今日のことあれこれと・・・

記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

エッセイ記念日

2008-02-28 | 記念日
今日(2月28日)は「エッセイ記念日」
木村治美エッセイストグループ(KEG)が制定。
エッセイストの元祖といわれているフランスのミッシェル・ド・モンテーニュの誕生日(1553年2月28日)に因んだものとか。記念日としたのは、木村治美エッセイストグループ(KEG)。エッセイストの集いを開いたり、エッセイを公募するなどの活動を行っているようだ(以下参考に記載の「木村治美エッセイストグループ 」参照。
goo国語辞典「エッセイ」によると、エッセー 【(英) essay; (フランス) essai】 とは、”(1)形式にとらわれず,個人的観点から物事を論じた散文。また,意の趣くままに感想・見聞などをまとめた文章。随筆。 エッセイ。(2)ある特定の問題について論じた文。小論論説。”・・・とあり、エッセーは、筆者の体験や読書などから得た知識をもとにしての、それに対する感想や思索、思想を散文によってまとめたもの、それに、論文随筆などを全て指すようだから、幅は非常に広いね~。
「エッセイ記念日」は、ミッシェル・ド・モンテーニュの『エセー(随想録)』(Essais )(1580年刊初版は、2巻本)に因んでのものと言われるが、これは、1580年から1581年にかけてモンテーニュがフランス、ドイツ、オーストリア、スイスを経てイタリアに旅し、様々なエピソードや都市ごとの宗教的な違いを詳細に記したもので、モンテーニュの死後に原稿が見つかり、1774年に Travel Journal(旅日記)という題名で出版されたものだそうである。
モンテーニュはフランス南西部ボルドー近郊に近いモンテーニュ城に裕福な貴族の子として生まれた。母方はマラーノの血が入ったセファルディム(コンベルソ)の家系だという。
父は政治にも熱心でボルドーの市長を務めたことがある。ミシェルは6歳になるまで、家庭教師のもと専らラテン語(ラテン語は当時の学問に必須の知識)を用いて育てられトゥールーズで法学を学び、フランスの法官になった。1557年、ボルドーの高等法院(パルルマン.Parlement)に務めていたとき、同僚にエティエンヌ・ド・ラ・ボエシーと知りあい深い友情を結んだという。以下参考に記載の「松岡正剛の千夜千冊『エセー』全6冊ミシェル・ド・モンテーニュ」によると、ボエシーは、高潔で、若くして深い見識があり、このボエシーとの出会いがモンテーニュを変えたというが、この親友はわずか30歳そこそこで疫病に倒れて死んだそうである。モンテーニュがこの友人から受けたものは格別だったそうで「ラ・ボエシーと付き合った4年間にくらべたら、それ以降の人生なんて暗くて退屈な夜にすぎない」とさえ書いているそうで、彼はそんな「喪失」を動機に思索や行動を決断したようだ。
1565年に結婚し6人の娘が生まれたが、そのうち成人したのは1人だけだという。1568年には、父の死によりモンテーニュ城を相続し、1570年、37歳で法官を辞任して故郷に戻り、モンテーニュ城館の塔に「読書室」をつくって、読書と思索の生活に入ったという。やがて『エセー(随想録)』の執筆を初め、先に書いた、「随想録」2巻が1580年に出版されたのである。
『エセー』 は岩波文庫から全6冊が出版されているよう だが、これらは一挙に書かれたものではなく、いろいろの時期のエッセイが入っている。だいたいは執筆順に並んでいるが、あとで何度も加筆訂正をしているそうで、どこの部分が初期のモンテーニュの文章で、どこが円熟期のモンテーニュなのかは区別がつきにくいという。
その冒頭で、「世間で評判になりたいのなら、私だってもっと技巧を凝らして身を飾っただろうけれど、これは私が私を書いているのだからそんなことはしない、私自身が私の本の題材なのだ」というようなことが書いてあり、「私自身が私の本の題材だ」ということらしい。
そして、モンテーニュは「私はこれからはもう走らない」と決心して、現実社会から退いたという。だから、『エセー』はたいへんにゆっくりと文章が歩行の速度で綴られているそうだ。
このモンテーニュのゆっくりとした「思索の速度」がその後のヨーロッパにおけるエッセイの母型になったのだという。だから、『エセー』は書き上げてからも、何度も何度も加筆訂正をしているがそれをやりつづけることがモンテーニュの楽しみであり生き方でもあったようだ。
