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「郵便列車」を廃止し「鉄道郵便局」すべてが廃局となった。

2009-09-30 | 歴史
1986(昭和61)年9月月30日「郵便列車」を廃止し、「大阪鉄道郵便局」など全国9ヶ所あった鉄道郵便局が廃局となった。
鉄道郵便局とは、鉄道郵便を取り扱うためにかつて郵政省に存在した郵便局の一種である。引受した郵便物を列車に連結した郵便車で運送、区分していた。
郵便列車は、国有(現:JR)の貨物列車の何両かを専用に借り上げ、走らせてきた。郵便物輸送の大半を国鉄が占めていた昭和40年代には全国の62路線を走っていたが、速度やコストの面で次第に航空機や自動車で輸送する分量が増加。郵便列車を廃止するまでのここ数年、国鉄での輸送は縮小が相次ぎ、東京―青森、東京―門司など5路線だけとなり、全郵便物に占める国鉄輸送のシェアは、1割前後に落ち込んでいた。
郵便列車を使った国鉄での輸送は1889(明治22)年から1世紀近く行われてきたが、国鉄が分割・民営化(1987年4月1日実施)されれば、郵便物を含む貨物輸送が全国一本化した貨物鉄道会社が承継するが、貨物会社は長距離コンテナ輸送に重点を置き、輸送ダイヤが不便になることが予想されたため、郵政省は郵便物の輸送に鉄道を利用しないことを決めた。
そして、1984(昭和59)年2月を最後に取扱便、車内継走区分が廃止され、車内での仕分けや集中局(複数の集配局の取集業務を統合した郵便集中局が昭和50年代に名古屋・横浜に設置された)以外での積み降ろしは廃止され、東京―門司間など郵便列車が走る5路線を1986(昭和61)年9月30日をもって全廃し、護送便は、自動車と飛行機に切り替えられた。これに併せて、札幌、青森、仙台、東京、長野、名古屋、大阪、廣島、熊本など全国9ヶ所あった鉄道郵便局もすべて閉局した。
当時全国約2600人いた職員は他局に配置転換したり、一部地域で新しく誕生させた自動車や航空便を使う「輸送郵便局」(青森西郵便局・長野東郵便局・郵便事業新大阪支店・久留米東郵便局参照)に移ることになった。
近代日本の郵便制度は、1871(明治4)前島密によりに創業された。翌年新橋-横浜間に初めて鉄道が開業したことに伴い開始され、以後、全国展開が図られ、飛脚やかごに取って代わった。
近畿においては1874(明治7)年、大阪-神戸間に初めて鉄道が開始し、鉄道による郵便輸送を開始した。1889(明治22)年に東海道本線が全通すると、神戸鉄道局(後の大阪鉄道管理局)が置かれ、当時民営だった山陽鉄道(現:山陽本線)ともつながった。当初は単に郵便物を運ぶための手段であり、荷物室あるいは車掌事務室の一部を区切って「郵便室」として使用していたようだが、神戸鉄道局がつくられた明治22年頃には、郵便専用車がつくられ、車内で郵便物の仕分けなどを行うようになる(車両内での区分け作業風景画像)。
郵便車の車両区分では郵便の頭文字の「ユ」を採用していた。また、扱いは荷物列車と同じ扱いとなっていた。そのため、一般の旅客列車に連結されたり、荷物車(車両称号は「荷物」の「ニ」)とともに組成された専用列車も運行されたりしていた(かっての郵便車画像)。
以来、全国に郵便車が走り、東京駅や上野駅、大阪駅など主要な鉄道駅では郵袋(行き先別に仕分けした郵便物を収納した麻袋で、「票札」というあて先郵便局のタグがついていた。内部の郵袋置き場画像)の積み下ろし作業が行われ、各地に郵便物を運んでいた。郵便車は各鉄道郵便局の職員が乗り込んで、郵便局としての機能の一部を持ち、駅のポストに投函した郵便物では、あて先方面に向かう郵便車内で消印が押されることが多かった。この消印を「鉄郵印」と呼ばれていた。
冒頭の画像は、大阪鉄道管理局が所掌乗務線路(ここ参照)の中でも1世紀余り活躍してきた東門(東京-門司)線の輝かしい業績を記念し、鉄道郵便との惜別とするために発行した「さようなら鉄道郵便東門線日付印集」の表紙(上部)と東門線全便と各駅駐在の最終日付印の一部(下部)である。消印は、当時の国鉄等の郵便車両の車中で、郵便物に押された消印(「鉄郵印」)と同じものである。(尚、この表紙絵に描かれているは、難波橋より中ノ島公園、中央公会堂を望む風景である。) 
大阪鉄道管理局の庁舎(当時の建物画像は以下参考の※「今はなき大阪の近代建築:大阪鉄道管理局」参照)は、大阪駅の北側にあったが、国鉄分割民営化後はJR西日本の本社ビルともなっていたが、現在、この場所にはヨドバシカメラ大阪店(マルチメディア梅田)が建設されている。
因みに、郵便車は郵便物運送委託法(以下参考の※:「郵便物運送委託法)参照)に基づき、旧国鉄以外に、東武鉄道、秩父鉄道、近江鉄道、島原鉄道、鹿児島交通など一部の私鉄でも運行されていたそうだ。
鉄道郵便局は、その特殊かつ過酷な作業環境におかれていたことから、鉄道局での経験と精神を称して「鉄郵魂」とも言われていたようだ。
東門線の郵便車には、“ワシントン郵政庁の碑文より”として以下の記載のある額が掲げられていたそうだ(「さようなら鉄道郵便東門線日付印集」より)。
郵便の使命
愛と思いやりをとどけ
別れた友のかけはしとなり
わびしい心をいやし
遠くはなれた家族をつなぎ
われらの日々をゆたかにする

