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よし坊のあっちこっち

神出鬼没、中年オヤジ、いや、老年オヤジの何でも有りブログだ!

Toshiba不正会計に見る日本的問題

2015年10月01日 | ビジネス横丁こぼれ話
今やグローバル市場でも認知度の高いTOSHIBAの不正会計が明るみに出て揺れている。マスコミでは”会計の不適切な処理”という曖昧な、柔らかい表現を使っているが、早い話が”粉飾決算”なのである。しかも、3代の社長に渡って粉飾の陣頭指揮を執ってきたと言うからあきれる。東芝と言えば思い出される二人の社長、石坂泰三と土光敏夫。この二人は東芝にあって格別な存在であり、その象徴であった。彼らの遺志を継いで築き上げてきた栄光の東芝は、今回の不祥事で一挙に”負の遺産”を背負い込んでしまった。

1970-80年代、筆者も営業の最前線にいた。売り上げ計画を策定すると、上から一割や二割増しの目標数値が示され、毎月それに向かって突進となる。計画通り事が運べばよいが、殆どが計画未達で、その都度上司から”お小言”を頂戴したものだ。営業の日常である。だが、お小言の度が過ぎて人事権をチラつかせた”命令”となれば只事ではなくなる。会社組織も上下社会で、常に下が弱者である。パワハラを武器に、すべて承知で下を不正行為に追い込んでいく。これでトップ主導の犯罪的行為集団がいとも簡単に出来上がってしまう。

それにしても社長3代に渡っての不正行為は”異常”の一語に尽きるが、もともとの日本全体の”甘い体質”が見え隠れする。その意味では、日本は先進国とは言い難く、中進国が相応しかろう。欧米から入ってくるコーポレート・ガバナンスとかコンプライアンスを模倣はするが、全く地についていない。昔から監査役制度はあるにはあるが、沈黙のお目付け役である。社外取締役制度も作るが、体裁を重視した名誉職的色合いが濃い。

およそ制度を改善し発展させていく大きな節目はスキャンダルが持ち上がった時である。今回の事件が”不適切会計処理”などと矮小化せず、思い切った改革を産業界全体が目指さねばならない所だが、その逆を目指しているから、中進国から脱出出来ない。

そこで思い起こされるのが、約15年前アメリカで起こったエンロン事件。トップのNo.2が主導し、No.1が黙認した不正取引が内部告発で発覚したこの事件は、その後のアメリカの会計倫理や企業の内部統制問題を大きく変えた。司直はトップ達をムショ送りにし、世界的会計事務所のアーサー・アンダーセンを解散に追い込んだ。不思議なもので、アメリカと言う国は、大きな問題が起こると、それを常に前向きに捉え、前進させようとする力がある。

アメリカのオリジナルを引き取って模倣以上の高品質製品を作る事に存在感を示してきた日本だが、こと制度やルールの面では模倣さえも出来ていない。何故だろうか・・・・・・

KAROUSHI(過労死)と日本のExempt新制度

2015年08月04日 | ビジネス横丁こぼれ話
新しいルールや制度。作らないと前には進まぬが、さりとて、不備な環境下でやってよいものかどうか。Betterを目指した事がかえってWorstへ進むことがある。日本のExempt新制度はそんな危惧を覚えさせる。先進国の中でも日本の労働時間の長さは広く知られているが、最近のExempt新制度に関連して 今や横文字でも登場する、日本企業社会の特異な「KAROUSHI(過労死)」への影響を海外メディアでも取り上げている。

Exempt新制度は一定の高額年収以上を対象に所定の実績さえ上げれば勤務体系は自由とする代わりに残業の概念を無くす、というもの。例えばの対象はコンサルティング等となっている。どこかで聞いたような、と思ったら在る在るアメリカに。

明治維新以来、制度の導入は欧米からが習わしのようなものであり、敗戦後はとりわけアメリカが多いのは致し方あるまい。制度そのものは字面だけ読めば”良い制度”に見えるのだが、問題は、全く異なる社会的基盤で機能している制度が、果たして日本の土壌に合うのだろうか、という点である。

当然のことながら、経営者側は新制度を歓迎し、更に年収額を含めた対象のハードルを下げたい意向が見え隠れしている。 他方、専門家の間からは、ただでさえ過労死が増加している現在の社会的基盤で新制度が拡大するならば、過労死は更に増加するだろうとの懸念が出されている。

