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葛城地方の中部 名柄付近には東出雲王家向家の人々が移住してきた。
徐福たちに殺された 第八代副王 八重波津身(言代主)の息子
奇日方(くしひかた)を中心とする 東出雲王家の向家の王族達だ。
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鴨都波神社の参道。近鉄御所駅に近い。

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鴨都波神社境内。入れ替わりでお祈りする人が絶えない。

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鴨都波神社拝殿。この奥に本殿がある。

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神社の説明書き。

八重言代主とあるのは、八重波津身(やえはつみ)のことで所謂言代主
(ことしろぬし)つまり恵比寿さんだ。息子の奇日方(くしひかた)がこの地に
移住してきて父親を祀った。
もうひとり下照姫とあるのは、言代主が副王の時の主王(オオナモチと呼ばれた)
八千矛(俗に言う大国主で大黒さんとも呼ばれる)の娘さんだ。
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境内にはこのほか「猿田彦」も祀られていた。
猿田彦は古代出雲で信仰が厚かった神で 元はインドの
ガネーシャと言われる。サルタとは南インドのドラビダ語で
「鼻が長い」という意味だとか。

この地の西に「猿女」という地名があるが、代々の女性が「猿田彦」を
祀る家系が猿女家といわれ、それが地名になったという。
※ちなみに 猿女には「葛城経塚二十八宿第二十三番猿女経塚」がある。
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葛城中部 その2.一言主神社
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この神社も言代主の家族が建てたといわれる。
長い参道の奥に石段があり、神社はその上だ。

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本殿とその額


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神社の説明文。もちろん祭神は一言主つまり言代主。
第八代の古代出雲王朝少彦(副王)は八重波津身だが
記紀製作時に「言代主コトシロヌシ」と名前が変えられたという。
その後一言主(いちごんさん)とも呼ばれるようになったが、
俗に言う恵比寿さんだ。恵比寿さんの住んでいた屋敷が
島根県松江市の美保神社になっていて、全国のえびす神社の
総本社だ。

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境内にある 有名なお乳が出るという「乳銀杏」は現在治療中だ。
寄る年波で、老化が進み、かなり重症らしい。

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葛城地方その3 葛木山山頂 葛木神社
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現在の金剛山や大和葛城山と呼ばれる山塊は昔は「葛木の嶺」と
呼ばれていた。ちなみに 金剛山という山は無く、大日岳、葛木岳、涌出岳
を総称して金剛山と呼ばれている。葛木神社はその山頂にある。
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葛木神社の参道 (2013年2月19日撮影)

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参道を登ると神社がある。

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神社の拝殿

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その奥に本殿がある。
そのつくりはもちろん出雲大社と同じ妻入りの「大社造」だ。

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拝殿から本殿を望む。

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神社の説明文。祭神はもちろん「一言主」で「一言恵比寿」とも呼ばれている。

この神社も コトシロヌシ(言代主ー恵比寿さん)の息子
クシヒカタ(奇日方)を中心とする 東出雲王朝 向家の人々が建てたのだろう。
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