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発心の時

2014-11-07 16:22:49 | 日記
現象は
「実相の心」(神の心)が
時間空間世界に
展開しているものである。
従って現象世界は
最初から最後まで実相心に
貫かれているのが
真実である。
私たちが
気づいていようがいまいが、
現象世界は
「神の心」なのである。

この物質世界みたいに見えている現象世界が
本当は物質世界ではないのかもしれないと、
気づき始める時が
誰にでもやってくる。
この時が発心の時であり、
神や仏に向かい始めるわけである。
そのことを
道元禅師は
以下のように説いている。

(参考 正法眼蔵を読む 発無上心の巻 谷口清超著)
1<心々は木石の如し>
 さて大証国師はこう言われた。
「牆壁瓦礫(しょうへきがりゃく)、これ古仏心なり」と。
 この牆壁瓦礫の心は、一体どこにあるのか、よくよく確認しなくてはならない。この実相はいかにして現成するか。そもそも古仏心というのは、本来実在する仏心であるが、これは単に古いというので現実を離れた空王那畔(くうおうなはん=無限時限以前)のことではない。それはまさに今ここにあるところの、粥をたべ飯を喫する心であり、牛が草を食べ水を飲む当り前の心である。仏心とはかくの如き日常心であり、平常心である。このような心をもって、坐仏し、作仏することを「発心」というのである。


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