Baradomo日誌

ジェンベの話、コラの話、サッカーの話やらよしなしごとを。

「日本人に騙(だま)されるな」

2007-09-27 | サッカーよろずごと
サッカー女子日本代表が、ドイツとの試合終了後、「ARIGATO 謝謝 CHINA」と書かれた横断幕を掲げてスタンドに頭を下げ、ホスト国に感謝の意を示したことが、彼の地で波紋を呼んでいるそうだ。

北京オリンピックに向けて、マナー向上を訴える中国政府。
しかし、こと日本が相手となると・・・。

昨夜のACL、浦和対全北でのラフプレーや観客のブーイングも凄いものがあったけれど、それはあくまでホームとアウェイ。
闘莉王の唇に穴が開いたり、しまいにはレフェリーに中指立てて食って掛かる全北選手がいたり、客席からペットボトルの集中豪雨が降ったり。
許される行為ではないが、自分たちが負けそうなんだ、オラがチームが負けそうなんだ、なんとかせにゃ!と思うのは当たり前のこと。でも負けちゃったんですが。

一方、彼の地の「愛国分子」は全く違う。
とにかくなんでもいいから日本人を侮辱し、排斥し、攻撃することにアイデンティティがある。日本対中国の試合でなくてもいい。いやむしろ日本対何処かの方がいいようなのだ。

前回のアジアカップなんてひどいもんだったしなぁ。
その結果、自分たちが国外からどう見られるか、客観的に見て、それが何を生み出す行為なのか、なんてことは度外視。
とにかく日本人に「小日本人!」とののしりさえすれば、自分たちは正しい。

この横断幕に関しても「同情を引くため」とか、「あらかじめ用意していたところに作為を感じる」とか、いろいろ言っているんだとか。
「右の頬を打たれたら」的な、予期せぬ反応に過剰反応しているようにも思えるけれど、「作為を感じる」って、否、「作為」なんだよ、この行為は。
何のため?
それくらい理解して欲しいよ、もういい加減で。

両国の歴史を考えれば、致し方ないのかもしれないが、「愛国分子」の映像を見るたび、まぁそんなもんだろう、と、驚きもしない自分にむしろ驚く。
しかしながら、もし、私の意識が平均的日本人のそれであるならば、彼の地の「愛国分子」との間にはそれくらい意識の隔たりがある、ということにならないか?
それは別に、どちらが正しいとか、上だとか言う話じゃない。
互いが、そういう地平に立っているという事実に過ぎない。

女子代表チームが身体を張って実演した「作為」は、その隔たりを埋めようとするもの。膝を交えて離せる距離に近づこうとする行為だ。
しかしそれは日本人的な理屈に過ぎないのかもしれない。
「矛を収める」という言い方がある。
剣道が目指す究極の状態。平和のために、何が出来るか?そのためにはまず剣を鞘におさめるべき。
極めて日本的な発想かもしれないが。

ならば、「愛国分子」的発想は?
自分たちが優位に立つため、日本人を、さらには世界を「騙す」ことはできないのか?
直球勝負の茶々入れる前に、スタジアムの観客動員して、世界にアピールできる「作為」を考えた方がいいんじゃないだろうか?




フェアプレー、中国に波紋 日本代表「感謝」の横断幕(産経新聞) - goo ニュース

ご家庭でもドゥンドゥンバ

2007-09-25 | 子どもの視線・親の気持ち
昨夜は娘2人ともどもメタルギニー・ミカちゃんによるダンス・ワークに参加してきた。
無論私は踊らず、修行僧のようにアコンパを叩かせてもらった。
足を引っ張ってしまいかねない、あやういアコンパだったけど、勉強になるんだよ、こういうことが!メタギご一行様、ありがとうございました。

さて、娘たちの話。
実は先日、長女がこんなことを言い出した。

「ウチが今まで習ってきた、『基礎』って、実は今通ってる教室だけのオリジナルみたいなものだったんじゃないか?って思っちゃったんだよね。」

この春先、ウチの長女は、あるミュージカルのオーディションを受けたのだが(http://blog.goo.ne.jp/yassakajp/e/09330a28de1acd07e4b72151936d6a4e参照)、そこで落選してしまったことに対するショックよりも、そこで見たこと・体験したことによる一種のカルチャーショックがきっかけで、自分が習ってきたダンスの「基礎」に対して疑問を抱き始め、かつテレビ等でいわゆるヒップホップのダンスをたくさん目にして・・・この半年、自問自答を繰り返してきたらしい。
彼女なりに随分と考えたのだ。
そこで導き出した結論?が冒頭の言葉。

