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日大の人力飛行機「リネット号」が初飛行に成功した。(日本初の人力飛行 )

2008-02-27 | 歴史
1966(昭和41)年の今日(2月27日)、日大の人力飛行機「リネット号」が初飛行に成功した。(日本初の人力飛行 )
人力飛行機は、人間の筋力のみを動力源とする飛行機のことである。鳥のように大空を自分の力で飛びたいというのは、古代からの人間の夢であり、それを達成したいと世界各国の人々が研究をかさねねてきたことにより、現代の航空機の発展が見られる。
1490年に、『最後の晩餐』や『モナ・リザ』などの精巧な絵画で有名なレオナルド・ダ・ヴィンチオーニソプター(鳥のように翼を羽ばたかせる事によって飛ぶ航空機)の設計図を描いている(ヘリコプターのような航空機のスケッチも残していることが知られているが)。
航空史(航空に関する年表参照)の黎明期に開発された飛行機械は大半が鳥のように羽ばたくものであった。しかしながら、鳥は単に翼を上下させているのではなく、翼自体を変形させつつ複雑に羽ばたくことで揚力推力を同時に得ている。そのことが判明するのは19世紀中盤以降、写真技術の発達によってであった。そのような動作を機械で模倣する事は技術的にも困難であり、また人力にしろ動力にしろ、パワーウェイトレシオ(出力荷重比、馬力荷重)が不足で、なおかつ、羽ばたきに耐える強度を持った翼を開発できなかったため、オーニソプターによる飛行の試みはことごとく失敗に終わった。
1783(天明3)年 モンゴルフィエ兄弟熱気球ジャック・シャルルと助手のロベールが水素気球で有人飛行に成功する。以降も、これに始まる軽航空機の発展とはあまり関わりがなく作られ続けるが、イギリスのジョージ・ケイリーが揚力と推力を分離する固定翼機のアイディアを着想し、1849(嘉永2)年に三葉のグライダーを製作し、10歳の少年を乗せての滑空に成功。1853(嘉永5)年には、単葉のグライダーを製作し、ケイリーの馬車の御者の操縦で100m以上の飛行に成功した。そして、1903(明治36)年、あのアメリカのライト兄弟が固定翼機「ライトフライヤー号」による有人動力飛行を実現させるとオーニソプターの開発は下火となる。
それでは日本ではどうかというと、江戸時代に、備前国浮田幸吉が、やはり、空を飛ぶ鳥に興味を持ち、鳥が空を飛ぶメカニズムを研究。「鳥の羽と胴の重さを計測しその割合を導き出し、それを人間の体に相当する翼を作れば人間も鳥と同じように空を飛べるはずである」と結論づけたという。そして、表具師の技術を応用し、竹を骨組みに紙と布を張り柿渋を塗って強度を持たせた翼を製作。試作を繰り返し1785(天明5)年夏、旭川に架かる京橋の欄干から飛び上がり、風に乗って数メートル滑空したとも、直ぐに落下したとも言われているそうだが、河原で夕涼みをしていた町民の騒ぎとなり、即座に岡山藩士によって取り押さえられ、岡山所払いにされたのだとか。 もし、幸吉の飛行が事実であるならば、ケイリーのグライダーによる有人飛行実験よりも60年以上早く行ったことになり、記録された有人滑空飛行としては世界で最初ということになるのだが・・・。(世界で始めて空を飛んだ表具師浮田幸吉の墓)。話は本題に入るが、動力航空機の発達した現代においても、動力を使用せず、人間の力だけで空を飛びたいとの欲求は、常にあるようで、人力飛行機の研究は、世界各国で行われてきた。
イギリスのサザンプトン大学で1961(昭和36)年に「SUMPAC」号が有人人力飛行に成功したそうだがそれ以来、 人力による飛行法としてプロペラ機が中心となったようだが、日本では日大・理工学部が先駆者となり、1963(昭和38)年に、機械工学科航空専修コース(現在の航空宇宙工学科)の卒業研究の一環として故木村秀政(以下参考に記載の「Hidemasa Kimura」参照)のもと研究開発が行われてきたという。そして、1966(昭和41)年今日・2月27日、足でこいで飛ぶ日本初の人力機「リネット号」が東京・調布飛行場で初飛行に成功。1963(昭和38)年より足掛け3年かけて製作されたものであった。地上1m、飛行距離10mと世界でも英国に次いで3度目〔世界で4番目〕の快挙。2回目のテストでは瞬間高度3mに達し、高さでは世界新記録を達成したという(朝日クロニクル「週刊20世紀」)。また、1977(昭和52)年には「ストークB」」が未公認ながら当時の世界記録を塗り替える飛行距離2093.9mを記録しているという。
このような人力飛行機の滞空距離を競う競技会、「鳥人間コンテスト選手権大会」が読売テレビ(ytv)系列全国ネットで放送されていた。第1回大会が開かれたのが、1977(昭和52)年、滋賀県近江八幡市・宮ヶ浜水泳場であった(『びっくり日本新記録』内で放送 )。以下参考に記載の「第35回公開市民大学/鳥になりたい男たち-人力飛行機にかける青春-」によると、1977(昭和52)年7月、ロンドンでテームズ河に翼をつけた人が飛び込んで行った夏の祭りをよみうりテレビが模して急遽企画したものだという。以降毎年、7月後半に琵琶湖(1980年から 会場を彦根市・松原水泳場へ移す)で開催され高さ10mのプラットホームから飛び立ち、直線飛行距離を競い合っている。同大会は、第1回では、競技部門(飛距離を競う)のみであったが、第2~9回は競技部門は、コミックエントリー(飛距離を競わず、面白い飛び方を競う) となり、第10回に滑空機部門、人力プロペラ機部門、女性パイロット部門が追加され飛距離を競い、第11回より、コミックエントリーは中止されるなど、人力飛行機の技術開発の進展や番組の放送形態の変化に伴い、競技部門は開催年度によって大きく変化している。そのなかで、第27回(2003年)には、人力プロペラ機部門で日本大学理工学部のサークル、航空研究会のMöwe20(メーヴェ20)が、飛行直線距離としては、同会場での事実上の限界記録34654,10m(34,6km)を飛び大会記録を更新し、鳥人間の夢の目標値である琵琶湖大橋まで辿りついた。
