ぼくらの日記絵・絵心伝心 

日々の出来事や心境を絵日記風に伝えるジャーナリズム。下手な絵を媒介に、落ち着いて、考え、語ることが目的です。

国家の由来と国防

2022年12月21日 | 日記

              瓦礫の中から福寿草

 防衛費の増額が物議を醸しています。GDP2%まで上げるという。その金額をどう捻出するのかが問題になっている。国債か、増税か。私は増額に反対ではありません。ただし、増税には反対。この考え、虫が良すぎで、しかも矛盾しているでしょうか。
 増額分は既存の税で賄えば良いことだ、と思う。例えば厚労省予算、建設省予算、文部省予算、そのほか、各省庁分を節約縮小する。その分を防衛費に当てるのである。
 なぜ、そんなことが言えるのか。
 国家というのは、その本来の役割は国防だからである。その国防を最優先させるべきだからである。それは非戦を宣言した憲法に反する、という意見もあろう。だが、国家の由来、本質は国防以外にない。
 現在日本の最大省庁は厚労省である。予算も他を圧倒し、巨額になっている。なぜなら健康保険や年金制度をはじめとし、各種の保険業務が絡んでいるからである。そのような行政は福祉国家としては当然だが、そもそも福祉国家というのは、社会主義国家の裏面であり、破綻した社会主義国家の残像をひきづっているに過ぎない。日本は最も進んだ社会主義国家だと言われる所以である。
 国家機能はなるべく縮小することが理想である。国が強大になると専制になりやすい。国の役割が強大し、それに依存するのは、私たちの生活が依然として未熟だからであって、できることなら全ての官業は民間に移行し、民間の営業業務として独立するべきなのである。例えば国鉄が民営化されたように。
 そんな中で、国家の役割の中で最後まで残るのが、国防なのである。国防は民間化できない。
 国家というのは社会から離脱し、その一段上に独立して存在する。吉本隆明によれば共同の幻想なのである。その国家は放っておくと、領土を広げる欲望を露骨に表す。今日のロシア、北朝鮮、ミャンマー、中国などがそれを証明している。
 そんな国家というものは、廃棄すべきだというのが、社会主義、共産主義の理念だった。だが、それが空想に過ぎず、失敗だったことをソ連というインタナショナリズムが証明した。しかし依然として理想とするのは、国家をいかに縮小するかということ。そうした国家の役割の中で最後まで残るのが、国防という業務である。国家の主権=国民主権を守るのは、軍事以外にない。軍事以外に国家を維持する方途を見つけられるといいのだが、今は絶望的である。
 増税によって国防を充実するのは、順序が逆である。国家機能を縮小することで軍事費を賄う。これが私たちが進むべき道だと思う。【彬】

 

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