はちみつと青い花 No.2

飛び去っていく毎日の記録。

伊藤亜紗著『目の見えない人は世界をどう見ているのか』

2024年07月21日 | 
2024/07/21


伊藤亜紗さんの本は今まで
私が思ってもいなかった着眼点を
与えてくれます。

22年に伊藤亜紗さんの
『手の倫理』(2020年出版)の感想を
このブログに書いたことがあります。

『目の見えない人は世界をどう見ているのか』は
それ以前の2015年に出版された本で
最近になって読みました。


 

これも私の知らなかった世界の解釈の仕方で
新しい視点をもらいました。

まだ読んでいる途中なのですが
一部分をここに書きとめて
おきたいと思います。


・・・・・・・・・・・・・・


「第1章 空間」には 
「見える人は2次元 見えない人は3次元」 
という表題があります。

目が見える、見えないで
空間のとらえ方が平面的であるか
立体的であるかということです。

見える人は空間を平面的にとらえ
見えない人は空間を立体として
とらえているのだそうです。

そんなことを考えたこともなかったので
興味深いなあと感じます。


例えとして
見える人の富士山のイメージは
上がかけた三角形で八の字の末広がり(平面的)。

見えない人は上がちょっと欠けた円錐形として
イメージしている(立体的)。


そういわれてみると
私が富士山を想像するときは
奥行きのことはほとんど考えません。

絵や写真で見るような
ぺたっとした三角形の山を想像します。

円錐形のイメージを持つとしたら
飛行機の中から見るような
上空から見た富士山かしら。

実際の富士山は円錐形に近いですね。


3次元を2次元化するのは
視覚の大きな特徴のひとつだそうです。
奥行きのあるものを平面化する傾向が
あるのです。



また、こんな経験が記されていました。

伊藤亜紗さんの勤務先、東京工業大学は
大岡山駅の近くにあります。

駅からキャンパスの建物までの
15mほどの緩やかな坂道を
伊藤さんと一緒に歩いた
視覚障害者の木下路徳さんの言葉。

「大岡山はやっぱり山で、今その斜面をおりているんですね」

その言葉に驚き
道の概念の違いに気づかされたといいます。

伊藤さんにとって
その坂道は駅と研究室をつなぐ道順の
一部でしかなかったが
木下さんはもっと俯瞰的で
空間全体を捉えるイメージでした。

お椀を伏せたような地形を
イメージしていたのでしょうか。



同じ道を歩くにしても
目の見える人、見えない人で
こんなにも道に感じるイメージが
異なっています。

「道は人が進むべき方向を示すもの」であり
通行人として通るべき場所として
定められた方向性を持つ。

〈人の行動を示す「道」とは、「こっちに来なさい、こっちに来てこうしなさい」と、行為を次々と導いていく環境の中に引かれた導線です〉(p.55)

道は行為を導いていくのだというのが
なるほどと思います。


いっぽう木下さんにとっての道は
まるでスキーヤーのように広い平面の上に
自分で線を引くイメージ。

たくさんの視覚情報がないせいで
空間をより開放的で自由に感じることが
できるのかもしれません。

「視野を持たないがゆえに視野が広がる」
と書かれています。

〈人は物理的な空間を歩きながら
脳内に作り上げたイメージの中を歩いている〉

私は思ったのですが
目の見える人は歩いていくうちに
今まで見えなかった所が現れてくるので
移動に従って新しい情報が与えられます。

だから先の空間(奥行)を推測する必要が
あまりないんじゃないでしょうか。


〈見える人は、まわりの風景とか、空が青いだとか、スカイツリーが見えるだとか、そういうので忙しい。〉

〈都市で生活していると、大型スクリーンに映し出されるアイドルの顔、新商品を宣伝する看板、電車の中吊り広告‥見られるためにしつらえられたもの、本当は自分にあまり関係のない=意味を持たないものに満たされている。
あるトリガーから別のトリガーへと目まぐるしく注意を奪われながら、人は環境の中を動かされていく〉(p.51)


幼い子どもたちは目につくものは
何にでも手を出して触ろうとしますね。

ボタンがあるから押したくなる。

〈環境に埋め込まれたさまざまなスィッチがトリガーになって、子どもたちの行動が誘発されていく〉
〈視覚的な刺激によって人々の中に欲望が作られていく〉(p.55)

情報が自分を動かしているとも言えます。

目の見える人は視覚によって
いらない情報も取り込んで
脳の中がいっぱいになっている。

木下さんが言う
「脳の中のスペースがほとんどない」状態。

 〈見えない世界というのはすごく情報が少ないんです。コンビニに入っても、見えた頃はいろいろおいしそうなものが目に止まったり、キャンペーンの情報が入ってきた。でも、見えないと、欲しいものを最初に決めて、それが欲しいと店員さんに言って、買って帰るというふうになる〉
  
目の見える私、あるいは私たちは
知らず知らずに周りの環境に影響されて
行動していることを考えさせられました。


別の部屋に何かを取りに行って
そのことはすっかり忘れて
他のことをしてしまい
(はて、自分は何しにここへ来たんだっけ)
と思うことがあります。

誰でも1回くらいはあるかもしれません。

あれは忘れっぽいというより
移動する時に別の視覚情報を得て
そこから連想するものに注意を向けて
しまったせいではないかと
私は思ったのです。


現代は視覚過多の時代で
目で見えてしまうから
それに踊らされている、というのは
ありますね。 


まとまらない感想になりましたが
この本はさらに興味深いことがあるので
また次回に書いてみようと思います。



以前に読んだ『手の倫理」の感想はこちら




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