OECD(経済協力開発機構)の最新調査によれば、週当たり50時間以上の勤務者は、フランス8%、アメリカ11%、イギリス13%、日本22%と報告されており、日本の残業は他の国を圧倒している。日本独特の労働環境の中での残業は、ストレートに申請できない雰囲気を持っており、これが所謂サービス残業として蔓延っているから、超過勤務者の実態は22%では収まるまい。かかる労働環境下での新制度は「改悪」の道を辿りそうな予感が十分である。

アメリカに赴任した日本人駐在員は、アメリカ人の働き方、時間の割り切り方に感動する。ストレスも雲泥の差であることを感じ、その労働スタイルを満喫する。しかし、いずれ帰国命令が出るであろう。その時どうするか。

家族で赴任し、アメリカ生活を満喫して帰国した40代の男性が、半年後、くも膜下出血で倒れた。その原因が急激なストレスの変化だったかどうかは不明だが、考えさせられる話だ。

マクドナルド コーヒー訴訟の真実

2015年05月23日 | ビジネス横丁こぼれ話
事件が起こるとメディアは一斉に報道を始める。だが、当初の報道内容は事実の断片に過ぎず、全容が判明するのは裁判を経た後になる。その間飛び交う色々な憶測が、事実の断片の間を埋めていき、真実とかけ離れた物語が創られ、誤解と共に世間に定着してしまう。

駐在でアメリカに派遣される時、本社で注意を喚起される項目の一つが「訴訟」。そして、アメリカに来て、早い時期に耳にする伝説的訴訟事件が、マクドナルド・コーヒー訴訟である。「おばあちゃんがコーヒーを膝に溢して火傷を負い、たった一杯で大金を勝ち取った」と聞いて ”さすが訴訟の国”と納得して終わるのだが、本当はどんな事件だったのだろうか。

1992年2月、79歳のステラ・リーベックが孫とニューメキシコ州アルバカーキのマクドナルドのドライブスルーで朝食を買った。駐車場で紙コップの蓋を開けようとして膝に溢し、膝、腰回りにかけ、全体の16%に火傷を負った。治療費2万ドルの負担は大きく、マクドナルドに治療費負担と、コーヒーの温度を下げる依頼を手紙にした。当初、ステラは訴訟など全く考えておらず、誠意ある回答を期待しただけだが、回答は800ドルであった。

困っているステラに地元弁護士が協力し、何とか話し合いたいと、2回に渡ってマクドナルドと交渉したが埒が明かなかった。一方マクドナルドでは当時年間700件以上のコーヒーによる火傷被害が報告されているにも関わらず、何一つ対策が打たれていない事が分かった。弁護士のアドバイスで、ステラは自分及び過去の被害者の為に訴訟に踏み切った。

陪審員はマクドナルドに対し、損害賠償16万ドル、対企業懲罰賠償270万ドルを答申。これが「290万ドル」として全世界に配信されたが、その内容は正確さと冷静さを欠き、ステラが溢した状況を、車を運転中の出来事だったと報道する局まで出る始末となった。この過熱報道は、「コーヒー一杯で大金をせしめたおばあさん」というネガティブなレッテルをステラに貼り付け、彼女は生涯この有難くない視線を受け続けることになる。

「290万ドル」のその後はどうなったのか。裁判官は懲罰賠償を48万ドルに減額、損害賠償と合わせた64万ドルをベースに話し合いを促し、双方はある「合意額」で和解した。

この事件は、被害報告に対する企業の無視や怠慢が何をもたらすかを浮き彫りにし、更に、マスメディアの初期の報道姿勢のあり方を問うと共に、事件全容を含めたその後のフォローアップ報道が如何に重要かを示している。

Horrible Boss

2015年01月05日 | ビジネス横丁こぼれ話
企業パワハラを扱ったコメディタッチの表題映画の二作目が最近公開された。実際に起こりうる内容で、結構楽しめるが、現実に自分の上司にこんな「酷い上司」が来たら大変だ。場合によってはその人の人生設計が変わってしまう。

日本に居た頃に間近に見た光景を思い出す。筆者の属する事業部の技術開発部門。空席の部長席に他事業部で余った部長が着任した。着任当初から下の課長に難癖をつけ、辺り構わず大声で課長を罵倒する異常な場面が何度もあり、この課長は辞めていった。パワハラなる言葉が存在しない時代の出来事だった。

