ぼくらの日記絵・絵心伝心 

日々の出来事や心境を絵日記風に伝えるジャーナリズム。下手な絵を媒介に、落ち着いて、考え、語ることが目的です。

独壇場と独擅場

2022年12月01日 | 日記

                真紅のバラ

 難しい漢字の読み方について、ネット上で挑発しているサイトがある。
 その中で「独擅場」をなんと読むか、というのが目にとまった。まあ、普通は「ドクダンジョウ」と読みますよね。間違いとは思えない。ところが違うのである。正解は「ドクセンジョウ」。ダンではなくセンである。
 答えによるとダンは土編、センは手偏なのである。それぞれ意味も違う。手偏の「擅」という字は「ほしいままにする。ひとりじめにする。また、ひとりで自由に処理する」という意味だそう。
 今、多くの人は「ドクダンジョウ」と言っているはずだが、これは古い時代に手編の「擅」を、誤って土編に書いたものが膾炙したせいだという。だから本来はドクセンジョウとのこと。
 漢字は中国の文字だから、これを完全に理解することは難しい。そこに誤字、誤読があり、それが普通に通用するようになる。
 漢字をさらに複雑にしているのが、漢音と呉音の違い。日本仏教は呉の時代の影響が強いから仏教関係は呉音が多い。例えは、大仏開眼の「開眼」という漢字の読み。カイガンではなく、カイゲン。呉音では眼はゲンである。同じようによく言われるのは、重複である。ジュウフクではなくチョウフクが正しい。
 同じように極楽、男体山、老若男女など、呉音の読み方が正しい。漢音だとキョクラク、ダンタイザン、ロウジャクダンジョとなる。これらの言葉は、ひょっとすると、すでに漢音が流通しているのかもしれない。
 本来、日本固有の和語で片づけられればいいのだが、和語では文化文明には到底追いつけない。そこで漢字に頼った訳だが、逆にそのことが幸いして、私たちは漢字カナ混じりで、今日の先端的は科学文明を全て理解できる。漢字を使うことによって、西洋を日本語に翻訳できるようになったのである。その功績は、福澤諭吉や西周などの先人の努力であった。自国語で世界の言葉を翻訳できるのは、おそらく日本だけであり、これも漢字のおかげである。
 とはいえ、最近は横文字が並ぶ。だがその横文字の背景には漢字カナ混じりの日本語が潜んでいることを忘れてはならない。【彬】

コメント
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