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僕と猫のブルーズ

好きな音楽、猫話(笑)、他日々感じた徒然を綴ってます。
コメント欄はモラルを守った上で御自由に書込みどうぞ。

一期一会~仙台荒浜ボランティアレポ

2012年06月17日 | 東北のためできること

金曜日の夜仙台荒浜にボランティアに行ってきました。
ここに行くのは昨年11月以来。ボクが初めてボランティアで訪れた地。だから想い入れが強い。
津波で徹底的に傷ついた景色。あれを忘れたことはない。だから、また来ようと決めてた。
今回はいつものグリーンバードでなく旅行会社JTB企画のボランティアツアー。
金曜日の深夜、ツアーバスに乗って仙台に向かう。老若男女40人が参加。
Coccoを聴きながら戦闘モードに入る。血が滾る。興奮してよく眠れない。
早朝、菅生サービスエリアに着く。天気が曇りで陽の出は見れず。残念。
構内に「原発避難の方は・・」と書いてるポスターが貼ってある。気が引き締まる。


周囲を散策。他にもボランティアツアーのバスが停まってる。
みんな「東北を見棄てていない」。そう思うとうれしかった。
構内に大きな松が生えてる。大きく強く逞しい。見てて力が湧いてきた。

仙台若林区に到着。街は緑で溢れている。稲が生えてる田んぼが続く。
更に行くと雑草しか生えてない畑が増えてくる。作付けに入れない畑も多いんだな。
亀裂が入った畑。破壊された建物も見える。被災地の光景、過去何度も見ている。
でも慣れることはない。絶対ない。何度見てもココロが痛くなる。ざわざわする。
窓の外に見える「現実」。ただただ見るしかなかった。

ただ、破壊された建物が以前に比べて減っている。撤去されキレイな更地になってる。
荒れた農地も整地が進んでいる。この半年で復興が進んだんだな。少し安心した。
海岸近くでバスを降りて見学。基盤しか残ってない住宅が続く。
でも、ここもキレイに撤去されている。以前は倒木が多かったけど除去されている
幾つかのお家の前には花が咲いてる。避難した住民が戻って植えたんだろう。
また幾つかの家には黄色いハンカチが結わえられている。
この地区は「災害避難地区」に指定されている。津波の危険があるのでここには住めない。
黄色いハンカチは戻りたい方の意思表示。
「荒浜に戻りたい。人が住まなくなってバラバラになると街の歴史、文化が消える」
そう訴えた看板があちこちに立っている。

・・・なんかワケもなく泣きたくなった。
危険を心配する行政も分かるし戻りたい方のキモチも分かる。安全、帰りたいキモチ。
どっちも大切。どうすればいいんだろう。というか、これは部外者は踏み込めない。

情けない涙を流してると地元のおじいさんたちが集まってきて慰霊碑にお祈りする。
ボクもお祈りした。おじいさん達と話す。311に起きたこと、津波について楽しそうに話す。
おじいさん、笑ってるんだよ。それを見てて胸がつまった。何も言えなかった。
自分の悲しみを笑って話す人に掛けるコトバをオレは知らん。尻尾を巻いて逃げ帰った。

地元ボランティア「Re-Roots」で手続きを済ませていよいよ作業開始。

今日はある農家のお宅で農地の整地と蔵の中の掃除。
倉庫の半分が折れ曲がったようにひしゃいでいる。蔵も崩壊寸前。よし、やろう!
午前中は畑のガレキやガラス、木屑を取り除く。涼しくてキモチよく作業できる。
別部隊は蔵の中の材木の運び出し。散乱して手がつけられない状態。
でも10人がかりで次から次へと材木を運び出す。やるね☆

お昼休み。農家のおじさんと話す。「荒浜来るの3回目だけどキレイになりましたね」
そう云うと嬉しそうだった。311のとき撮った自宅の写真を見せてくれた。凄い被害。
おじさんも楽しそうに話してくれた。やはり掛けるコトバが見つからなかった。
「午後もがんばります!」と言うしかなかった。

午後はボクは蔵の材木の運び出し。午前中でかなり掃除が進んだ。
おじさんの指揮のもと、10人がかりで運び出す。1時間ですっかりキレイになった。
凄いな。人間って。あれだけの量の材木が数時間で撤去されるんだ。
畑に戻って聖地。ゴミの分別。小雨が降ってるけどキモチいい。2時半に終了。

バスが迎えに来たので、おじさんに別れを告げる。
「来月、またここにボランティアに来ます」というと笑顔で握手してくれた。

この家族と会うことはもうないだろう。でも、この笑顔と握手は忘れない。一生忘れない。
「一期一会」なんてオレは信じない。でも、この日は確かにそれがあったんだ。

雨が強くなってきた。ひたすら窓の外の光景を写真に撮る。ありがとう、仙台、また来るぜ。

バスの中で伊坂さんの本を読みながら元春、Coccoを聴く。
伊坂さんの本の中のセリフ「大逆転だ。大逆転が起きたんだ。」にグーッとくる。
東北地方の大逆転。信じてるし、そのためにしなくちゃいけないこと山ほどある。
もっともっと頑張らなくっちゃ。

窓の外に流れる東北の空。ひたすら撮った。この瞬間(とき)を焼き付けたかった。


深夜の上野に到着。人で賑わってる。東北で見た光景との温度差。でも、もう気にしない。
今回いろんなところでボランティアツアーのバスを見た。
「忘れてない。気にしてる。行動してる」人はたくさんいる。それが分かったからもう気にしない。

