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関わったすべてが好転

2014-11-07 17:32:13 | 日記
かなり難かしい問題が急に起こったと、
知らせが入ることがある。
知らせというより、
相談を受けるというかんじだ。
でも全部
よくなっている。
起こった問題を聞いた当初は
これから先どうなることかと思った。
さっき電話が入り、
全部私の言う通りにしたら
事がうまく運んだ、
と喜びの報告をうけた。
別のことで
大分前から深刻な相談を
受け続けてきた件も
ここのところ
平和が到来し、
うれしいメールを
毎日もらっている。
又別の
人との調和に関する深刻な危機もあったが、
実相における調和を観続けて来た結果、
元のような調和した関係に戻ってきた。
その他
自分に関係していることは皆、
一時心配する事態かと危ぶんだものだが、
全部が全部
好転している。
実相が顕われるということは、
実にすごい、素晴らしいことばかりが
出てくるみたいだ。
具体的に書いていないのは、
そうした方がいいと判断しているからであり、
ご勘弁願いたい。

発心の時

2014-11-07 16:22:49 | 日記
現象は
「実相の心」(神の心)が
時間空間世界に
展開しているものである。
従って現象世界は
最初から最後まで実相心に
貫かれているのが
真実である。
私たちが
気づいていようがいまいが、
現象世界は
「神の心」なのである。

この物質世界みたいに見えている現象世界が
本当は物質世界ではないのかもしれないと、
気づき始める時が
誰にでもやってくる。
この時が発心の時であり、
神や仏に向かい始めるわけである。
そのことを
道元禅師は
以下のように説いている。

(参考 正法眼蔵を読む 発無上心の巻 谷口清超著)
1<心々は木石の如し>
 さて大証国師はこう言われた。
「牆壁瓦礫(しょうへきがりゃく)、これ古仏心なり」と。
 この牆壁瓦礫の心は、一体どこにあるのか、よくよく確認しなくてはならない。この実相はいかにして現成するか。そもそも古仏心というのは、本来実在する仏心であるが、これは単に古いというので現実を離れた空王那畔(くうおうなはん=無限時限以前)のことではない。それはまさに今ここにあるところの、粥をたべ飯を喫する心であり、牛が草を食べ水を飲む当り前の心である。仏心とはかくの如き日常心であり、平常心である。このような心をもって、坐仏し、作仏することを「発心」というのである。