Baradomo日誌

ジェンベの話、コラの話、サッカーの話やらよしなしごとを。

…え?…あ。(子どもの会話)

2006-04-26 | 子どもの視線・親の気持ち
4月当初のできごとだけれど。

Jujuはもうすぐ1年生。
学校はまだ春休みだから、昼間は学童保育所で遊ぶんだ。
お姉さんが一緒だし、保育園の時からのお友達も来るし、新しいお友達もたくさんできて、すっごく楽しい。
それからそれから、手作りのお弁当!
ほんとはね、今朝はお父さんが作ってくれる約束だったんだけど…またお寝坊?
今日もお母さんのお弁当だな。楽しみだな。

でも今朝はちょっといやな気持ち。
入学式は明後日だけど、始業式で学校が始まってしまうから、今日と明日は1人で学童へ行かなきゃいけない。
だって、本当はね、ひとりじゃまだ何にもできないし、お姉さんがいないと淋しくって淋しくって(な~んて、お姉さんには絶対知られたくないけど)。

「早く着替えなさ~い!遅刻するよ!」
「はぁ~い!」どたどたどた…。
お姉さんが新しいお洋服を着て降りてきた。
「あー、素敵な服!その服、どうしたの?お姉ちゃんにすごく良く似合ってる~!」
「あ、そ。お母さんにもらったの。」
…え?
よく似合ってるのに、あんまり嬉しくないの?

今日から私は5年生。
クラス換えがあるけど、仲のいい友達とまたいっしょだといいな。
ちょっと気になる男の子は…。
とにかく、今日は始まりの日。
このあいだお母さんが内緒で買ってきてくれた、新しいパーカーを着ていくんだ。
でも内緒だから、妹の服は買ってないんだよね。やきもち焼くだろうな。
…そうだ!お母さんのお古をもらったことにしておこう!私が着られなくなったら、妹にあげるよ、って。

「早く着替えなさ~い!遅刻するよ!」
「はぁ~い!」どたどたどた…。
新しいパーカーを着て階段を駆け下りた。
「あー、素敵な服!その服、どうしたの?お姉ちゃんにすごく良く似合ってる~!」
「あ、そ。お母さんにもらったの。」

…あ、しまった。
なんか、妹が淋しそう。
そんなつもりじゃなかったのに。
でも「いいでしょ?」なんて自慢げに言ったら余計悲しむだろうし、買ってもらったことがばれちゃうし…。
「Jujuが大きくなったらあげるよ」って言うのも忘れてたけど、まぁいっか。
玄関まで来ちゃったし、学校学校!

玄関出ようとしたらお父さんが来た。
「いってきまーす!」
「こら。もう少し妹の気持ち考えてあげなよ。」
「あ、ばれてた?」

錯綜する朝の風景。
もう少し、時間の余裕があれば、フォローできるんだけどね。

ウィンドチャイム

2006-04-26 | 鳴り物貯蔵庫
やっと届いたウィンドチャイム。
ついうれしくって、コンガはじめ自作カホン等とセッティングしてみた。
なかなかチャラ~ンチャラららら~ンと、いい感じで鳴る。

そこに娘1号が帰宅。
「なんか、太鼓って、高い音出していても、低い音も一緒に出てるでしょ?だから、こういう、ただ触ったらそのまんまの音だけが鳴っちゃうのって、一緒にやるといい感じだよね~。」
さすがに5年生ともなると、一丁前のことを言いやがる。
そして俺の許しも得ずに、ちゃららら~んドンパッと遊び始めた。

そこに合流した娘2号。
「あ~!なんかきれいな音ぉ~!!やらせてやらせて!」

ぢゃらぢゃらぢゃらぢゃらぢゃららら~ん!
うきゃ~!

