レーガノミクス(英: Reaganomics)とは、アメリカ大統領ロナルド・レーガン(共和党任期:1981–1989)がとった一連の自由主義経済政策の中で、一期目の1981(昭和56)年の今日2月18日に発表した“「強いアメリカ」再生の為の経済再建計画”のことであり、「レーガノミクス(Reaganomics)」は、「レーガン(Reagan)」の名と、経済を意味する英語「エコノミクス(economics)」を組み合わせた造語である。
この「レーガノミックス」の名を聞くと、2012(平成24)年12月に誕生した第2次安倍晋三内閣の経済政策「アベノミクス」を連想する人も多いだろう。
この「アベノミクス」という言葉も、安倍とエコノミックスを合わせた造語であるが、この造語、自民党の安倍総裁が2012(平成24)年の総選挙で「大胆な金融緩和」路線を鮮明にして攻勢に出たことを受けて、同年から朝日新聞(※1参照)が少々皮肉を込めて使用したことをきっかけに多用され始めた言葉であり、その元は米レーガン政権の自由主義経済政策「レーガノミクス」に因むものである。
「アベノミクス」では、「財政出動」「金融緩和」「成長戦略」という「三本の矢」で、長期のデフレ経済を脱却するために、政府と日銀が協定を結びインフレターゲット(物価目標2%)を設定し、名目経済成長率3%を達成しようというものである。
しかし、大胆な金融緩和は悪政インフレを招くという慎重論も根強いし、いずれ金利の急騰などにも繋がると懸念されている。
さて、デフレ脱却を目指し大胆な金融緩和を進める「アベノミクス」は良薬といえるか、副作用の強い劇薬か?…。今のところ、円安や株高などによるメリットが経済面に良い面として出てはいるように見えるのだが、1年3か月を経過した今、株価、円安とも頭打ち状態になっており、消費税アップ以後のことが心配される状況になっているところである。
「アベノミクス」と「レーガノミクス」。同じ「エコノミックス」であっても、同政策を導入するに至った両国の経済的な背景は違うはず。以下参考の※2:「バブル/デフレ期の日本経済と経済政策」(歴史編)を参考に、先ずレーガンが大統領に就任するまでのアメリカの時代背景から見てみよう。
第2次世界大戦(1939年~1945年)後の米国は、政治・経済・軍事・の諸側面で圧倒的な力を基に超大国としての地位を維持し続けてきたが、1960年代後半からその経済力にかげりが見え始めた。
1960年代の米国経済は、その圧倒的強さを背景に世界の経済成長を牽引していた。当時、米国のGDP(Gross Domestic Product。国民総生産)が世界に占めるシェアは4割を超え、農業部門・工業部門ともに生産量・生産性は世界の頂点にあった。
ドルを基軸通貨とする国際金融システム(国際金融市場参照)の頂点に立つ米国は、世界にドルを散布し、世界経済の成長を牽引した。一方、米国では通貨価値(※3、※4参照)の安定と旺盛な設備投資による生産力の拡大を通じて、物価の安定と順調な経済成長が実現された。
しかし、1960年代後半から、1970年代にかけて世界経済ではインフレ傾向が強まった。米国では、生産性の向上を上回る賃金上昇が発生した結果、労働コスト(※5参照)の上昇が見られ、国際競争力(※6参照)が低下した。一方、日本や西独等の競争力は強化され、対米輸出も増加した。
この結果、1971(昭和46)年の米国の貿易収支は戦後初めての赤字を記録した。これ以降、米国の貿易赤字は改善の気配を見せず、そのままずるずると悪化の方向を辿るようになった。
1960年代以降の米国の活発な海外投資及び援助によって世界的な過剰ドル流動性の蓄積が進行していたころ、1971(昭和46)年の巨額の資本流失および大規模な通貨投機の発生により、固定相場制の維持が困難になり、1971(昭和46)年8月にニクソン大統領の「新経済政策」の発表によって、米国はドルの切り下げを行い(ニクソン・ショック参照)、1973(昭和48)年には世界の主要国は変動相場制に移行した。
二度に渉る石油危機によって、主要国はスタグフレーションに陥ることになったが、日独経済の早期回復やNICs(アジアを中心としたNewly Industrializing Countries=新興工業国)の台頭等によって、米国の地位はもはや絶対的なものではなくなった(※2のここ表3-1[米国の失業率の推移S図表]、3-2[米国の物化の動向]、3-3[米国の国際収支Bと対日収支]参照)。
米国の民間部門の労働生産性は第1次石油危機までは年平均2.9%の上昇率を保ってきたが、1973(昭和48)年から1978(昭和53)年の間はその伸びが1/3に低下し、さらに1979(昭和54)年以降は伸びがマイナスになっている。
これは、第1に農業部門から非農業部門への労働移動が完了したこと、エネルギー集約的生産方式から資本・労働集約的生産方式へと生産方式の転換がすすんだこと(ヘクシャー=オリーンの定理参照)、環境・安全規制の強化への対応に資源が投入されたこと、未熟練労働力の比重が高まったこと等の原因が指摘されているという。
まず第1に、生産性の伸びの低下をもたらした要因として、設備投資の伸び悩みと資本装備率の低下がある。石油危機後の不況の中で稼働率が低迷し、設備投資に抑制的効果をもたらしたといわれるが、インフレによる企業課税の重課が設備投資にマイナスの影響をもたらしたことも大きな原因であると指摘されている。この結果、製造業を中心として国際競争力が低下した。
例えば、米国を代表する産業である自動車の輸出は、1962(昭和37)年には全世界輸出に対して22,6%を占めていたが、1979(昭和54)年には13.9%まで低下しており、逆に国内市場における輸入車のシェアは1966(昭和41)年の7.7%から1979(昭和54)年には21.5%まで高まっているという。また、米国の粗鋼生産の世界シェアは1962(昭和37 )年には24.5%であったが、1979(昭和54)年には16.5%へと低下する一方で輸入鋼材の国内シェアは同時期に5.6%から15.2%へと高まっている。
石油についても1970(昭和45)年の海外依存度は23.4%であったものが1977(昭和52)年には50.8%まで上昇し、アラスカ原油の生産開始後の1979(昭和54)年でも47.4%と高止まっていた。