パワハラを振りかざす「モンスター上司」は何処にでも居る。この厄介物から逃れるのは並大抵ではないが、アメリカ社会と比較すると日本では独特の難しさが伴う。何しろ、“労働流動性”の低い日本の労働環境での転職はリスクが高く、失敗したらリカバリーが難しい。だから、耐えて耐えて、また耐える。

その点労働文化の異なるアメリカは日本に比べましである。アメリカでも転職にはエネルギーが必要だが、“転職社会”だから日本のようなストレスは少なく、失敗してもリカバリーが利く。だから「モンスター上司」が来たら新しい職場を見つけてサッサと辞めて行く。以下はニュースに掲載された、実際に起こったHorrible Boss例の一端だが、半端ではない。

1.It’s OK when I do itタイプ
所はNY州ロチェスター。この上司(女性・独身)の下で働いた人は、例外なく次の3つのどれかに該当するという。辞める、配置換えを申し出る、初期の神経衰弱に罹る。この上司は部下の女性が子供の病気を理由に自宅ワークを申請しても尽く却下していた。ところが、彼女も結婚し子供が出来た。ある日子供が病気になり家で仕事をすると会社に連絡、その後も同じ事を平然と繰り返していると言うから恐れ入る。自分のやることだけがルールなのだ。

2.The Evil Twinタイプ
所はメリーランド州ベセスダ。ハリエンの上司は彼女にはガミガミ口調、彼女からの電話は途中で切る、彼女を無視して周りの部下と話す。ところが暫くすると、何事も無かったように、にこやかに彼女に話しかける。この繰り返しだったと言う。正に悪魔の双子、ジキルとハイドと言っても良い。

二番手のススメ

2014年05月01日 | ビジネス横丁こぼれ話
業界トップの会社と二位の会社がある。新入社員として、そのどちらへも就職可能だとしたら、アナタはどちらを選ぶだろうか。特別な理由が無い限りは業界トップの会社を選択するだろう。大企業か中小企業かの選択であれば、総合的判断から大企業を選択するに違いない。しかし、多角経営化する大企業にあって、その企業が展開する全ての事業がその市場のトップとは限らない。話題の大企業に入ったものの、配属された部署や事業体が後発で苦戦している例はざらにある。しかし後発も捨てたものではない。二番手三番手の事業はトップに中々追いつけない苦しさはあるが、追いつき追い越せ、という大目標があるので、苦しい中にも緊張感が生まれ、試行錯誤を繰り返すことで人間が育つ。もちろん、先発にはトップを守るという別の苦労はあるが、仕事の楽しさは、二番手の方がはるかに面白い。そんな経験を筆者はかつてしたことがある。

筆者が学校を卒業して就職したのが当時経営多角化を次々と打ち出していた、業界大手と言われる会社だった。ところが、配属されたのは、中核事業ではなく、全く新しい事業を展開する部署であった。その事業分野には既に7年前から先発企業が強力な市場を形成していた。パイオニアとしての先発企業は強い。既にブランドと品質が市場に浸透しているので思うようにマーケットが取れない。僅かな品質の良さがあれば、これでもか、これでもかと説得を繰り返し、値段で揺さぶられれば、どこが落とし所か、悶々とする日々。お陰で最初の5年間は赤字の垂れ流しで、何度も事業中止の憂き目にも遭ったが、任された海外市場開拓で、東南アジア、欧米と無い知恵を搾りながら兎に角走り回った経験は大きかった。こうして1970年代から80年代を駆け抜けた。

その後縁あって別の事業部に異動した。そこは別世界であった。その事業部の展開商品は世界一の品質を誇り国内外に君臨していた。素晴らしい事に違いないないが、大きな問題を内包していた。平たく言えば、こちらから売りに行かなくても先方から平身低頭買いに来る、そんな図式である。やる事は値段を決めて数量を配分するという、お役所仕事に似ていて態度も不遜となりがちで、新入社員はそんな雰囲気に直ぐ慣れ、苦労知らずの自信家ばかりが育っていく。

苦労は人間を育て、その人の人生に幅を作る。そして、何よりも仕事は楽しくなくてはならない。それを求めるならば、二番手こそおススメである。

ディベート・ゲームを教育に取り入れよ

2014年04月04日 | ビジネス横丁こぼれ話
日本人が海外、とりわけ欧米に出て行った時最初に痛感するもののひとつに”気後れ“があるだろう。言葉が苦手だからと言う部分もあるにはあるが、仮に言葉が出来たとしても日本人はやはり気後れする傾向がある。

