怒りのブログ

憤りを言葉にせずになんとしようか。

目先の二者択一(サボるか蹴落とすか)への不参加

2005-11-11 00:13:54 | 戯言
給与問題に関してはここの後半に私見をまとめたので、自分的には終わっているが、自分のこととしてとらえるのでなく、普通(子どもがよく使うファジーな用語)に考えてみたい。

タイトル通りだが、
まず、給与アップを意識「する・しない」ではない、そんなこと当然という状況の人。
つまり
「生きていけりゃあいいのよ。変身!サラリーマン教師!」なーんて状況の人。
サラリー分程度の仕事のみで生きていく教員。
一方、一番の対象は先の例の人のような人。
「バリバリと音がするほど仕事します。家庭も顧みずに仕事します。出世します。」なーんて状況の人。
周りを蹴落とし蹴落とし!切り捨てごめん。
そんな「アベシ!」な二者択一。

どちらにしても、バランスはとれないし、組織はぐちゃぐちゃになるだろうなぁ。
仕事内容は同じなのに、意識格差の激しい組織なんて、民間で存在できないだろうにね。
新人はそんな中で揉まれて、腐っていくのかな。
東京都では「主幹制度」と「評価主義」はその拍車をかけた。
今時の校長レベルの管理職じゃあ、そんなことはおかまいなし。
最近、ひどい人事でぶった切っている人を見かけるよ。
だって、定年退職目の前だもん!
やり逃げだね!

もう、すでにそんな格差が見えかくれしている東京都。
私なんかはまだいい。
ネット相手に憂さをはらしているもの。
だーれにも相談できないことなんだよねぇ。実は。

最近、また、鬱傾向。体重が落ち始めた。眠れない。

(組合?・・・いやいや、そんなものじゃ、個人の現実には遠い遠い。)
(宗教かい?・・・私にとっては、なにも救われません。)
(カウンセラーかい?・・・病気になればね。ありうるでしょう。私の友人もそうだし。)
(同業でしょう?・・・そうそう、一番の傷のなめ合いが効くねぇ。しかし同じ悩みをもちながら、改善する力もないない。)
(市民はどこに?・・・石原都民は違うでしょう。)

他の選択肢。
強い実践家になりたい。あきらめたくないから。
だけれど、これでも、真の意味で「共同的な教育活動」からの「撤退」になるような気がする。