今日のことあれこれと・・・

記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

一高生・藤村操が『嚴頭之感』の文を残し華厳の滝で投身自殺した日

2008-05-22 | 歴史
1903(明治36)年の今日 (5月22日)一高生・藤村操(ふじむら みさお)が『嚴頭之感』(がんとうのかん)の文を残し、日光華厳の滝で投身自殺をした。
華厳の滝近くの楢(ナラ)の大木の幹を大型ナイフで削って書き付けられた『嚴頭之感』全文は以下の通りである。
「悠々なる哉(かな)天壌、遼々(りょうりょう)なる哉古今、五尺の小躯を以て此の大をはからむとす。ホレーショの哲学、竟(つい)に何等のオーソリチィーを價するものぞ。万有の真相は唯一言にして悉(つく)す。曰く「不可解」。我この恨(うらみ)を懐(いだい)て煩悶終(つい)に死を決するに至る。既に厳頭に立つに及んで胸中何等の不安あるなし。始めて知る大なる悲観は大なる楽観に一致するを。」 
日清戦争後、三国干渉による遼東半島返還の勧告を受諾した政府に対して世論は激しく反発。政府は臥薪嘗胆をスローガンに、これを対敵対心に振り向けて軍拡を進めた。論壇の雄・徳富蘇峰も、三国干渉に衝撃を受け、平民主義から強硬な国権論・国家膨脹主義に転じ、「富国強兵」の尖兵となって国民精神を鼓舞した(以下参考に記載の「※平民主義」参照)。
青年は列強に屈することのない強さを求め、尚武に名をかりた蛮風(野蛮な風俗。粗野な習慣、)が街には溢れ、そんな「バンカラ」は美少年を好み、黒木綿の紋付や薩摩下駄を着用した。薩摩隼人の人気は大変なもので、東京でも薩摩弁が使われるようになったという。一方、そんな当時の憂国の情に反発したのが「ドースル連」と呼ばれる青年の鬱屈した行動であったという。これらの青年は、満たされぬロマンチシズムの香気を、当時流行の娘義太夫が物語る情痴の世界に酔い痴れることで満たそうとし、娘義太夫目当てに寄席を梯子して回ったという。当時、娘義太夫の日本髪が熱演のあまり乱れ、内容が佳境にさしかかると、客席のいる書生らの熱心な見物から、「どうする、どうする」と声がかかった。このことから、そうした見物を「堂摺連=どうするれん」と呼んだ。特に激しい者は手拍子を打ち、茶碗の底を擦り合わせて騒ぐほど熱狂したという。旅順を攻略したことで知られる乃木希典は青年の怠惰な風潮が軍隊にも蔓延したことを憂い、山鹿素行の著作などから武士道の復権を説いたという。
自殺した時、満16歳10ヶ月(数え18歳)であった旧制一高(現:東京大学の前身)の学生であった藤村操は、そのような世情の中で 『嚴頭之感』の文を残して、華厳の滝に身を投じたのである。
この藤村自殺は「天人論」(以下参考に記載の「※黒岩涙香」を参照)を説く、『萬朝報(よろずちょうほう)』の創設者黒岩涙香 により、「我国に哲学者なし、この少年に於て始めて哲学者を見る。いな、哲学者なきにあらず、哲学のために抵死(ていし)する者なきなり。」(「少年哲学者を弔す」)・・・と、わが国初の哲学的自殺と紹介された。藤村は一高でも評判の「早熟秀才」であったようで、当時の一高同窓生はその死に、とりわけ大きなショックを受けたという。藤村の友人などの藤村への回想などは以下を参照されると良い。
日本ペンクラブ 電子文藝館・招待席・主権在民史料・藤村 操
http://www.japanpen.or.jp/e-bungeikan/guest/essay/fujimuramisao.html
彼の書き残した『嚴頭之感』の名調子が、たちまち同時代及び後世の青年の心を深く捉えた。厭世観によるエリート学生の死は「立身出世」を美徳としてきた当時の社会に大きな影響を与え、後を追う者が続出。多くは警戒中の警察官に保護され未遂に終わったが、藤村の死後4年間で同所で自殺を図った者が185名(内未遂が40名)にのぼったという。藤村の自殺以降、日光の華厳の滝は自殺の名所となる。実際に藤村の遺体が発見されたのは彼の後に、この滝で自殺した早大生の遺体捜索の最中であったという。華厳の滝、熱海の錦ヶ浦などが多くの若者の命を飲み込み、それとともに観光名所としても全国に有名になったという。
彼の墓所は東京都港区の青山霊園にあり、藤村家墓地の右手に、「藤村操君絶命辞」碑がある。
藤村操が楢の大樹にナイフで削って書き付けた「巌頭之感」は、当局の手で抹消されたそうだが、その直前に、墨書したものを地元の写真館が写真に撮り、絵葉書として売り出したところ、飛ぶように売れたそうだ。事件の影響を恐れた当局は、ネガを没収し絵葉書を販売禁止にしたが、写真は既に雑誌(国木田独歩が編集を担当していた「東洋画報」明治36年7月発行と推定される)に掲載されてしまったあとだったという。平岩昭三著『検証 藤村操 華厳の滝投身自殺事件』が、不二出版から2003(平成15)年に出ていて、「東洋画報」に掲載されていた巌頭之感と藤村操の写真がされているという。(以下参考に記載の「小さな資料室資料2 藤村操の「巌頭之感」」参照)。
夏目漱石は当時、一高で英語講師をしており、藤村はその教え子であった。彼の死は、漱石の精神にも大きな打撃を与えた。漱石は自殺直前の授業中、藤村に、「君の英文学の考え方は間違っている。」と叱っていた。この事件は漱石が後年、鬱(うつ)病となった一因とも言われているそうだ。
文中に出てくるホレーショは、シェイクスピアの戯曲「ハムレット」に登場する人物(友人)。
