
( この写真は、東京豊島区椎名町の駅前商店街です。この辺はかなり賑やかですが・・・ここから
東長崎の方へ歩くとシャッターの降りた店が増えていきます。《 2009年1月、撮影 》 )
【 はじめての方は、どうぞ 「第1章 改訂版」 よりご覧ください。 】
その13
1988年9月、京都旅行から帰ってすぐに龍馬ファン一同( 仮名『 坂本
龍馬の会 』 )よる会報発行のための会議がおこなわれました。
この会報編集会議は恒例になっていますので、いつもの様に始まりまし
たが・・・リョウさん( 仮名:内海遼一、岡山県出身、88年当時33歳 )
の様子は「 いつもの様 」ではありませんでした。
後に、この時のリョウさんを評して、編集会議に同席した女性が・・・
「 何だか・・・龍馬みたいだった・・・・・ 」
・・・と、普段は寡黙であまり喋らないリョウさん、大声で笑うとい
う事も人前で声を荒げる事もない・・・そのリョウさんが・・・この
会報編集会議の席で、皆の前で堂々たる演説を始めたのです・・・。
それは、坂本龍馬が陸奥宗光( 海援隊々士、後に明治政府の農商務、
外務大臣 )に出した手紙についての解釈でした・・・・
「 龍馬が出した宗光への手紙は暗号だよッ! 」
坂本龍馬の会々員一同は・・・
「 ・・・・・・? ・・・・・・!! 」。
いつもなら、ほとんど発言する事の無いリョウさんが長広舌を開陳し
ているのだ・・・。
「 この手紙に書かれている『 長刀 』とは、『 長州 』を意味して
いるんだ・・・・・・ 」
取りつかれた様に夢中で喋るリョウさんを会議に出席した全員がただ
見つめます・・・!
リョウさんの解説( この解釈が正しいかどうかは簡単に判断出来ませ
んが )に、反論もなく時間が過ぎて行きました。
押し黙った会員の中で、一人・・・
「 確たる論拠が提示されないと・・・早急な判断はできないんじゃ
ないのかな・・・ 」
と、疑義を提起する人も居たには居たのですが・・・リョウさんの話
に歯止めはかかりません。
会議時間は1時間ほどなのですが、その半分を使ってリョウさんの力説
がこうして続いたわけです。
しかし、リョウさんは・・・他の参加者を説得したとか論争で勝った
とかいうのではなく、相手が納得しないまま、ただ諦観しているだけ
・・・そんな状況に自分一人が空回りしている・・・その事は、自覚
していたのでした・・・・・。
「 あの時は、ハイテンションでした! 」
と、当時を自嘲気味に振り返るリョウさんです・・・・・。
この会議の直前に坂本龍馬への激しい感情移入から地下鉄の車内で涙
を流してしまったリョウさんは・・・
「 龍馬が可哀そうだった・・・・・・ 」
・・・だから、泣いてしまったのだと言いますが・・・私には、いっ
たいどっちが可哀そうなのか分かりません。
この会議の後のリョウさんは、もう、自分をコントロールする意識の
バランスを失っていました( 病的状態 )。右も左も見えない。振り
返る事もない。ただ一直線に目の前の道を突き進むだけでした・・・。
『 龍馬を殺した犯人を突き止めてやる! 』
リョウさんは、椎名町の下宿に戻るとこのテーマの下に坂本龍馬研究
へ没入していきます。この時からほとんど外出する事もなく・・・龍
馬の研究書を読み漁ります。
眠りもせず・・・食べもせず・・・部屋の中の本棚の前で研究書の山
の中に顔を埋めつづけます・・・・・。
本来なら疲労している精神と肉体が、自覚のないまま限界を超えた領
域で激しいきしみを発していたのに・・・・・自分以外の全ての世界
と断絶したのです・・・龍馬とのチャンネルだけを残して・・・・!
1日目・・・2日目・・・・・・。 3日目・・・・・・この日からは、
Jプロの仕事に出なくてはならない・・・・。 朝・・・もう、リョ
ウさんに漫画を描くエネルギーはありませんでした・・・・・・
この時は、まだ自分が「 異常 」だとか「 不調 」だとか、考えもしま
せん・・・むしろ気分はさわやかで「 明晰 」でした。
「 不調 」どころか、自分が何をなすべきかを悟った様な・・・高尚
な充実感にみなぎっていたのです・・・・・・
その日( 1988年9月中旬 )のJプロの仕事は・・・・おとぼけ漫画の
「 ○子の毎日 」( ヤクザと天然ギャルのおとぼけストーリー )でし
た。
お姉~ちゃんのオッパイがプリプリ、ヤクザの組長がお姉~ちゃんの
オシリにクラクラ~ッとする様な漫画です。
少し青ざめたリョウさんは、いつもと同じ様に自分のデスクに掛ける
のです・・・・・。
「 漫画家アシスタント 第6章 その14 」 へつづく・・・
★前の記事へ→ 「漫画家アシスタント第6章 その12」へ戻る 】
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ お知らせ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
★ 拙ブログ「漫画家アシスタント物語」(第1~4章収録)が書籍化!