日本では、10世紀末に清少納言によって書かれた枕草子の巻末の跋文によれば、執筆の動機および命名の由来は、”内大臣伊周が妹中宮定子一条天皇に当時まだ高価だった料紙を献上した時、「帝の方は『史記』を書写なさったが、こちらは如何に」という宮の下問を受けた清少納言が、「枕にこそは侍らめ」と即答し、そのまま宮から紙を下賜されたことによる。「枕草子」の名もそこから来るというのが通説である。日常的風景に対する鋭い観察眼は「をかし」という言葉で象徴されている。つまり、「をかしの文学」などとも言われているがその理由は以下参考に記載の「不二草紙 本日のおススメ: 『をかし』の語源…『萌え=をかし論』の本質」などを呼んでみると判るだろう。尚以下参考に記載の「枕草子講座」で、『 枕 草 子 』 の解説がされているので時間のある人はこれを読むとよい。
その後も、鴨長明の乱世をいかに生きるかという自伝的な人生を書いた随筆方丈記吉田兼好が退屈を凌ぐために書いたと言われているが、実際はいかに生きるかを探求する作品『徒然草』など優れた随筆作品が登場した。以下参考に記載の”図書カード: 鴨 長明「方丈記」”、”新訳もの狂おしくない『徒然草』”、”古典に親しむ:典に親しむ”など読まれるとよい。今の時代ネットで、これらの文学をいつでも親しめるのだから幸せな時代だよね~。でも、今の時代のように何でも露骨に表現しないとわからない人が多くなった時代に「いとおもしろき」随筆などいうものなどは面白くないのかもしれないね~。私も、現役を退き、暇な時間を利用して、こんな、中途半端な『今日のこと色々』を書いているが、モンテーニュのように、ゆっくりと書かなければいけないのだろう。毎日のことなので、どうしても追われて書いている感じで、少々、荒っぽくなってきた気がする。これからは、余り、無理せず書くようにしなければ・・・\(_ _ ) ハンセィ。
(画像は、原 二郎 訳モンテーニュ「エセー」岩波文庫全6冊)
参考:
木村治美エッセイストグループ
http://www.mmjp.or.jp/keg/index.htm
松岡正剛の千夜千冊『エセー』全6冊ミシェル・ド・モンテーニュ
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0886.html
不二草紙 本日のおススメ: 『をかし』の語源…『萌え=をかし論』の本質
http://fuji-san.txt-nifty.com/osusume/2006/02/post_4e6f.html
枕草子講座
http://www.daito.ac.jp/~hama/m_batubun.html
図書カード: 鴨 長明「方丈記」
http://www.aozora.gr.jp/cards/000196/card975.html
新訳もの狂おしくない『徒然草』
http://www.geocities.jp/hgonzaemon/turezuregusa.html
古典に親しむ:典に親しむ( 方丈記、 徒然草他)
http://www.h3.dion.ne.jp/~urutora/kotenpeji.htm
木村治美 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%A8%E6%9D%91%E6%B2%BB%E7%BE%8E
偉人データベース木村治美(きむら・はるみ)
http://f1.aaa.livedoor.jp/~ijin/kimuraharu.html
フェミニズム25
http://www007.upp.so-net.ne.jp/rindou/femi27.html
エッセイスト-Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%83%E3%82%BB%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%88
シンデレラコンプレックス-Wikipedia
>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%AC%E3%83%A9%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%97%E3%83%AC%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9/

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