怒りのブログ

憤りを言葉にせずになんとしようか。

記事のタイトルを入力してください(必須)

2012-12-30 10:25:31 | ニュースから
大飯原発判断持ち越し 稼働停止なら 関電値上げ幅24.6%に拡大(産経新聞) - goo ニュース

あえて産經新聞の煽りにのれば、産業分野の冷え込みによる国民生活への打撃は大きいという見方になる。
だから、安全についての議論はおいておいて、原発を動かせとなる。

ついでにいえば、産業界の声のみで構成される記事を放り投げるように記事にする産經新聞は、どんどん原発を再稼働しろということなんじゃないかと勘ぐりたくなる論調だ。
産經新聞というのは、その名前の通りで、人の命よりも、安全よりも、産業や経済をとるという非人道的な新聞なのかもしれない。
(ま、今までの経緯で、私が一方的に嫌いなだけともいえる気がするが・・・)

地震は近い将来に「ある」という科学的な予測がある。
それを全て「信じる」というレベルは科学的ではないが、「金儲け優先」を信じて、再び原発を吹っ飛ばすのは愚かとしかいいようがないだろう。
ましてや、金持ちにとっては、そのこと自体がそれほど問題でないようだ。
それを「信じる」レベルはどうよということだ。

「安全」と「経済」はバランスしない。
「政治」と「経済」はバランスするところがある。
必要なねじれやアンビバレントは経過としてあっても仕方が無いということもあるが、このことに関しては0を目指すことしか道はないだろう。

見えない時限爆弾を車座になって回し続けるゲームは、参加者全てを幸せにはしない。

電気料金の値上げがどうなのか?
それを耐え忍ぶことこそが次の知恵を生むのではないだろうか?
どこかの党首が、電力料金が産業をつぶしたことがあるという話をしていたが、「産業を優先して人を潰す」ことの方が問題で、「産業を停滞させても人を救う」ことへ英知を集めることの方が人間らしい生き方だとは思わないのか?と、そう私は受け取っている。

金で解決することが人の目を曇らせているのじゃないだろうか。
やはり「安全」と「経済」がアンビバレントな関係を生み出すことには、私は否定的にならざるをえない。

(以下、引用)
大飯原発判断持ち越し 稼働停止なら 関電値上げ幅24.6%に拡大
産経新聞2012年12月30日(日)07:57

 関西電力大飯原発の再調査は、活断層かどうかの判断は持ち越しになったが、3、4号機の稼働が停止する事態になれば、関西電力が申請中の電気料金値上げは家庭、企業向けを合わせた値上げ幅が15・7%から24・6%まで跳ね上がる。申請が、7月に再稼働した3、4号機の稼働継続を前提にしているためで、地域経済への大きな影響が避けられない。

 関電が11月の値上げ申請で示した来年度から3年間の料金原価は、燃料費と他社からの購入電力料が、5割近くを占める。大飯3、4号機が3年間停止したとすると、代替する火力発電の燃料費負担が増え、年間で2050億円の負担増が生じる。

 この結果、値上げ幅は約1・5倍に拡大するほか、大飯の稼働継続とともに前提にしている来年7月以降の高浜3、4号機の再稼働までできなくなると、値上げ幅は30・6%で2倍近くになる。

 4月を目指す関電の値上げは、「産業分野によってはかなり負担が大きくなり、切実な問題」(関西経済同友会の大林剛郎代表幹事)だ。

 関電は、来夏の一般社員の賞与(ボーナス)支給を見送るなど追加対策を示しているが、値上げ幅の圧縮効果は限定的。

 規制委は、科学的見地で原発の安全性を判断するが、「原発が完全停止した場合、経営努力にも限界があり、大幅な値上げが回避できない」(関電幹部)状況だ。