全326ページ。第1章の一部漫画化! 秘蔵未公開写真19点、描き下ろ
しイラスト18点を含む画像総数148点! デビュー漫画「雨のドモ五郎」
を完全収録! 《ネット通販を見る》
★ 拙作、文庫本『 劇画 蟹工船 覇王の船 』
( 劇画「覇王の船」 + 小説「蟹工船」の二本立て! )が発売中!
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【 各章案内 】 「第1章 改訂版」 「第2章 改訂版」 「第3章 改訂版」
「第4章 その1」 「第5章 その1」 「第6章 その1」
「第7章 その1」 「第8章 その1」 「第9章 その1」
「諦めま章 その1」 「古い話で章 その1」
「もう終わりで章 その1」 「移住物語 こりゃタイ編 その1」
東長崎の方へ歩くとシャッターの降りた店が増えていきます。《 2009年1月、撮影 》 )
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その13
1988年9月、京都旅行から帰ってすぐに龍馬ファン一同( 仮名『 坂本
龍馬の会 』 )よる会報発行のための会議がおこなわれました。
この会報編集会議は恒例になっていますので、いつもの様に始まりまし
たが・・・リョウさん( 仮名:内海遼一、岡山県出身、88年当時33歳 )
の様子は「 いつもの様 」ではありませんでした。
後に、この時のリョウさんを評して、編集会議に同席した女性が・・・
「 何だか・・・龍馬みたいだった・・・・・ 」
・・・と、普段は寡黙であまり喋らないリョウさん、大声で笑うとい
う事も人前で声を荒げる事もない・・・そのリョウさんが・・・この
会報編集会議の席で、皆の前で堂々たる演説を始めたのです・・・。
それは、坂本龍馬が陸奥宗光( 海援隊々士、後に明治政府の農商務、
外務大臣 )に出した手紙についての解釈でした・・・・
「 龍馬が出した宗光への手紙は暗号だよッ! 」
坂本龍馬の会々員一同は・・・
「 ・・・・・・? ・・・・・・!! 」。
いつもなら、ほとんど発言する事の無いリョウさんが長広舌を開陳し
ているのだ・・・。
「 この手紙に書かれている『 長刀 』とは、『 長州 』を意味して
いるんだ・・・・・・ 」
取りつかれた様に夢中で喋るリョウさんを会議に出席した全員がただ
見つめます・・・!
リョウさんの解説( この解釈が正しいかどうかは簡単に判断出来ませ
んが )に、反論もなく時間が過ぎて行きました。
押し黙った会員の中で、一人・・・
「 確たる論拠が提示されないと・・・早急な判断はできないんじゃ
ないのかな・・・ 」
と、疑義を提起する人も居たには居たのですが・・・リョウさんの話
に歯止めはかかりません。
会議時間は1時間ほどなのですが、その半分を使ってリョウさんの力説
がこうして続いたわけです。
しかし、リョウさんは・・・他の参加者を説得したとか論争で勝った
とかいうのではなく、相手が納得しないまま、ただ諦観しているだけ
・・・そんな状況に自分一人が空回りしている・・・その事は、自覚
していたのでした・・・・・。
「 あの時は、ハイテンションでした! 」
と、当時を自嘲気味に振り返るリョウさんです・・・・・。
この会議の直前に坂本龍馬への激しい感情移入から地下鉄の車内で涙
を流してしまったリョウさんは・・・
「 龍馬が可哀そうだった・・・・・・ 」
・・・だから、泣いてしまったのだと言いますが・・・私には、いっ
たいどっちが可哀そうなのか分かりません。
この会議の後のリョウさんは、もう、自分をコントロールする意識の
バランスを失っていました( 病的状態 )。右も左も見えない。振り
返る事もない。ただ一直線に目の前の道を突き進むだけでした・・・。
『 龍馬を殺した犯人を突き止めてやる! 』
リョウさんは、椎名町の下宿に戻るとこのテーマの下に坂本龍馬研究
へ没入していきます。この時からほとんど外出する事もなく・・・龍
馬の研究書を読み漁ります。
眠りもせず・・・食べもせず・・・部屋の中の本棚の前で研究書の山
の中に顔を埋めつづけます・・・・・。
本来なら疲労している精神と肉体が、自覚のないまま限界を超えた領
域で激しいきしみを発していたのに・・・・・自分以外の全ての世界
と断絶したのです・・・龍馬とのチャンネルだけを残して・・・・!
1日目・・・2日目・・・・・・。 3日目・・・・・・この日からは、
Jプロの仕事に出なくてはならない・・・・。 朝・・・もう、リョ
ウさんに漫画を描くエネルギーはありませんでした・・・・・・
この時は、まだ自分が「 異常 」だとか「 不調 」だとか、考えもしま
せん・・・むしろ気分はさわやかで「 明晰 」でした。
「 不調 」どころか、自分が何をなすべきかを悟った様な・・・高尚
な充実感にみなぎっていたのです・・・・・・
その日( 1988年9月中旬 )のJプロの仕事は・・・・おとぼけ漫画の
「 ○子の毎日 」( ヤクザと天然ギャルのおとぼけストーリー )でし
た。
お姉~ちゃんのオッパイがプリプリ、ヤクザの組長がお姉~ちゃんの
オシリにクラクラ~ッとする様な漫画です。
少し青ざめたリョウさんは、いつもと同じ様に自分のデスクに掛ける
のです・・・・・。
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「第4章 その1」 「第5章 その1」 「第6章 その1」
「第7章 その1」 「第8章 その1」 「第9章 その1」
「諦めま章 その1」 「古い話で章 その1」
「もう終わりで章 その1」 「移住物語 こりゃタイ編 その1」
ました!