帰宅。嫁にボランティアのことを沢山話す。

嫁は「そんなに東北が好きなら東北に住んじゃえば?」と云った。
嫁に「家を出て行け」と云われた!\(T▽T)/


東北、仙台は大好き。住んでみたい、とも思う。
でもオレのケンカは東京にいるからこそ出来る。東北の外から応援しよう。それがオレの役目だ。
ヨモギは少し甘えてくれた。東北の土の匂いが珍しいのかオレの手にチューしてくれた(^_^;

今日は筋肉痛で一日寝込んだました。ということで明日は会社はお休み(をい)
伊坂さん原作・仙台が舞台の映画「ポテチ」を見てきます(゚゜)\バキ☆

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福島いわきボランティアツアーレポ

2012年05月13日 | 東北のためできること

昨日は福島県いわき市にボランティアに行ってきました。
主宰はお馴染み「greenbird」。今年の東北支援ツアー第一弾。首を長くして待ってました(笑)
早朝代々木公園に集合。既に集まってる。今回の参加者は40人。女性が多い。
参加者の中に顔見知りが居る。心強い。
バスに乗り込んでいよいよ出発。リーダーから今年度活動の趣旨説明。

 ○昨年は仙台荒浜中心の支援だったが今年は福島いわきの支援も始める。
 ○いわき市は耕作地放棄率が高い。被害を受けた人が仕事が無く義捐金で
  パチンコで遊んでる状況。そういった状況に危機感を抱いた若者達が
  使用していない農地に綿や放射能に強い農作物を植えようとしてる。
 ○ともかく人手が足らない。ボランティアの支援が必要。
OK。福島の現在(いま)をしっかりと見て来よう。

バスは順調に進む。外には新緑が広がってる。とても美しい。

3時間程度走っていわきに到着。緑が広がり海もキレイ。とても美しい街。
幾つかの家が破壊されている。でも仙台荒浜や石巻よりは少ないかな?って感じ。
ただ久ノ浜は荒れ果ててる。一寸来て見ただけで「被害が少ない」なんて思っちゃダメだ。
時間が無くて浜をゆっくり見れなくて残念。でも瓦礫の中に花が咲いてるのが印象的だった。


作業場所の耕地は雑草が茫々と生えている。これを1日で除草する。大変そう。
現地のNPO「PEOPLE」のリーダーから活動内容の説明を受ける。
http://iwaki-j.com/people/
また、いわき市役所の方からこの1年の復興活動の冊子もいただく。

 ○1年経って復興も進んだ。仮設住宅や仮設商店街も出来た。
 ○山2つ向こうに原発があるが風の影響で放射能数値は標準。
 ○とても住みやすい街。ぜひ遊びに来て欲しい。
「福島=放射能が高い」わけじゃない。分かってる積りが「全部高い」
みたいなイメージを持ってた。恥ずかしいことだ。
一方で2つ山の向こうに原発がある。南相馬や浪江町では放射能に苦しむ。
そのことも忘れちゃイケナイし、放射能が高くない此処いわきは風評被害で苦しんだりしてる。
街は1つ1つ違う。そしてリスクも支援方法も違う。それをチャンと考えよう。
十羽ひとからげに安易に一括りにしちゃイカン。絶対イカン。

チームに分かれ作業開始。
顔見知りの20代男性、彼の知人、今回ボランティア初体験の大学生と一緒に作業。
他のチームではカップルで来てる人も居る。
ひたすら雑草を抜く。毛虫や団子虫がゴロゴロ出てくる。
仙台荒浜の農地は土がヘドロで汚れ虫はいなかった。ここには生命(いのち)がある。
午前中1時間程度作業しただけで結構進んだ。

お昼ごはんを食べながらボランティアに参加した動機を話す。
そのうち映画や好きな作家、漫画の話をしたりする。世代の違いがオモシロい。
別のチームの若い女性と伊坂さんや重松さん話で盛上がる。何か楽しいぞ。

午後もひたすら作業。徐々にペースが落ちてくる。足腰が痛い。
少しサボるか?でも、頑張ればその分復興は早まる筈だ。チャンとやろう。
別のチームの若い衆は音楽を鳴らし歌いながら作業してる。BGMはミスチル。
そうかぁ、ミスチルってこういう場所で頑張るとき聴きたい歌なんだ。
オレ?オレだと何だろう?元春?カーネーション?Coccoかな?

16時終了したとき雑草は粗取り除かれていた。最初見たときはムリと思ったのに凄い!
でも雑草を抜いただけ。これからも色んな工程が必要だしボランティア支援も当然必要。
若し将来農作物が収穫された際、このボランティア参加者が直接購入して支援。
そんなことが出来たらステキだと思う。
そう話したらPEOPLEリーダーは「まだ実験段階。色々考える必要がある」と仰ってた。
東京のオレが想像してるより遥かに現地の人は意識が高く現実的で前に進んでる。
今回は「前に進もう」としてる人たちのお手伝いを少しでも出来たかな?そうだとウ・レ・シ・イ♪

記念写真を撮って解散。「かんぽの宿」に向かう。窓の外には海岸。
一部の樹々は倒れたり大量の廃棄物が置かれている。
「かんぽの宿」で温泉に浸かる。腕、足、背中が痛い。
でも「痛い」というのは此処にいたという確かな証だ。
「福島いわきにオレがいた」という事実はオレのカラダに刻まれた。だから忘れない。