面白いので私も第1回よる毎回ズット見ていたが、最近はあまりテレビを見なくなり、そういえば、ここ数年見ていない。その後、どうなっているのかは、知らないが鳥人間コンテストのことは「鳥人間コンテスト選手権大会」を参照されると良い。
以下参考に記載の「(財)日本航空協会のホームページ」の航空スポーツの記録 (Record)・日本記録/滑空機(Gliders)を見ると、I-C 一般 (Aeroplanes )では、 日大式NM-03型 Möwe21号が、静岡県庵原郡蒲原町 富士川滑空場~駿河湾で、2005年8月6日に記録した直線距離 49,172 km、滞空時間 1時間48分12秒 が現在のところの日本記録だそうである。(詳細は同HPを参照)
尚、余談であるが、空を飛ぶキカイである飛行機の開発の動きが日本に紹介された明治中期には、「飛行器」などと訳されていたそうだ。誰が最初に現代使用されている「飛行機」という語に訳したかであるが、文豪・森鴎外が「小倉日記」の1901(明治34)年3月1日付に「飛行機の沿革を説く」とあるのが初出だそうである。「小倉日記」は、ドイツ留学から帰国後陸軍軍医学校・大学校教官に任じられ、その傍ら、文学活動をしていた鴎外が、1899(明治32)年、当時東京(東部)・大阪(中部)とともに都督部(以下参考に記載の※都督部参照)が置かれていた小倉(西部)に左遷(鴎外本人の受け止め方)1902年(明治35年)に東京勤務となる間に書かれたもの。軍医になってドイツに留学した鴎外は、飛行機の開発にも関心を強め、国産機開発の動きにかかわったこともあった。
飛行する機械をつくりたい、と訪ねて来た青年発明家・矢頭(やず)良一(以下参考に記載の「豊前人物伝/頭 良一」参照)に、留学時代に知った開発の歩みについて熱っぽく語ったことを記した部分だ( 以下参考に記載の「日本の計算機,矢頭良一(手動計算機)Yazu」の森鴎外 『小倉日記』抜粋部分参照)。また鴎外訳の『人の一生 飛行機』が1911(明44)年に出版 されている(以下参考に記載の近代日本の肖像「森鴎外」では「人の一生 飛行機」の翻訳本を詠むことが出来るよ)。鴎外の新しい側面をみたような気がするね。
(画像は、足でこいで飛ぶ日本初の人力機「リネット号」の東京調布飛行場での初飛行1966年2月。朝日クロニクル「週刊20世紀」より)
参考:
人力飛行機 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E5%8A%9B%E9%A3%9B%E8%A1%8C%E6%A9%9F
グライダー関連サイト(日本)
http://www.arknext.com/link/per/007ja.html
(財)日本航空協会のホーム
http://www.aero.or.jp/index.htm
~人力羽ばたき飛行機~
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/kazuho/index.html
(財)日本航空協会のホームページ・各種イベント後援(航空スポーツカレンダー)
http://www.aero.or.jp/koku_sports/event-info/event-top.htm
第35回公開市民大学/鳥になりたい男たち-人力飛行機にかける青春-
http://www.cst.nihon-u.ac.jp/college/35/01.html
Hidemasa Kimura(木村秀政)
http://www.hi-net.ne.jp/~take5/hidemasa/Kimura_main.html
asahi.com : ニュース特集「飛行機」初訳者は鴎外? ライト兄弟飛行の2年前
http://www.asahi.com/special/wrightbrothers/TKY200311190212.html
人力飛行機に関する基礎研究(日大理工学部HP)
http://www.kenjm.cst.nihon-u.ac.jp/rik_news/manpower_abe.html
※都督部
http://imperialarmy.hp.infoseek.co.jp/division/totoku.html
豊前人物伝/頭 良一(やずりょういち)
http://www2.ktarn.or.jp/~kenchan/yazu.html
日本の計算機,矢頭良一(手動計算機)Yazu
http://homepage2.nifty.com/Miwa/Historic%20Computer/Yazu.html
近代日本の肖像「森鴎外」
http://www.ndl.go.jp/portrait/datas/342.html

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