そーなんだ ポーランド

?なポーランド。2008年9月、ヴロツワフで日本語を教え始め、ジェシュフ、ジェロナグラへも。そして再びジェシュフへ。

大晦日、快晴

2008年12月31日 | Weblog
快晴。いい天気。
寒いが、陽射しがある分、気持ちよく歩ける。
広場の周辺は、フェンスがめぐらされ、警備体制準備完了か。
写真のように、たくさんのゴミ箱(だと思う)を準備中の人たちもいた。
団体観光客と思われる一団も。
カウント・ダウンにはどれくらいの人たちが来るのだろうか。

今、夜8時。
11時頃、出かけてみようと思っている。
今夜の最低気温は、「-8℃」らしい。

リハーサル

2008年12月30日 | Weblog
今日のヴロツワフは、いい天気。
最高気温が、-1℃らしい。
晴れていたせいか、それほど厳しくは感じない。

広場の巨大ステージは、まだ工事中だったが、ステージ上ではリハーサルもやっていた。
いよいよ明日に向かって、広場のあちこちで何かが組み立てられている。
一体どんな状態になるのやら。
よくわからないが、せっかくだから、明日の夜は見物に来ようと思う。

オポーレからウッジへ

2008年12月29日 | Weblog
12月25日。クリスマス。

9時前から、ゆっくり朝食。
1時間ほど、いろいろな話を。ポーランド語から英語・日本語通訳を介して、答えは日本語からポーランド語へ。初めてともいえる豪勢な朝食に、感激ビックリ。
お手製のソーセージやズラズィ?(牛肉のロール巻き)をお土産にいただく。
独り者の粗食生活から、しばらくは贅沢食?生活になりそう。こんなにしてもらっていいのだろうか。ビックリしつつ、戸惑いつつ。
オポーレ駅では、雪が舞っていた。
列車は、ベルリン行きだった。国際列車なので料金が高い。
が、どうしても、いったんヴロツワフに戻ってから、服も着替えて荷物も入れ替えないと、ウッジには行けないのだ。
またアジアに(できれば日本に)行きたいと言っていた彼に、いい知らせが届くことを祈りつつ、オポーレに別れを告げる。

さすがに、クリスマス当日だからか、列車は空いていた。
雪化粧のオポーレと違い、ヴロツワフには雪はなかった。
トラムも空いていた(写真のとおり)。
本部に戻り、準備をして、いざウッジへ。
ワルシャワ行きの1等車なのだが、どうもおかしい。
出発が10分以上遅れたのは、よくありそうだが、車掌が「どこまで行きますか?」と聞きに来たのは、何のためだったのか?
なかなか温かくならない、と思っていたら、暖房が効かない。
このことだったのか? それならさっき、英語で説明してくれてもよかったろうに。
他の車両は、ちゃんと暖房が効いていた。1等だけが冷房車だったのだ。
車掌の表情には、詫びる気配はまったく感じられない。
勝手に、車両を変わるしかなかった。ビックリ、びっくりポーランド。
ウッジまでは、約4時間の旅。
(ウッジ滞在記は、「セントレ庵」で)

イブの食卓

2008年12月28日 | Weblog
12月24日、11時頃駅へ。
オポーレまでは、1時間。
近づくにつれて、雪が・・・
寒いホームで待っていてくれた。
雪は、朝から降っていたらしい。今はもう小雨に変わりつつあった。
彼の運転する車で、隣町の家へ向かう。
人口14万?ほどのオポーレ。
彼の家は、その近郊にあった。一軒家だ。それも電動ゲートに広い庭。
「すごい、すごい」の第1印象で、上ずっているうちに、家族の方とご対面。
名前とバルゾミミーオと言うのが、精一杯。押されまくっていた。

夜は、父親の両親の家へ。
クリスマス・イブには、家族が集まり、12品目の料理をいただくのが風習。
肉を使わず、キリストの十二使徒にちなんでいるらしい。
おじさん家族も加わって、計10人の大ファミリーになったが、一人分余計に席が作られている。故人のための席、というスラブの習慣が、いつお客さんが来てもいいようにという、ポーランドのおもてなし精神に引き継がれたのだという。
会食を始める前に、まず「オプワテック」。
教会でもらってきた御聖体のシンボルで、薄いウェハースのようなおせんべいだ。
各人と、お互いのオプワテックを割り合いながら、相手の為に祈りあう。
幸い、学生が教えてくれていたので、まごつきはしなかった。
父親は、正装していたので、少し心配になったが、他の人たちは普段の様子で一安心。
料理が順番に出てくる。かなりの量になる。
鯉のフライは、骨が多くて、注意しながら食べる。
皆、おいしい。
ポーランドのクリスマスを、お腹一杯感じる。
・・・・明日へ続く・・・・