「このままじゃ、やばい!って思うんだよ。
少なくとも、自分が本当にやりたいのはヒップホップなんであって、単純にダンスが上手になりたいと思っているんだよね。だったら大人のクラスに移るか、他のヒップホップのスクールに移るか、って感じかなぁ。」
つまり、環境を変えたいわけね。
「今のクラスじゃウチが一番体が大きいし、小さい子がすぐ寄ってくるから、ウチが大きく動いたらかえって危ないんじゃないか?って気を遣っちゃうんだよね。最近それが一番やだ。」
なるほど。
ならば、中学生になるまでの後半年の間に、可能なかぎりワークショップや体験教室みたいなのに行ってみるかい?
「うん、行きたいなぁ!」
じゃ、アフリカンもあり?
「こないだのミカさんのダンスさぁ~、すごかったよね!」

利根リバージャムで見たメタルギニーライブ。
お客さんが入り乱れていて「なんか大騒ぎしてるだけみたい」とか言ってたくせに、ダンサー・ミカちゃんの踊りだけはしっかり見ていた模様。
そのミカちゃんのワークあるけど、行く?
「試しに行ってみてもいいかも。」
と、そこに次女乱入。
「ずる~い!ウチも行く!」
あらま、君も行くかい!

この春から新体操教室に通い始めた次女。
長女と一緒にダンスクラスに通ってくるものと思っていたダンス教室主催者の落胆をよそに、毎晩嬉々として柔軟に励み、新しいレオタードを着てはくるくる回っている。
でも、相変らず次女は次女。
母親なり姉なり、頼れるものがいればすぐにすりよっていく。
そこがかわいいんだけど、来春から長女が中学生になることを思うと、もうすぐ3年生になる次女にはぼちぼち「自分は自分!」的な強さを持って欲しい、などと思ってしまう。
そんな彼女を大人向けのダンスワークにぶち込んだら、集中力が持つのかどうか、ちょっとリスキー。でも、普段とはまた違った一面を見れるのではないか?という期待(意地悪?)がムクムク。
誰も助けちゃくれないよ?な~んて脅かしても、「行く!」と頑張る次女。
本当だね?1人でやれるんだね?
はい、決まり!お二人様ご予約~!

さて。
実は2人の娘にとって、アフリカン(ギニア・バレエ)は初めて体験するものではないが(http://blog.goo.ne.jp/yassakajp/e/3941cec269ac3c9f45f79bea343ae80f参照)、本格的なワークは初めて。2人とも見事にヘロヘロになった。
昨夜のワークでは、次女はミカちゃんの真後ろ、全体のど真ん中に放置された。
衆人環視?のもと、どれだけやれるかと思ったら、ときどきわけがわかんなくなって助けを求めるような表情は見せるものの、逃げ出したりせず、なんとか真似て動いている。
途中、トイレに行ったりしたけど、その時も、
「お父さんはジェンベ叩いてて、リズムキープする役目だってミカ先生が言ってたから、お姉ちゃんに連れて行ってもらおう。」
なんて、殊勝なことも思っていたらしい。長女の受け売りかもしれないけど。
でも、普段の新体操は一時間のレッスン。昨夜は本格的なアフリカンアンサンブルの生音付きでみっちり二時間、しかも、初対面の大人ばかりの中で、一応最後までやり遂げたんだから、凄いよ、まじで!褒めて遣わす!

一方の長女は、帰宅早々、
「普段通っているダンススクールの15倍から20倍くらい満足!」
と母親に報告すると、溶けたような笑みを浮かべてソファにへたり込んだ。
まだ体力が余っていた(回復した?)次女が、母親を前にして「こうやって、こうやってたんだよ!」と再現し始める。
次女のステップは相変らずめちゃめちゃ。
すると、長女ががばっと起き出し、「違うよぉ!」と言いながら踊りだし、2人であそこの振り付けはこうだったのああだったのと大騒ぎ。はいはい、軽く叩いてあげるから。

そして異口同音に、
「すんごく疲れたけど、楽しかったぁ~!」

確実に何か残ったんだな。
俺も満足だ。

家族の食卓

2007-09-20 | 子どもの視線・親の気持ち
毎晩、相変らずマシンガントークを繰り出してくる我が長女。
父親がうざいとか、下着を一緒に洗って欲しくないとか、世間様並に反抗期?な感情を抱いているフシもあるが、それでもなおこうやって話しかけてくるんだから、うちの親子関係はまだうまくいってる方なのかもしれない。