日本人は外交的か内向的かと問うなら、内向的だ。これに対し、我々は欧米人を外交的と思っている。その典型が、物怖じしない陽気なアメリカ人。逆に、日本人は口数少なく、時には舌っ足らず。静かに頷きながら、理解している素振りを見せても、これでは相手には一向に意思が伝わらない。日本人は大人しいを通り越して何を考えているか分からない日本人と簡単に誤解される。

日本人は意見や回答を求められた時、異論や議論になるような未熟(?)な意見を出すのは恥ずかしいと思い、議論になった時に相手と渡り合う準備が出来ていないので、それを避けようという気持ちが支配するのではないか。

アメリカ人はどうか。間違っていようが、的外れであろうが、まず自分の意見を吐くことに恥ずかしさなど微塵も感じない。相手と議論を進め、間違っていたと気が付けば軌道修正をしていくことに躊躇しない。議論の過程で“学んだ事”の方が重要だと考えるのだ。国際社会で相手と伍していくには、アメリカ人のようにドンドン“Speak out”出来る資質が欲しいところだが、今の日本社会の中でこの資質を磨くのはなかなか難しい。どうすればよいか。

ひとつの方法は教育だ。日本の一部の大学で行われているDebateというゲームがある。あるテーマを賛成派と反対派に分かれて、様々なデータを下にロジカルに意見を展開して相手をやっつけるゲームで英語で行われる。相手の論点を聞き弱点を見つけ論破していくというLogical Thinkingの養成に大いに役立つ。

一般的には英語で行われているこのゲーム、何も英語で行う必要は無い。日本語ディベートとして中学からカリキュラム導入したらどうか。中学が無理ならせめて高校生レベルからロジカルに話すことを学べば度胸と自信がつく。

国際社会では考え方に相違があってもロジカルであれば常にリスペクトされる、と言う事を日本人はもっと認識してもよいのではないか。

日系企業のアメリカ人、出来る奴はある日静かに去っていく

2014年03月01日 | ビジネス横丁こぼれ話
異文化の中でも米人にとって対極にある日系企業で働く事は相当大変なことである。いろいろな部署の中で、特に重要なHuman Resourcesでは、多くの企業が米人のHRプロフェッショナルを配置して腕を振るわせる。活動の場が米国であり、従業員の多くも米人だから当然のことで、またそうあらねばならない。どんなに英語が堪能な日本人の人事担当者がきても仕事にならない。米国はルールの国と言っても過言ではなく、POLICYという形でのルール整備と実行に注力しなければならず、日常茶飯事に起こり得る“差別Discrimination”に常に神経を尖らさないといけない。これらを円滑に処理するには、腕のよいHRプロフェッショナルの採用が不可欠となる。これを甘く見て、安く上げようと、未熟なHRを採用すると失敗する。それでは、まともなHRが居たら万全かと言うと必ずしもそうではない。トップのだらしなさが腕のよいHRを堕落させることがあるからだ。

どんな会社も10年以上経つと随所に綻びが出来る。そんな或る企業でHRに関わる問題が起こり、米人HRマネジャーが解決を図ろうとしたが、日本人トップの日本的対応策による不手際から大問題に発展、社長更迭となった。問題処理を任せてもらえなかったHR氏は最早自分の居場所は無いとして早々と辞めてしまった。日本の本社は長年人事畑を歩いた上級幹部を後任社長として送り込んだ。新社長は人事畑経験を活かして自分が陣頭指揮をすれば問題を解決出来ると過信し、HRにはHR実務3年程度の、ビギナーレベルを雇い入れた。新社長、一年を過ぎたところで音を上げ、その反動からか、今度はOver-qualityとも言える、基準より遥かに高額なHRのプロを雇うはめになった。

或る企業のHRマネジャー は優秀だった。ボスである社長とは意思疎通もしっかり出来、関係も良好であった。暫くして、社長が交代し、新社長が赴任してきた。前任社長と異なり、新社長はアメリカではいささか問題になる社長であった。兎に角接待と言う名のもとに、飲みまくる。 HRマネジャーは当初から新社長とも関係良好だったので、新社長も何かとHRマネジャーを接待の席に誘うようになった。最初は躊躇していたHRマネジャーも次第にそのパターンに慣れてしまい、いつしか当たり前のような感覚になっていった。実は、この会社のPOLICYには接待規定に厳しいルールが明文化されているのだが、社長だけでなく、肝心のHR責任者が見事にルール破りをしてしまったのである。まともだったHRマネジャーが日系企業の甘い蜜の虜になった好例である。