ヒシヒシと怖さが伝わってまいります。 特に・・・
>では、危険はどうやって見分けるか。
>それは、私が発見した方法だが、匂いだ。
この「匂い」の話がまた、一級品の面白さでした! 結論の
「貧富の差」についても寒々とした思いが漂い、まさに秀逸
です!
サンフランシスコは、夜8時を過ぎると、怖い町に変身する。だから、その時間を過ぎたら、車でできるだけ早く中心街を離れなければならない。
と、いう解説を聞いたのは、マーケット6通りのすしバーだった。
ニュウヨークの碁盤の目の通りを一本だけ斜めに横切るマジソンスクエァー通りは渋滞で有名だが、市長は今年この通りを一部時間帯、通行禁止にするようだ。この斜めが渋滞を引き起こすという。
同様にマーケット6通りも、サンフランシスコを斜めに横切って渋滞をまねいている。
この近辺は、安ホテル群があり、安酒場やエロ本屋が多く、そして危険も多い。
では、危険はどうやって見分けるか。
それは、私が発見した方法だが、匂いだ。
ション便くさい匂いがしたら、事件がおきる危険をしらせている。そして、道路に寝ている人々、つまりジャンキー達だ。
マイケルジャクソンのスリラーに出てくるゾンビのように、ボタボタポ゛タ、とボロボロの服が道路に落ちており、中には人間が入っている。
日本のオコモさんのように、縁に座っているわけではなく、ヤクでいっちゃっているので、ど真ん中にうつぶせになっているので、まっすぐ歩くには、跨いでいかなければならない。
そんな危険な町では、白人達もおびえて暮らしている。
私が、サンフランシスコ近くのフリーウェー入り口で、地図を出して道を聞こうとしたが、白人はおびえて、車の窓を開けようともしない。
しかし、車で30分走って、ゴールデンゲイトを渡るか、南のサンノゼに行けば、芝生に囲まれた安心な住宅街と、カントリーイン(高給モーテル)がある。
そんな事実は、私もサンフランシスコにつくまで知らなかった。
だが、日本人のバックパッカーは中心部の安ホテルに15--20ドルで泊まるようだ。そして、怖い体験談を日本に帰ってきて語る。
ホテルの相場は、普通は50ドル、カントリーインは100ドル、そのくらい出さないと危険も多い。
翌日サンフランシスコに戻るため、ゴールデンゲイトを横切ると、橋の下を豪華クルーザーが何百隻も横切って、外洋に繰り出していった。沖合いのサンタクルス島のリゾートに向かうのであろう。
冬のボーナスが6億円という国、貧富の差は、とことんあるようだ。
シルビーバルタン・・・懐かしいですね・・・・・。私が覚えいるのは・・・
「アイドルを探せ」「あなたのとりこ」あたりでしょうか・・・・。
(『youtube』ありがとうございました!)
ちなみに『youtube』に出ているシルビーバルタンの顔ですが・・・
歯がスキッ歯になっているのに驚きました・・・!
>「いま、時代の閉塞感がすごいじゃないですか」
>マンガだけでなく、音楽業界もそうなのか。
私なんぞも、CDはレンタルできるものは、それからダビングして
しまうし・・・。音楽業界も厳しそうですね。
出版業界は、この20年近く右肩下がりの低落傾向が続いています。
>海坊主さん、へ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
フランス・ギャルの『youtube』ありがとうございました!
彼女がやけに愛想なく歌っているのが気になりますが・・・もう、何
度も同じ歌を歌わされてうんざりしているかの様に・・・・・・。
>ラティさん、へ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
欧米人とアジア人の性格的な違いについてのお話・・・ありがとうご
ざいました!
昔、アメリカ映画の「真夜中のカウボーイ」という映画で、主人
公の若者がニューヨークに出てきた当初、街中でホームレスが倒
れているのに驚き、助けようとするのですが、周りの通行人は誰
一人として見向きもしないのです・・・。
これは、田舎から出てきたばかりの人間と冷たい現代社会を対比
するシチュエーションですが・・・私は初めてこの映画を見た高校生
の時に、アメリカはなんて冷たい国なんだ・・・と、思ったものです
が・・・・・今の日本も、気がつけばまったく同じ様な国になっていま
した。
私が初めてタイへ行った時に友人とタクシーでパッポン(東京の
歌舞伎町より猥雑な街)に行った時の事です。(知人と待ち合わ
せの用事があったのです)
タクシーの運転手が・・・(片言の英語のやりとりです)
「パッポンなんか行くのは良くないよ、タイにはもっと良い
所が沢山あるんだよ!」
「遊びに行くんじゃなくて・・・(用事)があるんです・・・」
(『用事』という単語が分からずに困る)
「パッポンは良くない! 私が良い所を、美しいタイを案内
するよ! お金は要らないから!」
「ダメなんですよ! 友達の約束(用事)があるんですから!」
「なんで・・・なんで・・・分かってくれないんだ・・・・・・!」
タクシーの中で押し問答をしているうちに運転手が泣きそうになっ
てしまったのにはホント驚きました。
もう一つ・・・
これは、二度目にタイへ行った時のエピソードです・・・
トクトク(バイク風の三輪タクシー)でホテルへ帰って来た時に、
料金の30バーツ(200円ほど)を払う時に、50バーツ札(330円ほど)
をトクトクのオヤジに渡して・・・(片言のタイ語で)
「お釣りはいりませんから・・・」(喜んでくれる事を期待しつつ)
「いらない! お釣りは払うよ!」
「・・・・・? いや、ホント、お釣りはいいですよ!」
どうしてもお釣りを断る私に向って運転手のオヤジが本気で怒りだ
す・・・
「お金を大切にしろ!」
私は、仕方なくお釣り(130円ほど)を受け取り、とても不快そうな
顔をして走り去って行くトクトクのオヤジを見送ったのです。(注:
怖いタクシーや危険なトクトクは、勿論たくさんあります!)
