そーなんだ ポーランド

?なポーランド。2008年9月、ヴロツワフで日本語を教え始め、ジェシュフ、ジェロナグラへも。そして再びジェシュフへ。

携帯ごめん

2008年11月29日 | Weblog
ありゃりゃ~。
もともと、そんなに携帯は使っていなかったので、最近携帯からメールが送れないことがあったが、また<ポーランド>と思っていた。でもそれはポーランドのせいなどではなく、原因はアナログおじさんの方にあった。
使用可能残額ゼロ、だったのだ。
メールの受信はできていたので、まったく気づかず、今日までそのまんま状態。
そういえば、携帯の受信音がどんなだったかも、覚えていない。
昨日、プライベートレッスンの希望者に、携帯番号を教えたのだが、もし電話していたなら、申し訳ないことに。
あわてて、携帯ショップへ。
英語の話せる人がいてくれたので、たすかった。
おそらく、一ヶ月以上も放置されていたのでは・・・
その間、何回か、携帯番号を聞かれた気がする・・・
携帯がなくても生きていけることを証明してしまったか。
日本の携帯も、携帯会社からの連絡ばかりで、ほとんど使っていない。
パソコンメールとスカイプと、3本立てブログのおかげ・・・

今日は掃除、ベッドは明日・・

2008年11月28日 | Weblog
朝から、<ポーランド>が始まった。
レグニツァから日本人の友人が来るので・・と、昨日ベッドをもう一つ部屋に運んでくれるように頼んだ。返事は、「金曜日に運び込みます」だった。
が、今朝、いつものように木曜は掃除の日。待っていたら、ベッドが届いた。
「一日早くなったのか」と思っていたら、タオル交換とゴミ回収はしてくれたが、部屋の掃除は省略されていた。う~ん・・。
ベッドは、普通のものだと思い込んでいたが、折りたたみのベッドだった。ちょっと期待はずれだったが、無料だから、大きなことは言えない。一泊だけだから、ガマンしてもらうしかない。
後は、運び出すのも、一日早く・・・とならないように祈る。
大学では、何やら表彰式かなにかの祭典?があったようだ。
こういう時は、学食は会食会場に使われることが多いので、ダメかなあ・・と思いつつのぞいてみれば、「やはり」であった。
大学の近くの、ピザ・レストランへ。
一番安いのを頼むつもりが、ついつい一番人気のあるものを頼んでいた。
ちょっと、かわいいウェートレスだったせいか?

新記録

2008年11月27日 | Weblog
久しぶりに、歩好家向きの天気。
1時半頃から、約40分の高校徒歩登校。青い空がのぞいているが、もうすでに地平線まで10~15度。
久方ぶりの、汗ばむ寸前感覚。いい日になるかと思わせたのだが・・・
高校からの帰り、昨日とほぼ同じ時間に、トラムの駅に着いた。
30分経っても、まだ駅にいた。
時刻表では、12分間隔になっているのだが・・・
違う路線のトラム(どこへ行くのかわからない)を、3本見送った。
結局、35分待って、帰りのトラムに乗ることができた。
ぶっちぎりの新記録達成である。
理由は、当然わからない。わからないから、待つか歩くか、どちらかしかない。
日本だったら・・・う~ん・・・
やっとこさ、乗り込んだ車内は、なんらいつもと変わりはないようだ。
閉店時間の近づいた学食で、食事をカキこんで、大学の授業へ。
せっかくの、一日一度の、きちんとした食事だというのに・・・


こおり初め

2008年11月26日 | Weblog
朝、珍しく明るい青空。
久しぶりの太陽に、サンサン七拍子。
しかし、11時からのプライベートレッスンの途中から、雲行きが怪しくなり、12時前には、大粒の雪がじゃんじゃん拍子で降り出した。乱舞という感じ。
高校の授業があるので、どうなるのか心配で、プライベートレッスンの後半は、外が気になってしかたなかった。
幸い、雪のじゃんじゃん踊りは終わってくれたが、冷たい雨と小雪のいりまじった冬シャワーの中を、高校へ向かうことに。
先日買った大きな傘を初めて使う。傘の「さし初め」。
高校では、あのお掃除おばちゃんが、今日もタンクトップでハッスルしていた。さすがに、雪や雨が入ってくるからか、窓は開いていなかった。
大学の授業に向かう頃(夕方5時前、完全に真っ暗である)、一部だけだが、下がすべりやすくなっていた。実は、これが一番心配。
いよいよ、こおり初め。