ここでちょっと一休みして、米国の戦後の経済学とくに、マクロ経済学の移り変わりを見てみよう。
1960年代後半にいたるまでの米国のマクロ経済学と政策は、 ケイ ンズ理論に基礎をおき、財政政策を重視し, 金融政策を補助的に併用する、積極的「総需要管理政策」として展開されていた。
しかし1960年代後半以降、 そう したケイ ンジアンの積極的総需要管理主義は急速に崩壊し, それにかわって, 貨幣供給量(マネーサプライ)を重視する、 いわゆる 「マネタ リスト」 たちが米国のマク ロ経済学の主流を占めるようになった。
こう した流れの背景には,先にも上げた、1960年代後半から急激な上昇を始めたイ ンフ レの問題、 さ らにはインフレと失業の同時進行、つまり 「スタグフレーショ ン(stagflation)」 といった現実的な問題が大きくかかわっていた。
さ らに1973年以降、OPEC(石油輸出国機構)のカルテルによる原油価格の値上げなどの「サプライ ・ ショ ック(Supply shock)」、さ らには労働生産性上昇率の鈍化や国際競争カの低下などの供給側の問題が顕著化するにおよび、米国のマク ロ経済学と政策は、従来の需要側重視の立場の経済学「デマンド(需要)サイ ド経済学」から供給側重視の経済学, すなわち 「サプライ(供給)サイド経済学」 へと急速にその流れを変えてゆき、1 970年代後半以降の, 米国のマク ロ経済学と政策のなかで主流を占めるようになっていた。
こうした流れと現実を目前にして、伝統的にケイ ンジアンの積極的総需要管理主義を踏襲してきた民主党のカーター政権でも、1970年代後半にはその政策の一環として米国経済の供給側の問題に眼を向けた供給管理政策を政策を打ち出していた。
すなわち、政策発足時には失業率引き下げを経済政策の最優先課題としつつも、一方でインフレ抑制のために連邦政府支出の対GNP比を21%まで引き下げること、1981年度には連邦財政の均衡化を実現すること、さらに政府規制改革、生産能力・生産性の向上等を政策目標として掲げていた(詳しくは、※7の昭和55年=1980年の第4章 供給管理政策の登場とその課題も参照)。
だが、この政策に関して、民主党政権のアプローチ(考え方)は、エネルギー政策面での政府の介入や賃金、物価に対するガイドライン政策等、それなりの政府介入に基礎を置いたものであり、基本的には、1960年代のケネディー政権以来の哲学が継承されていたものであったこと。・・・これが前述した生産性の伸びの低下をもたらした・・・第2にの要因であったともいえる。
これに対して,共和党政権は徹底して政府の介入を排除する「小さな政府」主義をその基本的政策理念としていた。この政策理念は、民主党政権と好対照を成したものであり、これはアメリカ経済のパフォーマンスの悪化は政府介入の増大が民間部門が本来備え持つ自由な活力を阻害したためであるとの基本認識に基づいている。
1980(昭和55)年の大統領選で民主党の現職大統領カーターに勝利した、レーガン大統領就任当時(1981年1月20日)の経済指標をみると、インフレ率12%、失業率7.5%、名目金利20.2%(TB3カ月もの)など、米国経済のパフォーマンスは戦後最悪の状態にあった。また、パリ協定 (ベトナム和平)に基づくベトナムからの撤退、日欧経済の台頭、スタグフレーションなどの中で米国民の誇りに傷がつき、カーター政権下でのイラン大使館人質事件(1979年)で国民の間に一層の焦燥感が高まっていた。
そうした中レーガンは「強いアメリカ」「個人の自主性・努力」「小さな政府」をスローガンとしてかかげて選挙戦に挑み、国民の支持を得て大統領に就任した。
レーガン大統領の一期目は前政権から受け継いだスタグフレーション状態の経済の回復が課題であった。政権はインフレと失業に注目した。レーガンの経済政策は減税による供給面からの経済刺激を主張するサプライサイド経済学に基づいている。またスタグフレーションの物価上昇という弊害を抑えるために「通貨高政策」を前提条件にしていた。
アメリカ経済再生の課題を担って登場したレーガン政権は,発足後間もない1981(昭和56)年2月18日、経済政策の大幅な転換を内容とした「経済再生計画(「レーガノミックス」)」を発表した(※7の昭和56年:年次世界経済報告:第3章・第3節 アメリカの経済政策参照)。そのレーガノミクスの主軸は以下のとおりである。
1. 社会保障支出と軍事支出の拡大により、経済を発展させ、強いアメリカを復活させる。
2.減税により、労働意欲の向上と貯蓄の増加を促し投資を促進する。
3.規制を緩和し投資を促進する。
4.金融政策によりマネーサプライの伸びを抑制して「通貨高」を誘導してインフレ率を低下させる。
この政策群の理想的展開は、市場原理と民間活力を重視し「富裕層の減税による貯蓄の増加と労働意欲の向上、企業減税と規制緩和により投資が促され供給力が向上する。経済成長の回復で歳入が増加し税率低下による歳入低下を補い歳入を増加させると共に、福祉予算を抑制して歳出を削減する。インフレーションは金融政策により抑制されるので歳出への制約は低下する。結果、歳出配分を軍事支出に転換し強いアメリカが復活する。」というものである。しかし、実際の展開は想定通りにはいかなかった。
このレーガン政権の一連の減税政策では所得税の減税も行われたが、それ以上に企業に対して、(1)加速償却の導入、(2)投資税額控除の拡大(設備投資額の10%)など、法人税の減税が主眼となった。企業に対する税制改革は、典型的な「利益誘導型」政策であったため、政治力が強い従来型産業(製造業、石油などの資本集約産業)が税制優遇措置の恩恵を受けたといわれる。
財政支出の削減は文教・福祉部門だけであり、逆に軍事支出は増大させた。それに対して所得税と法人税を減税しているために、減税によって税収増を図れず、米国全体としての支出は減らず、むしろ急激な財政赤字の拡大に直面した。
財政赤字が拡大する一方の米国は、米国債を大量に発行するようになり、これを日本を中心とする海外資本が引き受ける構図となって、世界中にドルがばらまかれたことから、ドル高・円安が引き起こされ(※8:アメリカのUSドル/円の為替レートの推移参照)、時を置かずにドル高による貿易収支の悪化(※8のここ参照)を招いた。