欧米や今の日本でこうした体験(人物との出会い)は、なかなか出
来ないのでは・・・・・・と・・・・・・。
>オレンジボーイさん、、へ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
コメントのエラーは削除しておきました。
さて、映画版「カニ工船」のお知らせをどうもありがとうございま
した!
CMだけを見て判断するのは間違っているかもしれませんが・・・なん
か・・・なんか足らない様な・・・・・
私の様なものが書くのもおこがましいのですが・・・・。これは、戦前
から戦後にかけて蟹工船に乗っていた人への取材がなかったのでは
ないか・・・と。
実際に現場にいた人の話を直接、聞いていれば・・・下手な脚色は出来
なかった筈ではないかな・・・と。
実は、私が蟹工船を漫画にした時に、当時を知る老人から・・・
「こんなにキレイじゃないよ、そりゃ~酷かったんだよ昔は・・・」
・・・と指摘され、取材不足を後悔したものです・・・・・。
>世の中、どんどん悪い方へいってまつね。恐ろしいことでつ・・・。
ホントにそんな感じですね。
フランスでは今、ゼネストが起こって、バスや電車が止まって経済
界も政府も頭を抱えているそうです。
なぜ、日本の労働者は団結もせず、ストもせず、デモさえ起こさない
のか・・・理由はよく分かりませんが・・・皆さん、とても「保守」がお好
きなんですね。
ちなみにフランスでは、ゼネストを一般市民の70%以上の人が支持し
ているそうです。
バスや電車が使えないという個人的な問題より、社会全体の問題解決
を優先しているわけです。さすが、「フランス革命」「パリ5月革命」
の末裔たちです。
私は、日本人が百姓一揆をしていた無名の祖先たちをヒーローにする
よりも、「お侍様」や「お殿様」をヒーローにしてしまう悪癖が沁み
付いてしまっている様な気がしてなりません・・・・・。
フランス人は「王族」をギロチンにかけて殺していますが、日本人に
はとても同じ事の出来る訳もなく・・・ここに、私は日本人の限界があ
るのではないかとみています。
映画版「カニ工船」が、一般の映画館でも見れるようになるそうです。
いままで、共産党系の集会でしか上映してませんでしたからね。
以下、公式サイトです。
http://kanikosen.jp/pc/
都内近辺だと「テアトル新宿」で、夏ごろやるみたいです。
この映画館で上映される作品は、イイ意味で個性的な映画が多くて、いつもお世話になっています。
いつか、このビルの上の方にある「カニ道楽」で「カニ会席」を食べてやろうと思っているのですが、いまだに果たせないでおります。
ところで、昨年、流行語大賞にノミネートされた「カニ工船」という言葉、すっかり廃れましたね。
代わりに「派遣切り」という言葉が流行して、仕事があるだけ「カニ工船」の方が、まだよかったのかも。
世の中、どんどん悪い方へいってまつね。恐ろしいことでつ…。
基本的に先進国と発展途上国の差みたいなのもある
のかもしれないです。
それと、ヨーロッパと、アジアとアラブとは
ちょっと文化のノリも違うみたいで・・
アジア・アラブは、結構昔の日本みたいなところが
あって困ってたら助けてあげなきゃ!!
