実相を観じることで実相があらわれる、
と雅春先生は書いていますし、
そのとおりだと思います。
では実相はどうやって観じるのでしょうか?
見えない「神」をどのようにしたら観じられるのでしょうか?
これが実は難しいのですが、
ここに一つの秘宝があります。
こうした見えないゴールデン・キーは、
実は聖書には沢山の聖句として存在します。
だが、その黄金の鍵を
神様から与えられる心境になって、
各信仰者に個別に啓示されるのです。
雅春先生の聖典にも仏教の経典にもあるはずです。
私に啓示されて聖句はこれであります。
実相が現成する際は、
各人に即した「黄金の鍵」が
啓示されるのではないでしょうか。
(参考 神癒への道 谷口雅春)
【若し吾々が、動揺極まりなき、変化極まりなき吾々の周囲から一転して、確呼として不滅の救いに面せんと欲するならば、詩篇の第125編の第一の句を読めとハンブリン氏は云っています。この一篇は、吾々を変化常なき光景の現象世界より、神の息吹きが甘香(かん)ばしく降りている所のより高き領域にまで引き上げてくれるところの力強き言葉に満たされているのです。それは絶対真理の積極的な表現であります。
「神に凭(よ)頼める者はシオンの山の如くなるべし。動くことなく永久(とわ)に変ることなし」と。】
この聖句を神想観で始めに何回もとなえますと、
実相に全托の状態に、
気持ちが整ってくるのです。
「神の子円満完全」と念じて
神にお委せの心境が、
形成させるのです。
素晴らしいです。やってみてください。
聖書には
こうした「黄金の鍵」が
たくさん散りばめられております。
それが聖書のすごいところです。