ニュースと知識をはこび
商業と産業のたすけとなり
世界の人々の間に
たがいの理解を深めて
平和や親善を促進する

そんな、役割を担っていた郵便は、長年鉄道によって運ばれていたが、それが、車や飛行機で運ばれるようになるが、「さようなら鉄道郵便東門線日付印集」の裏表紙には、「より速く!より便利!」のタイトルに、日本地図と大阪城のある大阪から飛び立つ飛行機の絵と、「日本航空」「ANA」「TDA」のロゴが描かている。
しかし、今や、インターネットと携帯電話などの発達により、郵便による通信文書はメールに、ダイレクトメールなどは、ネット広告へと変わってきており、車も飛行機も、情報伝達の“速さ”や“便利”さではインターネットには適わなくなっている。したがッって、これまで集めた記念切手も全く、価値が半減してしまっている。少々残念である。
(画像は、コレクションの大阪鉄道管理局発行の「さようなら 鉄道郵便東門線日付印集」の表紙:上部と東門線全便と各駅駐在の最終日付印の一部:下部)
参考:
鉄道郵便局 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%89%84%E9%81%93%E9%83%B5%E4%BE%BF%E5%B1%80
日本国有鉄道 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%9B%BD%E6%9C%89%E9%89%84%E9%81%93
大阪市中央公会堂 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%98%AA%E5%B8%82%E4%B8%AD%E5%A4%AE%E5%85%AC%E4%BC%9A%E5%A0%82
10月9日「世界郵便デー、万国郵便連合記念日」
http://blog.goo.ne.jp/yousan02/e/e9c3d4034c5e97ce8d65ae7dd49187fa
鉄道郵便車~日本郵便輸送の発展を支えた歴史
http://homepage1.nifty.com/yumechan/tetudo.html
鉄道郵便日付印
http://www2u.biglobe.ne.jp/~h_abe/tetuyuu.htm
ヨドバシカメラ - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%83%89%E3%83%90%E3%82%B7%E5%8D%9A%E5%A4%9A
アメリカ合衆国郵政省
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E5%90%88%E8%A1%86%E5%9B%BD%E9%83%B5%E6%94%BF%E7%9C%81
ジョン・ウェインの出世作『駅馬車』(1939)
http://wayne1907.hp.infoseek.co.jp/ekiba.htm
※:郵便物運送委託法
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S24/S24HO284.html
※:郵便物運送委託法
http://www.houko.com/00/01/S24/284.HTM
※:今はなき大阪の近代建築:大阪鉄道管理局
http://osaka-kodawari-kiko.hp.infoseek.co.jp/daitetsukyoku.html

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