さらに軍事費の拡大の影響も大きく、技術が軍事部門に集中したために米国の産業界に競争力の低下が顕著になり、これも貿易に不利に働いて、貿易赤字を拡大させる原因となった。
しかし、レーガノミクスによって米国経済そのものは急速に浮上した。1970年代を通じたインフレと金利上昇は収まり、「株式の死」(※9参照)と形容された米国株式市場は1982(昭和57)年10月に、足かけ17年間にわたる500-1000ドル(NYダウ平均株価)の大ボックス相場からついに上放(うわばな)れした(※8のダウ平均株価の推移参照)。
米国の景気循環日付では、この時期の「景気の谷」は1982(昭和57)年11月、「景気の山」は1990(平成2)年9月である(※10:平成21年度:年次経済財政報告: コラム1-1表参照)。1980年代を通じた米国の長期景気拡大は1982(昭和57)年末に形作られた。
しかしその反動も大きかった。
高額所得者への減税と軍備の拡大は、いずれは設備投資の拡大につながり、それを通じた米国産業の競争力強化をもたらすものと期待されていたのだが、実際には、米国が陥っていたそれ以前のストック調整と、メキシコ債務危機によって顕在化した、中南米債務問題(ラテンアメリカの債務危機※11参照)に至る国際金融危機に見舞われた1980(昭和55)年~1982(昭和57)年の不況を、単なる浪費で乗り切る手段に過ぎなかった。
そして、減税と軍事費の拡大は巨額の財政赤字を招き、これに巨額の貿易赤字が加わった「双子の赤字」を抱えることになり、 第2次レーガン政権での大規模な政策転換、すなわち1985(昭和60)年の為替調整=「プラザ合意」につながっていき、為替相場は一気にドル安となった。
1980年代のアメリカ経済の名目GDPは1980(昭和55)年の2,862.48億ドルから1988(昭和63)年には5,252.63億ドルへ1.83倍に増大した。
その後、企業の投資資金は、高金利による株安から他の企業の買収合併へ向かい、株式ブームを生み出した。なお、この株式ブームは1987(昭和62)年のブラックマンデーにより終了したが、この株式ブームはFRB(連邦準備制度)の裁量により深刻な恐慌をもたらさなかったが、このことがアメリカ経済のFRB・金融政策依存と資産経済化をもたらすことになった。
レーガンは基本的には“小さな政府”の支持者であったようだが現実には彼の主張は、全くと言っていい程実現しなかった。1980(昭和55)年のアメリカ大統領選挙に立候補したジョージ・H・W・ブッシュはレーガンが政策に盛り込んだ一連の経済政策に対し「ブードゥー(魔術的)経済学」(英:Voodoo Economics)と揶揄していた。当時からサプライサイド派は経済学界においてほとんど支持を得ていない異端であったことによるものである。
レーガンの後を受けたブッシュ大統領は増税に踏み切ることでレーガン時代の後始末を図ったが不況は克服できず、1992(平成4)年には、財政赤字はピークに達するとともに、経常収支は均衡に近づいた。そして、その次のビル・クリントン政権時代には次第に財政収支が均衡に向かい、1998(平成10)年から2001(平成13)年にかけては財政黒字であったものの経常収支の赤字は拡大の一途をたどった。
●上掲の画像は、アメリカ合衆国の財政収支 (黒線)経常収支(赤線)の推移。Wikipediaより。
さて、現在日本で安倍内閣が進めている「アベノミクス」は「レーガノミクス」を真似たような政策に見られるのだが、レーガン時代の米国の政治が、日本のお手本になり得るものだろうか?
先ず社会的な背景が正反対である。当時の米国は、先にも書いたようにインフレーションの間只中にあった。それに対して、日本はデフレであり、インフレ率は2012(平成24)年-0.04%(米国は2,08%)、2013(平成25)年IMFによる推計値 0.05%(米国1,39%)(※8参照)であり、失業率は国によって計算根拠が異なるようなので、※12:「総務省統計局統計データー」を参考にすると、2012度11月:完全失業率4、1%(1913年11月4.0%)となっている。しかし、実質経済成長率を見ると日本は、2012(平成24)年1.96%(米国2.78%)、2013(平成25)年IMFによる推計値1.95%(米国1.56%)((※8参照)となっている。
確かに大きなインフレも問題だが大きなデフレも困る。
経済協力開発機構(OECD)によればデフレは「一般物価水準の継続的下落」と定義されている。IMF(国際通貨基金)や内閣府は2年以上の継続的物価下落をデフレと便宜的に定義してデフレ認定を行なっている。
デフレの弊害は現金の価値が上がりすぎて、モノやサービスや、それに関わる人の価値が下がり過ぎていることにある。個々人では、デフレによって好影響が悪影響を上回る者、あるいはその逆の者が存在する。一方で、社会全体では一般に悪影響が大きいと言われている。
デフレは名目的には低い金利に見えても、お金の借り手にとっての負担はデフレの分だけ重くなる。この場合の借り手には、日本政府も含まれる。デフレの状況は税収が上がらないので財政再建にとっては大きなマイナス要因ではある。
しかし、以下参考の※8:「世界経済のネタ帳」の日本のインフレ率(年平均値)の推移(1980~2013年)>を見ていると、日本のデフレ(マイナスインフレ)は1995(平成7)に1度-0.13%が発生し、その後は、1999(平成11)年の0.33%から現在まで、2009(平成21)年の-1.34%を最高に2003(平成15)年位からは0,02%程度の軽微なもので心配したものではないとする学者もいるようだ。
因みに、日本とアメリカなどでは、少々計算の仕方が違っているようだ。それについては、以下参考の※13:「日本のデフレ率の再計測」参照)。
私には難しいことは判らないが、いずれにしても、デフレでは困るので、「アベノミクス」インフレターゲット(2%)を設定し、経済を成長させようとの考えには賛成だ。
日本では土地バブル(※14参照)が崩壊し、その後の政権が行った「レーガノミクス」もどきの引き締めによって、長いデフレが続いた。このデフレでお金の価値は上がり続け、信用縮小を続け来た。