(これが少々、うっとうしいぐらいのおせっかい)
とか、後、わーい!日本人だ!話かけたい
(興味丸出し当然で、発展途上国では憧れの対象に
なりがちな日本)
ということもあって、多分、このうっとうしい
ぐらいのが好きな方は、たぶん、ヨーロッパなど
のさらっとしたやさしさなどは物足りない
のでしょう(笑)
その上、フランスやアメリカなどは多民族国家
なので、フランス語や英語がしゃべれない方は
多いし、多民族なことで問題もたくさんあったりする
ので・・あまり、言葉をしゃべれない
外国人とかにはやさしくない
ところもあるのかも知れないですね。
やさしくないというか・・珍しくないし、
おせっかい焼くほど、暇もないというか・・
なので、言葉もろくにしゃべれなくても・・
なんだか気がついたら家で晩飯食べさしてもらった
とか・・そんなアジアとかアラブのほうが、
感激するんでしょうね・・後、、彼らは
先進国と違って、外国人と会うってだけでも
一大イベントだったりする地域もありますからねー
まあ、私はそんな、人間味丸出しの文化圏
大好きなんですけど・・住むと色々大変の
ようみたいですよ。
船中八策が倒幕後の、日本の外交、法制、議会制度などを作る基礎になたのこと。
おそらくマジソン商会のイギリス人から知識を得たのであろう。
下級武士だったから、庶民の苦しみや不満をよく理解していた。そして脱藩、勝海舟の下で船の修行。
33歳で死ななかったら。
ハイエナの欧米列強が東洋を次々植民地化していく流れの中で、竜馬たちのすばやい活躍が、日本の近代化をもたらし、日清、日露戦争で産業の大躍進を達成した。
さて、ここで一服。
シルヴィ・バルタンの名前が出たからには、3歳年下のこの人の名前を出さないわけにいかない。
フランス・ギャル
http://www.youtube.com/watch?v=s5aeeSmkPwQ&feature=related
フランス・ギャル(France Gall-本名:イザベル・ジュヌヴィエーヴ・マリ・アンヌ・ギャル、Isabelle Genevieve Marie Anne Gall 1947年10月9日-)は、フランスの歌手。初期の代表曲には『夢見るシャンソン人形』(この曲で第10回ユーロビジョン・ソング・コンテスト優勝)がある。
フランス・ギャルは、1947年にフランスのパリで生まれた。父は作詞家のRobert Gall。母はCecile Berthierで、パリ木の十字架少年合唱団の共同設立者として知られるPaul Berthierの娘。1963年『Ne Sois Pas Si Bete(恋のお返し)』でデビュー。そして、1965年にイタリアで行われた第10回ユーロビジョン・ソング・コンテストにルクセンブルク代表として出場し、父親の知人であったセルジュ・ゲンスブール提供の『Poupee de cire, Poupee de son(夢見るシャンソン人形)』を歌い優勝した。日本語版も発売され、1966年6月に来日公演。
1967年以降はヒットから遠ざかりフィリップスを離れる。70年代に入り作曲家のミッシェル・ベルジェと知り合い、彼のプロデュースのもと、本格的な歌手として再スタートを切り絶大な支持を得る。1976年に結婚、二児を授かる。その後もベルジェとの充実した関係が続いたが、1992年にベルジェが他界。1997年に娘のポーリーヌを難病で亡くす。以降歌手活動は休止し、メディアへの露出も極端に少なくなる。
浅草ロック座で、このシャンソン人形をよく聞いたものだ。
二人の感じはよく似ているように、思えるが、目の錯覚だろうか。
http://www.youtube.com/watch?v=J9nM9uuE-l8&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=s5aeeSmkPwQ&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=mPaCXTl9Oak&feature=related
シルビーバルタン"アイドルを探せ" http://www.youtube.com/watch?v=LBSI2KNiIbQ&feature=related
シルヴィ・バルタン Irresistiblement あなたのとりこ http://www.youtube.com/watch?v=x_80gqaTzJI&feature=related
ブルガリア西部の村、イスクレッツ生まれ、父はフランス人、母はハンガリー系ユダヤ人。10歳のときに一家でフランス・パリに移住。1961年17歳のとき、シャンソンのデュエット曲で歌手デビュー。1964年、映画『アイドルを探せ』に出演し主題歌を歌い、一躍人気スターとなった。
1965年4月12日、歌手の ジョニー・アリデイと結婚。1966年には息子のデビッド・アリデイが生まれるが1980年11月4日に離婚。その後、トニー・スコッティと再婚。
代表的な曲として「あなたのとりこ (Irresistiblement) 」、「アイドルを探せ (La plus Belle pour Aller Danser (Du Film "Cherchez L'Idole") ) 」、「ガス欠 (Panne d'essence) 」などがある。「アイドルを探せ」は日本では中尾ミエやhitomiなどがカバー。「あなたのとりこ」は、映画『ウォーターボーイズ』の挿入歌などで使われている。ほかにも日本語で「レナウン娘」などを歌っている。日本語の曲には「恋人時代」もあり見事な発音で歌っていることから、CDジャケットには「親日家」と評されている。映画出演は少ない。
エピソード ウルトラマンに登場するバルタン星人の名称の由来は、初出当時人気歌手だった彼女の名に由来すると言う説があるが、これは当時円谷プロで企画室長を務めていた金城哲夫の勘違いから発生した間違いであるとのこと。
これまで複数回来日しており、2008年3月26日にもTBS「みのもんたの朝ズバッ!」に来日生出演した
http://www.aplmusique.com/vartan/vartan.htm
「恋は、そよ風に乗って」
なかなか可憐な声で、グー。
昔の恋愛映画のポスターで、この子がビキニで南仏の浜辺で、大またを開いて寝そべっている写真が貼ってあった。
挑戦的、戦闘的。
私は去年、このCMを聞いて、TUTAYAに行った。あった。ありました。3枚も。
シルバーグレーの金髪がまぶしい。
早速ダビングして、10連装のCDに入れて、車で聞いています。
このころの男優といえば、ジャンボール・ベルモント、 カトマンズの恋人だ。
懐かしいねえ。
しかし、最近外国の歌が流行らなくなった。
ここ10年くらい、聞いたことがない。
いったいどうしたんだろう。
たまにブリトニーが、すねたような声で、なんか言っているが・・。(ブリちゃんもTUTAYAからダビング)
歌田ッぼくて、すねていて、はあはあ苦しそうで好きになれない。
この流れは青山テルマにも引き継がれている。
なにがそんなに苦しいのか。苦しい時代なのか。
外人男の歌手の歌も死に絶えたようだ。
谷村シンジがアリスを再結成したという。
53のコンサートを全国で開始。
谷村は言う「いま、時代の閉塞感がすごいじゃないですか」
マンガだけでなく、音楽業界もそうなのか。
なのです。
しかし「旅行」というものに強い憧れがあって、人から旅行の話
を聞いているだけで、旅行をしているような幸せな気分に浸れる
のです。
ですから、何気ない灰色ねずみさんの旅行の話も大変興味深く読
ませていただいております。
やはり、現地の言葉を勉強する事が大事なんでしょうね。・・・予算
の額よりも! 団体旅行の安全さや添乗員のサービスより!
