怒りのブログ

憤りを言葉にせずになんとしようか。

性教育

2005-03-05 21:54:36 | 教育
その論調にいつも一つ納得させられるブログ「できるだけごまかさないでに考えてみる」からの情報(ニュースソース)をを私なりに咀嚼してみた。
http://news.goo.ne.jp/news/asahi/shakai/20050305/K2005030403750.html?C=S
>2005年03月05日(土)=首相、性教育教材「問題だ」参院委答弁で批判
>小学校の性教育の授業で使われた教材の是非が、4日の参院予算委員会で取り上げられた。
>自民党の山谷えり子氏が性行為を図解で示した教材などを例に認識をただした。
>小泉首相は「初めて見たが、ちょっとひどい。問題だ。
>こんな教育は私は子どものころ受けたことはない」と述べ、行き過ぎだとの認識を示した。
>山谷氏が取り上げたのは小学校低学年・3年生の教材。

現行指導要領下ではカリキュラムとして低学年時に生活科等で自分の出生や育ちを振り返る単元を設定することができる。保健(体育)によらない性的な学習に触れる可能性がある機会である。
しかし、具体的には、いくらかの女の子が初経をむかえるあたり、すなわち4年生で自分の成長を見つめ、身体を大切にし、その後の発育をよりよく知り、考える中で性徴についてと思春期を迎える心構えと性差について男女協調的にすごすための指導にふれるのである。
つまり、ここで具体的に議員がどのようにコメントしたかは知らないが、記事にあるような記述は間違いで、示された教材は4年生の後半であつかう教材であるということだ。
ここは後の中山文科相の発言に関わる問題なので、はっきりしてきしておきたい。

>首相は「性教育は我々の年代では教えてもらったことはないが、知らないうちに自然に一通りのことは覚える。
>ここまで教える必要があるのか。教育のあり方を考えてほしい」と批判した。

この首相の発言はまさに間違った性教育を言っている。
現在ある性についての情報は善し悪しを問える量、質ではなく、テレビ、ラジオ、雑誌はいうに及ばず、あらゆるメディアに氾濫しているといってよい。
その渦中にある成長期の子ども達に対して、学校が性についての教育(メディア対策を含めた)を行なわなずにだれが行なえるのだろうか。
知らないうちに一通りのことを覚えるとは、逆に悪しき情報や地域差は問題が無いという発言だ。
そんな内に性病がまん延したり、外国で性売春買春の恥をさらしたり、ひいては性犯罪を生むのではないだろうか。
(小泉さんはきちんと性の教育を受けていないから、そんな知識しかないのである。これぞ存在による証明。)

>中山文科相も「子どもたちの発達段階に応じてきちんと教えるべきだ。
>行き過ぎた性教育は子どものためにも社会のためにもならない」と答弁。全国調査を検討する考えを示した。

私は東京都所属であるから、少なくとも都の研究員が数年前に発表しているモデル授業を単純に授業で適用してくれるだけで、小学校中学年の性教育はあるていど目標は達せられると思っている。
そういった意味で、規準的にはそんなものを使い、精確に実施しているかを調査してほしい。
また、以前問題化した養護学校等での性教育は、社会に出た時、性の社会問題から児童・生徒を擁護する立場で見てほしいと思う。
この件の山谷えり子氏指摘の教材を指して、「行き過ぎた性教育」といっているとすると、非常に歪んだ見方を懸念せざるを得ない。少なくとも発達段階は考慮してカリキュラムは組まれている。3年生の初期段階で教えている教師がいたら、少なくとも管理職は処分を免れ得無いが、そんな者は(常識的には)まれではないだろうか。

「性教育の用語」についてだが、私の実践例を述べて、このブログを読む人に問いかけたい。
私は医学用語とことわって「ペニス」「ワギナ」などの用語を使うが、説明の都合上で用いている。
特に、「ペニス」は簡単に「チンチン」なる使いやすい俗語があるのでいいが、女性器は困る。
「おまんこ」等の俗語はあるが、耳慣れなれしておらず、使いにくい。
さらに、その俗語こそ性が抑圧されている姿の一例であるのだから、その点についても一言説明を加えて、医学用語を使う。
四年生程度では、特に男子の性差意識は程度が低く、きっちり大切である事や、成長を考える流れの中でないと指導は難しいと考えている。そんな意味でも私は正確に伝えるべきは伝え、後につまらない・あるいはいやらしい疑問の残らないようにしている。
これは私が高校時代に、その道(性教育)で名をなしているある先生の性教育を受けている影響は否定できないが、現在ある小学校教育中の性教育カリキュラムは、その流れに違わない。
それゆえ、自信をもって授業しているし、一度は授業参観でもやってみせている。(保護者への啓蒙も非常に大切だと思っている)