この信用縮小を解消するために、金融緩和を行い、その金で、震災の復興や、国土強靭化や未来志向のための投資などに振り分けられるのならそれはいいことだ。ただ、安倍政権の弱者に配慮しない、金持ち優遇・企業優遇の進め方の中で、大量に発行されだぶついたお金は、値上がりを想定した投機へと連鎖してゆき、お金(円)、国債の価格を下げ、金利のアップにつながってゆく。これは、庶民のなけなしの預・貯金価値を引き下げ、年金者の生活を圧迫する。
こうして生まれたバブルがはじけると、また大不況になる。その時、これだけ多くの財政赤字を抱えた日本はどうなるのだろう。
リアルタイム財政赤字カウンター 13
何か「レイガノミクス」と同じような結果を引き起こすようになりそうな気がするのだが・・・。年金以外収入のない老人のいらぬ心配であってほしいものだ。
今、経済活性化の為に庶民の預貯金を吐き出させ、株式や投資信託の投資に向けさせようと、かってのマル優制度(少額貯蓄非課税制度)ならぬイギリスでは広く国民の資産形成・貯蓄の手段として定着 しているISA(Individual Savings Account)を参考に日本版のNをつけたNISA(ニーサ。少額投資非課税制度)が導入されたが、日本では、個人の株式や投資信託の売買から生じる所得への課税を、一定の条件の下で非課税にするものであるが貯蓄には使えず、いろいろ利用上の制約も多くあり、なかなか庶民には利用しにくいものとなっている(※15参照)。これも、ある程度豊かな資産ある人のための制度であり、金のない庶民に恩恵のあるものではない。
サラリーマン年金や投信などリアルマネーとしてのものならいいと思うが・・・。
いま世界に流通している基軸通貨ドルには、リーマンショックの前後から、「価値の裏づけのあるドル」と「価値の裏づけのないドル」の二種類が出来ているそうだ。そして、その「価値の裏づけのないドル」はフェイクマネー(偽金)と呼ばれているそうだが、世界で膨らんだ フェイクマネーの源泉である「真水のマネー」の出し手は日本だという。
アメリカのITバブル崩壊以降の世界経済は、それまでの定石通りドル崩壊の長期的なステップを踏んでいたにすぎないのだという。国際金融資本・金貸しが日本に目をつける理由もここにあり、日本が巨大な真水の金融力をどう使うかで世界市場の舵取りは決まるのだというが・・・・。日本の政府は、私たちのなけなしの金を守ってくれるのだろうか。
こんな怖い話、以下参考の※16、※17など読んでみられるとよい。
冒頭の画像は自らの減税プランをテレビで説明するレーガン大統領, 1981年7月。Wikipediaより。
参考:
※1:超金融緩和「新・アベノミクス」は良薬か、劇薬か - 朝日新聞社
http://webronza.asahi.com/business/2012112500001.html
※2:バブル/デフレ期の日本経済と経済政策」(歴史編)1 - 経済社会総合研究所
http://www.esri.go.jp/jp/prj/sbubble/history/history_01/history_01.html
※3:どんな場面で通貨の価値が変わるのか? - FX初心者の外為入門
http://mituwasou.com/fx-begin/price-change-reason.html
※4:通貨の価値は政治力で決まる - Japan Real Time - WSJ
http://realtime.wsj.com/japan/2013/05/10/%E9%80%9A%E8%B2%A8%E3%81%AE%E4%BE%A1%E5%80%A4%E3%81%AF%E6%94%BF%E6%B2%BB%E5%8A%9B%E3%81%A7%E6%B1%BA%E3%81%BE%E3%82%8B/
※5:単位労働コストの推移 : 疑似科学ニュース
http://www.asks.jp/community/nebula3/171862.html
※6:国際競争力ランキングから見た我が国と主要国の強みと弱み(Adobe PDF)
http://dl.ndl.go.jp/view/download/digidepo_6019129_po_074406.pdf?contentNo=1
※7:内閣府年次リスト(平成10年度以前)
http://www5.cao.go.jp/keizai3/sekaikeizaiwp/index.html
※8:世界経済のネタ帳-世界の国・地域
http://ecodb.net/area/
※9株式の死 :きょうのキーワード :やさしい投資 :マネー :日本経済新聞
http://www.nikkei.com/money/investment/toushiyougo.aspx?g=DGXIMMVEW4005002112009000001
※10:内閣府年次リスト(平成11年度以)
http://www5.cao.go.jp/j-j/wp/index.html
※11:債務危機と通貨危機(Adobe PDF)
http://www.econ.kyoto-u.ac.jp/~iwamoto/lecture2008/sekaikeizai07.pdf#search='%E3%83%A9%E3%83%86%E3%83%B3%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E3%81%AE%E5%82%B5%E5%8B%99%E5%8D%B1%E6%A9%9F'
※12:総務省統計局統計データー:労働力調査
http://www.stat.go.jp/data/roudou/rireki/gaiyou.htm
※13日本のデフレ率の再計測 - RIETI - 独立行政法人経済産業研究所 RIETI
http://www.rieti.go.jp/jp/publications/rd/082.html
※14:日本の土地バブルとは何か
http://www.clubpac.net/01/001.html
※15:NISAの致命的な欠点について - 高橋 忠寛
http://blogos.com/article/77469/
※16:フェイクマネー崩壊で厳しい欧米投資銀行、業界縮小は不可避
http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPJAPAN-32561720080703
※17:世界バブルの構造:フェイクマネーと化した米ドル、最後の貸し手は日本しか残らない。 ...