湯に浸かってると現地のおじさんが「ボランティアで来たの?」と話しかけてくる。
震災当初は「かんぽの宿」も閉鎖されていた。今は再開されている。
おじさん「今度は是非遊びに来てよ」と笑ってた。ウン、ぜひ来よう。

温泉の後、バスに乗って打上げ会の会場に。外にはキレイな夕空が広がってた。

市内の焼き鳥屋を貸し切りでお疲れ会。同じ席の皆さんと盛上がる。
ある女性はアートワークショップで東北を支援してたり、ある若者は
湘南でコミュニティ作りを進めてるNPOの活動に参加。
皆さん「今のままじゃダメだ。かえよう」という意識が高い。
ボクも今回のボランティアで感じたことを素直に話せた。

そう、以前からこういう話をしたかった。東北支援、原発、これからのこの国。
フランクに穏やかにユーモアを交えて。
お酒を呑み笑いながら色んな話をする。
アート、音楽、支援、普段できない濃い話ができた。刺激があった。
話は尽きず皆「また会って話したいですね」と云った。そう、また会いたいな。

帰りのバスは疲れと酔いでグッスリ寝た。代々木公園で解散。
何人かと一緒の電車で帰る。電車は遊び帰り?の人たちで満員。
毎回のボランティアでは東北から東京に帰る度にそのギャップを感じた。
でも、今回はそれは無かった。皆さんと話しながら帰ったおかげかな?

無事到着。嫁は待っててくれた。ヨモギは少し甘えてきた。疲れで熟睡。
疲れてるのに早く目覚める。嫁の寝顔を見て何か安心した。ウチはやっぱりイイ。
昨日もらった冊子を読む。この1年間の復興活動の記録が載ってた。
「他に比べて被害が少ない」なんてとんでもない。
震災・津波の被害、放射能と必死に格闘して来た。
現地の必死の踏ん張りと頑張りであそこまで復興したのだ。
1日行って見ただけで「分かったようなこと」を言った自分が恥ずかしい。

同時に、今回のボランティア、ホントに楽しかった。楽しめた。
大惨事を前に何も出来ない自分を呪い地震・津波への怒りから始めた活動だった。
でも、今回はボランティアの度に感じる「無力感、怒り、違和感」が無かった。
ただただ楽しかった。それは一緒に参加した皆さんのおかげだろう。たくさん話せたからだろう。

絆だの繋がりなんぞ信じないオレに若しかしたら新しい「繋がり」が出来たのかも。
もし、そうならそれは「行動した」結果だろう。やっぱり行動は必要だ。絶対。
そして、行動は当然続ける。来月・再来月は仙台荒浜にまた行く。
福島にも当然また行く積り。今回は行かなかったが南相馬にもいつか行く。

動かしてるのはもう怒りじゃない。罪悪感でもない。ただただ変えたい。だから行く。

因みに嫁に「今回カップルで参加してた。次回は嫁も一緒に行かないか?」と誘うと
「キミとは行きたくない」とアッサリ拒否。やっぱこのヒトには敵いません\(T▽T)/

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福島に行こう!

2012年05月11日 | 東北のためできること

昨年NPO「greenbird」主宰の東北支援ツアーに参加し仙台海岸地区でボランティア活動をした。
今年のツアーが明日から開始。場所は「福島」。いわき市で農地開墾や除草。
http://www.greenbird.jp/news/news.php?ID=2489
当然行きます。

いわき市の放射線量は0.1マイクロシーベルトから0.2マイクロシーベルト
http://www.city.iwaki.fukushima.jp/info/dbps_data/_material_/info/5.11.pdf
危険の無い数値が1マイクロシーベルト?全然OK。
ま、高くても気にしないさ♪放射能なんざ凌駕してやるさ。

福島は震災・津波被害以外にもう1つウスノロを抱えてる。「放射能」って難敵。
オレには放射能除去は出来ないが、除草や整地なら出来る。
出来ることあるなら行ってみてやるしか無いだろう。

忘れない?寄り添う?絆?そんなコトバを胸で呟いたって何も動かない。
そんなヒマがあったら被災地に行って行動したい。
東北の方の「役に立つこと」をしたい。

仙台ボランティアも当然続ける。6月、7月には行くからね。待っててね☆
オレのピンポイントは2つ。1つは宮城、もう1つは福島だ。そう決めた。

にゃにゃん、福島の現在(いま)をこの眼に、このカラダに焼きつけてくるぜ。
応援ヨロシク!

(ヨモギの声:オマエのメッセージなんて誰も聞かないニャ)

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石巻市牡鹿半島に行ってきた

2012年04月01日 | 東北のためできること

ということで宮城県に日帰りボランティアに行って来ました。
主宰は千葉のバス会社。場所は宮城県石巻市。作業内容はガレキ撤去。
バス会社主宰というだけあって規模も大きい。参加人数は50名程度で3チーム。
金曜日会社から帰宅して深夜東京駅前からバスに搭乗して出発。
心配だった咳も殆ど出ないのは良かったけどあまり眠れない。ウトウトした程度。

リーダーから活動内容について「石巻市の奥の牡鹿半島沿岸部。ガレキ撤去」と説明。
一気に気合が入って眠気も仕事の疲れも吹っ飛んだ。
石巻市にバスが入る。最初は普通の街の風景。工場地帯に入ると景色が一変。
積み上がった廃車の山、半壊、全壊した家、会社の建物。歪んだガードレール。
そして山ほど積み上がった瓦礫・・瓦礫・・・とんでも無い量だ。