本当に優秀なHRは、先を見越してある日突然、何事も無かったように辞めていく。訳も分からない経営者によって自分の経歴に疵が付くことを好まないからだ。

日本のガラパゴス化、孤立していくニッポン

2014年02月01日 | ビジネス横丁こぼれ話
嘗て日本企業が飛ぶ鳥を落とす勢いで世界を席巻した頃、日本的経営が注目の的であった。Ezra Vogelの「Japan As No.1」が飛ぶように売れ、自信を深めた日本企業は80年代、挙って海外進出を加速させた。日本企業を表現する特徴は何かというと、品質を重視し、じっくり物を考える(即ち中期的計画を重視し、短期でじたばたしない)事にあった。しかし、その後の世界経済のグローバル化に伴う韓中台の積極攻勢の前に日本企業の多くが敗れ去り、その傾向は市場のグローバル化が拡大すればするほど顕著になったと思われる。

昔は品質差縮少に時間が掛かったが、技術(特にITとその関連)の進歩で、その時間は驚くほど短縮された。その結果、日本企業の退潮が目立ち始めた。象徴的な例は携帯電話機器だろう。米国市場で当初圧倒的な強さを誇っていた日本ブランドはいつの間にか韓国ブランドに取って代わられた。日本の品質偏重とも言える「品質重視の重厚長大」手法が、目先の変化に即応出来る「スピード重視の軽薄短小」手法に負けたと言えなくもない。
かくして日本の携帯電話はガラケー(ガラパゴス携帯)として日本国内で独自の進化を遂げていく。内向きにこじんまりとやる事に満足出来る産業ならそれでもいいだろうが、グローバルな土俵で勝負をしようとするならば、何かを変えねばならないだろう。

不幸なことに、日本人はグローバルな土俵に上がるのに適した民族ではないかもしれない。だから「重厚長大」手法が身についたとも言えるのだが。徳川300年の栄華は、島国の優位性を最大限に利用し、周りの世界との接触を絶ち、独自の文化を築いた。まさにガラパゴス化の典型で、その精神は今も脈々と日本人の中に流れているのではないだろうか。

しかし、世界経済の中にあって、貿易立国が国是とも言える日本がガラパゴス化で内に篭り続けるわけにもいかない。“引きこもり”では国の発展はない。日本が発展する為には、外の血を入れ続けるしかないだろう。その意味では、裾野の広い、トヨタ、ホンダ等の自動車産業がアメリカで勝負し続ける事には極めて大きな意味がある。ひとつの例は、短期計画への注目度と感度が高まったことだろう。昔は年間計画の中で見直しは半期毎。当時は、四半期ごとに、赤字だ、黒字だ、やれ社長交代だ、と目まぐるしく動くアメリカ企業を冷ややかな目で見ていた日本だったが、目まぐるしい変化への対応には四半期毎の決算が不可欠となった。

品質による差別化戦略は必要だが、それを重視するあまりガラパゴス化に繋がってしまうのでは元も子もなくなる。今の日本はそれが気がかりである。

恐怖のSuitcase Letter

2014年01月01日 | ビジネス横丁こぼれ話
普段聞きなれない言葉だが、俗にそう言われている。国家安全保障省管轄下で国境警備及び税関管理を任務としているImmigration & Customs Enforcement(ICE:通称アイス)が発行する召喚状である。これを受け取ると身の回りの物を詰めて24時間以内に指定された空港に出頭しなければならない。出頭すればそのまま飛行機に乗せられ本国に送還させられる。スーツケース・レターと呼ばれる所以である。不法滞在者にとってはDeportation、即ち国外退去を命ぜられる、最も受け取りたくない手紙である。