私&娘1号「うるせ~!」。



JULIANA HATFIELD ~ USインディーの奥深さ

2006-04-26 | 今日の「この音」
ある方のBlogにJim O’rourkeの名を発見したとたん、ドミノ倒しのような記憶の連想ゲームが起こり、この顔を思い出させてくれた。

JULIANA HATFIELD 。
Blake Babies脱退後の1stソロ・アルバム。
92年だったかの発売、(多分)初来日時は、端正で凛々しい顔立ちと、年齢不詳の幼い声、ってのが大勢を占めた見解だった。

実はその渋谷のOn Airでの来日公演を観ている。確か93年か94年のこと。
当時のバンドのギターから、「Berry来るよ」と誘われて行ったんだよな。
そう、その時はBerryの方が人気で、ジュリアナはタニヤ・ドネリーの前座扱い。
かく言う私も、「ジュリアナ・ハットフィールドって、レモヘのイバンを捨てた女なんだって?」なんていうことしか知らず、曲すら聴いた事がなかった。
ところが!
その日、その1ステージで、私は完全にジュリアナその人に「惚れて」しまった。
スリムジーンズに白っぽいブラウスを着たポニーテイルの女の子が、むさいベースとドラムを従え、テレキャス(だったように思う)抱えてステージ中央に立ち、背筋をピンと伸ばして、まっすぐに歌を投げかけてくる。
これがなんとも潔く、凛としていてよかったのだ。
”Everybody Loves Me But You”なんて歌われた日にゃ、もうたまりません。
「惚れたあぁぁぁぁっ~!」と叫んでしまった。
何の予備知識も持たずに観にいったにもかかわらず、これはすごいぞ(単に好みだっただけか?)。
後にも先にも、こんな一目惚れは経験したことがない。

ところが。
後日、彼女の”I see you”という曲をバンドでコピーしてみると、最初のコードがわからない。
なんか妙な響き。
これってテンション?とか言いながら、ギタリスト、ベーシストのみならず、俺までギターを持ち、挙句鍵盤も使ったりして何とか判明したのは、なんかかなり不思議なフォームのコード(もう、音の並びも忘れたけど)。
そう言えば、彼女、カレッジで現代音楽専攻だった、とかって話を聴いたことがある。
Sonic Youthなどにもつながる、一種の音楽エリートだったんだな、実は。

USインディー恐るべし。

新しい展開だ!

2006-04-18 | 今日の「この音」
以前からときどき活動を共にしている、”ほーちみん”翔君がアコギ1本片手にオリジナル音源を携えてやってきた。
彼のように若く(15歳くらい年下なのだ)、素直に音楽と対峙している人間を見ることは、私にとってかけがえのない喜びであり、また、その秘めた可能性を無条件に応援したくなるのだ。
早速音源を聞かせてもらったところ、あいかわらず達者なギターにちょいファルセット気味のVocalで非常に耳なじみのいいメロディが寄り添い、なかなかいい。
オリジナル曲を作り始めて、まだそれほど完成した曲がない、とは言うものの、初々しくもある反面、彼の音楽性を素直に表現した楽曲が4曲。
非常に好感を持った。

今日の来訪の主たる目的は、これをライブでやりたい、私にパーカッションをつけて欲しい、ということ。
早速、カホン、コンガ、スプラッシュなどをリビングに持ち出し、リハーサル開始。
1時間ほどで3曲はある程度の形になった。
彼的には、「パーカス入ると、やっぱ雰囲気変わりますね~」と、手ごたえがあった様子。
うむ、おじさんも血が騒いできたぞ。
オリジナル曲なんざぁ、久しぶりだぜ。
私は作曲能力はないけれど、むしろそれだけに、まっさらな楽曲を練り上げる、こういったアレンジの作業には燃えるのだ。
彼の企画としては、基本的には二人でやるが、ゲストとしてジャンベ、サックスを入れようと考えているとのこと。
ジャンベとコンガ、どうなるかねぇ。
うまく絡むことが出来れば、かなり空間を作れるな。
むふふ、盛り上がってきたぜ。
盛り上がりついでに、先ほどネットショッピングでウィンドチャイムも買い込んでしまったよ。

予定は5月27日の土曜日、場所は松戸駅近くのショットバー、Slide。
請う、ご期待。

これだっ!!