更に進むと缶詰の形をしたオブジェが転がっている。地元水産加工企業の保有したタンクらしい。
地震のシンボルとして残すことが決まったらしい。どんな物か?は下記サイトで見てください。
http://www.jiji.com/jc/v4?id=kis0001
更に住宅地に入る。ここの被害も酷い。普通の住宅が破壊され尽くしている。
震災から1年経っているのにまだ瓦礫は残り、住宅地も修復されていない。
リーダーは「これでも瓦礫はかなり片付けられた。でも、まだ残っている」。

被災してない場所で瓦礫受入れを反対している人がいる。
あるいは「瓦礫処理は地元に任せた方がお金が落ちる」という人もいる。
その意見に頷くところもあるけど矢張り無事な土地の協力が必要でないか?
個別の検討は要るだろうけど・・やっぱり瓦礫の受入れは必要だ。ボクはそう思う。
いや賛成する人も反対する人も先ずは自分の目で見て確かめるべきではないか?
その上で考えて話し合って決めていけば良い。

今回の目的地牡鹿半島には山を登って向かう。山道の木が倒れている。
歪んだガードレール、歪曲した壁。根こそぎ破壊された住宅地。
リーダー曰く「石巻市よりも更に被害が大きく瓦礫も沢山残ってる」とのこと。

見ててコトバが出なかった。こういった被災地を訪れるのは3度目だ。
でも、何度行っても見ても慣れない。いや、慣れちゃダメだ。
こんな風景があること、それはおかしいことなんだ。

作業場所は給分浜。ボランティアセンターで説明を受け311時のビデオを見る。
津波に呑み込まれていく街、家、車。何度見てもツライ。
そのとき破壊された建物が今修復されたり仮設で市場が出来ている。
災害に負けずに立ち上がって前に進む地元の人たち。その力には頭が下がる(v_v)”

牡鹿半島の空は曇っていて寒かった。

作業場所に行く。海岸前にある荒れた土地。他のボランティアも沢山来て作業。
全部で300人くらい居たのでは?
現地ボランティアの説明を受ける。
1町歩程度の土地の瓦礫撤去。瓦礫を撤去出来たら農地として再生するそう。
何より瓦礫が無くなってキレイになったら現地のお年寄りが大喜びするそう。
そんな話を聞いたら張り切らざるを得ませんb(・_・)

強風の中、ひたすら作業。金属、コンクリート、ガラスを掘り出して土嚢で運ぶ。
コンクリートとガラスが矢鱈多い。嘗てここには建物があって誰か住んでたのでは?
もしかしたら土の中には遺体があるかも知れない。その可能性だってあるんだ。

手で土を掘り瓦礫を取り出す。瓦、コンクリート、結構重い。正直キツイ。
でも、そんなの当然だ。少しでも沢山拾おう。そうすればこの土地も復活できる。

一緒に来た参加者も作業する。東京の大学生、高校を卒業したばかりの女の子。
親子旅行をボランティアに変更した母と娘。70歳の老人。皆ひたすら働く。
大学生の男の子は正直チャラい感じ。雑談しながらも手を止めない。
ボクはよく東京の喧騒ぶりを批判するけど・・そういった騒いでる若者の中にも
被災地のため頑張ってるコがいるかも知れない。そう思った。

2時間半ほど作業して瓦礫が積み上がる。それはこの写真。

因みにこれはホンの一部。こんな瓦礫の山が沢山積みあがってた。

ここで雨が降ってきて昼食。リーダーから作業終了の指示が。
この後仮設市場で買い物して温泉に行って帰るとの事。
え~!まだまだこれからじゃん。もっと、やろうよ。でも元々その予定。
じゃないと今日中に東京に帰れない。うーん、物足りないけど仕方ないな。
バスの中で配られた牛タン弁当を味わう。市場で鯨の大和煮を購入。
オレがやったのは僅かな瓦礫の撤去と買い物。でも少しは貢献できたのだろうか?

帰り元春やハンバートハンバートを聴く。
外には荒れた石巻の光景。涙が出てきた。
この街が元に戻るにはどれ程の時間(とき)が要るんだろうか?
リーダーは「復興の支援は遅いように見えるけど、それでも進んでるんです。
また是非参加してください」と言ってた。
うん、宮城県支援・・・まだまだ終わらない。終われない。続けよう。

温泉ランドで入浴。体中が痛い。筋肉痛。被災地の想い出、オレのカラダに刻んだ。
確かに刻んだ。だから・・忘れない。

バスの中ではひたすら寝た。で夜11時前に東京着。
ともかく疲れてる。早く帰りたい。嫁とヨモギに早く会いたい。
帰宅すると嫁とヨモギはまだ起きていた。
ヨモギはオレが居なくて寂しかったのかチューをしてくれた。\(T▽T)/
いいコ、いいコ~( ̄∇ ̄~)(~ ̄∇ ̄)~

今朝起きると腕も足も痛い。筋肉痛の嵐で午前中はグッタリ(^^;)ゞ
午後から日本堤周辺を猫めぐり。可愛らしいけど眼光鋭いノラさんに会う。

ヨモギはウチでノンビリ。この甘えっこにはあんな眼光は出来ません(^_^;


今年最初のボランティア。時間の関係で「やりきった」とは謂えないかな?
でも、限られた時間の中で精一杯がんばった。それでいい。
甘いかな?いやオレは頑張った!オレすごい!オレサイコー!(゚゜)\バキ☆