「フランス人は冷たい」ように見えますが、ニースに行ったときのこと。
私が飛び込みで、平均的なホテルに夜6時ごろ入ったのですが、フロントとメイド、他の3人ぐらいのお客、全員無視でした。
でも、部屋を取るためどんどんフロントに向かって進みながら、「ボンソワール」(こんばんわすると)と軽い感じで一言いったのです。
すると全員が私のほうを振り向いて、お客までいっせいに「ボンソワール」と言い返してくれました。
とても礼儀正しく、親切な人々なのです。
これがチビのメガネがなにも声かけせずに、フロントに行って、「アウアウ、ルーム、ルーム」(英語)などと発言してれば、馬鹿にされたでしょう。(フランスでは英語会話人は馬鹿にされる。)
正しくは、ボンソワールのあと、「ウノペルソーン(一人です)」でいいのです。
私は「一人用の部屋はありますか」といったのですが、それは、シャープの電子手帳をみて発音したのです、
「アバブ ユーヌ シャンブル プール ユーヌ ペルソーン」
「アバブ(ありますか?) ユーヌ(アン=一人用) シャンブル(キャビンつまり、お部屋) プール(のための) ユーヌ(一人用) ペルソーン(パースンつまり人)」
でも、どこのホテルでも、他の欧米人はそんなことはいいません。ウノ(1人)か、ドゥー(2人)に決まっています。
指を一本立てて言えば完璧です。
考えてみれば、あたりまえの話なんですけどね。
ホテルなんですから、部屋があるかないかなんて。
こんな私ですが、エールフランスで飛び立つ前は、フランス語は一言も話したことも勉強したこともなかったのです。
秋葉で買った電子手帳を一つ持って出かけたのです。
フランス語はキャビンアテンダーつまり若いフランス人のスチワーデスから、学びました。
「フランス人は冷たい」のではなく、日本人自身に問題があるのでしょう。
私は海外では基本的に一人旅ですが、ドゴール空港に付いた時は、すぐレンタカーを借りて、シャンゼリゼ行きのリムジンバスの後ろに付きました。バスが出発すると、その後を追いかけて、30分後にはシャンゼリゼに着きました。
外人は、日本語を結構器用に話します。
それは必要な会話をセンテンスでマル暗記するからでしょう
日本人はパッケージバスツアーのなかから、目だけだしてる。
たまに話すと、英語で単語を一つか二つ連呼するだけ。
これでは馬鹿にされるでしょう。
ほんのちょっとした努力が、良い旅をもたらします。
いい女がいないのではなく、たまたまぼやっとバスを降りた場所で周りを眺めただけ、すると年寄りが多かった、いい女なんていないじゃないかと日本に帰ってきて話す。
でも若い女性に人気のあるレストランに行けば、パリ第1-10大学に行けば、オペラ座に行けば、ディスコに行けば、シルビーバルタンもどきに会えたでしょう。
「カンブリウ宮殿(3/23)はマンガ特集」のお知らせを、どうもあ
りがとうございました!
>徹夜さんの手に入れた銭ゲバはめったにない・・・
実は、Jプロには「銭ゲバ」や「アシュラ」などの古い名作の単
行本がほとんどありません。 全て、散逸してしまいました。
仕事場に、無造作に単行本が積み上げられているうちに・・・ゴミ化
したものと思われ・・・。
ps:適当放送さん、「3連発」は記念に残しておきましょう!
>ラティさん、へ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
>パリのシャンゼリゼ通りは
>犬の糞ばっかりで汚い・・・
そんな話もあるのですか・・・!
私にとって、パリというと・・・ロートレックやゴッホ、モジリア
ニなのどの画家とピアフやダミアそして街頭のアコーディオン弾
き・・・そんな・・・シャンソンなイメージがあるのです・・・
しかし、実際にパリに旅行した人の話を聞くと・・・(4,5人ですが)
あまり良い感想を聞いた事がありません。
「フランスで落ち込んで、中近東からアジアを旅して救われた」
「フランス人は冷たい」等々
そんな訳でもありませんが・・・ついにフランスとは縁がありません
でした。
>そういう思いもあって
>ヨーロッパとかではなくて、アジアの
>タイあたりに旅行をされたりしてたんですか?
