アウトドアライフの記録

四季それぞれに あちこちの山に登ったり、桜や紅葉の写真、および南の島の記録を写真とともに整理して、ブログにまとめました。

古代出雲王朝ゆかりの地を訪ねて 大神山神社

2013-06-26 16:19:32 | 歴史遺産を訪ね歩く
大己貴命(おほなむちのみこと)大国主を祀る大神山神社
新緑の大山に登った後、大神山神社にお参りした。

大山は、その昔大神山(おおかみやま)と呼ばれ、古代出雲王朝時代には

その信仰対象の「クナト大神」の住まわる山ー神名火山(出雲国風土記では

こういう表記だが一般的には神奈 備山)として、崇められて来た。

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紀元前2世紀末に秦国から不老不死の薬を求めてやってきた徐福(記紀では

スサノオと書かれた)一味に 誘い出されて 出雲の猪目洞窟に幽閉され

殺された古代出雲王朝第八代主王(大名持オオナモチ)八千矛はその祟りを

恐れられて 出雲や大和山城地方のあちこちで祀られた。

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八千矛は記紀では「大国主の命」と書かれたが、古代出雲王朝の主王は

役職名として 「大名持おおなもち」であるが、転記間違いなどで「大己貴命」

とか、「大穴持」とか書かれた。

一方同時期に米子市の粟島洞窟に幽閉されて殺された副王(役職名は少彦

もしくは少名彦)の八重波津身は記紀では言代主と書かれた。

大国主が俗に言う「大黒さん」で 言代主が 「恵比寿さん」である。

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以上は 斎木雲州著 「出雲と大和のあけぼの」、「出雲と大和のあけぼの」、
    「出雲と蘇我王国」、「お伽話とそのモデル」いずれも大元出版 による。

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徐福の子孫の 物部家が九州から大和に入り 先に政権を打ち立てていた

同じく徐福の出雲の子孫 海部家を打ち倒して 大和政権を打ち立てた頃

から 大国主が大和のあちこちで祀られたのではないだろうか。

大山に居ます神が クナト大神から大国主に変ったのもこの頃では

ないだろうか。

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神社参道入り口の鳥居、ここで参道が右の大山寺参道と分岐する。

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参道に敷き詰められた石。

この道は「日本一長い自然石の道」と説明書きがある。

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参道の途中にも何箇所か(二箇所と記憶する)鳥居がある。

新緑の匂いにむせながら ゆっくりと参道を歩く。

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神門に到着。この手前に手水がある。

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石段を登っていくと、神社本殿がある。

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この神社はお参りの人が絶えない。

真冬でも必ず何人かお参りの人に出会う。

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神社の由来書。

古代伊豆も王朝の大王を御祭りしているので、御神徳は全てに渡る。

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同じく大国主を主祭神としている 「出雲大社」より当然こちらの方が古い。

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1 コメント

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島根を弄ぶな (安来)
2013-08-12 01:50:50
 まあ色々歴史を切り取る断面があるが、基本的に今の政治を動かしている原理は2つあって明治維新原理と第二次世界大戦終戦原理である。維新原理と終戦原理にどう折り合いを付け、発展原理にしなきゃならないのかを必死にもがきながら模索しているのが今の、「この国のかたち」である。であるがゆえ天皇を元首ととするにほんにおいて斎木氏の告白は意味を見いだせない。だからといって出雲に国家に関わる深い伝統が今も健在であることは天皇が国家元首なので自動的にそうなる。それだけのことだ。
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