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あいかわらずマイルスを聴いている。
CDでは2枚組の"Get up with it"。
Disc1では、ペットを吹かずオルガンに徹するRated Xが秀逸。
何故、オルガンなのか。
邪悪とさえ言えるその響きは、ひるがえって、ジミー・スミスなどのオルガンジャズに対する皮肉にすら聴こえる。
Disc2は、なにやら能天気とさえ言えそうなCalypso Frelimoで幕を開け、Red China Bluesでは、そのまんまブルースだ。
と言っても、単なるブルースには終わらず、かと言って、ジャズのブルースでもない。
脱線するが、面白いな、と思うのは、Jazz funの人々は、「JazzのBlues」と「RockのBlues」を分けて考えていること。
Robert JohnsonもSunhouseも「RockのBlues」にされてしまう。
ある店でのJazzのセッションに参加した際、「Slow Bluesを」と言われて、そのまんま6/8で叩いたら、「これだからRockの人はBluesを理解してない」と言われ、ムッとしてしまった。
要するに、楽器の歌わせ方が違う、そんなに泥臭く上げたり下げたりしない、とかいった類の注文だったようだが、そやつはMuddyもWolfもLuis Jordanですら聴いた事がないと言う。
ちなみにその時やったのはNobody's Buisnessなんだけれど。まぁ、場違いな場所に入り込んじまった、ってことだろうな。
しかし、こんなことも思うのだ。
近頃は彼の地においてさえBluesは学習し、研究して身につけるものとなっているそうな。それじゃ俺たちと変わらんし、むしろ、認知度としては、我々にとっての祭囃子みたいなものに近いのかもしれない。
マイルスの時代はどうだったのか、勘繰りたくもなるが、少なくとも白人の聴衆をも取り込んでいたJazzの世界においてさえ、Folk Bluesなんざぁ…という意識があったとしたら、どうだろう?
もし、そうであるならば、マイルスはそんな不遜な意識に蹴りを入れていたのではないかな。なんせ、マイルス自体、非常に雑食度の高い人のようだから。
前述の店のお客さんたちをJazz右派とするならば、彼らがエレクトリック・マイルスなんてわからない、と言っていたのには非常に納得がいくな。
反面、あれはJazzを勉強してからでないとわからない、なんて、鼻を木でくくったようなことを口にしていた者もいたが、それこそずれてないかい?
さて、4曲目はBilly Prestonというタイトル。
進行的にはいわゆるR&Bを踏襲した曲調であり、なるほど、と思う反面、どこがビリー・プレストンなんだか、このタイトルにしなければいけない理由があったんだろうけれど。
しかし、とにかくFunky。
あえてライナーノーツ等で確認もせず、細かい情報もなく聴いていると、いわゆる黒人音楽の様々な要素をごった煮にしたような音、と思える。
今だったら、これはPrinceだな。
漠然とではあるが、VooDooという言葉が浮かんでくる。
もう一枚聴いてから、さらに考えてみようかな。
CDでは2枚組の"Get up with it"。
Disc1では、ペットを吹かずオルガンに徹するRated Xが秀逸。
何故、オルガンなのか。
邪悪とさえ言えるその響きは、ひるがえって、ジミー・スミスなどのオルガンジャズに対する皮肉にすら聴こえる。
Disc2は、なにやら能天気とさえ言えそうなCalypso Frelimoで幕を開け、Red China Bluesでは、そのまんまブルースだ。
と言っても、単なるブルースには終わらず、かと言って、ジャズのブルースでもない。
脱線するが、面白いな、と思うのは、Jazz funの人々は、「JazzのBlues」と「RockのBlues」を分けて考えていること。
Robert JohnsonもSunhouseも「RockのBlues」にされてしまう。
ある店でのJazzのセッションに参加した際、「Slow Bluesを」と言われて、そのまんま6/8で叩いたら、「これだからRockの人はBluesを理解してない」と言われ、ムッとしてしまった。
要するに、楽器の歌わせ方が違う、そんなに泥臭く上げたり下げたりしない、とかいった類の注文だったようだが、そやつはMuddyもWolfもLuis Jordanですら聴いた事がないと言う。
ちなみにその時やったのはNobody's Buisnessなんだけれど。まぁ、場違いな場所に入り込んじまった、ってことだろうな。
しかし、こんなことも思うのだ。
近頃は彼の地においてさえBluesは学習し、研究して身につけるものとなっているそうな。それじゃ俺たちと変わらんし、むしろ、認知度としては、我々にとっての祭囃子みたいなものに近いのかもしれない。
マイルスの時代はどうだったのか、勘繰りたくもなるが、少なくとも白人の聴衆をも取り込んでいたJazzの世界においてさえ、Folk Bluesなんざぁ…という意識があったとしたら、どうだろう?
もし、そうであるならば、マイルスはそんな不遜な意識に蹴りを入れていたのではないかな。なんせ、マイルス自体、非常に雑食度の高い人のようだから。
前述の店のお客さんたちをJazz右派とするならば、彼らがエレクトリック・マイルスなんてわからない、と言っていたのには非常に納得がいくな。
反面、あれはJazzを勉強してからでないとわからない、なんて、鼻を木でくくったようなことを口にしていた者もいたが、それこそずれてないかい?
さて、4曲目はBilly Prestonというタイトル。
進行的にはいわゆるR&Bを踏襲した曲調であり、なるほど、と思う反面、どこがビリー・プレストンなんだか、このタイトルにしなければいけない理由があったんだろうけれど。
しかし、とにかくFunky。
あえてライナーノーツ等で確認もせず、細かい情報もなく聴いていると、いわゆる黒人音楽の様々な要素をごった煮にしたような音、と思える。
今だったら、これはPrinceだな。
漠然とではあるが、VooDooという言葉が浮かんでくる。
もう一枚聴いてから、さらに考えてみようかな。
仕方ないか?偉そうにしてるのは中でも
ジャズ連中の底辺の奴等か・・・・
パープル聴いてた奴が現プロのジャズミュージシャンてのもいるし、それはそれでいいじゃん
生まれてからジャズ以外聴いたことない奴なんていないし・・・
俺が思うにジャズは高度に成ることで発展してきたジャンルで、一連のマイルスのファンクで終わったと思うよ。高度な技術をもって、肉体と精神を揺さぶる音楽なんて他にないもん。
もしコルトレーンとラッシドアリの作品がスタンダードと言われたら、ジャズセッションに
いる奴は皆死刑だよ。そんな奴ら、マイルスとレノンがバスケットやってる映像みたらショックだろうな。セッションは何かが起こるから
面白いわけだし、追求するのは自分のバンドで
やればいいことだ
俺がよくジャズ右派という言い方をするけれど、それは俺のオリジンではなくて、その店のホストドラマー氏が使っていた言葉。
プロドラマーから見ても、そう見える、ってのが皮肉な話。
確かにどのジャンルにもいるけれどね、そういう輩は。
話をマイルスに戻せば、なんか、この時期のマイルスの音は、ジャズがどーたらファンクがどーたら言うことを一切合切無視、というか、そんなもんあほらし~とばかりに飛び越えたことをやっちまっている気がする。
その突き抜け感が爽快。
んで、ファンク路線のマイルスを聴くと、いつもそんなことを感じ、ややもすればブルース至上主義になってしまう危険性を秘めている自分に対する戒めにも聴こえたりするため。
しかしながら、個人的にはその時の経験が、演奏上も、楽曲に対するスタンス、という意味でも、けっこう生きていたりもする。
なにせ、雑食なので。
まぁ、音楽に対するスタンスの違い、ってことだろう。