怒りのブログ

憤りを言葉にせずになんとしようか。

<対話>のない社会と批判的思考力養成

2006-09-21 07:13:20 | 教育書
<対話>のない社会(PHP新書)中島義道著670円(1997.11.04)

なんかブログを再開してからというもの、書評ブログまがいになっている。
でも、それだけブログをやっていなかった中で書き留めたい本を読みためていたとも言える。
まあいいや。そんなこと。思い悩むことでもない。ただそれだけ。

実は「対話」というのが1年ほど前から個人的なキーワードになっていた。
そこで、「対話」ってなんだろう?と考え、辞書を引いたり、人に議論を吹っかけたりしていたのだが、同時に書籍にも当たっていたということ。
その中では、少々書かれた時期が古いのだが、とても分かりやすく、日本社会を批判しながら述べられている点も面白かったこの本を記憶しておきたくなった。

以前に、同著の「ぐれる」という本についてもmixiの日記(mixi外は当然非公開)で書き留めたのだが、これはそういった中島らしいポップな面は少なめで、彼の生真面目さが目立ち、そういった意味でも好感をもったし、より一般うけしやすいとも思った(ポップ度低いのに)。

ここに書かれる「他者」のあり方の記述は、目的を見据えた上で話し合えるという「対話」の関係を生む前提が述べられており、「対話」を様々なシチュエーションで構想するときに「ここははずせない」という部分の示唆に富んでいた。
特に末筆に近い部分で「個人主義」へのコメントがある。「和風個人主義」という言葉を掲げて、日本が如何に「対話」が抹殺される社会であるか、無視される社会であるかについて批判を加えている点は見逃せない。
PISAの結果で、われわれは子ども達に批判的な読みの方法を教えてこなかったということが指摘されているが、中島的な視点で言えば、それは社会的な養成であり、今後どのような方策がとられようと暗黙のそれは消え様が無く続いて行くのだ。つまり、そんな子どもを育む事は無理だとは言えないが相当難しいのだ。

これがこの本の読まれる価値だと思う。
日本の社会論的な見方を望む人、私のように「対話」をなんらかの設定として望む人、中島ファンには恰好の書といえるだろう。

教育書として考えた時、協同的(共同的?)な授業作りを「新しい社会性」を念頭において発展的に構築しようとするときに、一つ、議論になってよい書だと考える。そういった意味で日頃の授業を考え直す人には役に立つので、既成の授業の枠組みを切り替えたい人の刺激になるはずだと確信している。
現状では、国語、社会、理科、道徳、総合的な学習の時間、特別活動などが対象かな?
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