「競争は悪とする教育がニート助長」 中山文科相語る (朝日新聞) - goo ニュース
>2005年03月05日(土)=「競争は悪とする教育がニート助長」 中山文科相語る
>中山文部科学相は5日、通学や仕事をせず、職業訓練も受けない若者「ニート」やフリーターが増えている問題について
>「競争は悪だとしてきたが、社会に出ると競争社会で子供が落差に戸惑う。こういう今までの教育は、ニートなどの予備軍の『大量生産』に手を貸しているのではないか」
>と述べ、教育現場での競争の重要性を強調した。
なんと非科学的な論調か。
どこに因果関係を求めているのだろうか。
「児童に直接聞く」なんてことも非科学的だが、聞いてみた所で子どもの社会にさえ、大人の影響下にある競争やその結果生まれている格差を意識はされている。
単純に、習塾率(習熟ではない)をみたって、子ども達は競争や序列化を強烈に意識しているだろうことは予測でききるし、今の親世代にしたって、自分の子どもの時期と比べてみても、よほど競争に関してデリケートかつ複雑に意識しているはずだ。(少なくとも私はそう感じる)
もちろん、みんな並んでゴールイン徒競走とか、序列を意識した指導は現行公教育では行なわれていないが、そのことより、よほど社会情勢や経済情勢が人のライフスタイルやライフサイクルに影響していることの方に目をむける方がより現実的な教育的対応を考えられると思う。
つまり、子ども達には現在の社会や将来の社会の中で、どのように(うまく)生き抜いていくべきかを考えさせ、そして、指導者はそのことをふまえ、社会的な人間を育成するべく考えるべきなのであると思う。
教育的指導では就職口は増えないのであるから、その中で自立的・自律的に生き抜いていく力、社会という大海へ漕ぎ出していく力、展望を見いだす力、そしてそれぞれへの応援をし、希望をもたせることが第一なのではないだろうか。
私の時代は「モラトリアム」と呼ばれたが、踏み出す方法や勇気が必要なのである。
唐十朗の言葉なら「自分が何ものか分からなかった」だから「演劇に飛び込んでなんでもやった」は、平均的になんでももっている時代には、絶対的な自分の位置が見いだしにくく、そして唐のようになれない非凡な者は、めくら撃ちで何かの世界へ飛び込むためには、後押しが必要なことを示している。経済的な条件が厳しければさらに足はすくむのだと思う。
高度経済成長期に時代に飲まれて生きた人には分かるまいであるGギャップかもしれない。
ちょっと話が小学校から世代を飛び越してしまった。(またの機会まで、一時停止したい)
>また文科相は、学校現場での国旗掲揚や国歌斉唱について、「国旗・国歌には敬意を払うことを先生方が教えないと、教え子がひどい目に遭うこともある」と指摘。
>「(教職員に)どういう考えがあっても、そういう(国旗・国歌には敬意を払うものであるという)問題があると教えるのは教師として当然だ」と述べた。
国旗・国歌はいずれ記述するべきテーマだが、国の象徴(あるいは偶像)である国旗・国歌を教える機能を有するのは、やはり教育機関になるだろう。私は法律は法律としてある程度肯定をする立場だ。国旗・国歌はあるていど決まった物としてはとらえている。
しかし、そのことと、例えば行事・式で掲揚や斉唱を強要することとは別問題である。国旗・国歌はそうしなくても国旗・国家として認識されているし、現行指導要領の範囲内で、指導カリキュラムをはっきりさせ、実施させればいいだけだと思う。(そこまでやれば、いやでもやるよ。少なくとも俺は。)
例えば、6年生の世界の情勢を知る中で、あるいは4年生の首都と世界のつながりにおいてでも、日本の国旗を教える機会(日本にも国旗があってね、これだよー・・・とか)はもてるわけで、国家も年間指導時数を3時間とかに決め、指導方法も3回はフルコーラスで歌うとか、決めれば良い。(まあ、こんな程度にしてほしい希望も入っているがね)
やれ式には前面だ、自治体旗より多きくだ、花がかぶってはだめだ、いうから滑稽以上にカルト宗教チックになり、いやらしくも見えるのだ。
行事には国旗掲揚だとかいいうのは戦後自由教育を受けて来た世代からいえば古いのでは?ともいいたくなる。
教育的に大きな価値は見えにくいし、学力向上にはつながらないがいかがだろうか。
最後に国旗について教育・指導するって、国際理解や歴史的な見地以外では具体的にどうやるんでしょうか?
