怒りのブログ

憤りを言葉にせずになんとしようか。

校庭の芝生化という無駄。(校庭以外でしろよ)

2011-12-30 16:01:54 | 教育
毎日新聞だけれども、ツイットできてブログ化できないというのもどうよ・・・と、思い切って引用してしまう。

校庭芝生化の問題は芝生のクセに根深い。

過去に失敗した芝生化が復活したのは、公金で外国周りをしてきた議員が「なんで日本は芝生じゃないの?」という無知発言が引き金になったと記憶している。
(ソースはちょっと調べていないので、記憶のみなのは失礼。)

環境問題に対するリアクションとしての話題性もあったと思う。
特に、都では石原の人気取り施策の一つだったと思う。
(今回は大阪の橋下の人気取り)

大昔の芝生化が大失敗した事例を知っていた校長などは、あえて手を挙げずに、せいぜい通路わきや屋上程度でお茶を濁した。
これを出世や予算獲得の契機にと考えた校長や教委などは、地域に大きな負担を与える施策と知っていて投下を決定した。

蓋をひらけば、養生期間の問題や手入れの面倒、全面に敷いたところは授業にまで影響を与えた。

私の友人がマレーシアの日本人学校にいたとき、芝生の校庭を体験している。
さすがに赤道直下。
芝生にペイントで白線を引いて授業を行い、芝生の先端を刈り取って白線を消したのだそうだ。
逆に、そうして使わないと、数日で芝自体が伸びきってしまい、困るのだという。
日本との環境の違い、適材適所としての芝の利用を聞いた。

私としては、そんあ事例も知っていたので、いくら成長がいいもの、踏みに強い種類を選んだとしても、それなりに手入れをしないとダメであるし、全面芝生での授業などはあり得ないと思っていた。

実際、白線は引けないからポイントマーカーなどを利用して、線を引かない前提での授業をしているところばかりだと聞く。

さて、今回は、そういった意味では典型例のようにみえる。
内実はそうでもないという部分があるかも知れないけれど、土のグラウンドのメリット、今までのノウハウの方が大きいわけで、そう考えると無駄な投資だった、人気とりだったと、ちゃんと反省した方がいい。
地域の人は、こんな首長を選んでしまったことを嘆くだけでなく、ちゃんと政治的に処分した方が後の世のためにいい。
子どもにこんな馬鹿なものは残さない方がいい。
できれば最初からなのだが、仕方がない。


(以下、引用)

岸和田・春木中:校庭芝生撤去、一部剥がして調査 PTA要望受け市教委 /大阪

毎日新聞 12月30日(金)12時24分配信
 岸和田市立春木中のグラウンド緑化事業を巡り、保護者や生徒から芝生を剥がして元の土に戻すよう要望が出ている問題で、市教委は27、28の両日、試験的に一部の芝生を撤去し、整地などに必要な作業の調査を始めた。今月16日のPTA臨時総会で、「3学期の始業までに芝生を取り除くことを求める」とする決議が採択されたことを受け、市教委がPTAや学校側と対応を協議していた。
 09年6月に府の「みどりづくり推進事業」を利用し、補助金約300万円と住民の寄付500万円を合わせた約800万円で約9000平方メートルを芝生化。学校側と住民、地元サッカークラブの関係者でつくる「春木中学校運動場緑化委員会」が事業主体となった。
 しかし、芝生の一部が枯れたり剥がれたりすることで、表面にでこぼこが発生。スプリンクラーや散水栓なども配置されていることから、クラブ活動や体育の授業に支障が生じ、昨年12月には保護者が一部を剥がしたことが問題化した。
 市教委は今後、具体的な撤去の工程とその後の整地作業について検討するが、財源手当てのめどが立たず、PTA側が求めている「3学期始業までの撤去」は難しい情勢。支出済みの補助金についても、返還が必要かどうか府と協議する。【山田泰正】

12月30日朝刊

教育って

2011-12-30 00:41:32 | 教育
以下の文章に個人的な批判的見解をつけてみました。

「子どもの権利の視点がまったく抜けている教育基本条例批判」大西宏氏

(以下、私の批判)

総論として頷ける見解というか言葉はいくつか見られます。
例えば、過去(場合によっては外国)との比較において、日本は教育にかける投資やしくみの改善、その上位の責任が悪いというのはその通りだと思います。
(でも、やっぱり私には受け付けないのです。)

ただ、論者が教育に関して素人だと思うのは、教育は高度なサービスだとしつつスポーツの指導と比較したり、「教育を受ける権利」といって個人の利益に着目するだけで、公共的な利益としての教育の価値には触れなかったりするのは、他方で行政の責任を云々しておいて、おかしいのです。

評価制度の設計についても「専門家を交えて詳細を詰める」などは丸投げ的な発言です。
抽象的なことをいっているのは論者の方でもあります。

今回の大阪の問題は、法的な瑕疵がある点は動きません。

教育を単なる行政サービスと断じてしまう点については同意できないのですが、そうだとしても、「教育を受ける側の権利」からの主張のみでは「教育の公共性」は歪められるでしょう。
教育の当事者性は子どもや保護者だけでなく、地域や教師にもあるのですから。
教育の目的や内容についても「知恵を生み出す人材育成」という視点に偏り、教育基本法さえ目を通していないのかという気がします。
おそらく、だから塾や大学などの進学問題に教育の格差問題を矮小化しているのだと思います。
この論者の文を、学校教育の部分を塾に置き換えてみても違和感がないと思います。
そういった点で偏っていると思います。