コピーセンター

2008年11月25日 | Weblog
コピーセンターの担当者が一人だけしかいなかった。
昼食の後、行った時も学生が並んで待っている状態だったので、コピーせずに帰った。夕方、授業の前にもう一度行ってみたが、やはり一人だけで忙しそうにコピーしていて、学生が数人待っていた。が、授業で使いたかったので、並んで待った。おかげで、授業時間ギリギリになってしまった。ずっと、一人でやっていたのだろうか?腕に刺青のあるスキンヘッドのおにいさん、お疲れ様。
この<コピー屋さんシステム>がいいのかどうかは、わからないが、現実にはなくては困ることは間違いない。
2年前に、日本語のクラスが始まったころには、コピー枚数に制限があったようだ。それも、1学期に1000枚とか2000枚とか。
今もし、そんなことをいわれると大変である。1か月で1000枚は超えているだろうと思う・・・
去年も5000枚の上限だったらしい。今年は、フリーで何枚でもOKになった。
余計なことを考えずに済むので、たすかっている。
プリンターは、結局こちらで買ったのだが、もしなかったらかなり面倒である。必需品だと思うが・・・自己負担すべきものなのか?

小粒純白あられ

2008年11月24日 | Weblog
ヴロツワフでの生活も、2ヶ月。
秋の黄葉時期に始まり、落葉の乱舞から、今は小雪の舞へと移ってきた。
今日も1時間ほど散歩。日本で、雪のチラつく中を歩いていたら、変な男と間違えられそうだが。
裏地付きの暖かズボンをはいてみた。0℃なら、ぽかぽかである。
止み間を見て歩き出したのだが、歩くとすぐに降り出してきた。
しかし、2ミリほどの小さな粒のような雪で、ベタベタしてない、サラッと感覚の「小粒純白あられ」のよう。
ここヴロツワフでは、今のところ、雪が降り続くというほどではなく、降ったり止んだり、積もって少々。他と比べて、ちょっと少なめなんだろうか。
それにしても、毎日同じような空模様。
この2ヶ月で、ポーランド語は全く進歩無し。むしろ、退化。
今日は、とてもとても珍しく、ポーランド語のCDを聞いた。
無駄な努力と知りつつも・・・

体感ツアー

2008年11月23日 | Weblog
朝起きたら、一面銀世界・・・ということは、なかった。
が、雪はチラつき、屋根もうっすらと白く化粧をしている。が、まだら状に「まだまだですよ」と言っているかのよう。
歩道はほとんど地のままに近くなり、10時頃から寒さ体感ツアーに出向く。
当然、身の程をわきまえた歩好家。もっぱら安上がりな、体で感じる耐寒ツアー。
最高温度は、1℃。その感触は、両方の耳で感じとった。
だが、服装は、Tシャツにシャツ一枚、下はジーンズと、秋の好日模様。その上に、ポーランド上着を着ただけ。まだまだ大丈夫だ。
この時のためにと、蓄えておいた皮下脂肪と、常滑の自宅で鍛えた耐寒生活のおかげか?
今日も、今にも降り出しそうな重い空だったが、広場にいた時、つかの間太陽がのぞいた。
自分の影が、長い長い。5mを超えそう。午後1時だというのに、太陽の位置は、地平線に近ずく低さ。
買い物兼体感寒度ツアー、14000歩。

雪がきた

2008年11月22日 | Weblog
ゆ~きがこんこん・・・じゃなく、きたきた。雪が降ってきた。
ショッピングセンターから帰ってくるまでは、どどどどどんより暗い空だったが、雨は止んでいた。
食事をして、コピーセンターで来週の授業で必要なコピーをとり、帰る時にはしっかり雨が降り出していた。その時点では、まだ雪の姿はなかったが。
すっかり暗くなった午後4時ごろから、雪が混じってきたようだ。
今(夜7時過ぎ)も、少しだが、雪交じりの雨模様。明日の朝が楽しみ・・・と言っていられるのは、明日が休みだからだが。ショッピングセンターで、大きな傘も買ってきたので上からの降りモノは、もう大丈夫。下が凍るのが心配なだけ・・・
週末前の金曜日は、大学内にも学生の姿が少ない。学食も一番空いているようだ。今日も、学食の定食セットが、栄養の支え。メインは魚のフライだった。肉類が中心だが、たまに魚のことがある。
が、どうも最近ソースが添えられなくなったような・・・
以前は、あったような気がするのだが。こんなところにも、変化が・・・

