花オクラ 入澤光世
中国が国の戦略として電気自動車の全面的な普及に突き進んでいくそうである。それだけ北京をはじめ都市部の環境劣化が深刻なのだろう。環境問題に懸念を持つドイツも、原発否定に加え電気自動車の普及を宣言している。
私は若い頃、環七の沿線に住んでいたことがある。モータリゼーションの始まった頃で、排ガス規制がまだ十分でなかった。ジーゼル車は黒煙を撒き散らし、室内に放置したビニール袋には、うっすら黒い粉塵が付いてしまうような時代だった。また騒音もひどく、戦車が走っているかの轟音だった。その後の自動車の改善は著しく、車の進化は文明の発展そのものだった。
その先端を日本が担ってきたわけである。
そして今、電気自動車の時代。その普及は環境の維持のために必要なだけでなく、文明のあり方の根本を変える革命に匹敵するように思われる。
すでにいくつか指摘があるようにEV(エリクトリック・ビークル)によって、車の生産工程、主としてエンジン部門が大幅に変更される。それは一種の産業革命になる。さらに全国に配置されているガソリンスタンドから給電所への変更。さらに現在の自転車にあるような軽便な電動車の普及などなど。
しかし、ここで問題になるのは、電力の調達である。電気自動車が走るには多大な電力が必要になる。現在主力である石油・天然ガスにだけで供給できるものなのか。ドイツは否定的だが、中国は原発による電力の供給を推進する方向のようだ。再生可能エネルギー、いわゆる太陽光発電にたよるなどの空言もあるが、そのためには広大な土地と好天が必要だ。
電気の長所であり欠点は、その力を貯蔵できないということ。またその力を送電すのに大幅なロスが出るということ。だから本当は優れた蓄電技術が発見される必要があるのだが、一時話題だった超電導も幻の科学となっている。回転する車輪から再び電力を再生すれば良いではないか、といった永久エネルギー論など笑い話ではなくなる時が来るのかもしれない。
また、別の問題がある。電磁波の影響である。発電所や変電所、送電線の周辺には人の感覚にも認識できるウンウン唸るような電磁波が発生している。この電磁波と健康との関係が気になる。
文明の発達にはこうしたマイナス要因が必ず発生する。便利や快適さと引き換えに、こうした負の側面をどう考えるか‥‥新しい時代が突きつけてくる問題である。【彬】