Baradomo日誌

ジェンベの話、コラの話、サッカーの話やらよしなしごとを。

ドゥンドゥンバと一拍子打ちと

2008-02-25 | ダトトパ教本(ネット版)
最近癖になっていること。
歩いている時や、階段を登っている時、右・左・右・左と進む足の動きを二拍子だとして、そのテンポで鳴っている太鼓をイメージして、それに呼応するジェンベのアコンパもしくは横太鼓のパターンを手で追いかけること。

例えば、右・左・右・左と進む足がドゥンドゥンバのケンケニのパターンならば、右・・左・・右・・左だとイメージして、トントト・・トントト・・と鳴っているものと考える。
これはケンケニが裏返っているんだけれど。
で、これをなんとか「ん~トントトん~トントト」なんだと感じなおすため、最初の「トントト(=右・・左)」を受けて、左足を踏んだそのウラからアコンパの手順を始める。

左んん右んん左んん右んん左んん右んん
んパッ㋣パトトパッ㋣パトトパッ㋣パト

この手順で叩くと、右足のところで右手も打つことになるが、これはアタマではないんだな。ほんとのアタマは左足を踏んだ、そのウラ拍だってことがキモ。
要するに、俺自身がケンケニに引っ張られて、本来の頭を見失うことが多いので、こんなトレーニングを始めたんだけれど、こんなことやりながら歩いていると、上半身と下半身が分離したように感じる。でも、妙にふわふわして面白い。
次に、足がジェンベのパターンだとしてケンケニ叩いたらこんな感じ?

左んん右んん左んん右んん左んん右んん
んチチんチチんチチんチチんチチんチチ
んん㋣んトトんん㋣んトトんん㋣んトト

・ ・・だんだんアタマだろうがウラだろうが関係なくなってきちまう。
これは、左から行こうが右から行こうが関係ないけれど、少なくとも左右ともアクセント的に意識するとばらばらになる。
例えばドラムセットの場合、2拍4拍でハットを踏む。
このため、1~2・3~4と細かく切り分けて身体を動かすことが多く、右左右左と確実に行ったり来たりを繰り返す振子みたいなもの。
だから、右は左へ移るためのスタートだし、左もまた右へ移るためのスタート。確実に4拍ともアクセント(=アタマ)。だから、各々のアクセントの間に、アクセントをつけるための予備動作(腕のバックスウィングやら、ハットを踏む足のタメやら)が入っている。

でもこの「んチトんトト」っていうドゥンドゥンバのケンケニのフレーズは、1歩めだけ「ん!」と踏んで、そのウラからケンケニのフレーズが始まって・・・結局、全部のフレーズが1拍目に「ん!」と行くための予備動作みたい。
1歩目だけ意識するから一拍子的。
1くくりの塊(=メロディ)として意識できないと止まってしまう。

「ん~トントトん~トントト」のうち、「~トントト」がゆっくり足を振り上げる過程で、どアタマの「ん」が振り上げた足をいきなり落とし、踏みしめたような状態と言うか。
あるいは「~トントト」がゆっくり片方の足に重心を移動させていく過程で、どアタマの「ん」が何の前触れもなく一歩踏み出したような感じ、というか。
2拍4拍にバックビートが入らず、振子的ですらない。
学生の頃、ある先輩が「アフリカの横ノリってよ~、行ったっきりで戻ってこないんだよな~」と言っていたことを思い出す。

なんか古武術の井桁崩しだとか、古流剣術の一拍子打ちにも通じるな。
アクセントとなる音は踏み込むニュアンスで、それ以外はそのための予備動作的なゆる~い体重移動の過程だとしたら、なんか納得できる。
グルーヴって、実はこんなところにキモがあるのかもしれない。

耳毛~あるサラリーマンの光景

2008-02-25 | よしなしごと
今朝の電車内でのこと。
俺はいつものように、進行方向に向かって左側のドア脇に身を寄せて立っていた。
いつもならば、俺が降りるべき駅までこちら側のドアは開かないのだが、今日は1本遅い列車に乗ったため、A駅で一度開き、新たにお客さんが乗ってきおかげで車内は一気に混み合った。
ふと目の前を見ると、もみ上げの剃刀負けも生々しいサラリーマン男性の横顔が。

にきびというか吹き出物の多い横顔。
でも、妙に白髪が多く、小じわも多い。
30代後半だろうか?生活が不規則なんだろうか?