私が帰宅するや否や、「そ~そ~そ~、でさ、ちょっと聞いてくれる~?」と始まる。
宿題は終わってるのか?と訊ねれば、
「あ~、終わってるよ、でさぁ、知ってる~?」
知らないよ、俺は君の同級生じゃないんだから。こっちは晩飯作ってるんだぜ?お前はただ食うだけかい?手伝いくらいしたらどうよ?
「あ、は~い、あ、そうだ、あいつがさ~うざいんだよ!」
あいつって誰よ?
「ほら~、☐☐よ!ほらあの、うちよりもちょっと小さくて・・・あいつがさぁ~今日さぁ~!」
・・・ふ~ん、まぁ、ご飯できたから。テーブル拭け、おはし用意しろ!
あ、おまえら学童で保育所でおやつ食べて、帰って来てからまたなんか食ってたな!
食器つかったら片付けろよな、もう!
「あ、忘れてた、これ学校の手紙・・・」
馬鹿野郎!そんなもん最初に出せ!
「だって、先生ったらさぁ、ひどいんだよ~!」
何が!何がひどいっちゅうねん!お前の方がよっぽどひどいぢゃないの!
俺は仕事して急いで帰って来て、水も飲まず、タバコも吸わず、ちょっと座ることも着替えさえもせずに晩飯作ってんだ!
な~のに、お前はひたすらくっちゃべってるだけでなぁ~んも手伝わず、飯だけ食おうって了見かい?おやつ食べて、帰って来てからまたなんか食ってたくせに、ま~だ食おうってのか?腹減ってんだぞ俺だって!
宿題広げたまんまテレビに目を奪われて呆けてる次女!お前も手伝うの!
働かざるもの食うべからず。貴様ら飯抜きだ!俺が全部食ってやる!!
「え~?お母さんの分は?」
・・・妙に冷静なこと言ってんじゃねぇ!!とっとと働けぇ!!

ぴんぽ~ん!
「あ、お母さんだ!おっかえりぃ~!あのね、今日学校でね~!」

嗚呼、家族の食卓。


有難い体験

2007-09-19 | ダトトパ教本(ネット版)
過去、ライブ中にベースの音が聴こえない、と言うか、「消えた」という感覚を味わったことがある。特に、あるベーシストと共演すると、ライブでは毎回、彼の音が「消えた」。
しかし、離れた位置にいる彼の体温までも感じられそうなほど近くにその存在を感じる。
そんな時、肝心の出音は非常に心地よいグルーヴとなっているらしい(当時の観客談)。
それはきっと、なによりも彼のプレイヤビリティのなせる業であり、また、テクニック云々を超えて、双方の波長が見事に合致したために起きる奇跡のようなこと。
人前で演奏するってことは、多分、そんな奇跡を絶えず提供していかなきゃならない、ってことなんだろう。

日曜日のthe Fool Caféでのライブ。
いつもどおり、アコギ+ジェンベ。単音・低音のベースとは違い、アコギのコード音が完全に「消える」ことはないけれど、ギターの音よりも中村翔その人の気配を感じて叩いている時間がほとんど。
ギタリストとしての彼の腕がいいことはもちろんだけれど、随分と練れてきたものだ。

観客の皆さん、ありがとうございました。
またここでやりたいです。

さて。
日曜日のメインアクトは、岩原大輔氏・山下剛史氏によるアコースティックユニット、MURPHY。
初めてライブ観戦したけれど、いい意味で荒くて良い。
岩原さんのジェンベ+αによる繊細なパーカッション遣いは無論のこと、山下さんの豪快なギターカッティングは説得力がある。役割分担は俺等と間逆だな、と思うけど、そこは十人十色。編成が似てるからって、同じことやってたんじゃ意味がない。
たまたま店側にPA担当が不在のため、急遽PAも担当して音作りの段階から絡ませてもらったおかげで、このお2人がどんな音を出そうとしているのか、その輪郭程度は理解できたように思う。
本編終了後、アンコール。
セカンドライン風Got my mojo workin’が始まったところで岩原氏よりお呼びがかかり、私ら2人も飛び入り参加。
場を荒らさぬようがんばりま~す!