ともかく開幕戦は無事終了。当然今後もオレのケンカは続きます。
次回は仙台に行こうと思います。去年に引き続いてあの杜の街の空を見に行きます。

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GO4!~みたび東北へ

2012年03月30日 | 東北のためできること

グリーンピースが野田首相に「原発再稼動反対」のメッセージを送る活動をしている。
昨日、HPを通じてボクもメッセージを送った(仕事中に(^^;)ゞ)
http://www.greenpeace.org/japan/ja/
送ったメッセージは以下のとおり。

 ①原発再稼動を反対します。未来に負の遺産は残さないでください。
 ②原発の廃止、稼動については政府、自治体、反対者、推進者、企業、一般市民、
  福島県民が議論して決めませんか?そういう議論の場を設けてください。
 ③消費税増税にあれだけの粘りを見せる野田さん。ぜひ原発を止めてください。

これが効き目があるのか?はワカンナイ。
でもツィッターやMIXIで政府や東電を非難しても彼等は見ないだろう。
少しでも本人の目に届く可能性があるなら使わない手はない。
次回は首相官邸あてに手紙を送ってみようかな。嫌がらせフフフ(゚゜)\バキ☆

今まで「原発」については特に何もアクションを起こさなかった。
でも、自分の与り知らないところで危険な事が起こってる。それは真っ平ゴメンだ。
オレの未来はオレが決める。だから納得できないことには「異議申し立て」する。

去年311の後、自分に何が出来るか分からなくて無力感に苛まされた。
でも1年が経って、もう「何が出来るかワカンナイ」なんて段階は終わった。
現在(いま)は「何が出来るか?」を考えて選んで行動するときだ。
その気になれば「出来ること」は幾らでもある。ネットで検索すれば間単に見つかる。
自分で探して見つけてその中から選んで・・・ACTIONするだけだ。

昨日、元春のライブは楽しかった。新曲で元春は歌った。
「いやなことばかりじゃないぜ。家にいないで街に出かけようぜ」と。
そう、家でパソコンを前に悩んでたって何も変わりゃしない。
政府や東電の悪口を言ってて何か動くか?ならば外に出て行動した方がいい。
何をやるか?は自分で決めればいい。勝手に、自由に。

今夜、また東北に行きます。宮城県沿岸部に日帰りボランティアで行ってきます。
去年から3度目、そして今年最初のボランティア。オレがやること。


ここで何度も書いているが未だに自分が東北支援を始めた動機はハッキリしてない。
善人きどりの偽善なのか?後ろめたさを少しでも晴らすためか?
阪神大震災のとき何もしなかったことに対する贖罪か?それとも単なる好奇心か?

でも、もう、そういうのはどうでもいい。動機なんて何だっていい。理屈なんか要らん。
「いきたい。何かをしたい」、その衝動が全てだ。衝動に従って動く。それだけだ。
オレにはこれしかできない。だから、やる。当然だ。

元春は歌ってる「自分の頭で考え自分の足で立って自分の力信じきって Stand Up & Fight!」と。
いいね、これ♪ やろうじゃん。やってやろうじゃん。

今日は会社のパーティは欠席して早めに帰宅。
嫁と一緒に晩御飯を食べて楽しかった。ヨモギが絶好調でオモシロかった。
父にお線香をあげて「ボランティアの成功」を祈った。
そして、「大いわて展」で買ったミサンガを持っていく。
東松島市の女性の手造り。一緒に行きましょう。力を貸してください。


さぁ、にゃにゃん、そして親父。またまた北の地に行ってくるよ。
地震野郎と津波野郎にパンチをお見舞いしてくるぜ。

さぁ行くぜ!GO4!! Stand Up & Fight!!

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開幕戦

2012年03月24日 | 東北のためできること

昨日、社長に来期の計画について話す。
この3年、外部審査対応の仕事ばかりやってた。そちらの問題は大体減った。
3年間同じことの繰り返し、都度工夫はしてるがマンネリ化してる。刺激もない。

そろそろ視点を広げたい。新しい武器で社内のウスノロを退治したい。
来期は新しいテーマに取り組むことを話すと社長は認めてくれた。
よし!手を変え品を変えてガンガン攻めて行こう。b(^_^)

そして、もう1つ。いよいよ東北ボランティア活動を再開することにした。
去年は仙台市に2回行ったけど、今年は他の場所にも行こうと思う。
でネットで探して見つけたのがこのツアー。千葉のバス会社の企画。
http://www.nanohana-bus.com/volunteerbus/
場所は宮城県沿岸部。作業内容は家財運び出しや瓦礫撤去。
昨年は泥のかき出しや畑の整地、雑草駆除をやった。今回はよりハードな内容だ。
って311から1年経過しても未だ「瓦礫撤去・家財運び出し」が必要なんだ。
まだまだ復興の途に着けてない場所がある。ならば行ってやるしかない。
ハードな作業?望むところだ。楽な仕事なんてあるわけがない。

で早速3月30日出発のツアーに申込んだ。
会社の年度末パーティと日程が重なる。当然こっちの参加は断る。
オレ的にはこっちの方が遥かに大切だし(゚゜)\バキ☆

3月30日、ちょうどプロ野球の開幕戦の時期と重なる。イイね。
これが今年のオレの開幕戦だ。ここからはじめよう。
仙台ボランティアも当然続ける。参加NPOの予定が決まり次第、申込む積りだ。

