日々むげんブログのむげんさんのエントリーにコメントして、あ、これは自分のブログにエントリーとして記録しておくべきだと思い直して書きます。
(以下、自作コメントの引用=へんなカンジ)
>私は牛乳給食と呼んでいます。
>栄養士さんの栄養必要接種量を確保は理屈ではその通りなのでしょうが、牛乳がないと確保できないという点に貧困さか牛乳信仰(振興)のワナを感じます。
>経済的に牛乳しかないという考え方もあるかもしれませんが、それもやはり給食のありかたの貧困さを逆証明しているように思えます。
>私の妻はオリジナルの定食を作る職業なので、給食のメニューの様相には、「あわれ」のため息をついています。
>戦後以降、児童・生徒の健全育成の保障の一翼をになってきたといえる給食は、「お残し」の問題も含み、現在の家庭状況や児童を育む視点にたって、本当に合っているのかどうかは批判されるべき部分を抱えていると思います。
(以上、引用終わり)
私の子ども時代はバリエーションの少ないメニューだったけれども、競っておかわりをし、残食の代表はピーマンとかグリーンピースだとか、食材に限られた物だったと記憶しています。
今は、食材はもちろんだけれども、料理自体を毛嫌いして残す子や全体量自体が少ないため残す子等がいます。
一方、おやつや普段の食事が豊になり、栄養の偏りは問題としてあるものの、昼食でエネルギー総量のバランスをとる子どもは減ったと思います。
(もちろん、私の知りうる学校で、ネグレクトに近い状況下、給食を唯一のまともな食事として成長よりも生存をかけている子どもがいることも事実としてありますが。)
最近の子どもの残食は、そういった視点で見ると、根が深いというか、現在の給食のあり方を問うような様相を呈していると感じます。
「食育」なる言葉がありますが、こういった言葉が踊る時、私は、その後ろに「総中流意識の家庭・社会の偏った豊かさ」といえばよいのか、何かの違和感を覚えることがあります。
(以下、自作コメントの引用=へんなカンジ)
>私は牛乳給食と呼んでいます。
>栄養士さんの栄養必要接種量を確保は理屈ではその通りなのでしょうが、牛乳がないと確保できないという点に貧困さか牛乳信仰(振興)のワナを感じます。
>経済的に牛乳しかないという考え方もあるかもしれませんが、それもやはり給食のありかたの貧困さを逆証明しているように思えます。
>私の妻はオリジナルの定食を作る職業なので、給食のメニューの様相には、「あわれ」のため息をついています。
>戦後以降、児童・生徒の健全育成の保障の一翼をになってきたといえる給食は、「お残し」の問題も含み、現在の家庭状況や児童を育む視点にたって、本当に合っているのかどうかは批判されるべき部分を抱えていると思います。
(以上、引用終わり)
私の子ども時代はバリエーションの少ないメニューだったけれども、競っておかわりをし、残食の代表はピーマンとかグリーンピースだとか、食材に限られた物だったと記憶しています。
今は、食材はもちろんだけれども、料理自体を毛嫌いして残す子や全体量自体が少ないため残す子等がいます。
一方、おやつや普段の食事が豊になり、栄養の偏りは問題としてあるものの、昼食でエネルギー総量のバランスをとる子どもは減ったと思います。
(もちろん、私の知りうる学校で、ネグレクトに近い状況下、給食を唯一のまともな食事として成長よりも生存をかけている子どもがいることも事実としてありますが。)
最近の子どもの残食は、そういった視点で見ると、根が深いというか、現在の給食のあり方を問うような様相を呈していると感じます。
「食育」なる言葉がありますが、こういった言葉が踊る時、私は、その後ろに「総中流意識の家庭・社会の偏った豊かさ」といえばよいのか、何かの違和感を覚えることがあります。
yoさんの記事を読ませていただき、思うところがあったのでコメントします。
それは、ネグレクトの状況におかれている子の給食の大切さです。
私の知っている所でも、ネグレクトの子がいて、学校の給食が1日のうちで唯一まともな食事であり、1日分の栄養を摂っている(蓄えている?)状況が続いています。
どんなことが起こり得るかわからない世の中ですから、ネグレクトで栄養不足の子どもの数も増加するのではないかと考えてしまいます。
今はまだごく少数派ですが、増加するような気がしてならない問題の1つであると思います。
かといって、学校給食をどう見直していけばよいのか、今のところまったく頭が回転しませんが、コメントさせていただきました。
まとまりのないコメントですみません。
>ネグレクト状況下の給食が命を繋ぐ糧
そこに学校給食の本来的な役割はないと私は思うのです。
(もちろん、給食をとめろとかいうことではないですよ。)
私はこの問題は生命の危機に直結するだけに、もっと社会的な対応を求めていきたい立場です。
学校や民生委員では対応しきれない問題になってきていると思います。
私の前任校の学区域はホントひどい状況でしたが、もっとひどい場所もあるでしょうし、まさに急務ではないかと思います。
しかし、このような子どもは本当にかわいそうです。
食事もそうですが、発育不良で情緒不安定な様子。
あの人を信じなくなった目つき。
自宅に連れ帰りたくなる時もあります。
先生方の記事を読んで前任校の子どものことを思い出しました。
2年ほど専科をしていた頃、給食のワゴンを返却するエレベーターホールに男の子の人影が。食缶の中に残っているからあげをポケットいっぱい詰め込んでいるのです。
話を聞くと、お母さんは夜の仕事をしていて、夕飯はないこと、妹が3人いるけれど、食べるものがなくて困っていることを話してくれました。
また、違う日にはコンビニのゴミ箱からごはんを拾って焼肉屋さんの換気扇の前(外)で、匂いをおかずに食べたということも話してくれました。
その後、妹を担任したのですが、お母さんが途中でいなくなってしまったので、栄養がしっかりとれる給食が唯一人間らしい食事になっていたようです。
今のクラスでも、親が夜中の3時に帰ってくるのでメロンパンだけでねた(2年生なので火が使えない)などという子もいます。
給食は、始まった頃と比べたら、その意図はだいぶ変わってきているような感じですが、やっぱりやめられないし、画一的な指導はできないと感じる今日この頃です。
長くなってしまいました<(_ _)>
やはり、どこにも見られる話なのですねぇ。
とても悲しい、寂しい気持ちになります。
暖かい食卓とかいうレベルでなく、満足に食事さえ与えてもらえない子どもがいることがキツイです。
ぴかさんのブログはとてもユニークなブログですね。
リンクさせていただいてもよろしいでしょうか?
給食を日記形式で載せるということをもうかれこれ5年ほどやっています。ブログにしたのは今年からなのですが、いろいろな反響があって面白いです。給食についても良い思い出だけではないようで、時に厳しいお言葉をいただきますが、それでも給食のメリットを切ってしまうことはできないなと感じています。
コチラからもリンクさせていただいてもよろしいでしょうか?ぜひ相互リンクをお願いいたします<(_ _)>