ゴールデンウイーク中の行事を調べていたら、面白いものを見つけた。
滋賀県南部の山の中に日野町という小さな町がある。忍者で有名な
甲賀の里の近くだ。この街の神社の春祭りは、古い曳山を引き回す事で
有名だが、なんとこの神社の祭神は、あの古代出雲王朝の第八代主王の
「大国主」と副王「言代主」つまり大黒さんと恵比寿さんを殺した秦国からの
渡来人、徐福(記紀ではスサノオ)の忠実な部下「穂日(ほひ)」親子なのだ。
もともと近江は、気候温暖で土地も肥沃、農業の土地だ。しかも「秦の庄」
という地名もあるように、秦国からの渡来人が開発した土地なのだ。
穂日が大黒さんと恵比寿さんを殺した功績で 穂日の子孫「果安」は
徐福の子孫である大和王朝に 「出雲国造」にしてもらったのである。
その子孫が今の出雲大社宮司家なのだ。
徐福が連れてきた海童たちや穂日の子孫は、丹波の国へ移住して
順次山城の国(京都)、ここ近江へと住み着いて、穂日とその息子
武夷鳥(タケヒナドリ)を祀ったのだろう。
出雲人の私としては、急に興味を覚えて、連休中の大渋滞を覚悟して
近江へ出かけた。 滋賀県蒲生郡日野町。
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街のメインストリートには 古い家並みがかなり残されている。この町特有の
桟敷窓と呼ばれる 祭り行列の見物桟敷はきれいに飾り付けられている。
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店先も江戸時代の雰囲気を出して、きれいに飾ってある。
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通りに面した旧家の窓は開け放たれて、外から見学できるようになっていた。
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立派な藤の盆栽は満開だ。
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旧家の座敷には、鎧兜が飾ってあり、通りを歩きながら見学できる。
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皆さん祭りの準備に忙しそうだ。
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行列を待ちわびている人もいた。
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「馬見岡綿向神社(うまみおかわたむきじんじゃ)」表参道だ。
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境内には16基の曳山が勢ぞろいして、見物客で溢れていた。
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神社の拝殿と本殿。祭神が 渡来系なので当然大社造ではない。
九州物部系の横削千木も付いていないのが不思議だ。
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神社由緒書き。
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境内には曳山がそれぞれ飾り付けを終わり、神事が始まるのを
待っている。
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いよいよ神官のお出ましだ。
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祝詞奏上。
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神官側が祭司役員に御挨拶といったところだろうか。
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お稚児さんが神社に入ると、祭が始まる。
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神社に奉納されていた 神馬が「お旅所」まで行進する。
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やがて神社から神輿が町内を練り歩く。
竹の棒を持った何人かが 前を歩き邪魔な見物人を大声で退かす。
私も写真を撮っていたら 「どけどけ!」と竹で叩かれた。
さすが 支那人、海童の子孫たちは乱暴である。
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御神輿の担ぎ手は、時々街角でへたり込んで休憩だ。
外人も混じっている。いかにも田舎町ののんびり祭りだ。
見物客を竹で叩く元気で、最後まで担がんかいな!
見ていても、みっともない姿だ。
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その2へ続く
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滋賀県南部の山の中に日野町という小さな町がある。忍者で有名な
甲賀の里の近くだ。この街の神社の春祭りは、古い曳山を引き回す事で
有名だが、なんとこの神社の祭神は、あの古代出雲王朝の第八代主王の
「大国主」と副王「言代主」つまり大黒さんと恵比寿さんを殺した秦国からの
渡来人、徐福(記紀ではスサノオ)の忠実な部下「穂日(ほひ)」親子なのだ。
もともと近江は、気候温暖で土地も肥沃、農業の土地だ。しかも「秦の庄」
という地名もあるように、秦国からの渡来人が開発した土地なのだ。
穂日が大黒さんと恵比寿さんを殺した功績で 穂日の子孫「果安」は
徐福の子孫である大和王朝に 「出雲国造」にしてもらったのである。
その子孫が今の出雲大社宮司家なのだ。
徐福が連れてきた海童たちや穂日の子孫は、丹波の国へ移住して
順次山城の国(京都)、ここ近江へと住み着いて、穂日とその息子
武夷鳥(タケヒナドリ)を祀ったのだろう。
出雲人の私としては、急に興味を覚えて、連休中の大渋滞を覚悟して
近江へ出かけた。 滋賀県蒲生郡日野町。
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街のメインストリートには 古い家並みがかなり残されている。この町特有の
桟敷窓と呼ばれる 祭り行列の見物桟敷はきれいに飾り付けられている。
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店先も江戸時代の雰囲気を出して、きれいに飾ってある。
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通りに面した旧家の窓は開け放たれて、外から見学できるようになっていた。
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立派な藤の盆栽は満開だ。
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旧家の座敷には、鎧兜が飾ってあり、通りを歩きながら見学できる。
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皆さん祭りの準備に忙しそうだ。
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行列を待ちわびている人もいた。
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「馬見岡綿向神社(うまみおかわたむきじんじゃ)」表参道だ。
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境内には16基の曳山が勢ぞろいして、見物客で溢れていた。
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神社の拝殿と本殿。祭神が 渡来系なので当然大社造ではない。
九州物部系の横削千木も付いていないのが不思議だ。
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神社由緒書き。
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境内には曳山がそれぞれ飾り付けを終わり、神事が始まるのを
待っている。
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いよいよ神官のお出ましだ。
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祝詞奏上。
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神官側が祭司役員に御挨拶といったところだろうか。
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お稚児さんが神社に入ると、祭が始まる。
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神社に奉納されていた 神馬が「お旅所」まで行進する。
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やがて神社から神輿が町内を練り歩く。
竹の棒を持った何人かが 前を歩き邪魔な見物人を大声で退かす。
私も写真を撮っていたら 「どけどけ!」と竹で叩かれた。
さすが 支那人、海童の子孫たちは乱暴である。
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御神輿の担ぎ手は、時々街角でへたり込んで休憩だ。
外人も混じっている。いかにも田舎町ののんびり祭りだ。
見物客を竹で叩く元気で、最後まで担がんかいな!
見ていても、みっともない姿だ。
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その2へ続く
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