怒りのブログ

憤りを言葉にせずになんとしようか。

八重山教科書問題一考

2011-09-29 04:59:08 | 教育
育鵬社版の教科書を認めないという立場から・・・になってしまうのかな。

議論の焦点の一つは「23日の採択会議」なのか、「8日の全員協議会」なのか、という話題があると思う。

しかし、そもそもの、なぜ育鵬社版なのか?
この点に関しての積極的な話題は、育鵬社版を臨む教育委員(実際には長か?)からは聞こえてこない。
せいぜい、「文科省の検定を通ったので問題はない」という消極的な理由で、あえて選ぶ理由を主張してはいない。

その上で、上記の会議において、何が話し合われたのかが問題になるのだと思う。

ただ、23日に関しては、協議ではなく、せいぜい意見表明程度だと聞くし、採択事務的なカンジはいなめない。
8日の全員協議会を通して浮かぶ内容に関わる議論こそ、採択に関わる真の議論ではないだろうかと、フツーには思う。

県教委が協議会の場を再設定した法的な根拠がないというが、そういうことはあっても協議会は成立してしまっている。
やはり内容を考えずに「根拠」といわれても、それはそれでどうよ?という話になりはしまいか。
事実、内容が深まった協議では、育鵬社版不採択になったわけで、育鵬社版の息のかかった教育長などが内容の精査の議論をせずにいたくせにわめくのもどうかと思う。
手続きに問題があったのはどちらなのか?
ある局面で切り取って考えるのは必要かもしれないが、23日の段階ではないと思う。
県教委への指導の前に、国はもっと考えなければならない点があると思う。

今回の問題化は、八重山の教委が、育鵬社版を採用しなかったために、3教委での足並みがそろわなかったことが発端だ。
だが、それ自体、つまりは八重山の教委に問題があるわけではない。
経緯としてみても、育鵬社版は今まで採用されてもいないし、逆に否定されてきている経緯さえ見える。
そこに石を投げ込んだのは八重山ではないのだ。
なぜ育鵬社版なのか。
そこに積極性は明らかにない。

この手の教育問題はいつも同じで、問題化しないであろうところに自ら混乱を招きにいく者が出ることから始まる。
不起立の問題さえ、結局は都の10.23通達以前には問題化しようがなかった。
へんに締め付けを厳しくしたのではみ出た者がいるわけで、それをなんの事前協議もなく当人だけの責任になするのは卑怯だと言わざるを得ない。
(無論、法的な手続きに瑕疵があったかという点で、個人の主張保護などが目的で協議ができるわけはないのだが)
今回もそういった卑怯な経過が見え隠れしている。

話がそれた。

実際上、全体での意見交換が公開的になされた8日の協議会の決定は重い。
事実確認から始めようという経過なのだから、そこを抜きに、事務手続き的な部分でのみ動こうとすれば、それなりに批判を浴びて当然だろう。
今、国側の介入がなされつつある。
それはやはり事務的だ。
(これも私の造語の意味する「義務教育」ならぬ「事務(的)教育」の一つと呼びたい。)

幸い県教委は8日の協議会を推している。
協議会を開いた事実を重く受け止めているわけだから、ちゃんと最後まで議論をつくすべきだ。
安易な幕引きをしてはならない。
それは、育鵬社版の思う壷だから。

育鵬社版の採択に関して、周囲を見渡してみれば、いかに不当な採択がなされているかよくわかる。
前の杉並しかり、今回の横浜しかり、区教委、市教委の採択機関をつくる会系の連中の裏糸による政治介入ばかりではないか・・・。
内容の吟味などない。
これは教科書の採択自体の抱える問題点でもある。

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2 コメント

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政治闘争にしないでほしい (冥王星)
2011-10-02 07:42:22
はじめまして
少々見解を述べさせてもらいますと、9月8日の13人協議は、教科書無償措置法6条上の県教育委員会の指導権限として適法と言えるでしょう。(「事務」と法規定される範囲の解釈問題はあろうと思います。)
私が問題とするのは、より好ましい教科書という細論が為されずに、政治思想・歴史観の適否で政治闘争することに尽きます。
とりあえず、採択経緯・協議会審議経緯の情報開示などの一層なディスクローズが必要だと思います。
駄文失礼しました
コメントどうも (yo(管理人))
2011-10-09 03:08:06
情報公開は大切だと私も思います。

私は、周辺的な話として、あるいは経緯をおった話として、既に政治闘争化している点を、採択議論前の初志に引き戻すためには、やはり国側も、現行の法的な手続きを、そういった経過部分を抜きにして事務的/機会的に首肯するのではなくて、きちんと好ましからざる部分(おそらくは非民主的な部分)を問題化するべき方策を考えるべきだと思うのです。
そこには県教委だけでなく、後半な共感、恊働があると思うのです。
私は、まずは国に対して「もっと汗を!」と願っています。

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