怒りのブログ

憤りを言葉にせずになんとしようか。

地位や金ではやれない

2012-12-25 23:05:03 | 教育
管理職向かない…一般教員へ降格申し出216人(読売新聞) - goo ニュース

ピラミッド型のヒエラルキー構築は無理だという主張が次第に具体例として出て来ているという印象だ。

なぜ、もともと鍋ぶた型でやってきたのか?
または、やってこれたのか?

無知の産經新聞あたりは、「それはニッキョーソがいたからだ!」とかいいそうだけれども、そうじゃないだろう。

管理を、説明責任を、単なるしめつけを強行し続けてきたのが「御上」で、現場は疲弊するのみ。
だれが好き好んで管理職になろうとするものか。
子どもが好きでこの仕事についたのであればなおさら。

管理職選考のために肩を叩くときに、「君がやらずにだれがやるというのか?!」という殺し文句があったが、「なんで私がやらなければならないのか?だれか他になぜいないのか?」という問いの答が用意できないからこそ、降格規定ができたとたんに「主幹制度」は立ちいかなくなったのだ。
(それ以前に定員割れでどうしようもない状況だが・・・)

病休者続出の現場で、好き好んで子どもから離れるということはどういうことなのか、ちょっと考えればだれにでもわかる話だ。

割れ鍋に綴じ蓋の「主任制度」「指導教諭制度」をつぎつぎ導入している。
しかも、それらにはかならず「給与」がからんでいる。

少々年金が減っても、長く子どもに正しく向き合えることの方が教員にとってはこの上ない喜びにつながるのだと、なぜわからないフリをしつづけるのだろう。
それとも、いや、きっと、そういった当たり前すぎるリクツがわからない都教委トップや教育長や首長などのせいなんだろう。

(以下、引用)
管理職向かない…一般教員へ降格申し出216人
読売新聞2012年12月25日(火)07:18

 公立小中高校の管理職が「自分は管理職に向いていない」などと一般教員等への降格を自ら申し出る希望降任が2011年度、216人と過去2番目に多かったことが24日、文部科学省の人事行政状況調査で分かった。

 中間管理職の「主幹」が半分以上を占めている。

 管理職全体では前年度比5人増で、統計を取り始めて以降、09年度の223人に次いで2番目。校長からの降任は7人、副校長、教頭は86人で前年度より減ったが、主幹は116人で前年度より13人増えていた。

 08年に導入された主幹の業務は、教員の意見集約や教育委員会からの調査の対応など多岐にわたる。明治大の諸富祥彦教授(教育臨床心理学)は「校長らと一般の教員の間を取り持つ主幹には周囲の不満が集まりやすい。給料もほとんど変わらず、現場では管理職になるのを避ける雰囲気もある」と指摘している。

はだしのゲン

2012-12-25 22:48:23 | 教育
「ゲンは遺書」 原爆への憤り刻む 中沢啓治さん死去(朝日新聞) - goo ニュース

もう目もよくなくて絶筆宣言をしておられたと記憶している。
最近、体調がおもわしくないとは伝え聞いていたが、まだ、生きていてほしかった。

第二次大戦で被災した第一世代の方々はどんどん少なくなっている。
私たち第二世代は、それらの方々の話を直接聞いてきた世代だ。
今、もうそろそろ第三世代に様変わりしようとしている。

我々の身近な戦争は、自分たちの国のものではなくて外国のそれらだ。

しかし、原爆の問題は原発の問題に直結していることがすでにわかっている。
なぜなら、原発は「爆」抜きの原爆であり、核燃料を取り出すという目的が第一義の装置であるからだ。
「発電」は平和利用を偽装した後付けである。

これは福島の原発事故が身を以て証明することになった。

今回の選挙では、即時原発0を訴えた政党もあったが、「のど元過ぎれば」というヤツなのか、わざわざ遠巻きにして様子見をしているうちに原発病の経済界やその息のかかった政治屋に食い物にされそうになっていることがわかった。

こんな時機に中沢さんが逝くなんて・・・。

「はだしのゲン」は中沢さんの遺言なのだそうだ。
それを受け止めるのはだれなのか?

強い否定、強い主張は受け止め難い人たちもいるだろうけれど、原爆の事実をしっかりと想像し、どの世代にも、人々は何をまっさきに避けるべきかを考え、行動できる様になってほしいものだと切に願うばかりだ。
この故人の想いを前にして。
私はそう思う。

(以下、引用)

「ゲンは遺書」 原爆への憤り刻む 中沢啓治さん死去
朝日新聞2012年12月25日(火)12:29
 がんで闘病生活を続けながら最後までヒロシマと向き合い、原爆の恐ろしさを訴え続けた中沢啓治さん。「『ゲン』はわたしの遺書」という言葉を残し、73年の人生を閉じた。

 「原爆はお袋の骨まで持っていくのか」。母の火葬後、ほとんど残らなかった遺骨を目の当たりにして増幅した怒りが、原爆をテーマにした作品を描く原点になった。

 1973年にスタートした「はだしのゲン」の連載。40年近くを経て、今年度から広島市の平和教育の教材に使われ始めた。今夏、朝日新聞のインタビューに応じ、中沢さんは「連載を始めた当時、漫画はばかにされ、社会的地位を得ていなかった。思いもよらず感慨深い」と語った。