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=187127
安倍政権の経済政策と2013 年・2014 年の日本経済 - 三菱UFJリサーチ (2013年12月26日)
http://www.murc.jp/thinktank/rc/column/kataoka_column/kataoka131226.pdf#search='%E6%97%A5%E6%9C%AC+2012%E5%B9%B4+2013%E5%B9%B4+%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%95%E3%83%AC%E7%8E%87'
物価上昇率2%の日銀シナリオを検証する | トレンド | 東洋経済オンライン(2013年05月23日)
.http://toyokeizai.net/articles/-/14025
Wikipedia - レーガノミックス
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%82%AC%E3%83%8E%E3%83%9F%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9
この「レーガノミックス」の名を聞くと、2012(平成24)年12月に誕生した第2次安倍晋三内閣の経済政策「アベノミクス」を連想する人も多いだろう。
この「アベノミクス」という言葉も、安倍とエコノミックスを合わせた造語であるが、この造語、自民党の安倍総裁が2012(平成24)年の総選挙で「大胆な金融緩和」路線を鮮明にして攻勢に出たことを受けて、同年から朝日新聞(※1参照)が少々皮肉を込めて使用したことをきっかけに多用され始めた言葉であり、その元は米レーガン政権の自由主義経済政策「レーガノミクス」に因むものである。
「アベノミクス」では、「財政出動」「金融緩和」「成長戦略」という「三本の矢」で、長期のデフレ経済を脱却するために、政府と日銀が協定を結びインフレターゲット(物価目標2%)を設定し、名目経済成長率3%を達成しようというものである。
しかし、大胆な金融緩和は悪政インフレを招くという慎重論も根強いし、いずれ金利の急騰などにも繋がると懸念されている。
さて、デフレ脱却を目指し大胆な金融緩和を進める「アベノミクス」は良薬といえるか、副作用の強い劇薬か?…。今のところ、円安や株高などによるメリットが経済面に良い面として出てはいるように見えるのだが、1年3か月を経過した今、株価、円安とも頭打ち状態になっており、消費税アップ以後のことが心配される状況になっているところである。
「アベノミクス」と「レーガノミクス」。同じ「エコノミックス」であっても、同政策を導入するに至った両国の経済的な背景は違うはず。以下参考の※2:「バブル/デフレ期の日本経済と経済政策」(歴史編)を参考に、先ずレーガンが大統領に就任するまでのアメリカの時代背景から見てみよう。
第2次世界大戦(1939年~1945年)後の米国は、政治・経済・軍事・の諸側面で圧倒的な力を基に超大国としての地位を維持し続けてきたが、1960年代後半からその経済力にかげりが見え始めた。
1960年代の米国経済は、その圧倒的強さを背景に世界の経済成長を牽引していた。当時、米国のGDP(Gross Domestic Product。国民総生産)が世界に占めるシェアは4割を超え、農業部門・工業部門ともに生産量・生産性は世界の頂点にあった。
ドルを基軸通貨とする国際金融システム(国際金融市場参照)の頂点に立つ米国は、世界にドルを散布し、世界経済の成長を牽引した。一方、米国では通貨価値(※3、※4参照)の安定と旺盛な設備投資による生産力の拡大を通じて、物価の安定と順調な経済成長が実現された。
しかし、1960年代後半から、1970年代にかけて世界経済ではインフレ傾向が強まった。米国では、生産性の向上を上回る賃金上昇が発生した結果、労働コスト(※5参照)の上昇が見られ、国際競争力(※6参照)が低下した。一方、日本や西独等の競争力は強化され、対米輸出も増加した。
この結果、1971(昭和46)年の米国の貿易収支は戦後初めての赤字を記録した。これ以降、米国の貿易赤字は改善の気配を見せず、そのままずるずると悪化の方向を辿るようになった。
1960年代以降の米国の活発な海外投資及び援助によって世界的な過剰ドル流動性の蓄積が進行していたころ、1971(昭和46)年の巨額の資本流失および大規模な通貨投機の発生により、固定相場制の維持が困難になり、1971(昭和46)年8月にニクソン大統領の「新経済政策」の発表によって、米国はドルの切り下げを行い(ニクソン・ショック参照)、1973(昭和48)年には世界の主要国は変動相場制に移行した。
二度に渉る石油危機によって、主要国はスタグフレーションに陥ることになったが、日独経済の早期回復やNICs(アジアを中心としたNewly Industrializing Countries=新興工業国)の台頭等によって、米国の地位はもはや絶対的なものではなくなった(※2のここ表3-1[米国の失業率の推移S図表]、3-2[米国の物化の動向]、3-3[米国の国際収支Bと対日収支]参照)。
米国の民間部門の労働生産性は第1次石油危機までは年平均2.9%の上昇率を保ってきたが、1973(昭和48)年から1978(昭和53)年の間はその伸びが1/3に低下し、さらに1979(昭和54)年以降は伸びがマイナスになっている。
これは、第1に農業部門から非農業部門への労働移動が完了したこと、エネルギー集約的生産方式から資本・労働集約的生産方式へと生産方式の転換がすすんだこと(ヘクシャー=オリーンの定理参照)、環境・安全規制の強化への対応に資源が投入されたこと、未熟練労働力の比重が高まったこと等の原因が指摘されているという。
まず第1に、生産性の伸びの低下をもたらした要因として、設備投資の伸び悩みと資本装備率の低下がある。石油危機後の不況の中で稼働率が低迷し、設備投資に抑制的効果をもたらしたといわれるが、インフレによる企業課税の重課が設備投資にマイナスの影響をもたらしたことも大きな原因であると指摘されている。この結果、製造業を中心として国際競争力が低下した。
例えば、米国を代表する産業である自動車の輸出は、1962(昭和37)年には全世界輸出に対して22,6%を占めていたが、1979(昭和54)年には13.9%まで低下しており、逆に国内市場における輸入車のシェアは1966(昭和41)年の7.7%から1979(昭和54)年には21.5%まで高まっているという。また、米国の粗鋼生産の世界シェアは1962(昭和37 )年には24.5%であったが、1979(昭和54)年には16.5%へと低下する一方で輸入鋼材の国内シェアは同時期に5.6%から15.2%へと高まっている。