2006-04-12 | よしなしごと
花粉症にしては長いこと鼻が詰まりっぱなしだなぁ~とか能天気なことを思っていたら、実は風邪をひいていたらしい。
それがやっと治ってきたのか、毎朝、鼻と痰がえらいことになっている。
昼間もすっきりせず、夕方になってもあ~ぐるじぃ~。
そんな調子で夕食の準備をしていたときのこと。
トマトソースを作ろうと、真っ赤な唐辛子を割き、種をしごき取り、にんにくとオリーブオイルが程よく温まったなべの中に放り込んだ。
そこでほっと一息、むずむずする鼻を指先でぬぐったその瞬間!

うぬぬぬ~?ξ○♪△※★!

…なによ、この熱と痛みは?
でも、あ~、なんか、ん~、気持ちよくなってきちゃった。
指先に残るカプサイシン酸が鼻腔を直撃したかな?

いんや~効きました。
その晩、寝るまで鼻が熱っぽかったくらい。
こりゃもしかして、鼻の穴に唐辛子突っ込んだらもっと効くかな?
ぶっ飛んじまったりして。
誰か試してみない?

Latin Playboys

2006-04-12 | 今日の「この音」

正直言って、最初にこのCDを聴いたとき、?が100個以上頭に浮かんでは消え、浮かんでは消え…。
良いか悪いか、なんていう次元を超えて、なんだかよくわからんが、気付けばCDプレイヤーのプレイボタンを再び押していた、そんな、「音」そのものの魔力に溢れたようなアルバムなのだ。

ロス・ロボスのデヴィッド・イタルゴとルイ・ペレスにミッチェル・フレーム、エンジニアのチャド・ブレイクが加わった、非常に、非常に実験的なプロジェクト、Latin Playboys。
ハイ・クオリティかつカテゴライズ不能な上質の音楽。
特に、奇妙に歪んだサウンドはチャド・ブレイクの仕事らしい。
ライナーによれば、チャド・ブレイクが世界中から拾い集めてきた様々な「ノイズ」、例えばインドのウェディングバンドの音、どこぞのバァちゃんの笑い声、とうもろこしをうすでひく音などなど、それこそ???という音がちりばめられ、土着的、とはいえ何処の「土着」なのかさえ怪しいリズムに、くぐもったVocalがのって、そりゃもう怪しさ全開なのだ。
たった2週間で録音してしまった、ということも信じられないが、これこそ雑食の極みにして、余白だらけ。
センスがある、ってのはこういうことなんだろうな。

関係ないけれどバスキアの絵を連想してしまった。


G.Love

2006-04-11 | 今日の「この音」
何を隠そう、俺はごった煮的な音楽が好きだ(って隠してないか)。
ただ、ごった煮とは言っても、その鍋(楽曲)にぶち込まれている具(要素)はいろいろあると楽しい、っていうだけで、ベースとなる「ダシ」の部分(グルーヴ)は、ブルース、ファンク、レゲエなど、黒っぽいものを感じさせてくれないと、ちょっと食欲をそそられない。

そこでG.Love。
この1stアルバムは、とっくに消え去っていたと思われていたOkeyレーベルの復活第一号とかいう話題性もあり、とにかく「黒っぽい」。
「ラグモップ」と自称する、ブルースとヒップホップの交じり合ったスタイルもさることながら、余計なエフェクトを一切排し、あたかも今、目の前で鳴っているかのように聴こえる音作りからは、彼らの真摯な態度が透けて見える。
ドラムに至っては、ベースの音に共振するスナッピーの音まで拾っているのではないか?