いろんな学生がいる

2008年11月21日 | Weblog
いろ雨の一日。冷たい風。
3時間耐久授業の教室の窓に、時々激しく雨が当たった。
やっぱり、大きな傘が必要かな。
こちらでは、大きな傘を店頭ではほとんど見かけない。日本なら、雨の日には、何の店かわからないような店でも、目立つところに傘が並ぶのだが。
雨でも、傘をささない人が多いのだから、傘は商品としては、魅力がないのか。

大学のクラスは、ほぼ出席者が固まってきた。
当初、40名ほどの登録者があったが、ほぼ半分になってきた。
初めから、一度も来てない者や、1~2回出てきただけの者が10名以上もいるが、そんな学生は初めから来なくていい。
中には、「顔を見なくなったなあ」と思う学生もいる。せっかく途中まで来てたのに、残念だが仕方ない。
今日、わざわざ、授業を続けられなくなってずっと休んでいたことと、今学期は授業を続けられなくなったことを、謝りに来た学生がいた。何とかしてやりたくても、何ともならない。

手ごわい・・・

2008年11月20日 | Weblog
高校の授業がある日は、天気のよくないことが多い。
行きだけは、歩きたいのに、今日は雨模様で寒い。仕方なくトラムで。
今のところ、4対3で「歩き」の勝ちだが、けっこう雨の日が多いというのが実感である。
昨日から、どこかでギアチェンジしたらしく、寒くなった。
2ヶ月前にいたウッジでは、雪が降ったとのこと。
高校では、先週来なかった少女マンガの”瞳”ちゃんが、今日は出席。
高校の授業時間は45分。ちょっと短く感じる。
大学では、90分。時々、ちょっと長く感じる。
高校では、やっと、ひらがなを終了。覚えてくれたかは、別にして。
授業のあと、”瞳”ちゃんから質問があった。
初めは、何を言っているのか、聞き取れなかった。
よく聞いてみると・・・だん・のうら・・・・。
何と「壇ノ浦の戦い」について聞きたかったのだ。
驚いたのなんの、しどろもどろで英語で説明。
わかってもらえた?だろうか。しかし、帝が海に身を投げたことまで知っていた。
何で知ったのかまで、聞いている時間はなかったが、日本の若者よりスゴイ。
少女マンガ、手ごわい。

らしい・・・というか

2008年11月19日 | Weblog
高校からの帰り、運よく飛び込み乗車できたのだったが・・・
そこから、ケチのつき始め。
大学までの中間点、駅の前でトラムが止まってしまった。
「何だろう?」わからない。客が降り始めた。が、乗っている人もいる。
交代の運転手を待っているのか?・・いや、そんなことはない。トラムが身動きできない状態に連なっている。「事故でもあったのか?」わからないまま、歩き出す。何だかわからないが、ポーランドの人たちは文句も言わずに歩き出していた。
「珍しかないさ」といわんばかりに。
それだけで終われば、まだよかったのに。極めつけの続編があろうとは。
大学の授業で使う教室を、他の授業で使われていたのだ。
「予約してあるから、当然」というだけの女教師。こちらも納得行かないが、キーを貸し出す受付のおっちゃん(こういう日に限って初めて見る顔)は、全く英語が通じない。「他に使える部屋は?」と聞いても無駄で。学生にポーランド語で話をしてもらったが、考えて対処する立場でもなさそう。
女教師の授業は、もうすでに始まっていたので、早い者勝ち。とても動きそうにもなければ、話を聞く気もなさそう。
その日の授業に来た学生7名と、ロビーか何のコーナーかわからないが、机と椅子のあるスペースで、変則授業。
「どうなっとんの?」ではなく、これこそ「ポーランドらしい」一日というべきなのか。

