今日のことあれこれと・・・

記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

京都~東京間昼夜兼行の「東海道五十三次関東関西対抗駅伝競争」が行われた日。日本初「駅伝」。

2007-04-27 | 歴史
今日(4月27日)は、京都~東京間昼夜兼行の「東海道五十三次関東関西対抗駅伝競争」が行われた日。日本初「駅伝」。
駅伝(正式には駅伝競走)は、数人が長距離をリレー形式で走り、その速さを競う陸上競技である。国際陸上競技連盟が定める国際レースの基準では男女別にフルマラソンと同じ42.195kmを6区間で走るが、その他は、各走者が走る距離、総距離、区間数、性別などの組み合わせは、大会によってさまざまである。(日本で開催・施行される駅伝競走大会 参照。)
1917( 大正6 )年の今日( 4月27日)、東京奠都50周年を記念して、読売新聞が主催する「東海道五十三次駅伝徒歩競走」が開催された。4月27日、京都・三条大橋を午後2時にスタート。愛知県第一中学(現・愛知県立旭丘高等学校)で固めた西軍と東京高等師範学校(現・筑波大学)中心の東軍が争い、京都から東京までの23区間、約508kmを走り抜き、東軍のアンカー金栗四三がゴール地点である東京上野・不忍池(Mapion地図)の博覧会正面玄関へ到着したのは翌々日・29日の午前11時34分であったという。この競走のスタート地点である京都・三条大橋のたもとと、ゴール地点である東京・上野不忍池の東岸には「駅伝発祥の地」の碑が立っている。
また、以下参考に記載の「駅伝ひとくちメモ」にこのときのことが、詳しく書かれているがそれによると、”コースの総距離数23区間、508キロとあるが、実際は516キロあったという。また、最初の計画では〈東京〉〈名古屋・京都〉〈大阪〉という3団体による地域対抗で行われる予定だったが、大阪はチーム編成できず、関東組(東京)と関西組(名古屋・京都)の東西対抗になったようで、関東組が第一高等学校、東京高等師範、早稲田の学生が占めていたのに対し、関西組は名古屋の愛知第一中学が中心。中学2年から5年までの生徒が大半で、あとは卒業、職員たちが名を連ね、15歳の生徒から52歳の校長までが走ったのだという。中学生と高校・大学生の争いだったから勝負は明らかで、最終成績では関東組が1時間24分ほど先んじている。”・・・とある。それは、もう、勝負にならないだろうね。兎に角、この駅伝が評判となり、3年後の1920(大正9)年、第1回箱根駅伝(正式には、東京箱根間往復大学駅伝競走)開催へと繋がってゆくが、金栗はこの大会開催のために尽力し、この功績を讃え、箱根駅伝では2004年より、最優秀選手に対して金栗四三杯が贈呈されている。
この「海道道五十三次関東関西対抗駅伝競争」で、「駅伝」の名称が世界で初めて使われたが、その名づけ親は、当時大日本体育協会副会長、神宮皇學館館長武田千代三郎だそうである。
当時江戸時代における東海道五十三次における伝馬制からヒントを得たといわれている。
駅伝という言葉自体は、日本書紀に掲載されている大化の改新第2条に、駅馬・伝馬の制度を設置る旨の定めが見られるぐらい古いものである。この制度は、古代以来の中国の各王朝で設けられた駅制度を元にしたもので、 首都と地方の間の道路網に30(約16km)毎に置かれた中継所のことを「」(宿駅)といい、ここに宿泊施設や人、馬を配置していた。こうした制度は、後々に引き継がれ江戸時代に整備された五街道制度にも生かされている。
飛脚が、駅毎におり、駅から隣の駅までを走り(時には早馬を使うこともあった)、そこで次の飛脚にバトンタッチすることで、当時としては脅威のスピードで伝書などを渡していたのである。
公儀の飛脚である継飛脚(つぎびきゃく)は、書状・荷物を入れた「御状箱」を担ぎ、二人一組で宿駅ごとに引き継ぎながら運んだ。急を要する場合、江戸―京都間なら片道70時間ほどで運行できたと考えられているそうだ。