>また、男女共同参画担当相の細田官房長官は「社会的・文化的性差の解消」を意味するジェンダーフリーという言葉について「政府は使っていないし、社会的に定義を示すことはできない。
>できるだけ使わないことが望ましい」と述べた。

性差解消の問題に関しては名簿の問題しかり、児童全員に「さん」づけしかり、人権の問題等等に関連して話し合われていくだろう。
個人的には、それこそ社会一般で通じているものを採用すべきで、あとの理屈付けは他の人に任せたいと思っている。
(とくに全員「さん」づけは、町中で、風体が男の子(幼児)に見える人に名前を聞く時に「君は(あるいは僕は)何君っていうの?」という名前の聞き方が人権侵害だ!とか、性差を解消していない!と回りから突っ込まれる社会になったら考えたいと思う。)
教師こそ、社会の中で率先して実践していく立場だろという、責任転嫁や摺り替え理論はたくさんである。教師は単なる風見鶏ロボットではない。

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6 コメント

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性教育って性だけの問題じゃないですよね… (安心しました)
2005-03-07 02:32:49
たびたび失礼します。



政治家の性感覚はかなり、一般的なものとは異なるケースが多いので、性に関しては

政治家は口出しをするべきではないと思いますが、それは置いといて…。



「行き過ぎた性教育は子どものためにも社会のためにもならない」…

何故だろう、と私は思います。

(何を以って行き過ぎ、というのかも分りません。)



私は個人的には、性教育は早いに越したことはないと思います。特に、

小学校の3~4年生くらいの大人も「おちんちん」という言葉を使うことが、

はばかられないくらいで、女の子の中で初潮が始まる前くらいの時期に教えるのが、

適当だと思います。



理由は、もっと大きくなってから教えるより、「教える側も恥ずかしくないから」です。

子どもが大きくなってからと小さいうちに教えるの、どっちが恥ずかしいでしょうか?

(仕事だからとはいえ、先生も話しにくいのではないか?と思うのですが…)



大きくなってからでは、もう大人が話をする機会や話しやすさが

急激になくなってしまうのです。



そもそも、性教育をする理由って何でしょう?



私は、性病にかからないようにすることと、

無節操に誰とでも(特に、お金が稼げるから、という理由で、また若い段階で)、

セックスすることは良くないんだよ、と教えるためだと思っているのですが、



(たまにテレビでも「なんとなく、気があったから」という理由で初めて会った人と

その夜にしちゃう話も聞きますがそれはやっぱり、高校卒業するまではやめてよ、

と私は思ってしまいます)



そうならば、なおさら具体的なほうがいいのかなぁ、という気がします。



自分は小学校5~6年のころ、男子と女子、別々に性教育の授業がありました。

保健の先生(女の先生でした)に「おちんちんが大きくなって…」とか言われた時は、

結局よくは分りませんでした。でも、分らなくても、そういうことは

話していくべきだと思います。



性教育に関しては、男女別々に教えたほうがいいと思います。

いま、小学校の性教育が男女一緒なのか別々なのか分らないので、

なんともいえませんが…。



男女別々なら、女の子の性器も「まんこ」ってそのまま言えばいいと思うし、

その言葉の意味もわからなければ、そこから教えていけばいいと思う。

男は分らない分、詳しく教えなければよくわかってもらえない側面がある一方、

女の子にとっては(分っている部分をことさら詳しく、

しかも男の子がいる中で話をされるのは)嫌な面もあるはずで、

その辺のことも考えると別のほうがいいような気がします。

(すみません、今

男の子と女の子が一緒に性教育を学んでいることを想定しています。)