洗濯記念日

2008年11月18日 | Weblog
待望の、洗濯機。初使用。洗濯記念日。
学生たちは、洗濯機を使うのに、料金が必要で、予約しないと出来ない状態だが、先生はエラい。故障がやっとなおって、ほとんどいつでもご自由体制に。
今日月曜は、木曜とともに、部屋の掃除の日。いつものおばちゃん、今朝も9時過ぎに「トントン」ときた。
トイレットペーパーも補充してくれた。
寮ホテルの不満は、あとは、カーテンの動きが悪いことぐらいか。
ちょっと心配なのは、館内放送。
「ウヴァガー」と、濁音の響きがいかにも「注意、注意」を漂わせるのだが、すべてポーランド語だけの放送では、何をいっているのかさっぱり、「ちんぷんかんぷんポーラン語」。
今のところ、わからないまま部屋にいても、大丈夫だったが・・・
本当に、火事になっていたとしても、わからないのだ。
そんなこと、心配してもキリがないが。

よくあること・・・

2008年11月17日 | Weblog
「あれ?あれれ?なんだ?」
いきなり???である。
一日フリー乗車券(約300円)で、市内ツアーの予定が、切符を買う時点から???。自販機に、①と②硬貨は入ったのだが、⑤が受け入れてもらえず、ポトンポトンと出てきてしまう。
何度かやっていたら、おじさんが「こいつを使いな」という感じで、自分の持っていた⑤と交換してくれた。その⑤は、ちゃんと入ったではないか。どうなってんだか・・・わからないが、「よくあることさ」というような素振りのおじさん。ありがとう、たすかった。でも、ポーランド。
トラムのある路線の終着駅まで行った。グルッと、小さな円を回って、また折り返し、出発だった。「へ~え」。
ヴロツワフで一番大きなショッピングセンターへも行った。
その駅は、たくさんのバスやトラムの路線が乗り入れているのだが、行き先別に乗り場が分けられ、出発時刻も電光掲示板に表示されていた。ちょっと、そこらの停留所とは違った。
雨が降り出してきたので、元を取った時点で引き返すことに。
気が向けば、いつでもできる「庶民ツアー」。

初フンデー

2008年11月16日 | Weblog
気をつけていたはずなのに、初フンデーになった。くそっ。
部屋から一番近い(歩いて5分はかかる)小さなスーパー、レジのところにあったビニール袋がなくなったようだ。
この2ヶ月ほどで、ポーランド通貨と円との関係は、40%ぐらいの変動があった。これからも、いろんな変化があるのかも。
昨日のポズナン行きは、初のオジサン一人旅+いろいろ手助けありがとう、だった。切符を買うのも助けてもらった。同じ区間でもいろいろと便があり、料金が違ってくる。予約席も可能な便と、出来ない便があったり。
ポズナン行きは、予約席だったが、その場所がよくわからなかったり。
ポズナンでは、このブログをきっかけに会うことができた、ポーランド人の大学生が、案内をしてくれたのだ。ブログが縁の出会い、それも日本人オジサンとポーランド女子大生という奇跡?
それだけでも、けっこうな物語・・・乞うご期待!?

まさかのさかが・・

2008年11月15日 | Weblog
「坂道だ」。
街並みが、ゆるやかな坂道に続いているのを見て、妙に感激。
平原の国<ポーランド>らしく、ヴロツワフやウッジでは、坂道沿いの街並みは見ていなかった。
ポズナンは、ヴロツワフよりちょっと寒い感じ。
ポーランド王国の建国当時の首都だっただけに、歴史的な建造物も多いようだ。
広場や旧市街を歩き、トラムでポーランド最古のキリスト教会に着いたのは、4時頃であたりは暗くなり、ライトアップが始まっていた。
ポズナンは、じゃがいも料理が名物らしく、おいしい(が、高くない)店に案内してもらった。ポーランドでは、毎日じゃがじゃが食べているが、ほとんどマッシュポテト。今日の料理は、焼いたじゃがいものメニューだった。
ビール醸造工場を改築して作ったという、ショッピングセンターへも行った。ポズナンで一番大きいとのことだが、ポーランドでも一番かも・・・という話だった。
そこんところは、どうなんだろうか、ポーランドである。