石油についても1970(昭和45)年の海外依存度は23.4%であったものが1977(昭和52)年には50.8%まで上昇し、アラスカ原油の生産開始後の1979(昭和54)年でも47.4%と高止まっていた。
ここでちょっと一休みして、米国の戦後の経済学とくに、マクロ経済学の移り変わりを見てみよう。
1960年代後半にいたるまでの米国のマクロ経済学と政策は、 ケイ ンズ理論に基礎をおき、財政政策を重視し, 金融政策を補助的に併用する、積極的「総需要管理政策」として展開されていた。
しかし1960年代後半以降、 そう したケイ ンジアンの積極的総需要管理主義は急速に崩壊し, それにかわって, 貨幣供給量(マネーサプライ)を重視する、 いわゆる 「マネタ リスト」 たちが米国のマク ロ経済学の主流を占めるようになった。
こう した流れの背景には,先にも上げた、1960年代後半から急激な上昇を始めたイ ンフ レの問題、 さ らにはインフレと失業の同時進行、つまり 「スタグフレーショ ン(stagflation)」 といった現実的な問題が大きくかかわっていた。
さ らに1973年以降、OPEC(石油輸出国機構)のカルテルによる原油価格の値上げなどの「サプライ ・ ショ ック(Supply shock)」、さ らには労働生産性上昇率の鈍化や国際競争カの低下などの供給側の問題が顕著化するにおよび、米国のマク ロ経済学と政策は、従来の需要側重視の立場の経済学「デマンド(需要)サイ ド経済学」から供給側重視の経済学, すなわち 「サプライ(供給)サイド経済学」 へと急速にその流れを変えてゆき、1 970年代後半以降の, 米国のマク ロ経済学と政策のなかで主流を占めるようになっていた。
こうした流れと現実を目前にして、伝統的にケイ ンジアンの積極的総需要管理主義を踏襲してきた民主党のカーター政権でも、1970年代後半にはその政策の一環として米国経済の供給側の問題に眼を向けた供給管理政策を政策を打ち出していた。
すなわち、政策発足時には失業率引き下げを経済政策の最優先課題としつつも、一方でインフレ抑制のために連邦政府支出の対GNP比を21%まで引き下げること、1981年度には連邦財政の均衡化を実現すること、さらに政府規制改革、生産能力・生産性の向上等を政策目標として掲げていた(詳しくは、※7の昭和55年=1980年の第4章 供給管理政策の登場とその課題も参照)。
だが、この政策に関して、民主党政権のアプローチ(考え方)は、エネルギー政策面での政府の介入や賃金、物価に対するガイドライン政策等、それなりの政府介入に基礎を置いたものであり、基本的には、1960年代のケネディー政権以来の哲学が継承されていたものであったこと。・・・これが前述した生産性の伸びの低下をもたらした・・・第2にの要因であったともいえる。
これに対して,共和党政権は徹底して政府の介入を排除する「小さな政府」主義をその基本的政策理念としていた。この政策理念は、民主党政権と好対照を成したものであり、これはアメリカ経済のパフォーマンスの悪化は政府介入の増大が民間部門が本来備え持つ自由な活力を阻害したためであるとの基本認識に基づいている。
1980(昭和55)年の大統領選で民主党の現職大統領カーターに勝利した、レーガン大統領就任当時(1981年1月20日)の経済指標をみると、インフレ率12%、失業率7.5%、名目金利20.2%(TB3カ月もの)など、米国経済のパフォーマンスは戦後最悪の状態にあった。また、パリ協定 (ベトナム和平)に基づくベトナムからの撤退、日欧経済の台頭、スタグフレーションなどの中で米国民の誇りに傷がつき、カーター政権下でのイラン大使館人質事件(1979年)で国民の間に一層の焦燥感が高まっていた。
そうした中レーガンは「強いアメリカ」「個人の自主性・努力」「小さな政府」をスローガンとしてかかげて選挙戦に挑み、国民の支持を得て大統領に就任した。
レーガン大統領の一期目は前政権から受け継いだスタグフレーション状態の経済の回復が課題であった。政権はインフレと失業に注目した。レーガンの経済政策は減税による供給面からの経済刺激を主張するサプライサイド経済学に基づいている。またスタグフレーションの物価上昇という弊害を抑えるために「通貨高政策」を前提条件にしていた。
アメリカ経済再生の課題を担って登場したレーガン政権は,発足後間もない1981(昭和56)年2月18日、経済政策の大幅な転換を内容とした「経済再生計画(「レーガノミックス」)」を発表した(※7の昭和56年:年次世界経済報告:第3章・第3節 アメリカの経済政策参照)。そのレーガノミクスの主軸は以下のとおりである。
1. 社会保障支出と軍事支出の拡大により、経済を発展させ、強いアメリカを復活させる。
2.減税により、労働意欲の向上と貯蓄の増加を促し投資を促進する。
3.規制を緩和し投資を促進する。
4.金融政策によりマネーサプライの伸びを抑制して「通貨高」を誘導してインフレ率を低下させる。
この政策群の理想的展開は、市場原理と民間活力を重視し「富裕層の減税による貯蓄の増加と労働意欲の向上、企業減税と規制緩和により投資が促され供給力が向上する。経済成長の回復で歳入が増加し税率低下による歳入低下を補い歳入を増加させると共に、福祉予算を抑制して歳出を削減する。インフレーションは金融政策により抑制されるので歳出への制約は低下する。結果、歳出配分を軍事支出に転換し強いアメリカが復活する。」というものである。しかし、実際の展開は想定通りにはいかなかった。
このレーガン政権の一連の減税政策では所得税の減税も行われたが、それ以上に企業に対して、(1)加速償却の導入、(2)投資税額控除の拡大(設備投資額の10%)など、法人税の減税が主眼となった。企業に対する税制改革は、典型的な「利益誘導型」政策であったため、政治力が強い従来型産業(製造業、石油などの資本集約産業)が税制優遇措置の恩恵を受けたといわれる。
財政支出の削減は文教・福祉部門だけであり、逆に軍事支出は増大させた。それに対して所得税と法人税を減税しているために、減税によって税収増を図れず、米国全体としての支出は減らず、むしろ急激な財政赤字の拡大に直面した。
財政赤字が拡大する一方の米国は、米国債を大量に発行するようになり、これを日本を中心とする海外資本が引き受ける構図となって、世界中にドルがばらまかれたことから、ドル高・円安が引き起こされ(※8:アメリカのUSドル/円の為替レートの推移参照)、時を置かずにドル高による貿易収支の悪化(※8のここ参照)を招いた。
さらに軍事費の拡大の影響も大きく、技術が軍事部門に集中したために米国の産業界に競争力の低下が顕著になり、これも貿易に不利に働いて、貿易赤字を拡大させる原因となった。
