Baradomo日誌

ジェンベの話、コラの話、サッカーの話やらよしなしごとを。

部屋鳴り

2011-11-27 | 今日の「この音」
本来は客間だったはずの我が家の四畳半。
いまや私のコラ練習部屋兼楽器工作部屋として占拠してしまったので、家族のブーイングを全身に浴びている。

しかし、部屋を締め切ってコラを弾いていると、そりゃあもういいかんじに響き渡る。
複雑なフレーズ、速いフレーズを弾かずとも、揺らめきを感じる。
本来はこれくらいのスペースでやるのが望ましい楽器なのかもしれないし、ここで弾いている時と同じように弾ければ、ライブでも、もっと自由になれる気がするんだがな。
ライブをやると「癒しの音」だという感想をいただくことが多いが、こちらはそうは思っていない。
弦の撥音と、ひょうたんの中で回り重なる残音の間に何か見えるような気がして弾き続けているだけ。
しかし、PAを通すと楽器本来の響きが消えてしまい、その隙間がなくなる。
部屋鳴りが聴こえないからな~。

とりあえず、楽曲の練習だけでなく、セッティングの研究もさらに必要だ。

マイノリティの幸福

2011-11-22 | 今日の「この音」
先日のママドゥ・ドゥンビア氏主催によるensemble instrumental national du japonの映像。

http://www.youtube.com/watch?v=dtZmeGXEGcU


コラにジェリ・ンゴニ、さらに津軽三味線やら胡弓やらも入ってのジャラビ。
いきなり合わせたにしてはいい感じ。
しかし、持続音が出せる胡弓ってずるい!とか思ってしまう。

この日のステージは、このあとニャマ・カンテ&ジェリドン(終盤ぐだぐだになって旦那さんに演奏止められてた)、トリはレイルバンドにいたキーボーディスト、シェック・ティジャヌ・セックさんによるセッション?バンド。

この演奏がまた凄まじかったんだわ。

リラックスした演奏だけど、リズムがパシパシはまってきて、飽きさせない。
リードギターのママドゥさんが気が効いたフレーズを連発。
もう一人のギターは若いグリオ(名前を失念したが、女性グリオのマ・ダンバの息子だそうな)で、途中タマも披露。
そこにフランス人のドラム(ええ感じ)&ベース(えらい安定感)、そしておなじみダラマン・ジャバテ氏がドゥンやギタやマラカスを楽しそうに演奏。
もちろんシェックさんは最高にグルーヴィー。
そして、なんと言ってもボーカリストが最高だった。
ステージが始まる前、ダラマンから、「ボーカルはソリ・カンジャ・クヤテのほんとの子どもだよ」と聞いていたので、期待して見ていたのだが・・・オーラ垂れ流し状態。
本場のグリオってああいうもんなのか?・・・・めちゃくちゃうまい・・・かっこよすぎ・・・ありゃやばすぎるだろお?
光沢のある生地(バゼン)を贅沢に使った丈の長い民族衣装を着たでかいおっさんが、歌うし踊るし煽るし・・・・・・ちょっとゴスペルの説教師のようでもある。

これだけのクオリティの演奏を、無料で見れちゃうんだからありがたいねぇ。
しかし、いずれかのハコにブッキングしたら集客に苦労するだろう。
だって、哀しいかな、この国ではあまり知られていない人たちだから。
世界にはそれだけ「手練れ」がごろごろいる、ってことなんでしょうね。ママドゥしかり、ダラマンしかり。

加えて。
ママドゥさんの呼びかけによるEnsemble instrumental national du Japonのステージ終了後、最前列でニッコニコで見ていてくれたシェックさんに挨拶し、オレのコラは自分で作ったんだ、と話したら、Really? You made it?なんて返されたから、多分英語も理解できる人なんだろう。ちょっと貸せというニュアンスがあったので渡したらちょっと音出して、good , OK ! なんて言ってた。
例えば私がそういう「手練れ」と一緒のステージで演奏しちゃったり、話ができちゃったりする機会に恵まれ始めたのも、それは極めてマイナーな、競技人口の少ない楽器をやっているからに過ぎない。

普通の楽器演奏では、まずありえない話。

ありえないことが起きる理由は、彼らもこちらも少数派なのだ、という事実による。
互いにとってその事実が「幸福な一致」と思えるよう、謙虚な気持ちで演奏しないといかんなぁ。

いろんな感情

2011-11-20 | 今日の「この音」
本日は柏にできたアフリカンカフェ・ニンバのプレ・オープン・パーティーでコラを弾いてきた。
この店はフールカフェという店だったんだが、ここ数年間、柏近辺のジェンベ叩きの巣窟?となっていたこともあり、メニューもマフェにヤッサにアフリカンワインに・・・と変わり、店名も内装も西アフリカ一色に塗り潰された格好。
んな訳でメタルギニーの前座というか、人力BGMとしてお呼びがかかった。
最初にジェンベ部隊ギニー・バンバンがソリをやって、次が私。

BGMだからさ、皆さん飲んで飲んで・・・ってゆるゆる~っと30分くらい弾いていたら、途中からメタギのタカギくんが太鼓で参加。ヤラビやれ~、もっとやれ~と言われつつ、最後はバニでおわりにしたら、結局一時間近くやってたみたい。
タカギが入ると、いきなりサウンドが変わって面白かった。