やっぱり対日感情が良い国の方が行きやすいですね・・・。私の弟は
アメリカへ新婚旅行に行ったのですが・・・・
サンフランシスコか何処かの街を歩いている時にデカイ黒人たちに
「ヘイ、ジャップ! ヘイ、ジャ~プ!」
と、からかわれて随分と怖い思いをしたそうです。(注、30年前)
もっとも、本当の事を言えば・・・欧米にコンプレックスがあるとい
うより、財布の中身に自信が無かったからなのです。はい。
女はブスばかりだった!」
ちなみに私は、パリのシャンゼリゼ通りは
犬の糞ばっかりで汚い!!
とか聞きましたが(笑)
日本人はどうも、欧米人とか掘り深い
金髪碧眼などがかっこいいように見えるそう
ですが・・
逆に、あちらから日本人を見ると、
堀が浅くていいとかあるらしいですよ。
(堀が深すぎていや・・とかあるみたい)
後、、黒髪を茶髪にしている人とかみると
すんごくがっかりするとか言ってました。
せっかく綺麗なストレート黒髪なのに!!
とかとか、
ブログにはまったく関係ないですが、
ちょっと思い出したのでかきました
>私はこれがトラウマになっていて
>「きっと、ヨーロッパへ行ったら失望する
>んだろう・・・」と漠然と考えていましたが・・・・。
ちなみに、そういう思いもあって
ヨーロッパとかではなくて、アジアの
タイあたりに旅行をされたりしてたんですか?
失望はしないと思うけど・・・東南アジアの
ごちゃとした雰囲気とか好きならあまり
行っても面白くないと思われるかもしれない
ですねー
なんか変でした。
ついでに一言。
吉祥寺のブックオフは立ち読みが多すぎる。
タダで楽しみすぎ。
究極の200万円ライフか。
でも、徹夜さんの手に入れた銭ゲバはめったにない。
幸運でしたね。
過去50年、未来50年だ。
お見逃しなく。
マンガ過去50年、未来50年だ。
お見逃しなく。
マンガ過去50年、未来50年だ。
お見逃しなく。
>銭ゲバ文庫本・・・やっと買えました
お買い上げありがとうございました! 師匠に代わりましてお礼
申し上げます!
>灰色ねずみさん、へ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
吉祥寺、下北沢・・・そして、パリ・・・。都市の個性や風景、また、
そこに暮らす人々のお話、ありがとうございました!
>パリ15区で、とてもかわいい子とすれ違ったことがある・・・
パリの「かわいい子」とすれ違って声をかけてしまう、その勇気
に敬服します!
私は、高校の時(35年前)に友人がヨーロッパを旅行したのです
が・・・その時の体験談で印象に残っているのが・・・
「パリのシャンゼリゼ通りを歩いている女はブスばかりだった!」
これは、当時まだテレビや映画でしか欧米を知らないガキがそこ
に登場する金髪の美人たちを一般化する固定的な観念による誤解
なのですが・・・(NHKドラマ『おしん』を見て来た外国人観光客が
実際の日本に失望するのに似ている)
私はこれがトラウマになっていて「きっと、ヨーロッパへ行った
ら失望するんだろう・・・」と漠然と考えていましたが・・・・。
貴重な体験談をどうもありがとうございました! 個人的に、こ
うした緊迫感(美人局に引っ掛かってるんじゃないか?・・・とか)
のある海外旅行記は大好きです!
>・・・売人の一群か。
>こういうぶっ飛んだデモ隊を見たのは、初めてである。
昔のデモ行進と違って、今は「マリファナを合法化しろ」のデモ
行進ですか・・・!
私の好みとしては嫌いじゃありませんが・・・マリファナをやる人は、
こ~ゆ~疲れる事はしませんね。
吉祥寺、下北沢、若者の人出は相当多いが、特に他の町ではないものが、ここにあるとまではいえない。
少しへんてこなウエァー、へんてこな飾り類、ちっと変なたべものの店、しいていえば、若者が沢山集まるから、それらを見に行くと言う人も多いだろう。
でも、パギャルも含めて、どうもチャチイ人物、チャチイ装いで平凡な顔つき、スタイルの若者ばかりである。
これがパリだと少し違う。
パリもまたNYのように、人種の坩堝。ヨーロッパ中から結構いい女が集まってくる。男達も俳優みたいなかっこいいのがまじっている。
ある種の女達は宝石類をあびるようにつけている。それが、女子高校生だったりする。スペイン系の。ジプシー風の。この連中を見ていると、世の中こんなモデルみたいなすごい人間がいるのか、と驚かされる。
フランス女は品のいい、しっとりしたかわいい子もいる。
レストランでの話し声もかわいい。
パリ15区で、とてもかわいい子とすれ違ったことがある。20年前のことだ。夜8時。
そこでさっそく話し掛ける。20歳ぐらいのギャルだ。
「イクスキューゼモア ウー ソム ヌー」
「すんまへん ここは どこですか」
こちらは40歳のメガネのおっさんだ。
日本だったら、「しっ、しっ、と追い払われるところだろう」
でも、彼女は取り合ってくれた。
「なにいってんの、あんた。目の前にオペラ座があるでしょ、だからここは、オペラ座の前よ」
「なるほど、でもわいは日本から来たもので、ルアレの地下鉄駅をさがしているですがね」
そうなの!と彼女は言うと、それはこっちだから、と私の横について、どんどん暗い公園に連れて行った。いっぺん、地下道に潜り、しばらく歩いてまた地上にでて、約10分、ルアレの駅にたどり着いた。
