怒りのブログ

憤りを言葉にせずになんとしようか。

2008-05-25 22:05:23 | 音楽
邦楽CDのRoadmade:コブクロをレンタルした。

「轍(わだち)」という曲が入っているからだ。

YELLという曲が有名なのだそうだけれど、私はそっち系は唐変木で知らない。
でも、私のもっている歌集には載っているので、それもついてに覚えて、私のギターの伴奏でいつか子ども達に唄ってもらうかもしれない。

この曲は同僚がカラオケで唄っているのを聴いて、印象的だったからだ。
軽いフックをいれた乾いたギターストロークで始まるこの曲は、段階的にメロディを変化させつつ盛り上げていくという意味で凝った曲。
作曲者の狙いがいい意味でくさくていい。
PVはストリートの聴衆の前でやっているのだけれど、素直にイメージを伝えていたのを覚えている。

同僚は酔っぱらっていたけれど、私がこのギターを覚えるから、ぜひ一緒に唄って欲しいとお願いしている。
楽譜のありかもわかったので、ちゃんと音源を聴いてから取り組もうと思った。

私はコピーへの構えは二通りあると思う。
ちゃんと出来うる限りそっくりにやるという美学。
それから、自分なりにベストを尽くし、元曲の自分流の解釈を音楽的な表現として入れるというリスペクトの仕方。

このコブクロというのはシンプルなユニットなので、個人的には後者で行く方がいいと思っている。
これは、完全なコピーでせまるよりも、ハートで迫る方がいいと思う。

この轍という曲の印象的だったのは歌詞で、「轍のない道をいこう」というような部分がある。
開拓していく、ポジティブなメッセージを突き出していくところ。

でも、私にとって「轍」というと、さだまさしの「夢の轍」というアルバムとタイトルになった詩(曲はついていない)。
私がさだまさしを聴かなくなったCDだ。(正確には、その先のGlass ageまでは聴いていた。)

なんというか、ストーリーテラーであるさだまさしの到達点が見えたというか、それ以降、たまに耳にするさだまさしの新曲は、「夢の轍」以上の感動を呼び覚まさない。

そのアルバムのインナーにはさまっている詩が「夢の轍」。

それは厳然と道があり、そこをなんとかして転がっていこうというときに悲愴だが意欲的であろうとする詩。

新たな「轍」のイメージが加わって、私としてはどちらもありなんだということがイメージできて、早く唄えるようになりたいなと、統合されている「轍」を感じている。

最近ランキングが下がっているので、お情けくださいませ。(笑)
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