最後に余談ですし、危険とも思われても仕方がないので、その際は削除して

頂いて結構ですが…。

私もそんなにたくさん見たわけではありませんが、一つ、

うーん、と考えさせるアダルトビデオがありました。



それは、「処女の女の子」とプロのアダルトの男優がセックスしそうな

内容でした。

その女の子の年も18を越えていたし、一概に「駄目」とはいえない物でした。



私がそのビデオを見て、「うーん」と悩んでしまったのは、

男優が無理やりセックスを強要するのではなく、

女の子本人が「自分の心の中で踏ん切りをつけるまで」男優が待つ姿勢を

見せていたからでした。

特にその女の子が、怖がりで、男優がペニスを挿入しようと局部に触れるだけで

女の子は怖がってしまったとき、男優は、また、待ちの姿勢を見せる場面が

あったときは

「これはどうみても性教育向けだろう」と思ってしまった程です。

女の子の全てがみなそれほど怖がりでないことは、分っていますが、

男の側には、

「そういう風に嫌がるものには無理やりやったりしてはいけないんだ」という

意識を持たせる教え方、思わせ方があったほうがいいのでは?と思います。



特に若いうちは、体が欲しいのはほとんどの男にとっては自然なことで、

問題はそれを無理やりとか、あまりにも早い段階でやってしまう、

ということだと思っているので…。



長々と失礼しました。

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コメントありがとうございます (yo)
2005-03-07 21:31:05
性教育の時期ですが、小学校から発達段階や実態を考え、系統的に行なっていく必要があります。

4年生で性徴教育を設定しているのは、やはり、初潮や精通の時期を考えてのことだと思います。

しかし、指導が恥ずかしいというのは理由になりません。

(これを盾に、4年の担任が5年担任に「やってませんでした」と言われた日には、やる時間がないし、系統が保てないのです。)

中学生でも、高校生でも必要な性教育や性の情報伝達は必要なのですから、恥ずかしいは指導者は原則言ってはいけないのです。

また、恥ずかしいということが、何かの歯止めになることこそ性の抑圧につながることではないでしょうか。

なんでもかんでも小さい時に伝えてはいけない理由があるように、伝えるべき時期に伝えるべきことは伝えるというスタンスが必要です。

性病や性的背景のある社会問題にまきこまれてからでは遅いし、性の悩みを正しく解消してあげる事は、心の発達には必要です。

玉石混淆の氾濫した情報の海を渡っていく術を提供することは大切でしょうし、

また、男女互いを思いやり、人間らしい成長をしていくきっかけとしてもとても大事なはずではないでしょうか。

アダルトビデオの件ですが、

私は見た事が無い作品なので、それを前提にコメントします。

性行為体験の早い遅いはちょっとその他の要因(法律とか、世代感覚や個人感覚の問題など)を考えなければいけないので、触れませんが、

いわゆる生殖の意味での性行為でなく、コミュニケーションとしての男女間の問題として性を考えていくことが基本だと思います。

そういった意味で、先のビデオの件は、AVである(人に行為を見せるというもの)問題はあるが、安心しましたさんの所感は私の主張していることと大きく違わないのではないかと思っています。

セックスは人の人生を豊かにするものであるし、本来楽しいものでなければならないとさえ思います。

単純に生殖行為であるセックスを常時発情できる可能性を持ち、快感を得られる動物は人以外にはそれほど多くはないのだそうです。

そんなことを考えても、人のセックスはいらぬ価値観などから束縛をうけてはいけないとも思います。

レスビアンやホモセクシュアルな人にも、そんな意見を聞くことができたことがあります。

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性教育って継続するものなんですよね… (安心しました)
2005-03-08 01:04:22
たびたびです。



(仕事だからとはいえ、先生も話しにくいのではないか?と思うのですが…)はこちらの認識不足ですね。すみませんでした。



これはyoさんに対するものではなく、もし、ここを中学校の先生が読んでいるなら、コメント欲しいところですが、中学校ってきっと性教育ってほとんどしてないのではないでしょうか?。

こう書くと「保健体育」の授業でやっている、という言葉があるかもしれないが、今の中学生にそれが、何の抑止にもなっていないことは明らかだと思うのです。

そうならば、テレビで時々、不特定多数の異性とセックスをしたために、性病にかかった子のモザイクがかりのインタビューなどを放送していることがあるので、それをそのまま学校で見せたほうがずっと、中学生の心の抑止力になるのではないでしょうか(甘い?)