さぁ、いよいよ開幕戦だ。花粉症と咳喘息で相変わらず体調はイマイチ。
でも丁度いいハンデさ。地震野郎・津波野郎にパンチをお見舞いしてやるぜ。
待ってろよ、東北。来週、会いに行くぜ☆

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オレの311

2012年03月11日 | 東北のためできること

311より1年が過ぎた。
嫁@パンダはコレクターズライブを見に東北遠征。
山形出身の嫁、この時期に東北に行くのは嫁なりの想いがあるんだろう。
(嫁@パンダは何も話さないが(^^;)ゞ)

仕事で疲労困憊。いつもなら休日はお散歩して寝て過ごすがずっと家にいた。
映画とゴミ拾い以外は、ひたすらTVの震災関連番組を見てた。
映し出されるのは被災地で頑張る皆さん、ボランティア、支援に尽力するスポーツ選手。
「分かりやすい感動のオンパレード」。
皆さんのそれぞれの行動は素晴らしい。ボクも感動したし良い誠実な番組もある。
でも全TV局(TV東京以外(笑)が横並びに一斉に同じテーマを取上げる。凄く違和感。
オセロ中島の宗教話と同じで「震災1年」がホットな話題だから出してるだけでは?

そして、こういった番組は一体「何のために?誰のために?」創るんだろう??
被災者の人は今更見たくないだろう。思い出したくもないだろう。
じゃあ無事だった被災していない人たちのためか?
無事だった人たちが忘れないよう風化しないように。そのために創るのか?

同じだ。忘れる奴は忘れるし、かんがえない奴はかんがえない。
こういう番組を見る人は元々忘れてないし、忘れない。
ならば311特集はNHKのみで民放は被災地の人が喜ぶような楽しい番組を創ったらどうだ?
全部が全部「おなじ」である必要はないだろう。

オレはどうだろう?あの日のことを1日たりとも忘れたことはない。
嫁とヨモギが心配で不安で会社から歩いて帰った。あの日感じた恐怖は忘れない。
自分の命の安全どうのこうのより嫁とヨモギが無事か?それだけでアタマがイッパイだった。
そしてボランティアで見た仙台の荒れ果てた海岸。破壊され尽くした土地。
あのとき、感じた怒りと無力感・・・どうやったらあれを忘れられると言うんだ?

でも、自分の中でも一寸づつ風化しているのかも知れない。
11月にボランティアに行って以来、東北支援活動は止めている。
参加NPOのプランがまだ発表されていないのが理由だけど、そんなの言い訳だ。
その気になれば他のNPOのツアーに参加すればイイ。でもオレはそれをしてない。
僅かな募金をしてるだけで他は何もしてない。
時間が経って明らかに情熱が薄れてきている。醒めてきている。
所詮、偽善者。その程度の熱意しか無い。情けない話だ。

今日近所のゴミ拾いをした。何かをしたくて、せずに居られなくて。
こんなことしても被災地には何の役にも立たない。
でもTVにかじりついて進まない復興に苛々するよりは何でもイイから行動したかった。

TVで色んな人が語ってた。「忘れないように、風化させないように」。
おっしゃるとおりだ。全く正しい。でも、その次は無いのか?その次を語らないのか?
「忘れない」なんて当たり前だ。大切なのは次にどんなアクションを起こすか?だ。
部屋の中で「オレは忘れない」ってネットで呟いてても何も変わらない。
大事なのは何をするか?だ。
やり方はそれぞれでイイ。
自分の仕事が復興に繋がる人は仕事を頑張ればイイ。
募金、物資支援、励ましの手紙、何でもイイ。
被災地を支援してるアーティストを応援するのもイイ。

オレは・・・なんだろう?オレにできるのはなんだろう?
分かりきったことだ。
考えるべきは「一方向に流されない・大きな声に同調しない」
するべきは「東北に直接行く」「自分の手を汚して血を流して東北のため働く」だ。

分かってるならウチでウダウダ言ってないで、さっさと動け>自分
「御託を並べて河の水が澄むのを待ってる間に人生は終わっちまう。ざまぁ見ろ。」(BY Cocco)

長い休みはもう終りだ。いい加減立ち上がろう。
にゃにゃん、地震野郎・津波野郎とのケンカをはじめるぜ。もう1度☆

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違和感を抱えていく・・・映画「311」雑想

2012年03月11日 | 東北のためできること
金曜日の夜、Sクンと呑んで会社の問題点について意見交換。
2人とも共通したのは幹部社員の「問題意識・危機感の薄さ」。
此れって直し様がない。「問題ない」と思ってる輩に指摘しても「何が悪いの?」で終わるだけ。
これは震災後の日本も同じ。渋谷や新宿の喧騒・狂騒を見てると311が丸で無かった様だ。
震災前と何も変わってない。勿論、みんなが暗い顔して消費を控える必要は無いよ。
フツーに暮らすことが復興に繋がるはずだし。
浮かれてる人たちに「被災地のことを考えろ」と言ってもうざがられるだけだろう。

違和感は至るところで感じる。
絆だの皆一緒に!とか散々ほざきながら福島から避難した人を差別、
東北地方からの瓦礫受入れを感情的に拒絶する市民。助け合いも思いやりも無い。
この国は分断されている。
都市と地方、被災地とそうで無い土地、政府と自治体、一般の人。ハッキリ分れてる。
だから1年経っても「みんなが手をつないで」復興のアクションが進まないんだろう。

そしてニュースやドキュメントから流される「被災地からの感動レポート」の大売出し。
感動って誰が?お茶の間のオレ達かい?
何で傷ついた被災者が頑張って平穏無事なオレ達を感動させなくちゃいけないの?
ガンバルのはこっちだろう?被災者に必要なのは支援と休養と慰安だ。
TVはなぜ「キレイごと」ばかり流す?
頑張れない、動けない、怒りに燃えて罵詈雑言を吐く、そういう映像を流さない?