耳の産毛が朝日にきらめく。
・・・耳たぶの産毛も妙に長いな。

朝日を浴びた産毛、って、別にうれしくもなんともないわいな。
耳の下の付け根のあたりが規則的に動いている。
ガムでもかんでいるのだろうか?
と、いやに深いしわが耳の付け根からまっすぐ下に伸びていることに気づいた。
まっすぐ?
・・・い、いや、微妙に動いてるぞ?
下あごが動いているのに、その動きとは無関係に揺れる「深いしわ」?

耳毛だ!
耳の、まさに付け根から、3~4センチはあろうかという長い耳毛が、下に向かって生えている!

なんかうれしくないけど、すげ~。

すると。
その男、そこに毛が生えていることに自覚があるのだろう、やおら人差し指と親指で毛をつまむと、グイっと抜きにかかった。

が、抜けない。

二度、三度と繰り返した後、爪をたてて毛をはさみ、またクイっ。

抜けたのだろうか?
男は爪先に目をやると満足そうに口元を緩め、窓の外に視線を移した。

・・・しかし。
実はまだ残ってるんだな~、君の「耳毛」。
しかも、コブタの尻尾みたいに「くるんっ!」とまるまって。

あ~!!抜いてやりたい!
このまんま出社したら、隣の席の奴とかが気づいて、でも突っ込めなくて、顔を背けてヒクヒク笑うであろうな。
俺が隣の席ならば、気づいても絶対突っ込まず、そのかわりいろんな奴に言いまくるだろうな。
あるいは営業に出た先で、取引先の女性社員とかがお茶を持ってきたところで彼の「コブタの耳毛」に気づき、給湯室の話題を独占しちゃうとか。
いや、意外にも、耳毛マニアの女性社員が気づき、それが縁で仲良く・・。

な~んてことを考えていたら、俺が降りるべき駅に着いちゃった。
「耳毛」男も降車し、改札抜けて俺が登るべき階段を登っていったから、また遭うこともあるかな?

あ~よかった。

2008-02-22 | サッカーよろずごと
先日の日本対中国の試合。
ゴールに突進したら、相手GKの足裏キックをもろにカウンターでくらって、そんまんま担架で退場となった安田理大(ガンバ)。
心技体言うことなし、見事なクリーンヒット。
ここまであからさまな暴力行為はジダンの頭突き以来久しぶり。
しかも、そのGKには何のお咎めもないってんだから、あれはジダン以上。

さすが、ジダンをして「一緒のピッチに立ちたくない」と言わしめた彼の国の選手は世界の上を行っているね。

と、それはともかく。
ブラウン管のこっちから見ていて、なにが気になるって安田の容態だった。
あばら折ったか?
内臓破裂とかしてるんじゃねぇか?

そんな1億総国民の心配を知ってか知らずか、昨日、彼のブログにはこんな記事が載った。


安田理大、生還しました。
中国の病院でレントゲンとCTを撮った結果、異常はなかったんでとりあえずは良かったです
でも咳をしたり笑うのも結構痛いんでまだ完全に安心はできないっすね。
心配してくれた皆さん、お騒がせしてすみませんでした。
http://blog.lirionet.jp/yasuda/


ったくもう!
とにかく安心したな~と思ったら、今度は「中国GKしばきたい!」だと。
 ↓
安田が練習参加「中国GKしばきたい」(日刊スポーツ) - goo ニュース

楽しませてくれるね、このヤンパパは。


情けない中年男

2008-02-20 | よしなしごと
いずれはまとめて書こうと思っていることがある。
もう4年前の冬のこと。
1月にあるブルースマンの死、続く2月にお袋の死、いずれも死因はがん。
連続した離別が、俺を奇妙な躁状態に陥れていたことを思い出す。