キッチンですが・・・

2008年12月24日 | Weblog
キッチン。
鍋は、いくつかあるが、なぜかフタは一つもない。
今のところ、コマってはいない。
何も料理しないので。
作る?のは、お湯をかけて3分待つだけのインスタントの麺とスープ。

困ったのは、断水の時だけ・・
しばらく、本部は留守に。

ツリー屋さん?

2008年12月23日 | Weblog
2日ほど前に撮った写真。
店の駐車場の片隅で、クリスマス・ツリー?の木を売っている?
昨日も、まだやってた。
直前になって、ツリーを飾るのか、何か他の用途があるのか?

明日は、学生の家庭におじゃまする。
完全に、オジャマ虫? でも、せっかく誘ってくれたので。
神聖な、クリスマス・イブを、ぶちこわしにしないように気をつけて。
ポーランドの一般家庭のクリスマス。びっクリシマスか、それとも・・

晴れた

2008年12月22日 | Weblog
朝は雨。
一転して、昼頃から晴れてきた。
となれば・・と、歩き出す。
1時過ぎ、自分の影は、ゆうに5mを超えている。
2時前、10mに育っている。
少しの陽射しでも、ワクワク感。
黄色人種には、太陽光線が必要・・と感じる。
本格的な冬は、まだこれからだというのに、春が待ち遠しい。

広場の巨大な骨組み。何ができる?

広場のツリー

2008年12月21日 | Weblog
写真第1号、なかなか難航しながら・・
ヴロツワフの大きな広場の、でっかいクリスマス・ツリー。
高さは、20mぐらい?上を見上げると、ついつい口が開いて・・
広場では、他にも巨大なステージ?の組み立て作業が続いている。
まだ、完成していないということは、クリスマス用ではなく、新年のカウントダウン用?
完成してからのお楽しみ、ということに。
広場の周囲の路地をふらついてみる。
まだまだ、初対面ポイントも多い。

グズグズ・・・

2008年12月20日 | Weblog
今日もグズグズ曇り。雨が降ったり止んだり。
ショッピングセンターへ買い物に。
混んでる、混んでる。
何十台ものレジが、ほとんど全部稼働中。すべてに、客が行列中。
最大のイベント、クリスマスの時期。
一番、商品が売れる時なのだろうか。

百年に一度の不況??の日本は、どうなんだろう。
買い物風景が、なくなるなんてことはなかろうが、高いものは動かなくなるのだろう。高価なモノは、わが家には、もともと縁のうすいもの。円もないもの。


なんだか、さびしく・・

2008年12月19日 | Weblog
臨時のプライベートレッスンを終えて、2008年の日本語教師活動は終了。
寮からは、どんどん学生たちが、家へ戻っていく。
しばらく、静かになるのだろうが、何だかエラく「さびしさ」を感じたりして。
顔馴染みになった学生たちとしばらく会えないのか・・と思うと。

年末の大掃除・・などといえるものではないが、部屋の中のものをチェックして片付ける。たいしたものはないので、30分で終了。頭の中は、とてもじゃないが、整理できない。いろんなことが、今までと違うので、頭世界では、いろんな付箋や?マークが、ゴチャゴチャになっている感じ。
なんとなくボーッとしがちの頭を、シャキッっと冷やすには、もってこいの外気。
そのおかげで、そこそこやってこれたかも。

初めからだったんだ

2008年12月18日 | Weblog
何か、学生たちが計画しているのは、わかっていたのだが。
完全に、授業をなくして、初めから2つのクラスの合同パーティー?だったとは。
ポーランドの、クリスマスの雰囲気を教えてもらった。
まずは、一人一人と握手をし、その人のために何かお願い事をし合う。
そして、手に持った薄いおせんべいのようなものを、少し割って食べ合う。
出席者全員と、順番に、交わしていく。
なかなかいい習慣だと思った。が、準備も何もしているはずなく、簡単な英語しか出てこない。
食べ物や飲み物も、学生たちが分担して、持ち寄ったようだ。
小さなピエロギ(ウシュカ?)を温かい飲み物の中へ入れて食べる。何か、クリスマス・スペシャルの一つらしいが。
クリスマス・ソング歌合戦は、ポーランド語(学生合唱団)に対して、日本語独唱「きよしこの夜」。
2008年最後の授業ということで、「授業納め」の構想もあったのだが、うれしいアテはずれとなった。
寮に入っている学生は、ほとんど明日、それぞれの家に帰るようだ。