今日、映画「311」を見てきた。震災後4人の映像作家が被災地を訪れ取材する。
http://docs311.jp/intro.html
福島ではガイガーカウンターの数値が上がるのを見て異様にはしゃぐ男達。
岩手や宮城県では被災者に「家流されたの?」「家族は無事?」とズケズケと聞く。
終いには遺体を撮影しようとして一悶着を起こす。見てて不快だった。
ここでも違和感を感じた。でもTVや渋谷の狂騒を見て感じたモノとは違う。

彼等の行為にモラル上の怒りを感じた?悲惨な光景に堪えきれなくなった?
そうであるような、違うような妙なモヤモヤ。そして苛立ちを感じた。
苛立ちを感じたのはドラマチックな展開に成らない映画の展開に対してでは?
TVニュースの様に穏便無事で無く露骨に迫る作家達に覚えてる妙な共感では?
オレも知らず知らずに被災者の悲惨な物語を楽しもうとしてないか?
その意味ではオレは感動物語を作って流してるメディアと同じ。
渋谷・新宿で浮かれてる若者とオレも同じ。
オレも震災というネタに飛びついて浮かれてるだけ。

映画では破壊された建物の中、怪我人が収容されている病院、遺体置き場を映す。
ボランティアで被災地を訪れたが建物は外から見るだけ。中には入れない。
カメラが破壊され尽くした屋内を縦横無尽に映すとき
悲惨さに息を呑むと同時に・・・・初めて見る映像にエキサイトした。

主人公達は目の前のあまりの光景に次第に言葉を失う。素の個人に戻る。
最初インタビューでしていた質問は「感動・悲劇」を引出す様な誘導めいた内容
だったが最後は被災者の皆さんが語るのを只聞くだけになる。

そう、あの光景を前に何を言う?言葉なんて意味がない。黙るしかないだろう。
ここだけが、この映画で唯一共感を覚えた。

見終わった後、モヤモヤしたキモチが残った。やりきれなかった。
でも・・本音を言えばオレはこういう映像を見たかったのかも知れない。
被災地の悲惨さ(直に体験したわけじゃないが)をストレートに伝えてくる映像を。
そういう映像を期待し、且つオレ自身も痛みを感じたかったのかも知れない。
東北の皆さんが感じた痛み・苦しみのホンの幾分かでもオレも感じたかった。
じゃないと申しわけない。だから、この映画を見た。そんな気がする。

映画館を出ると渋谷は饗宴状態。さっき見た被災地の映像とのあまりの落差。
同じ日本でこうも違うのか?愕然とした。吐き気がした。
でも、こういう無邪気なパワーこそ次につながるのかもしれない。

帰宅したらヨモギが寂しかったのか、甘えてくる。よしよし(^_^;
たぶんこのブログを更新したら酒呑みながら震災1年の番組を見るんだろう。
でも・・・今日映画を見て感じたモヤモヤ、やり切れなさは忘れまい。
感動だの絆だの言う分かりやすいキャッチコピーにごまかされない。
自分自身が抱えてるモヤモヤ・違和感を信じて地震・津波と闘っていこう。

さぁ・・・いよいよ1年だ。そして、まだまだこれから、だ。

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17年

2012年01月17日 | 東北のためできること
17年前の今日、阪神・淡路大震災が起こった。
ボクは京都出身だけどそのときは東京に住んでた。前の年、会社の転勤で東京に移住した。
だから、ボク自身は震災は体験していない。

当時、会社の会議室のニュースで地震の報道を見た。
鉄橋が真っ二つになった映像は衝撃的だった。
周囲に居た人の反応は2つだった、心配する人、面白がる人。
ある女性社員は「映画みたい~!」とケタケタ笑ってた。

幸い実家の両親も神戸に住む兄も無事だった。大した被害は無かった。
でボクはサッサと被災地の事は忘れた。会社の指示で支援金は少し出したが
以降何もしなかった。オレはさっさと日常に埋没し被災地のことは忘れた。見棄てた。
要は自分と家族に大きな影響を及ぼさなかったから。後は他人事(ひとごと)だ。
知ったこっちゃ無い。こっちは仕事で大変なんだよ。

数年経ってそんな自分を恥ずかしく思った。何もしなかった自分を。
その意味では面白がって笑ってた女性社員と同じだ。
数年前新潟大震災が起きたときも同じ。何もしなかった。募金さえもしなかった。

今日、会社帰りにフと思った。なぜオレは東北にいない?東京にいる?
なぜ東北に行かない?東京でノウノウと平穏を貪ってるんじゃねーよ!