「ここが、改札よ」というと、彼女はにっこり微笑んで手を振ってさよならの合図を示した。その少し後ろに180センチぐらいの色白の男が立っていた。
どうやらデート中だったようだ。
デート中の恋人に、「このおっさんを駅まで案内するから」とことわるまでもなく、彼女はどんどん暗い道を歩いて東洋人のおっさんを案内し、男もそれを止めるでもなく、彼女の後ろをついてきた。
国際都市の住人は徹底的に親切だった。
日本の若者はグチャとヨレているが、パリの若者は、背筋がぴんと伸びている、という印象をもった。
さて、今日は原宿から、表参道の散歩である。
一言でいうと、このストリートはパリ化しつつある。
安藤忠男の表参道ヒルズの影響もあるのだろう。
カルティエ、ブルガリ、サンローランなどガラス製の不思議なビルが多い。若者達が縁日のようにゾロゾロあるいている。
奥さんとゆっくりと流していると、向こうからデモ隊100人ぐらいが歩いてきた。警察の警護が物々しい。
何か叫んでいる。プラカードをみると
「マリファナを合法化しろ」と描いてある。
{あのくらいで、相撲取りを逮捕するほどのことか!}
と叫んでいた。売人の一群か。
こういうぶっ飛んだデモ隊を見たのは、初めてである。
30年前は「アメ帝、帰れ」「ベト反」のゲバ棒部隊が行進したところを、いまは、薬の合法化を叫ぶ連中が堂々の行進をしているのである。
>30年も一本ずつ違う読み切りを出し続ける。
>大変な才能です。
「怪物」です。
ちなみに、Wiki(!)によると・・・今年で連載36年目(約900本)
でした。
実は、『雲』は連載当時は人気がなくて、いつ打ち切りになるか
・・・という状態だったそうなのですが・・・・。
3/20号と今月号を読みました。
今月の雲はいままでと少しストーりーが違うなという感じでした。落語のほうも違うけど、殿様も巻き込んだ人情ものと言う感じでした。
毎月3本の新ネタを考え、人物の線を入れていくのも大変だなと思います。30年も一本ずつ違う読み切りを出し続ける。
大変な才能です。
背景もうまかったです。
>リョウさんが“漫画の中”で龍馬暗殺の真犯人を追い詰め
>るというやり方を取っていたら・・・
確かに・・・「全く別な結果が出」ていたかもしれません。
この事も近いうちにリョウさんに話してみたいと思います・・・。
>海坊主さん、へ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
宮本武蔵と井上雄彦先生のお話、ありがとうございました!
>描き尽くされた題材でも、物にする漫画家は、しっかり
>と売れる作品に仕上げる。
本当にそうなんですよね。 まさに、力の差は歴然と表れる・・
・・・・!(競争原理)
同じ様に龍馬の少年期を題材にした漫画を同時期に描いた二人
の人物がいたわけで・・・
それは、あたかも真剣勝負の様に「生と死」を分けた瞬間だっ
たのかもしれません。
描き尽くされた『宮本武蔵』を描いて、5千斤部を売った。
熊本現代美術館で、アンコールの「バガボンド」展を開いて、コンビにでも、その様子を写真集になっている。
かなりごま塩頭の禿げ上がったおっさんだが、毛糸の帽子をかぶると、それなりにいい表情をしている。
井上雄彦に坂本竜馬を描かせれば、今からでも成功作品を書くだろう。
結局、本人の力ということになる。
描き尽くされた題材でも、物にする漫画家は、しっかりと売れる作品に仕上げる。その裏にあるのは、すごい集中力と試行錯誤の積み上げだ。
BY WIKI
吉川英治の小説『宮本武蔵』が原作となっているが、武蔵の実姉が描かれていなかったり、佐々木小次郎が聾唖者(ろうあしゃ)であったりと、キャラクターや物語には井上独自のアレンジが大きく加えられている。表題も原作名である『宮本武蔵』ではなく『バガボンド』となっている。ちなみに、題名の「バガボンド(vagabond)」とは英語で“放浪者”、“漂泊者”という意味である。『宮本武蔵』という題名にしなかったのは、作者が、読者の読む前の先入観・好き嫌いを持ち出されるのが嫌だったのと、過去に実在した人物を好き勝手に描くのは後ろめたさを感じたからである[1]。
また、「一コマが一つの絵画として完成している」と評価されるなど、井上の画力には定評がある。当初井上は当時の服装である着物の描写が思うようにいかず、体の線が出にくいため、特に戦闘時に不自然さが現れてしまう事について悩んでいた。考えた末に井上は登場人物が裸の状態を下描きの段階で一度書き、その上で着衣を描き込むといった手間のかかる手法によって、この問題を解決した[2]。その為、本作品では通常の倍近い作業を要している。さらに、ペンでの描写に限界を感じたことをきっかけに、場面全体の雰囲気を変えるため、また鐘巻自斎の汚らしさ等を表現するために、いわゆる「小次郎編」開始時から作品途中にして完全に筆のみによって描画するようになった
黒鉄ヒロシ氏はそれに近いやり方をしましたが、エンターテイメントというよりも資料に近かった。
エンターテイメントな漫画として、龍馬暗殺の真犯人を追い詰める作品をリョウさんに描いてほしかったですねぇ。