旧海軍の旗に似ているねぇ・・・なんて、やらないよなぁ。
まさか、国旗があがれば愛国心とかいうのじゃないでしょうね。(あっ、お子さまランチか?)
いずれ稿を改めることを約束して、ちょっとごまかし気味のC調で終わります。
>2005年03月05日(土)=「競争は悪とする教育がニート助長」 中山文科相語る
>中山文部科学相は5日、通学や仕事をせず、職業訓練も受けない若者「ニート」やフリーターが増えている問題について
>「競争は悪だとしてきたが、社会に出ると競争社会で子供が落差に戸惑う。こういう今までの教育は、ニートなどの予備軍の『大量生産』に手を貸しているのではないか」
>と述べ、教育現場での競争の重要性を強調した。
なんと非科学的な論調か。
どこに因果関係を求めているのだろうか。
「児童に直接聞く」なんてことも非科学的だが、聞いてみた所で子どもの社会にさえ、大人の影響下にある競争やその結果生まれている格差を意識はされている。
単純に、習塾率(習熟ではない)をみたって、子ども達は競争や序列化を強烈に意識しているだろうことは予測でききるし、今の親世代にしたって、自分の子どもの時期と比べてみても、よほど競争に関してデリケートかつ複雑に意識しているはずだ。(少なくとも私はそう感じる)
もちろん、みんな並んでゴールイン徒競走とか、序列を意識した指導は現行公教育では行なわれていないが、そのことより、よほど社会情勢や経済情勢が人のライフスタイルやライフサイクルに影響していることの方に目をむける方がより現実的な教育的対応を考えられると思う。
つまり、子ども達には現在の社会や将来の社会の中で、どのように(うまく)生き抜いていくべきかを考えさせ、そして、指導者はそのことをふまえ、社会的な人間を育成するべく考えるべきなのであると思う。
教育的指導では就職口は増えないのであるから、その中で自立的・自律的に生き抜いていく力、社会という大海へ漕ぎ出していく力、展望を見いだす力、そしてそれぞれへの応援をし、希望をもたせることが第一なのではないだろうか。
私の時代は「モラトリアム」と呼ばれたが、踏み出す方法や勇気が必要なのである。
唐十朗の言葉なら「自分が何ものか分からなかった」だから「演劇に飛び込んでなんでもやった」は、平均的になんでももっている時代には、絶対的な自分の位置が見いだしにくく、そして唐のようになれない非凡な者は、めくら撃ちで何かの世界へ飛び込むためには、後押しが必要なことを示している。経済的な条件が厳しければさらに足はすくむのだと思う。
高度経済成長期に時代に飲まれて生きた人には分かるまいであるGギャップかもしれない。
ちょっと話が小学校から世代を飛び越してしまった。(またの機会まで、一時停止したい)
>また文科相は、学校現場での国旗掲揚や国歌斉唱について、「国旗・国歌には敬意を払うことを先生方が教えないと、教え子がひどい目に遭うこともある」と指摘。
>「(教職員に)どういう考えがあっても、そういう(国旗・国歌には敬意を払うものであるという)問題があると教えるのは教師として当然だ」と述べた。
国旗・国歌はいずれ記述するべきテーマだが、国の象徴(あるいは偶像)である国旗・国歌を教える機能を有するのは、やはり教育機関になるだろう。私は法律は法律としてある程度肯定をする立場だ。国旗・国歌はあるていど決まった物としてはとらえている。
しかし、そのことと、例えば行事・式で掲揚や斉唱を強要することとは別問題である。国旗・国歌はそうしなくても国旗・国家として認識されているし、現行指導要領の範囲内で、指導カリキュラムをはっきりさせ、実施させればいいだけだと思う。(そこまでやれば、いやでもやるよ。少なくとも俺は。)
