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ベーブ・ルースらアメリカ大リーグ選抜野球チームが来日した日

2007-11-02 | 歴史
11月2日アメリカ大リーグ選抜野球チームが来日した日。
1934(昭和 9)年の今日(11月2日)、 ベーブ・ルース米大リーグ(メジャーリーグ)・野球選抜チームが来日。16戦全勝で圧倒した。その翌1935(昭和10)年12月26日、日本初のプロ野球チーム「大日本東京野球倶楽部」(読売巨人軍の前身)が誕生した。
生涯に714本のホームランを記録したベーブルースは、1920年1月、 ボストン・レッドソックスから、ニューヨーク・ヤンキースへ、当時としては破格の12万5千ドルで売られてしまった。レッドソックス時代は、当初ピッチャーとして活躍していたが、後には打者としても活躍するようになり、2度の本塁打王を獲得する活躍をしていたが、そんなルースの絶大な集客力にもかかわらず、レッドソックスの経営状態は芳しくなかったことから、、倒産を避けるため有力選手を当時万年2部チームであったニューヨーク・ヤンキースに譲渡することにしたのである。この移籍により、ルースを獲得したヤンキースが黄金時代を築き始め、ルースを失ったレッドソックスが長い冬の時代に突入することになる。
ヤンキースに移籍したルースは、マウンドに登ることはほとんどなく野手として活躍するようになり、同年、使用求が飛ぶボールに変わったこともあって同年いきなり、前人未到の54本塁打を放ち、大リーグは一挙にホームラン時代に突入。ルースは1927(昭和 2)年には、シーズン60本のホームランを打ち、国民的ヒーローになった。それまで、主に試合の勝ち負けを楽しんでいた観客がショーマンに溢れた彼のプレーを見に球場まで足を運ぶようになったのである。
話は変わって、1931(昭和 6)年、読売新聞社社長の正力松太郎が中心となってアメリカのメジャーリーグの選抜軍を日本に招待し、全日本軍や六大学を中心とした強豪大学チームとの試合を行い興行は成功を収めていた。これを受けて正力は再度のメジャーリーグ戦抜軍の招待、特に前回かなわなかったベーブ・ルースの招聘を目論んだが、そこに1つの問題が発生した。当時の日本は大学野球全盛であったが、1932(昭和 7)年に、当時の文部省(現・文部科学省)が発令した野球統制訓令によって、メジャーリーグ選抜を招聘したとしても大学チームを対戦相手とすることができなくなってしまった。その対策として、鈴木惣太郎らが、職業野球チームを結成することを正力に働きかけ、1934(昭和 9)年6月、日本工業倶楽部で「職業野球団発起人会」を開き、創立事務所が設けられた。平行して選手獲得も行われプロ契約第1号選手として三原脩、第2号選手として苅田久徳らを獲得しチームが形作られていった。この時日米野球の期間中のみ契約するという選手、日米野球後に発足する職業野球団とも契約するという選手ら合計30名の選手が、10月15日、千葉県の谷津海岸に新設された谷津球場に集まりチームが結成された。
1934年には、まだ航空便もなかった時代、当初ルースは長い船旅をしぶっていたらしいが、鈴木惣太郎が彼の似顔絵をメインにしたポスターを見せて説得したところ、快諾したという。11月2日、横浜にメジャーリーグ戦抜軍が来日し、全日本軍と全国各地で親善試合興行を行った。試合は全日本軍の16戦全敗(対全東京1試合含む)で、試合内容も圧倒的だったものの、ベーブ・ルース、ルー・ゲーリッグらを擁した全米軍は読売新聞の報道もあって大きな注目を集めた。その中の1試合が有名な12月の草薙球場での試合である。日本チームのエース沢村栄治がルースを三振に打ち取るなどアメリカ大リーグ選抜相手に8回で9奪三振無失点、失点は最終回のルー・ゲーリッグのホームランによる1失点のみと球史に残る快投を見せた。球場前にはその史実を伝えるべく、対峙する沢村とルースの像が建立されている。
この日米親善野球終了後の1934(昭和 9)年12月26日に、全日本軍の選手を中心にした19名の選手で日本初のプロ野球チーム「大日本東京野球倶楽部が結成された。 1935(昭和10)年1月14日から2月3日まで草薙球場で練習を重ね、2月14日、第1次アメリカ遠征に出発。この時「大日本東京野球倶楽部」ではチーム名として長すぎる事からアメリカで一般的であったチームのニックネームをつけることが提案され、チーム名を「東京ジャイアンツ」とした。そして帰国後、東京巨人軍へ正式改称する。これが現在の読売ジャイアンツ(1947〔昭和22〕年から)の始まりである。
先にも述べたように、レッドソックスがルースをヤンキースに譲渡したのは完全な「失敗トレード」となり、長くワールドシリーズを勝てないジンクスが生まれ、「バンビーノの呪い」と揶揄される原因となり、ルースのヤンキース移籍を期にヤンキースの成績が黄金時代を築き始めると、それに反比例するかのようにレッドソックスの成績は伸び悩み、1945(昭和20)年まではワールドシリーズにも進出できないシーズンが続いた。それ以降もワールドシリーズに4回(1946年、1967年、1975年、1986年)進出するも、優勝はできなかったが、86年もの長きに及んだこの「呪い」も2004(平成16)年のワールドシリーズ制覇により解かれることとなった。
3年後の今年・2007(平成19)年も、2004年の優勝を経験したベテランと生え抜きの若手、日本から獲得した松坂大輔岡島秀樹両投手といった新戦力が活躍し、ナ・リーグ優勝チームのコロラド・ロッキーズと対戦し、4連勝でワールドシリーズを制覇したことから、ワールドシリーズに勝てないジンクスは完全に払拭されたといっていいだろう。これからも、松阪・岡島両日本人投手の活躍を期待したいものだ。
(画像は、1934年帝国ホテル滞在中に日本の野球少年と交流するベーブ・ルース。フリー百科事典Wikipediaより)
参考:
ベーブ・ルース - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%BC%E3%83%96%E3%83%BB%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%82%B9
読売ジャイアンツWikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AA%AD%E5%A3%B2%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%82%A4%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%84
Circle Change - ベーブ・ルース
http://circlechange.jp/modules/bwiki/index.php?cmd=read&page=%A5%D9%A1%BC%A5%D6%A1%A6%A5%EB%A1%BC%A5%B9
ワールドシリーズ - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%89%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%BA
社団法人 日本工業倶楽部
http://www.kogyoclub.or.jp/
2007年 レッドソックス のニュース
http://news.google.co.jp/news?q=2007%E5%B9%B4%E3%80%80%E3%83%AC%E3%83%83%E3%83%89%E3%82%BD%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%80%80&hl=ja&um=1&ie=UTF-8&sa=X&oi=news_result&resnum=1&ct=title


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2 コメント

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Unknown (Linda)
2007-11-05 09:03:31
よーさん、お早うさんです。
子供の頃はメジャーリーグがシーズンオフに観光気分でやってきてもパワーの違いを見せつけられましたが、今はそれほどメジャーと日本の力の差を感じなくなりましたね。
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球団数 (よーさん)
2007-11-05 09:58:49
Lindaさん、昔のメジャーリーグは本当に強かった。
今は球団数も30にもなり、中身が薄くなっているんでしょうね。アメリカは日本の人口の倍程だから日本が12球団でも中身が薄いのにちょっと多すぎるからね~。
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