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レコグニション即ち神を“認める”ということが精神治療の最初の段階である。

2021-08-25 12:30:50 | 日記
実相(神の心・神のコトバ)が実在していて、
しかもそれしか存在していないと認めて
始めて神想観の基盤ができる。
祈りが実際の効果をあらわすのは、
真理を正しく知った時であるということは、
その通りだと認めるしかない。
(奇蹟の時は今 アディントン著)
【レコグニション即ち“認める”ということが精神治療の最初の段階である。
 科学者が太陽の研究をはじめた時に最初に発見した事は“太陽は常にそこにある”ということであった。その外見がどうあろうとも、別にその存在には変りはないのであった。それはトルネド旋風の」最中においても、ぐ風が吹きすさぶ最中にあっても、暗黒のさ中に於いても、太陽は消えたのではなく、太陽は常に存在するのだということであった。それと同じく霊的精神治療の最初の段階は“神は存在する”ということを認めることである。神が遍在するということは、われわれがたとい何処に居ようと、神は常にそこに在(いま)すということをわれわれの心に確認させるのである。また神が全能であるということは、神はすべての力を有ち給うということをわれわれの心に確認させるのである。】
 

現象が、実相の観によって、神を現わすように変化しないならば、祈りの仕方がまだ本物になっていないのである。

2021-08-25 11:45:45 | 日記
現象が、実相の観によって、神を現わすように変化しないならば、祈りの仕方が未だ本物になっていないのである。
それは神想観がまだ未熟であり、
実相を観じるに到っていないということなのだ。
「実相を祈る」ということは
「実相独在」の“神の言”を祈ることなのだ。
(奇蹟の時は今 アディントン著)
【霊的精神治療の第二段階Realizationhaは、あなた自身の生命の中に神をリアル(現実化)ならしめるところの悟りである。諸君は一日じゅう、インドの行者のように静坐をつづけて神をみとめることはできる。しかし静坐瞑想するだけで、神とあなた自身との一体感が現実化しないならば何にもならないのである。ヨガの大先生の例をとって問うならば、彼は昼はひねもす、夜はよもすがら静坐をつづけ、神を瞑想して三昧に入る、それにも拘わらず、その大先生の肉体が癌にかかって憔悴して行きつつあるとするならば、彼は彼の全自己を、大生命…霊であり、心であり、体である神・・・と一体化せしめていないのである。神が全ての渾てであるならば、われわれは、“これは神に属するもの”“これは神に属しないもの”などということはあり得ないのである。霊も、心も、体も、すべて神の大生命の表現であるのである。われわれは、神の遍在する“善”が、人生体験となってわれわれ自身の生活に移入されなければならないのである。】