それは、トリオでやれる最低限の音づくり、でありながら、非常に計算された「緻密な余白」である。

初来日時の演奏では、G.Love本人はともかく、リズム隊がメロメロだったらしいが、それもまた、このアルバムにおける録音の妙、アレンジの妙を際立たせてくれるエピソードに過ぎないのかも。
その後、2回目、3回目の来日公演を見る限りでは演奏力も上がり、バンドサウンドになってきていたが、2枚目以降のアルバムでは、肝心の音作りからも「余白」が減少し、結果的になんか「普通」になっちまった。
そんな連中が作った奇跡のような一枚がこのアルバムだ。

従兄弟?はとこ?さらに竹馬の友

2006-04-10 | よしなしごと
一昨日の夕方、父親から、「母の従姉妹で、母方の本家のおばさんが亡くなった」という連絡を受け、今日は告別式に行ってきた。
なにせ、母の従姉妹、享年81歳である。
俺は会った事があるのかないのか、父に言わせりゃ「何度か会っている」らしいのだが、記憶があやふや。
でも行ってみれば見知った顔が結構いて、世間話には事欠かずに済んだ…のだが、よくよく考えてみると、俺の知っている伯父伯母&俺の従兄弟以外の母方の親類って、どういう関係なのかよくわからずにいたんだな。
例えば、娘の七五三で髪結いをしてもらった美容師のおじさん。
お袋は「親戚だ」としか言ってなかったんだよね。
あるいは、回りまわって父方とも親戚関係の人もいるし。
俺は父方の姓を名乗っているせいもあり、父方の親戚関係は大体わかるんだが…。

で、本日はショートカットを真っ青に染めて現れたその美容師のおじさんと、話してみた感じでいくと、どうやら現在60代以上の親類は、お袋の従兄弟&はとこ。
50代以下は俺のはとことさらにその先ってことらしい。乱暴な区分けだけど。
ちなみにその美容師さんははとこ。
田舎だけに、親戚関係が緊密なのはいいことなんだが、今のうちにきちんと関係性を聞いておかないと、こういうときに困るよなぁ。
わかる人間が減ってきたからなぁ。

ついでに今日、隣の斎場でやっていた告別式には、なんと俺の同級生が来ていた。
彼の父親は、俺の父親の友人であったため、一緒に家族旅行など行っていて、俺たちも物心ついた頃からお友達、高校まで一緒だったが、高校卒業後は成人式で会ったくらいだから18年ぶり?
彼の父は数年前逝去し、こっちもこっちでお袋を亡くし、と、つい葬式ネタと親ネタで話しこむ。
しかし、思わず「白髪増えたな」なんて言ってしまってごめんよ。
俺も俺で育っちゃったし。
お互い年とったなぁ。
しみじみ。

Get up with it

2006-04-09 | 今日の「この音」
あいかわらずマイルスを聴いている。
CDでは2枚組の"Get up with it"。
Disc1では、ペットを吹かずオルガンに徹するRated Xが秀逸。
何故、オルガンなのか。
邪悪とさえ言えるその響きは、ひるがえって、ジミー・スミスなどのオルガンジャズに対する皮肉にすら聴こえる。

Disc2は、なにやら能天気とさえ言えそうなCalypso Frelimoで幕を開け、Red China Bluesでは、そのまんまブルースだ。
と言っても、単なるブルースには終わらず、かと言って、ジャズのブルースでもない。

脱線するが、面白いな、と思うのは、Jazz funの人々は、「JazzのBlues」と「RockのBlues」を分けて考えていること。
Robert JohnsonもSunhouseも「RockのBlues」にされてしまう。
ある店でのJazzのセッションに参加した際、「Slow Bluesを」と言われて、そのまんま6/8で叩いたら、「これだからRockの人はBluesを理解してない」と言われ、ムッとしてしまった。
要するに、楽器の歌わせ方が違う、そんなに泥臭く上げたり下げたりしない、とかいった類の注文だったようだが、そやつはMuddyもWolfもLuis Jordanですら聴いた事がないと言う。
ちなみにその時やったのはNobody's Buisnessなんだけれど。まぁ、場違いな場所に入り込んじまった、ってことだろうな。