次にメタギ。
ギターとコラ、サバールいったり戻ったり。
アフリカ音楽を血肉化し、練り上げている。
い。
最後はお約束のドゥンドゥンバ・パーティー。

終了後、リクエストがあったので、メタギのすぎぽんと二人でバニ。
そもそも私がここまでアフリカ音楽にはまった一つの大きな要因はメタギの存在なのだ。
その連中の前でソロをやる、そこのコラ弾きと遊びとは言えデュオするってことに、今夜は極度の緊張感と感動があった。

一方で、私のソロとしてもらった時間帯、演奏している私に話し掛けてくる人がけっこういた(そりゃそうだ、客の大半は仲間だし久しぶりに会ったんだしなぁ・・・)んだけど、混みいった話を振られてこちらの指が止まってしまったり、答えるために曲を打ち切らざるを得なかったり。
恥ずかしながら私も音楽屋の端くれである。
BGMと言っても、演奏には変わらん。弾くからには全力だし、むしろいわゆるライブより気をつかうのだ。
そこんところ、少しは理解してくれないと困る。
というか、軽く見られてるのかね、オレ。

とまあ、いろんな感情が噴出した夜でした。

アフリカン・フェスタでコラ弾いてきた

2011-11-13 | 今日の「この音」
今日は横浜まで出かけて、ママドゥ・ドゥンビアさんの呼びかけによるアンサンブル・インストゥルメンタル・ナショナル・ドゥ・ジャポンなる企てに参加してきました。
なんせ、コラなんぞという西アフリカの伝統楽器をやってるくせに、我流一本槍でここまでやって来たから、ご当地のミュージシャンのライブは見ていても、お知り合いはほとんどいない私です。
よく話すのはダラマンくらい。
日本にいるコラ弾きってぇとエピゾとママドゥなんですが、ママドゥさんとは面識がない。
んなわけで今日はいい機会だなあと思ったわけです。
会ってみたら、なんともおだやかな、ゆる~い紳士。
実は昨年、彼は私のコラの写真を見たことがあり、私の存在は認識していたそうです。また、フェイスブックで挨拶していたこともあり、垣根低くすんなり話せました。

ステージの方は、最初はママドゥのソロでコンコバ、ダラマン入れてなんか知らない曲、じぶこんのギター氏を入れてサラ?コンコバ、私含めたコラ部隊(九人!)入れてアララケ、ンゴニ三人+三味線三人+胡弓一人入れてジャラビ。
って、機材の関係でDIに繋いで音を出したコラはママドゥ、山田くん、そして私。
ママドゥは弟子である山田くんとゲンタに繋がせたかったようですが、なんかそうなっちゃった。
すいませんねぇ。
演奏上問題はなかったと思いますが。かなりよそ行きに、アコンパに徹しましたから。
ただ、メンバー紹介の時、私の名前がわからず、ママドゥがうしろ向いて「名前なんだっけ?」って聞いてきたのには笑いました。
オレだけ紹介なしでもよかったんだけどね。
ステージ最後列のセンターでしっかりPAから音を出してるんだけど紹介されない謎のコラ弾きってことで。
ま、それも失礼と思ってくれたんでしょう。
「この人はコラを自分で作って弾いてます」なんてわざわざ言ってくれちゃって。
その時ばかりはちょいとソロ弾いちゃいましたけど。
ママドゥさん、ありがとう。

「線」に関する思考のメタモルフォーゼ

2011-11-11 | 今日の「この音」


職場に、江戸博で行われた展示の図録があった。
数年前に開催された「大正期の浮世絵」展の図録。
ぱらぱらめくると、彫師や摺師の作業風景が載っていたり、版木の色がどう重なっていくのかがわかる図があったり、かなり楽しい。
ちょうど先日競演したベーシスト氏の名刺やHPの絵がとてもかわいかったので、あれはご自分で描かれたんですか?と尋ねたら、実は奥様が版画家でかくかくしかじか・・・みたいな話をしたことを思い出した(http://www.nobronson.com/toppage.html)。

版画って、「線」だ。
特に浮世絵(つうか錦絵)って、そもそもが筆の線だから、やわらかいし、生きている。

その図録の中にあった、橋口五葉、鳥居言人、伊藤深水らの裸婦像がまたとてつもなくやわらかい線で、すごいなぁ・・・と嘆息していたら、高校一年の最初の美術の授業のときのことを思い出した。

その授業は、その先生が「なぜ自分は美術を志したか?」を話す、というもの。
といっても、いきなりOHPでエゴン・シーレの裸婦デッサンを映し、「この『線』なんです!この『線』にやられちゃったんですね、当時高校一年生だった○○少年は!」としゃべくり続けること50分。終業の鐘が聞こえてもなお「これを見ていやらしいとか思ったらいかんぞ~!」と叫ぶその姿は、授業初日にしてすでにギャグのようだった。

しかし。

私もあの「線」にやられちゃったんですな。
って、美術を志すことはなかったけど。

その後、その教師からは盛んに美術部に勧誘された。
「オレ、剣道部ですから、兼部は無理っす」と断ったら、剣道部の顧問に直談判に行ったほど。
卒業してからその教師になんでそんなに誘ってくれたのか?と問いただしたら、「課題で書かせた自由画が、まさにエゴン・シーレのような中間色だらけの彩色だったから」なんだと。
そしてそれは「精神的に危険な状態かもしれないと思えたから」なんだとさ。

現在のオレが絵を描いたらどんな絵を描くんだろう?って、ちょっと興味が湧いた。