ハムレットが、「君なんかには分からない事もあるんだ」とホレーショに言うくだりがあるそうだ。確かに青年達にとっては、いつの世も人生は「不可解」なものなのであろう。ただ、朝日クロニクル「週刊20世紀」にに記載されているところによると、”藤村の自殺は、果たして、「哲学的自殺」か「失恋自殺」か、現在に至るも論争は絶えないようだ。自殺直前藤村は、恋人といわれる同郷の馬島千代さん宅を訪れ、手紙と高山樗牛(たかやま ちょぎゅう)の『滝口入道』の本を手渡したそうで、手紙には、本に書き入れた傍線をよく読んで欲しいとあり、本には傍線数箇所、謎めいた書き込みもあるのだが、本音は結局よく判らない”という。同記事と共に掲載されている写真を見ると、非常に理知的な美人である。以下参考に記載の小さな資料室資料2 藤村操の「巌頭之感」でも、この女性のことについても触れているが、彼女は”東京工大名誉教授、崎川範行さんの御母堂で、「操より一つ年上だった。」「本郷の屋敷から人力車で麹町の女子学院に通う千代さんと、神田方向から一高に通う操とは道すがらあいさつを交わし、時折、操が手紙を手渡すような間柄だった。いわゆるプラトニックラブなのだが、年上の千代さんには、とても本気になれるような恋ではなく、操の気持ちがから回りしていたようだ。」・・・とある。
哲学などに興味を持つ頭の良い青年が、熱烈に愛した人への想いが叶わないことに気付く、煩悶の後、人生は観念だけではなく覚悟である。生きる覚悟の無い者は、真理をさとりながらも”終(つい)に死を決する”、そして、『嚴頭之感』最後の文中にあるように”既に巌頭(滝)に立つに及んで、胸中何等の不安あるなし。始めて知る、「大なる悲觀は大なる樂觀に一致するを。」”・・・となったのであろうが、青年期に特有の死への憧憬は誰もが経験するところであろうが、2年前に今年の漢字「命(いのち)」でも触れたように、「命(いのちを)」を与えられ、生かされている人間はその、「命」の尊さをよく学び、粗末にすべきではないだろう。
以下参考に記載の「純粋の経験Bと日本の哲学・藤村操」はNexをくってゆくと、当時の新聞記事〔1〕〔2〕ホレーショの哲学など詳しく書かれているよ。
(画像は、華厳の滝と藤村操。朝日クロニクル「週刊20世紀」)
参考:
藤村操 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E6%9D%91%E6%93%8D
小さな資料室資料2 藤村操の「巌頭之感」
http://www.geocities.jp/sybrma/02hujimura.htm
※平民主義
http://www.tabiken.com/history/doc/Q/Q214L200.HTM
日清戦争開戦 【東学党の乱と朝鮮改革交渉】
http://www.geocities.jp/huckbeinboxer/kokubou004.html
女義太夫 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%B3%E7%BE%A9%E5%A4%AA%E5%A4%AB
武士道 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E5%A3%AB%E9%81%93
黒岩涙香 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%92%E5%B2%A9%E6%B6%99%E9%A6%99
※黒岩涙香
http://www.asahi-net.or.jp/~pb5h-ootk/pages/K/kuroiwaruiko.html
ホレーショの哲学
http://blog.goo.ne.jp/kamino-m/e/d66fff96451dccffbb174f3102d6ad54
自殺の名所 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E6%AE%BA%E3%81%AE%E5%90%8D%E6%89%80
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E6%9C%A8%E7%94%B0%E7%8B%AC%E6%AD%A9
Hugo Strikes Back!: 藤村操と夏目漱石
http://hugo-sb.way-nifty.com/hugo_sb/2004/11/post_82.html
高山樗牛 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E5%B1%B1%E6%A8%97%E7%89%9B
純粋の経験Bと日本の哲学・藤村操
http://www.lcv.ne.jp/~kohnoshg/site37/hujimu1.htm
綺堂事物 明治芝居風俗 女義太夫 寄席
http://hansichi.hp.infoseek.co.jp/contents/fuzoku01.html

最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
自殺 (Linda)
2008-05-23 08:14:15
よーさん、お早うさんです。
昔も今も自殺が報道されると真似をするものが続くようですね。
返信する
物真似 (よーさん)
2008-05-23 17:41:54
今のテレビなどの報道では、自殺や殺人事件がひつこいぐらいに同じ事件を何度も報道されますね。
ヨーロッパなどの先進国では、これらの同じ様な報道を3度もすると誰も見なくなるのでテレビ局などでも報道しないと聞いていますが、日本人は誰もがそれだけ、こんな報道番組を好むのでしょうか。このような報道だけでなくクイズやバラエティーなどにしても、どこかの局がはじめると他のどの局も皆同じ様な番組をしている。個性の時代などといいながら、どこの局もが同じ様な番組を作り、誰もが同じ様なものを見、それも飽かずに見ている。外国人から見るとなにか、気持ち悪いのじゃ~無いでしょうかね。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。