しかし、こんなことも思うのだ。
近頃は彼の地においてさえBluesは学習し、研究して身につけるものとなっているそうな。それじゃ俺たちと変わらんし、むしろ、認知度としては、我々にとっての祭囃子みたいなものに近いのかもしれない。
マイルスの時代はどうだったのか、勘繰りたくもなるが、少なくとも白人の聴衆をも取り込んでいたJazzの世界においてさえ、Folk Bluesなんざぁ…という意識があったとしたら、どうだろう?
もし、そうであるならば、マイルスはそんな不遜な意識に蹴りを入れていたのではないかな。なんせ、マイルス自体、非常に雑食度の高い人のようだから。

前述の店のお客さんたちをJazz右派とするならば、彼らがエレクトリック・マイルスなんてわからない、と言っていたのには非常に納得がいくな。
反面、あれはJazzを勉強してからでないとわからない、なんて、鼻を木でくくったようなことを口にしていた者もいたが、それこそずれてないかい?

さて、4曲目はBilly Prestonというタイトル。
進行的にはいわゆるR&Bを踏襲した曲調であり、なるほど、と思う反面、どこがビリー・プレストンなんだか、このタイトルにしなければいけない理由があったんだろうけれど。
しかし、とにかくFunky。

あえてライナーノーツ等で確認もせず、細かい情報もなく聴いていると、いわゆる黒人音楽の様々な要素をごった煮にしたような音、と思える。
今だったら、これはPrinceだな。
漠然とではあるが、VooDooという言葉が浮かんでくる。

もう一枚聴いてから、さらに考えてみようかな。

On the Corner

2006-04-07 | 今日の「この音」
Miles Davisについて何か書けるだろうか?と思い立ち、毎日マイルスの音源をアトランダムに聴いている。
Jazz右派の皆さんから見れば、バップ~ハードバップ~クールジャズ/モード~エレクトリックという順序で聴いていかなければならないのであろうマイルス。
しかし、理論上の薀蓄を理解し得ない私の耳には、いつ、どんなバックを従えていても、マイルスの音はやはりマイルスとして響く。
マラソン・セッションのマイルスもアガルタでのマイルスも、音、マウスピースを吹いて放たれる直線的な音像そのものは、大差ないように感じられる。
震えることのない、独特の直線的な、それでいて丸い音。

1972年発売の音源、On the corner。
レゲエのマイルス的展開とも考えられる表題曲、タブラ、拍手と口笛によるメロディが印象的なBlack Satinなど、謎めいた楽曲群、というより、壮大な組曲。
一般的に言われるところのJazzではない。
否、Jazzですらない、もはやマイルス・ミュージックとしか呼びようのない空間がそこには広がっている。
この空間を貫く、20年、30年後のクラブミュージックを先取りしたかのようなクールなファンクネスは、一体何を意味しているのだろう。
しかもこれは一見ダンスミュージック的でありながら、恐らく、多分、確実に、「踊れない」。

時々思うのだけれど、マイルスは誰に向けて音を放っていたのだろうか?
相対するものの心中まで見透かしてしまうような、あの鋭い眼光の印象が強すぎるためか、少なくともマイルスの音楽は聴衆に微笑をもたらすものではない。
そしてプレイヤーのみならず、聴衆に対しても強度の緊張を強いている。

また、特にモード以降のマイルスの音は、肉感的でありながら、直接聴衆に向かってくるものではない。
それは、バンドメンバーが織り成す音の磁場に照射した自らの音が、磁場に当たったその瞬間の瞬きをもって作品としている、あるいはその場の化学反応によって何らかの思想性を放出しようとしている、それら全てが渾然一体となって、初めてマイルスの音楽なのだ、そう主張しているように思える。
ライブ版においてもそのような傾向は顕著だが、彼の震えない音は、直接こちらの情感に向かってくることなく、必ず他者(=バンド)との距離感のなかで何かを物語る。

このような「構造体として音楽する」が故の帰結に、マイルスの思想性が感じられる。
それはすなわち「社会」である。
そして、そこかしこにアフリカンの「歴史」が表出する、アフロ・アメリカン・コミュニティそのものなのだ。