むげんさんのBlog「日々むげん」で「学校とは」というエントリーを読んだ。
私はハッとなった部分がある。
>それでも、子どもたちのほとんどは、愚痴を漏らしつつも学校へ来てくれる。
>ひょっとしたら、私たち大人がワイワイ騒いでいるだけで、大人以上に子どもたちは無意識のうちに「学校へ通うことの大切さ」を感じているのかもしれない。
子どもの感覚を問いかける事からしか出発できないのは「もどかしさ」ではなくて「大事な第一歩」だと常に思える教師でいたいと思った。
いくら教育技術が勝っていようと、いくらカリキュラムの理解に長けていようと、尊敬を集めようと、子どもとともにあろうとして這いつくばる教師でいたい。
ようやくしおちゃんマンさんの言葉「どちらで生きるのか?」についての答えがシンクロした気分。
まだまだだが、少し勇気。
もうすぐ春だもの。
私はハッとなった部分がある。
>それでも、子どもたちのほとんどは、愚痴を漏らしつつも学校へ来てくれる。
>ひょっとしたら、私たち大人がワイワイ騒いでいるだけで、大人以上に子どもたちは無意識のうちに「学校へ通うことの大切さ」を感じているのかもしれない。
子どもの感覚を問いかける事からしか出発できないのは「もどかしさ」ではなくて「大事な第一歩」だと常に思える教師でいたいと思った。
いくら教育技術が勝っていようと、いくらカリキュラムの理解に長けていようと、尊敬を集めようと、子どもとともにあろうとして這いつくばる教師でいたい。
ようやくしおちゃんマンさんの言葉「どちらで生きるのか?」についての答えがシンクロした気分。
まだまだだが、少し勇気。
もうすぐ春だもの。