駅伝は、リレー方式で、各走者は走り終える毎に前の走者から受け継いだたすきを次の走者に渡していくが、公道使用上の制限から、遅れが大きいチームの場合、前の区間の走者が来ない内に予備のたすきを持って繰り上げスタートを余儀なくされる場合もある。テレビなど見ていても、時間が来て、たすきを受け取らないまま走る走者を見ていると、少し可哀想に思うが仕方のないことだろう。
1980年代以降、テレビ中継技術の発達とともに国内での駅伝人気は増す傾向にある。中でも、人気の高い毎年1月2日と3日の両日にかけて行われる 東京箱根間往復大学駅伝競走(通称「箱根駅伝」)や、元日に行われる「全日本実業団駅伝」(ニューイヤー駅伝)が正月の催事として定着している。その影響もあってか、名前を売り込む、もしくは企業の宣伝のために陸上部の強化に乗り出す大学・企業も多く、近年は駅伝の競技自体のスピード化も進んでいる。さらに、駅伝は日本にとどまらず世界的に行われる競技となっている。そのきっかけとなったのが、1983(昭和58)年に開かれた駅伝最初の国際大会である横浜国際女子駅伝だと言われている。その後、国際千葉駅伝で男女の国際大会も開設され、国際的な駅伝認知が高まった。特に元々マラソンや中距離トラック競技の強豪国であるエチオピアなどで盛んになってきており、国内でも駅伝大会が行われるほどである。
先にも述べたように駅伝は、日本の伝統的な駅制度がスポーツ競技化したものであるため、国際陸連では駅伝の国際名称を"road relay"としているが、日本発祥であることから日本の呼称と同じく"ekiden"と呼んでおり、説明的に”marathonrelay”と呼ばれることがある。
今では数々の駅伝があるが、わが地元兵庫県は、 男子、女子共に高校駅伝 が伝統的に強い。残念ながら昨年は、男女とも優勝を逃したが、それでも、男子は西脇工が3位に、女子は、須磨学園が2位に入った。今年・2007年1月に行われた女子の「全日本都道府県対抗駅伝」も、須磨学園などの高校生が頑張り「兵庫チーム」は総合3位となっている。地元選手が活躍しているので、今では私も、テレビで見るのを一番楽しみにしているスポーツである。やはり、地域大会のものは、地元チームがハッスルしてくれると見ている方も熱くなるよね~。
特に、駅伝では、区間毎に順位の大きなアップダウンがあり、ごぼう抜きが起きることも珍しくはない。これも駅伝ならでは楽しみの一つである。駅伝は、区間によって距離が違うので、マラソンを目指しているものは駅伝に出て、短距離から中距離へと距離を伸ばしながら力をつけてゆける。また、マラソンや、長距離ランナーは、スピードアップをするための場にもなる。日本の女子がマラソンで強いのもこのような駅伝で鍛えられていることも影響しているだろう。ただ、男子はここのところ、ひ弱であるが・・・。
(画像は、京都・三条大橋・駅伝発祥の地の碑)
参考:
駅伝競走 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A7%85%E4%BC%9D
駅伝の碑(東京) 
http://hamad.web.infoseek.co.jp/hass-col/sports/ekiden-tokyo.htm
駅伝ひとくちメモ 
http://www.mars.dti.ne.jp/~takefuku/e_memo/m_back.html
江戸ヲ称シテ東京ト為スノ詔書
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E6%88%B8%E3%83%B2%E7%A7%B0%E3%82%B7%E3%83%86%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E3%83%88%E7%82%BA%E3%82%B9%E3%83%8E%E8%A9%94%E6%9B%B8
駅 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A7%85
2006年度高校駅伝情報
http://www.geocities.co.jp/Athlete-Acropolis/6989/heki06/top.html


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。