても参考になる。
実相世界とは「神の国」であり、
神の「言」によって創造された、
神の第一創造の世界である。
ベイルズ氏はこの実相世界に自分を委ねたのであった。
(奇蹟の時は今 アディントン著)
【『わたしは瞑想のうちに、自分の想念の最後の一筋の糸までもことごとく、わが全身のすべての細胞を貫いてわたしの全身を生かしてい給う神の“透徹せる健全の想念”の中に投げ入れたのである。
わたしはわが内に神の構図の美しさを観るのである。言語を絶するその調和を観るのである。どんな障礙からも完全に自由なる実相を観るのである。神が瞑想によってこの世界を創造し給いし時、“すべて善し”と宣(のたま)いしその伊吹をわたしは今感ずるのである。心静かに、今、わたしは、天地を創造し給いし、“無限者の心”の奥殿にまします中核体の中に自分自身を投げ入れてそれと融合し、その“無限者の心”はわたしの心となりわが全身を貫流しつつあることを如実に知って、揺るがざる金剛の平和を獲得したのである』】
神の創造し給いし“実相世界”が、
人間の心となり、
人間の本体となっている、
このことの自覚が必要なのである。
この実相世界が今ここに存在していると実感できてくると、
この世が「神」自体だと実感できるので、
安心感・安全感が
湧き出るようになるのである。