しかし、レーガノミクスによって米国経済そのものは急速に浮上した。1970年代を通じたインフレと金利上昇は収まり、「株式の死」(※9参照)と形容された米国株式市場は1982(昭和57)年10月に、足かけ17年間にわたる500-1000ドル(NYダウ平均株価)の大ボックス相場からついに上放(うわばな)れした(※8のダウ平均株価の推移参照)。
米国の景気循環日付では、この時期の「景気の谷」は1982(昭和57)年11月、「景気の山」は1990(平成2)年9月である(※10:平成21年度:年次経済財政報告: コラム1-1表参照)。1980年代を通じた米国の長期景気拡大は1982(昭和57)年末に形作られた。
しかしその反動も大きかった。
高額所得者への減税と軍備の拡大は、いずれは設備投資の拡大につながり、それを通じた米国産業の競争力強化をもたらすものと期待されていたのだが、実際には、米国が陥っていたそれ以前のストック調整と、メキシコ債務危機によって顕在化した、中南米債務問題(ラテンアメリカの債務危機※11参照)に至る国際金融危機に見舞われた1980(昭和55)年~1982(昭和57)年の不況を、単なる浪費で乗り切る手段に過ぎなかった。
そして、減税と軍事費の拡大は巨額の財政赤字を招き、これに巨額の貿易赤字が加わった「双子の赤字」を抱えることになり、 第2次レーガン政権での大規模な政策転換、すなわち1985(昭和60)年の為替調整=「プラザ合意」につながっていき、為替相場は一気にドル安となった。
1980年代のアメリカ経済の名目GDPは1980(昭和55)年の2,862.48億ドルから1988(昭和63)年には5,252.63億ドルへ1.83倍に増大した。
その後、企業の投資資金は、高金利による株安から他の企業の買収合併へ向かい、株式ブームを生み出した。なお、この株式ブームは1987(昭和62)年のブラックマンデーにより終了したが、この株式ブームはFRB(連邦準備制度)の裁量により深刻な恐慌をもたらさなかったが、このことがアメリカ経済のFRB・金融政策依存と資産経済化をもたらすことになった。
レーガンは基本的には“小さな政府”の支持者であったようだが現実には彼の主張は、全くと言っていい程実現しなかった。1980(昭和55)年のアメリカ大統領選挙に立候補したジョージ・H・W・ブッシュはレーガンが政策に盛り込んだ一連の経済政策に対し「ブードゥー(魔術的)経済学」(英:Voodoo Economics)と揶揄していた。当時からサプライサイド派は経済学界においてほとんど支持を得ていない異端であったことによるものである。
レーガンの後を受けたブッシュ大統領は増税に踏み切ることでレーガン時代の後始末を図ったが不況は克服できず、1992(平成4)年には、財政赤字はピークに達するとともに、経常収支は均衡に近づいた。そして、その次のビル・クリントン政権時代には次第に財政収支が均衡に向かい、1998(平成10)年から2001(平成13)年にかけては財政黒字であったものの経常収支の赤字は拡大の一途をたどった。
●上掲の画像は、アメリカ合衆国の財政収支 (黒線)経常収支(赤線)の推移。Wikipediaより。
さて、現在日本で安倍内閣が進めている「アベノミクス」は「レーガノミクス」を真似たような政策に見られるのだが、レーガン時代の米国の政治が、日本のお手本になり得るものだろうか?
先ず社会的な背景が正反対である。当時の米国は、先にも書いたようにインフレーションの間只中にあった。それに対して、日本はデフレであり、インフレ率は2012(平成24)年-0.04%(米国は2,08%)、2013(平成25)年IMFによる推計値 0.05%(米国1,39%)(※8参照)であり、失業率は国によって計算根拠が異なるようなので、※12:「総務省統計局統計データー」を参考にすると、2012度11月:完全失業率4、1%(1913年11月4.0%)となっている。しかし、実質経済成長率を見ると日本は、2012(平成24)年1.96%(米国2.78%)、2013(平成25)年IMFによる推計値1.95%(米国1.56%)((※8参照)となっている。
確かに大きなインフレも問題だが大きなデフレも困る。
経済協力開発機構(OECD)によればデフレは「一般物価水準の継続的下落」と定義されている。IMF(国際通貨基金)や内閣府は2年以上の継続的物価下落をデフレと便宜的に定義してデフレ認定を行なっている。
デフレの弊害は現金の価値が上がりすぎて、モノやサービスや、それに関わる人の価値が下がり過ぎていることにある。個々人では、デフレによって好影響が悪影響を上回る者、あるいはその逆の者が存在する。一方で、社会全体では一般に悪影響が大きいと言われている。
デフレは名目的には低い金利に見えても、お金の借り手にとっての負担はデフレの分だけ重くなる。この場合の借り手には、日本政府も含まれる。デフレの状況は税収が上がらないので財政再建にとっては大きなマイナス要因ではある。
しかし、以下参考の※8:「世界経済のネタ帳」の日本のインフレ率(年平均値)の推移(1980~2013年)>を見ていると、日本のデフレ(マイナスインフレ)は1995(平成7)に1度-0.13%が発生し、その後は、1999(平成11)年の0.33%から現在まで、2009(平成21)年の-1.34%を最高に2003(平成15)年位からは0,02%程度の軽微なもので心配したものではないとする学者もいるようだ。
因みに、日本とアメリカなどでは、少々計算の仕方が違っているようだ。それについては、以下参考の※13:「日本のデフレ率の再計測」参照)。
私には難しいことは判らないが、いずれにしても、デフレでは困るので、「アベノミクス」インフレターゲット(2%)を設定し、経済を成長させようとの考えには賛成だ。
日本では土地バブル(※14参照)が崩壊し、その後の政権が行った「レーガノミクス」もどきの引き締めによって、長いデフレが続いた。このデフレでお金の価値は上がり続け、信用縮小を続け来た。
この信用縮小を解消するために、金融緩和を行い、その金で、震災の復興や、国土強靭化や未来志向のための投資などに振り分けられるのならそれはいいことだ。ただ、安倍政権の弱者に配慮しない、金持ち優遇・企業優遇の進め方の中で、大量に発行されだぶついたお金は、値上がりを想定した投機へと連鎖してゆき、お金(円)、国債の価格を下げ、金利のアップにつながってゆく。これは、庶民のなけなしの預・貯金価値を引き下げ、年金者の生活を圧迫する。
こうして生まれたバブルがはじけると、また大不況になる。その時、これだけ多くの財政赤字を抱えた日本はどうなるのだろう。
リアルタイム財政赤字カウンター 13
何か「レイガノミクス」と同じような結果を引き起こすようになりそうな気がするのだが・・・。年金以外収入のない老人のいらぬ心配であってほしいものだ。
