イエスの教えを遵守する人は、
現象に「神」(神の理念)のみを
見ることになる。
実相独在の真理と一体化するのである。
そのとき、
罪と病と死との法則に縛られなくなるのである。
マタイ伝5:8【心の清い人たちは、さいわいである、
彼らは神を見るであろう。】
(奇蹟の時は今 アディントン著)
【「汝は真理を知らざるべからず、真理は汝を自由ならしめん」と言い給うた語によって、イエスは何を意味したのだろうか。この語はイエスを信じたるユダヤ人に言い給うたのである。そしてまた言い給うた、「汝らもし常に我が言に順(したが)って生活するならば、真にわが弟子なり」
そこに集まっている人々は、日々彼の教えを受けた人々・・・即ちイエスの弟子であった。だから彼の教えに順うべきであり、彼の教えに順うならば真理を知ることになり、真理を知れば真理はそれを知った人を“迷い”から解放して自由ならしめるといわれたのであった。すべての“癒し”は、各人を“迷い”から解放するところの“真理”を知るという一事に依って生ずるのである。
ノルウィッチのジュリアンはこう言った。「神に向かうとき罪は消えて罪を見ることはできない」と。イエスはこの事を「心の清き者は神を見ることを得」といって表現したのであった。“心の清き者”とは、イエスの訓え給いし誠を着実に遵守する者であり、かかる人は、唯“神”“のみ”を見るのである。それゆえに、このような人々は、罪と病と死との現象界の法則に縛られなくなるのである。イエスはこの事をいかにもハッキリと悟り給うたので、この悟りを全人類に領ち与えたいと欲せられたのであった。】