はちみつと青い花 No.2

飛び去っていく毎日の記録。

日系カナダ人の歴史

2019年09月16日 | 雑感

 

2019/09/16

 

オータムクラシックを見ていたら、日系カナダ人の歴史を思い出しました。

書いておきたいと思います。

2014年にカナダ旅行をしました。トロントに降り立ち、バンフ、バンクーバーと旅行をしました。その時に訪れたバンクーバーのスタンレー公園にこんな碑がありました。

 最初は何の碑かわかりませんでした。

1920年に建立された日系カナダ人戦没者慰霊碑です。

この慰霊碑は第一次大戦時、日系カナダ人の権利拡大のために義勇兵としてカナダ軍に志願した日系人の若者達の名前が刻まれています。

その当時、カナダでは日系人は選挙権を与えられていなかったのです。欧州大戦に参戦することで日系人の地位向上のために戦った方達の慰霊碑です。カナダの日本人義勇兵の志願者は200名以上に上り、そのうち54名が命を落としました。

義勇兵たちに選挙権が与えられたのは、大戦から16年も経った1931年のことでした。

しかし、第二次世界大戦が勃発すると、日系カナダ人は財産を没収され、抑留されました。総数20,881人、そのうち75%がカナダ国籍を所持していました。正式なカナダ国民でした。

当時アメリカでも日系人が抑留され、大変な苦労をしました。

戦後、日系カナダ人の財産は没収され、連邦政府はッキー山脈以東の地域への移住、又は日本帰国を命じました。

その後、日系カナダ人抑留に関する記録が公開され、1983年から全カナダ日系人協会(NAJC)によって、損害賠償を請求する運動が開始されました。

 1988年に連邦政府は損害賠償を行うことを決定、賠償を終了したのは1993年のことでした。(Wikiによる)

日系カナダ人には、そうした悲しい歴史がありました。この碑を目にするまでは知りませんでした。

今、バンクーバーには多くの日本人が住んでいますし、世界一住みやすい都市に心地よく暮らしていることでしょう。

しかし、こんな時代があったことを今の日本の皆さんに知ってもらいたい気がします。

 

バンクーバーオリンピックの聖火台

 

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