たしかめていてよ ここにいると ほかになにもできることはないから
鈴木祥子「たしかめていてよ」
会議室のドアが開き、担当者が入ってきた。僕を見て少し顔をしかめた。
ここは人材登録会社。週1回、僕は人材募集の情報をもらいに来てる。
担当者は幾つかの資料を僕に見せて説明する。毎週お決まりの行事。
担当者は熱心に色んな会社を進めたが、僕の気のない返事にすっかり気分を
害し、黙り込んだ。僕は早々に打合せを切上げた。
僕は3月に20年勤めた会社を辞めた。担当案件でトラぶって責任を取って辞めた。
自分に非があったとは思えない。客先にも会社の上司にも問題があった。
関係者がお互いに責任を擦り付け合い、誰か責任を取らないと仕方ない状況だった。
僕は面倒臭くなって自ら辞めた。もう4ヶ月。そろそろ次の仕事探さなくちゃ。
帰宅するとユミが出かける処だった。トラブルがあったらしい。
ユミは人気のデザイナー。だから僕が気に入る仕事が見つかる迄ゆっくり休めば
イイと云ってる。ユミのコトバはウレシイが、男として少し情けない気もする。
深夜目が覚めて起きた。居間でユミが疲れ切った顔で缶ビールを開けている。
声をかけようとして止めた。翌朝起きたらユミはおらず、「仕事行ってます」と
書置きがあった。
午後から紹介された会社で面接。卒なく答えたけど、おそらくダメだろう。
その時携帯が鳴った。前の会社の部下だった。会いたいと云う。
待合せの店に行くと彼はいた。優秀な技士だったが例のトラブルで体を壊して入院。
その後彼も会社を辞めたらしい。「久しぶりです。ご無沙汰してスミマセン」
「こちらこそ」「退院したら倉持さん辞めてて驚きました。」「会社にも君達にも
にも迷惑かけたからね、責任とって」「倉持さんの所為じゃないですよ」
それから彼は本題を話し出した。彼は今知人と会社をやってる。僕に来て欲しい
との事だった。事業内容、プラン、条件、すべて魅力的だった。
「僕は君達を守れなかった駄目上司だ。その僕でイイのか?」彼は云った。
「倉持さんは最後まで僕らの味方でした。また一緒に働きたいんです。是非来て
ください」彼は頭を下げると立ち上がった。
僕はボンヤリと座ってた。魅力的な話だ。ただ僕はもう「仕事する」こと
への熱意も情熱もなくしてた。それから僕は新宿の街をフラフラ歩いた。
歩道橋に昇り街を見下ろした。サラリーマンが歩いてる。みんな働いてる。
僕以外は。再び・・・あの中に入って働く気にはなれない。
どうしようか、これから。新しい仕事を探す気はもうない。ホントにどうしよう?
仕事もせず、ウチにいてユミに食わしてもらうのか?それはイヤだ。
「消えようか?」…と思った。このままどこかに行ってしまおうか?
ユミなら僕がいなくても大丈夫、一人でやっていけるだろう。
ただその前にもう1度だけユミに逢っておきたい。それから消えよう。
帰宅して、居間に入るとユミがソファで寝ていた。スーツ姿のままだ。
テーブルの上に野菜や肉が放置されてる。会社帰りに買物してきたのか。
ユミの寝顔を見てるうちに泣けてきた。ユミは仕事でトラブルを抱えてても
チャンと家事をしてる。仕事の愚痴も言わない。なのに…僕はどうだ?
僕はじっと動かず・・・ユミの寝顔を見たまま・・泣いていた。
翌日の夕方、駅の改札口で僕はユミを待ってた。ユミはここを通るはずだ。
今日、先方の社長と会った。意気投合し即採用が決まった。明日から出社する。
陽が暮れてきた。ユミが階段を降りて来た。僕に気付いてビックリした。
僕は云った「ただいま」「え?」僕はもう1度云った「ただいま」
ユミは吹き出した。「何それ?ヘンなの?」「いいんだよ、これで」
二人は歩き出した。「仕事決まった」「そう」ユミはまた笑った。
もう1度・・頑張ってみよう。それしか僕にはできないのだから。
そして、僕はもう1度つぶやいた。・・・「ただいま」・・と。