あるブルースマンのバンドのドラマーだった俺は、その年の春先に、お袋の看病のためバンドを抜けた。彼は「お袋さんがよくなったら戻ってきてくれ」と言ってくれていたのに、突然その彼の訃報が舞い込んだのだ。
俺は一体何をやっていたのかね。

彼はその時、45歳。
そう言えば、俺が非常に影響を受けた叔父も45歳で死んだっけ。
おかげで、俺は45歳という年齢に漠然とした恐怖心を抱いている。

お袋が死んだ時。
病室を出入する親類の様子から垣間見えたお袋の幼少時のこと、娘たちへのお袋の気遣い、そして親父の背中。
あの時に遭遇したもろもろの事柄が、すべて何らかの意味があって、俺に語りかけているように思えてならないのだが、まだどうにもオトシマエをつけることができない。
とりわけ、お袋の「死に方」について主治医から判断を迫られたことをどう捉えるべきか、いまだにわからない。

お袋は透析患者であるという理由で、当初は手術さえ危ぶまれ、手術後の抗がん剤投与も「効果がわからない・過去にデータがない」として医者から拒絶された。
「生きたい」というお袋の意志を尊重して、主治医は抗がん剤投与に踏み切ったけれども、最終的には薬石効せず、また、透析そのものも不可能となった。
透析を続けるか、あるいはやめるか。あの時、主治医はその判断を俺に迫ったのだ。

透析をやめるということは、つまりお袋の生命を止めることになる。
しかし、続けた場合にも、透析中に何らかの要因で逝ってしまう可能性は否定できない。
終末期医療の現場では、このような状況に頻繁に遭遇するのだ、とその医師は言っていたが、家族にとっては一度きりのこと。
後にも先にもあれほど思い悩んだことはない。

俺がお袋の人生を終わらせるのか?
それは一種の「殺人」ではないのか?

透析中に何かあれば、俺の判断で透析を中止させることもあり得るが、基本的には透析を継続する、という判断を下して臨んだその日、透析中にお袋の血圧が急落したため、その場で透析を中止。
その3,4日後、お袋は親父と俺とに看取られ、逝った。

結局、お袋は、自分の息子に「親殺し」の十字架を背負わせることなく、自ら「死に方」を選択したのだ。

多分、そういうことだ。


昨日、実家にいる親父に「今日で俺は40歳になったよ」と電話したら、「ああ、19日か。そうだな、変りねぇか?」と返ってきた。

変わりないよ、俺も、親父の大切な孫達も。

しかし俺は、実は先日から体調不良のため病院にかかり、精密検査を受けていたのだ。
昨日はその結果が出る日。生まれて初めて受けた細胞診検査。
幸いにもがん細胞はなく、腎臓はじめ泌尿器関係の問題もなかった。
ちょっと安心したんだけれど、この検査を受けてからその結果を待つこの1週間の間、俺は情けないまでにおろおろしていた。
カミサンは、「悪いものが見つかったら直せばいいんだし、どうしよう?なんて思わないことだ」と言うけれど、小心者の中年男はまるで迷子の子犬のように震えながらこの1週間をやり過ごしてきたのだ。

6年前になるだろうか。
お袋が「がんになっちゃったよ」と電話してきた時、上司と酒を飲んでいた俺は電話を握り締めて号泣してしまった。
いや、泣きたかったのはお袋だろうに。何が悲しくてがん患者に家族がはげまされにゃならんのか。
その後、主治医から治療方針を聞いたり、治療法の選択を相談する時など、親父よりむしろ俺が親戚一同のまとめ役的な役割を担わされた。
しっかりしている、あるいは、大人になった、と、お袋にも安心して欲しかったことは否めない。
しかしながら、今思い出すと恥ずかしくなってくるくらい随分と強気な発言をしていたように思うし、主治医に驚かれるほど冷静だったらしい。
とにかく、何が起こるのか、それを全部見ていよう、と思っていただけなのだが。

しかし、自分のこととなると、なぜにこうも情けないものか。
苦笑いするお袋の顔が見えるようだ。