昨年ボランティアツアーに参加したNPOは今年の活動計画をまだ発表してない。
色んな状況を考えて検討して、そのうちしっかりしたプランを発表してくれるだろう。
オレはそれを待てばいい。何も焦ることはない。
それ迄、目の前の仕事を一生懸命やって体調を整えて時が来たら参加すればイイ。

3.11。ずっと何もしていなかったオレが今回初めて行動を起こしたのは・・
若しかしたら過去に対する後悔からなのかもしれない。
東北を応援することで過去何もしなかった自分に対して贖罪したいのかもしれない。

だからこそ、頭を冷やして落ち着いて取り掛からなくちゃ。
東北の復興はまだまだ時間が掛かるんだ。
一部景気が復活したとか言うけど、復興の途につけてない場所だって沢山ある。
まだまだこれから、だ。それを絶対忘れちゃいけない。

現在(いま)のオレは17年前とは違う。守るべき家族も居る。大切な友人も居る。
だから、今度こそ自分で考え自分で動いて何かをしよう。
どうやったって後悔はするんだから、それなら、せめて行動したうえで後悔しよう。
「何もしない」で後悔するのはもう真っ平だ。

もう、同じ轍は踏まない。17年前の情けないオレにはサヨナラ、だ。
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刻みつけて焼きつける~仙台ボランティアツアーレポ2

2011年11月27日 | 東北のためできること
午後からまた作業開始。ひたすら草を抜く。
おじさんは都度顔を出し「助かる助かる」と喜んでくれ途中でコーヒーを差入れ。

空にトンビが飛んでる。畑に烏が下りてくる。
草を抜いているうちに地面から虫が出てくる。団子虫、ミミズ。
そういえば9月に海岸付近の農地の泥出しをしたとき虫が全然いなかったな。
地震、津波の異常気象が原因なのか、あそこには「命の息吹」が全く感じられなかった。
でも、ここには生命(いのち)がある。ここの地面は確かに生きてる。
そう思ったら・・・急に泣きたくなった。うれしくなった。
普段「生命の尊さ」なんて丸で考えない冷血漢の癖に、そんなことを感じた。

今日のクライマックス。ホウレン草刈り取り。リーダーと協力してどんどん刈り取る。
雑草の中にホウレン草が生ってる。ひたすら必死になって根から抜いていく。
工夫も作戦もない。ひたすら真っ白になってた。
ホウレン草の束がどんどん出来てくる。まだ少し残ってたけど時間が来て終了。
畑から見える夕焼け空がキレイだった。

バスが迎えに来たので農家さんにお別れの挨拶。大根やホウレン草をお土産にいただく。
おまけにおばさんが「帰りに食べなさい」と特大のオニギリまで握っていただく。
いえいえ、こんなに沢山のお土産をいただいちゃバチが当たります。
おじさんはまた「ありがとう。貴方達のおかげで助かりました。」と深々とお辞儀。

お2人ともホントに喜んでくれた。オレでも少しは役に立てたのかな?
もしも、もしも少しでも皆さんが前に進む役に立てたのなら
地震野郎・津波野郎にパンチを喰らわせることが出来たってこと。そうならウ・レ・シ・イ♪
帰り道、また空を見た。夕焼けがキレイだった。目に焼きつけた。ウン忘れない。


バスに乗ってスーパー温泉に入る。カラダ中が痛い。筋肉痛。
でも、この痛みも「リアル」だ。痛い思いもしないで他人様の役に立てるか。
自分も痛い思いして手を汚して、ようやく「支援」と云えるんだ。
痛みが自分のカラダに刻み付けられたこと。。ミョーに嬉しかった。

その後はメンバーと呑み会。前回は一人で寂しく食事だったので今回は話したかった。
皆さん、色んな思いをかかえてこのツアーに参加してる。
NPOのリーダはみな20代前半、他の仕事をしながらボランティアをしてる。
下手するとオレの息子・娘の世代。でもえらそうにアドバイスすることなんてない。
みんな、それぞれ素晴らしい。オレなんかより余程おとなだ。

沖縄から来た若者と色々話す。沖縄の基地問題。実際は新聞報道とかなり違う。
そうTV、ニュースはある一面を要約して伝えるだけ。真実はそこにはない。
真実はそこで生きる人それぞれに或る。簡単に「要約・情報化」なんて出来ない。
その若者が「戦時中の散骨が色んな処にあって、それを集めるボランティアもある」
と云う話を聞いた。それを聞いて思った。いつか・・・いつか行ってみようか。

勿論、先ずは仙台ボランティアを継続すること。そんなにアレコレ出来ないし。
このボランティアも先は長い。ずっと続けなくちゃイケナイ。
でも、いつの日か・・終わったら・・・その後は・・・。

その後は王将で二次会。あれだけ呑んで喰って中華料理食べれるの?皆さん若い!
ある若い女性に
「今回還暦のおばさんが参加したけど、ながわさんは60でボランティアに参加します?」
と聞かれた。迷わず「参加する」と答えた。当然です。オレのケンカは一生続きます。

酔っ払い状態で帰りのバスに乗る。咳が止まらない。狭い空間に居て苦しくなる。
でも何とか無事に東京着。原宿では夜遊び帰りの若者が沢山。
仙台で見た光景とのギャップに唖然。でも・・・これが「東京」なんだよ、な。
遊んでる奴もいれば被災地のため頑張る若者もいる。バラバラでイイ。

帰宅。
嫁に「オレが居なくてヨモギは寂しがらなかった?」と聞くと「いたってフツー」
との回答(T〇T)
でも、ちょっと甘えてくれて嬉しかった(゚゜)\バキ☆


ボランティアツアー、主催NPOはやり方や場所を変えるかも知れないとの事。
12月にまだツアーあるけどボクは今回で今年分は終了。
次回は年明けで考えます。先ず仕事をチャンとやって体調を整えなくちゃ。

今回のツアー、本当に実り多かった。行ってよかった。だから当然また行く。
次回ラウンドは地震野郎・津波野郎からダウンを奪えるようにがんばらなくっちゃ☆


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