今、経済活性化の為に庶民の預貯金を吐き出させ、株式や投資信託の投資に向けさせようと、かってのマル優制度(少額貯蓄非課税制度)ならぬイギリスでは広く国民の資産形成・貯蓄の手段として定着 しているISA(Individual Savings Account)を参考に日本版のNをつけたNISA(ニーサ。少額投資非課税制度)が導入されたが、日本では、個人の株式や投資信託の売買から生じる所得への課税を、一定の条件の下で非課税にするものであるが貯蓄には使えず、いろいろ利用上の制約も多くあり、なかなか庶民には利用しにくいものとなっている(※15参照)。これも、ある程度豊かな資産ある人のための制度であり、金のない庶民に恩恵のあるものではない。
サラリーマン年金や投信などリアルマネーとしてのものならいいと思うが・・・。
いま世界に流通している基軸通貨ドルには、リーマンショックの前後から、「価値の裏づけのあるドル」と「価値の裏づけのないドル」の二種類が出来ているそうだ。そして、その「価値の裏づけのないドル」はフェイクマネー(偽金)と呼ばれているそうだが、世界で膨らんだ フェイクマネーの源泉である「真水のマネー」の出し手は日本だという。
アメリカのITバブル崩壊以降の世界経済は、それまでの定石通りドル崩壊の長期的なステップを踏んでいたにすぎないのだという。国際金融資本・金貸しが日本に目をつける理由もここにあり、日本が巨大な真水の金融力をどう使うかで世界市場の舵取りは決まるのだというが・・・・。日本の政府は、私たちのなけなしの金を守ってくれるのだろうか。
こんな怖い話、以下参考の※16、※17など読んでみられるとよい。
冒頭の画像は自らの減税プランをテレビで説明するレーガン大統領, 1981年7月。Wikipediaより。
参考:
※1:超金融緩和「新・アベノミクス」は良薬か、劇薬か - 朝日新聞社
http://webronza.asahi.com/business/2012112500001.html
※2:バブル/デフレ期の日本経済と経済政策」(歴史編)1 - 経済社会総合研究所
http://www.esri.go.jp/jp/prj/sbubble/history/history_01/history_01.html
※3:どんな場面で通貨の価値が変わるのか? - FX初心者の外為入門
http://mituwasou.com/fx-begin/price-change-reason.html
※4:通貨の価値は政治力で決まる - Japan Real Time - WSJ
http://realtime.wsj.com/japan/2013/05/10/%E9%80%9A%E8%B2%A8%E3%81%AE%E4%BE%A1%E5%80%A4%E3%81%AF%E6%94%BF%E6%B2%BB%E5%8A%9B%E3%81%A7%E6%B1%BA%E3%81%BE%E3%82%8B/
※5:単位労働コストの推移 : 疑似科学ニュース
http://www.asks.jp/community/nebula3/171862.html
※6:国際競争力ランキングから見た我が国と主要国の強みと弱み(Adobe PDF)
http://dl.ndl.go.jp/view/download/digidepo_6019129_po_074406.pdf?contentNo=1
※7:内閣府年次リスト(平成10年度以前)
http://www5.cao.go.jp/keizai3/sekaikeizaiwp/index.html
※8:世界経済のネタ帳-世界の国・地域
http://ecodb.net/area/
※9株式の死 :きょうのキーワード :やさしい投資 :マネー :日本経済新聞
http://www.nikkei.com/money/investment/toushiyougo.aspx?g=DGXIMMVEW4005002112009000001
※10:内閣府年次リスト(平成11年度以)
http://www5.cao.go.jp/j-j/wp/index.html
※11:債務危機と通貨危機(Adobe PDF)
http://www.econ.kyoto-u.ac.jp/~iwamoto/lecture2008/sekaikeizai07.pdf#search='%E3%83%A9%E3%83%86%E3%83%B3%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E3%81%AE%E5%82%B5%E5%8B%99%E5%8D%B1%E6%A9%9F'
※12:総務省統計局統計データー:労働力調査
http://www.stat.go.jp/data/roudou/rireki/gaiyou.htm
※13日本のデフレ率の再計測 - RIETI - 独立行政法人経済産業研究所 RIETI
http://www.rieti.go.jp/jp/publications/rd/082.html
※14:日本の土地バブルとは何か
http://www.clubpac.net/01/001.html
※15:NISAの致命的な欠点について - 高橋 忠寛
http://blogos.com/article/77469/
※16:フェイクマネー崩壊で厳しい欧米投資銀行、業界縮小は不可避
http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPJAPAN-32561720080703
※17:世界バブルの構造:フェイクマネーと化した米ドル、最後の貸し手は日本しか残らない。 ...
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=187127
安倍政権の経済政策と2013 年・2014 年の日本経済 - 三菱UFJリサーチ (2013年12月26日)
http://www.murc.jp/thinktank/rc/column/kataoka_column/kataoka131226.pdf#search='%E6%97%A5%E6%9C%AC+2012%E5%B9%B4+2013%E5%B9%B4+%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%95%E3%83%AC%E7%8E%87'
物価上昇率2%の日銀シナリオを検証する | トレンド | 東洋経済オンライン(2013年05月23日)
.http://toyokeizai.net/articles/-/14025
Wikipedia - レーガノミックス
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%82%AC%E3%83%8E%E3%83%9F%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9