9.11事件以来入国審査や国境警備の強化を図ったにもかかわらず、自由と繁栄の国アメリカを目指す外国人は後を絶たず、結局現在までに1100万人の不法滞在者を抱え込んでしまった。
ICEによると、2012年の国外退去数は約41万人にのぼり、この10年で倍増したという。国別動向に特徴的傾向を見ることが出来る(以下、2001-2009 ICEのデータによる)。
最多の10万―100万人超ではメキシコを筆頭にグアテマラ、ホンジュラス、エルサルバドル等、中米諸国が名を連ねる。とりわけメキシコは130万人と群を抜いている。次の1万―10万人のグループではブラジル、コロンビア、ドミニカと、南米諸国が名を連ねる。因みに、日本は最小グループに属し、当該期間での国外退去は791人とある。

デトロイト・メトロ空港の火曜日。毎週ここから客席を一杯にした飛行機が一機飛び立っていく。先日もその飛行機に乗るはずだった3児のアルバニア人の母親のニュースが話題となった。Suitcase letterを貰ったこの女性を支援する弁護士やサポーター達が「子供から親を離すとは酷い仕打ちだ」と騒ぎ、当局は一年間の滞在猶予を与えざるを得なくなった。しかし、こうした“大岡裁き”にも似た温情措置は稀で、全体の8%に過ぎない。
このニュースからも分かるように、不法滞在者の多くはアメリカで生まれた子供を持つ親である。政治的迫害や貧困から抜け出る為に危険を冒して希望の国アメリカを目指す。国籍に出生地主義を適用しているアメリカならではの現象である。

そのアメリカで出産が急増しているのが中国人で、西海岸の空港に降り立つ団体がやたら目立つという。かつて、中国人が目指した先は同じ出生地主義をとるカナダであったが、そのカナダが最近中国人の移民にブレーキを掛け始めたためだろうか、“目指せアメリカ”ツアーが一種のブームになっている。

移民対策。移民によって建国された国故の宿命であろうか。

安いのにはワケがある

2013年12月04日 | ビジネス横丁こぼれ話
日頃、思いがけない安い商品に出くわすと、当然興味が沸き、買ってみようかと考える。そんな時には筆者夫婦は呪文を唱えることにしている。“安いのには理由(わけ)がある”。そう唱えて買った後で、商品の表示や内容に詐称が判明しても、それ程腹は立たない。呪文のお陰である。

日本のお隣韓国や中国はコピー商品では名だたる国である。韓国のイテウォンはつとに有名だし、中国に至っては国全体があたかもコピーマシーンであるかのようだ。我々もハナからそう思っているから、コピー商品で騙されても、頭に来ることは滅多にない。されば日本はどうなのか。大方の日本人は、日本ではそんな事はあるまいと思っているだろうが、どっこいそうは行かない。関西方面では時折、偽ルイ・ビトンの製造者が捕まった、と言うような事件記事、或いは類似の記事が新聞の片隅に載る。大体同じ人間がリピーターとして捕まっているらしい。その筋によると、この商売、相当荒稼ぎが出来るらしく、捕まって数年塀の中で過ごしても十分に元が取れるから止められないのだとか。

関西では一流と言われているH電鉄系ホテルで発覚した食材偽装。高級レストランとして
それなりに高い価格で提供していただけに、客の怒りは収まらない。“安いのにはワケがある”のとは訳が違う。見苦しいのは、それを「誤表示」という姑息な言い訳で逃げ切ろうとしたこと。見え透いた嘘が油に火を注いだ格好だ。これら一連のドタバタは、不祥事におけるリスクマネジメントの程度の低さを露呈した格好だが、その後日本全国続々と不祥事が明らかになり、最早お粗末を通り越して開いた口が塞がらない。過去の偽装問題は生産者と消費者を結ぶ中間段階で多かったのだが、賞味期限貼り替え問題や大阪の有名老舗料理屋の残飯付回し事件の頃から、モラルは加速的に下り続けてきたような気がする。

熾烈なコスト競争の結果、最早、最後は禁断の手を使うことにあまり躊躇いが無さそうだ。何やら、よくある万引き犯の心理にも似ている。万引きは最初に捕まると改心率が圧倒的に高いらしいが、一回成功してしまうとリピーターとして奈落の底に落ちていくと言う。偽装が日常化すれば次第に罪の意識が麻痺してきて、あたかも世間がそれを受け入れてくれているかの様な錯覚にも似た状態に落ち込んでしまう。そこでは、日本人特有の“あそこもやっているからウチもやろう”と言う、同業他社横並びの思想が顔を出す。“みんなで渡れば怖くない”。

食のブランド志向には危うさがある。呪文がひとつ増えた。“高いのにもウラがある”。