例えば、6年生の世界の情勢を知る中で、あるいは4年生の首都と世界のつながりにおいてでも、日本の国旗を教える機会(日本にも国旗があってね、これだよー・・・とか)はもてるわけで、国家も年間指導時数を3時間とかに決め、指導方法も3回はフルコーラスで歌うとか、決めれば良い。(まあ、こんな程度にしてほしい希望も入っているがね)
やれ式には前面だ、自治体旗より多きくだ、花がかぶってはだめだ、いうから滑稽以上にカルト宗教チックになり、いやらしくも見えるのだ。
行事には国旗掲揚だとかいいうのは戦後自由教育を受けて来た世代からいえば古いのでは?ともいいたくなる。
教育的に大きな価値は見えにくいし、学力向上にはつながらないがいかがだろうか。
最後に国旗について教育・指導するって、国際理解や歴史的な見地以外では具体的にどうやるんでしょうか?
旧海軍の旗に似ているねぇ・・・なんて、やらないよなぁ。
まさか、国旗があがれば愛国心とかいうのじゃないでしょうね。(あっ、お子さまランチか?)
いずれ稿を改めることを約束して、ちょっとごまかし気味のC調で終わります。
私は本来感情的な人間だと自覚しています。
ブログの仕組みはよくわかりませんが、私のブログを通じて他の人のブログに連絡できることはわかります。
つながっているのならば、個人的には自分の誤解を極力避けたい。
私はそんな思いにかられて先のブログにコメントしてきたのです。
先ほど、また、コメントをしてきました。
感情を抑えた表現になっていたので、合わせました。
それも礼儀だろうし、(先の書き込みも、合わせたつもりです)
きっと冷静に答えようとしてくれているのだろうし・・・。
悪い部分もでただろうな。
そう思いました。
でも、それも含めてあるていど引き受けないといけないな。
そうも思いました。
まとまりません。
これって戯言っていうよりボヤキだなぁ・・・。
yoさんがあちらでそれなりの、yoさんの認識を挙げたことは、やはり凄いことだ(いい意味でね)と思います。
ただ、yoさんの発言が、感情的過ぎるのかなぁとは思いました。
向こうがあからさまに過激で対抗的な意見を出してくるので、仕方がないのかもしれませんが…。
自分も向こうで自分の意見を載せていないので、あまりyoさんのことをブーブー言えませんね。
ま、冗談にして欲しいけど。
あーあ、シニカルな気分になるなぁ。
ちなみに、TBにある「国旗・国歌と儀式」を見に行くと、私のコメントが見れます。
(削除してもいいと書いたので、無いかもしれないけれど)
私の意見に賛成の人も、反対の人も、ここに書けなかった発言も含めて書いているから、読んでください。
「競争は悪とする教育がニート助長」…。
この発言にはyoさん同様、困りましたね。
その大臣は、「ゆとり教育が始まる前の詰め込み教育」を
バッチリ受けてきた30代の者たちに「NEET」の存在がいることを認識しているのか?
文科相は他にも、
「国旗・国歌には敬意を払うことを先生方が教えないと、
教え子がひどい目に遭うこともある」といっていますね。
うーん…。
私はこの発言は非常に危険に思いました。
余談ですが…。
国旗があがれば愛国心とかいうのじゃないでしょうね。(あっ、お子さまランチか?)
…面白いです。yoさんもここまで皮肉らなくちゃやってられないんだろうなぁと
思ってしまいました。
「愛国心」なんて、言い聞かせてそうさせるものではあるまいに…。
自然にそう思えるから、「愛国心」って生まれ、育つんじゃないかなぁ…
と思うのは私だけでしょうか?