あまりにも悲惨な現実に目を背けたくなります。でも目を背けることができずに目の前の現実と戦っている多くの人たちがいます。
「泣きっ面に蜂」、停滞した経済や政治に四苦八苦していた日本人にとって、まさにとどめとなるような一撃でした。でも立ち上がらなくてはいけないんですよね。
今回の事を「天罰」と言った人がいました。言っている趣旨は理解できます。私利私欲に走ったことに対する罰なのかもしれません。ただ、その私利私欲の最たるものは、国民を置き去りにして自分たちのことしか考えない政治家、親から毎月数千万のお小遣いをもらいながら、それを知らないと言い張り、脱税しても罪に問われず、自分の思い通りにならなかったらその職を放り出す元首相、自分たちの都合のいいように法律を作って天下りをやめず私腹を肥やす官僚、人の命よりも自分たちの利益や保身を優先する企業、ではないでしょうか。
今回、被災された人たちは日本で最も我慢強く、最も私利私欲から遠いところにいる人たちのように感じます。もし「天罰」という言葉をどうしても使いたいのならば、「天罰だとしても、どうして私たちがそれを受けなければいけないの?」という問いに対する納得のいく答えを用意してから使うべきではないかと思います。
本当に言いたかったことは、「今回の事を契機にして、自分のことだけを考えずに、他人の事や社会の事をもっと考えようよ」ということだと推測しているのですが、やはり言葉は選ぶべきだと思いました。
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