忘れるための年末ですが・・

2008年12月18日 | Weblog
2時間のプライベートレッスンの後、高校へ。
出席者は、一人。プライベートレッスン・パート2となった。
まだ、ひらがなもカタカナも覚えていない段階だが、自分で買った日本語テキスト(ポーランドで発行されている、ポーランド語で日本語を解説している本)を2冊も持っていた。
まだ、新品。買ったばかりのようだ。
せっかく買ったのだから、しっかり勉強してくれるといいが。
今年最後の、高校での授業は、「独り占め」で終了。
午後4時、大学に戻る。今日は学食がやっていてくれた。
昨日は、貸し切りだったようでドアも閉まっていた。昨日は、断水で「水攻め」に苦しめられただけでなく、「兵糧攻め」にもあった、かなりアテのはずれた一日だった。断水は、朝9時ごろ?回復したようだ。
大学では、梅組が本年最後の授業。
年越しの宿題もプレゼント。2週間も休むと、みんな忘れてしまう?ことのないように・・・
いやな事だけ忘れて・・・
また来年、会いましょう。

水が出ない・・

2008年12月17日 | Weblog
今日の<ポーランド>は、さすがに、楽しむことができない。
今までは、「東は東、西は西」と、違いを楽しんできたのだが。
住んでいる寮の、水道が止まったのだ。
朝10時過ぎ頃からだと思う。
隣の部屋の人の話では、1時間ほど出なくなる、ということだったらしい。
この部屋には、何も連絡はなかった。
わかっていれば、準備もできるのだが。
もちろん、トイレの水もダメである。
それでも、説明のとおり、1時間なら何の問題もないだろうが・・・
4時過ぎ、高校から戻ってきても、まだ出ない。
「遅くても夕方には・・」と思っていたのだが、あまかったようだ。
大学の授業を済ませて、6時半。出る気配もない。
同じ寮に入っている学生に聞いてみても、わからないようだ。
1時間ほどが、1日になろうとは。
いや、1日で終わると思っていてはいけないかも。
シャワーも、トイレも、休みが欲しいのかも知れないが、頼むから、1日にしておくれ。

100日・・

2008年12月16日 | Weblog
いい天気。ポーランド100日目を祝ってくれているのだろうか。
と、勝手な解釈。
今日の2クラス、松組・梅組に1月の試験の予定を話す。
今学期の授業も、あと数回になってきた。
途中にクリスマス休暇があるので、まだ先のように感じるのだが。
また一人学生が、クリスマスのディナーに招待してくれた。
が、あいにく25日は、ウッジへ行く予定なので、断るしかなかった。
ヴロツワフに初めて着いた時、駅に迎えに来てくれた英語の先生(世話役係)から、クリスマス・プレゼントとして、ポーランドの本をもらう。
包みが重かったので、何かと思ったら、観光スポットを紹介する本だった。すべて英語で書かれている。読もうとすれば、3ヶ月ほどかかってしまいそう。
きれいな写真がたくさんあって、いい本をもらった。
ポーランド100日記念の本?。

クリスマスがいっぱい

2008年12月15日 | Weblog
街中で見かけた気温表示は、4℃。2.5℃のところもあり。
体感は、低い方に同感の意向。
一万歩以上歩いても、体が温まってくる感じはいっこうにない。
広場には、クリスマスがいっぱい。
大きなツリーに、かわいい店がいっぱい並び、遊園地もあり。
寒いので、観光客の姿は少なくなったようだが、地元の人たちでにぎわっている。
ポーランドは、他の国からの観光客の多い国。エジプトよりも多い、観光国である。日本では、あまり知られていないが。
派手さや、華やかな印象がないせいだろうが、来てみると、なかなかいいところである。念のために、今のところ、としておこう。これから何があるかは?。
今日も学食は混んでいた。
日曜は、営業している店が少ないことも影響しているのだろう。
そういえば、クリスマス休暇には、学食は休み、なんだろうなあ。