(自分で中学校の先生が書いているブログ探せばいいのか…)

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中学って (yo)
2005-03-09 22:02:12
中学校の人とつきあうことって少しはあります。

でも、前近代的なカンジが一方的にしています。

偏見なのかもしれないけれど、

部活部活生活指導ってカンジをよく聞くからかもしれません、

私からはちょっとかわいそうな校種に見えます。

また、そんな中で割り切りを求められているところがスクエアなイメージです。

いい人が私の友人に多い中、

やっぱりそこいらへん、突っ込めないなぁ。

性教育なんて、保健体育の先生にまかせっきりなんだろうか?

そこいらへんが人間教育がしにくそうなカンジ。(また一方的な)

小学校は学級担任制だから、子どもと相性が合えば一蓮托生。

ホントさまざまな事を受けとめてくれる児童集団になる。

(その逆もまたしかりなのだけれど・・・)

私も私立の中・高校で教えていた経験をもっているけれど、

生き方教育みたいなものをしにくい側面はもっているような気がする。

中学校の先生にも、このブログをアピールして、

いつかコメントをもらいたいものだなぁ。



安心しましたさん。気づかせてくれて、ありがとうございます。



あ、そうそう、以前に書きましたが、

私は高校時代に性教育について、目から鱗の授業を受けた体験を持っています。

小学校より、中・高校の性教育にこそ伝えるべき多くのものがあると思います。

そして、キーワードは「中絶」「避妊」などの「脅し性教育」ではなく、

「男女関係」「人生」「自己愛」「他者理解」などの自分を豊かにしてくれる、肯定的なものでなくてはならないと思います。
返信する
再びリプライです (安心しました)
2005-03-10 01:18:32
こんばんわ



やっぱり中学、高校になると性教育はパンドラの箱みたいですね。



小学校より、中・高校の性教育にこそ伝えるべき多くのものがある…

これは…、どうなんだろう…。

そうですね…。でも、学校の指導方針もあるし、中学高校での性教育は

難しそうな気がします。

(型どおりの事を教えたら、後は知りませんというのは、それこそ自己責任?)

そのくらいになると、もう実践しちゃっている子もいるから、

逆に性差ではなくて体験差で指導内容を分けた方がいいと思うけど、

現実的ではないしね…。



キーワードは「中絶」「避妊」などの「脅し性教育」ではなく…

悪いイメージの教育は良くないですか…。ちょっと反省させられました。

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なんとなく (yo)
2005-03-11 00:11:21
考え、記述していくうちにまとまる考えもでてきました。

わたしは今目の前にある現場のカリキュラムづくりを中心に考えていましたが、中学高校の系統性を考えると、難しい問題だなぁと思います。



性教育って、道徳チックな部分や進路指導チック(進路指導って、素人的には進学指導と間違えられやすいなぁ)なものを多分にふくんでいるので、答えをこちらから全て提供することは無理があります。

中学、高校になればなおさらです。

ただ、心理カウンセラーではないのだけれど、大人として、人生の先輩として、話を聞くスタンスは忘れたくないものだと思います。

結婚、出産のときに、誰かに相談することって、一般てきではないですか。

そんなときに似ているかな。

私は物事を理解するとき、イメージ力って大切だと思います。

性教育って、これはおおいに必要なものだと思います。

4年生に性教育を教室でしたって、何人かにはとんちんかんなイメージをもたれてしまうんです。

だから、私は親とともに授業をするスタンスをくずしたくないのです。

性って成長や生き方とは切り離せないのだから、先を歩む大人たちがよく見守ってあげることは大切かなって思うのです。

私は教科書は資料でしかないと思います。

また、中・高校であやふやな分、高圧的に小学生の性教育はいびつになってきたように思います。

私は性病者や症状が悪化した性器のスライドを見せられる「脅し性教育」を中学で受けてきました。

性の話って、そんなところからしか始まらないとしたら、むなしいし、偏っている。

コンドームの使い方だけしっていればいいのではない。

よりよい男女関係をつかみ、悩み、楽しみながら性と人はつきあっていくものだと伝えたい。

下半身の性教育だけにおちいることは避けたいと思います。

心を含めた全身の性教育を楽しくおこないたい。

(答えを伝えるのでなく、いづれ、いっしょに考えていけるような人間関係を創造していけたら理想かな)
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