ところが。
自分の感覚より若干テンポが速く、ソロは自滅!
あれれれ~っ?って感じで弱気に中途半端なフレーズを叩いてあっさり終了。
かっちょわり~。リズム叩くのはなんら問題ないんだけどね。
なんだかなぁ。
ま、いつだって、恥かきながらもがいてきたんだし。
気にしない気にしない。これも勉強、あれも勉強。

そして再度アンコールがかかり、再び混ぜてもらうことに。
今度は彼らのオリジナル楽曲。「単純な4・4の曲だから、てきとーに合わせて!」という言葉にすっかり安心。
始まってみればちょっと16っぽい、若干はねた曲。
今度はソロとらないよ、アコンパだけで行こうかね、と岩原さんの手元を覗き込みながら、ほぼ同じパターンを叩いているうちに、だんだん気分良くなってきちゃって、ワンコーラス終わったあたりで構造が見えたのをいいことに、それ以降はいくつかのアコンパを混ぜ、ついでにメロディの隙間にフィル(というより自分としてはオブリのつもり)を入れながら、本当に自由に、勝手に叩いてしまった。
ま、タイム感はキープしつつ、なんだけれど。
場を壊すプレイはしなかった、と思ってますが(否、壊しっぱなしだったりして・・・)。

ここからは勝手な感想。
俺自身は確信犯的に絶えずフレーズを変化させていったのだけれど、もともとそういう構成だったのか、彼による故意か偶然かわからないけれど、岩原さんのフレーズが次第にソロっぽくなっていった時、当方の感じているグルーヴとぴたっとはまる瞬間が何度か訪れ、次第にその間隔が狭まっていった。よし、ここだ!と思うと、少しずつではあるがこちらからもレスポンスを返せるスペースが見えてきた(勝手な感想ですよ、あくまで)。
きっと、岩原さんがこちらの意図を察してそうしてくれたのだろうし、それだけ岩原さんの間口が広い、ってことなんだけれど、彼が完全にフリーなソロに移行してしまうと、多分「普通」で、つまらない音になってしまうだろう(い、否、岩原さんの超絶プレイは十分凄いんですけど)。
先日、某ライブハウスのスタッフから「パーカスのアンサンブルを!」という話をされてから、漠然と考えていたことではあるけど、「ここは○○のソロ!」とか、「○○は◇◇のアコンパだけ」とか、きっちりと役割分担を決めて演奏するだけではなく、絶えず2人のドラマーがコール・アンド・レスポンスしながら絡み合うようにして、総体として1つのグルーヴを紡ぎだすことが出来たら、それはどんなに素晴らしいことだろう。

踊りまくるお客さんを、岩原さんの肩越しに眺めつつ、「これが、入り口か?」と感動してしまった。

多分、この夜一番おいしい思いをしたのは俺だろうな。
岩原さん&山下さん、ありがと~ございました。

実りの秋~音楽の秋~太鼓叩けば腹が減る

2007-09-16 | LIVE情報
9月16日(日)
 at 柏 Fool Cafe http://www.thefoolcafe.com/FOOL.LIVE.html

Main act ~ MURPHY 
  ポカワークのジャンベ講師、岩原kalou大輔(ジャンベ、パーカッション)と
  山下剛史(アコースティックギター、ボーカルの2人が結成した
  アコースティックグルーブユニット!

前座 ~ 中村翔(Vo.G)&さかいり(djembe)

 OPEN 19:00 - START 20:00~  2,500円(1D付き)
 私どもの出番は20:00~です。

10月14日(土)
○ 中村翔(Vo.G)&さかいり(djembe)
 at高田馬場・四谷天窓 http://www.otonami.com/tenmado/news/
 18:30 st ¥1500 ※出演順未定

怒り

2007-09-14 | よしなしごと
ここ数年、スーパーで塩鮭を求めれば、そのほとんどが「チリ産」。
しかし、あれは日本人が現地に赴き生産しているのであり、しかも、海には出さず、湖などで養殖しているものなんだそうだ。
おかげで国内の鮭漁・鮭販売はけっこうな打撃を受けている模様。
そりゃそうだ、チリ産の方が安いし、一年中入荷される。
でもね。
俺的にはあんまりうまいと思わないんだよね。
なんたって、河口付近で一網打尽にした鮭は臭みがなくていちばんうまい。
でも、川に遡上してきて、すでにぼろぼろになった鮭であっても、西京漬けにするとこれはこれでうまい。
何故か?
鮭の一生の話を家族で出来るからね。それが食育ってもんだろう?
湖に閉じ込められて、えさも人工的なものばかりで・・・なんていう鮭の哀れな一生を聞いても、同情こそすれ、生命に対するリスペクトを育むことが出来るんかい!

と、こんな記事を見つけた。
 ↓(以下引用)

ニジマスしか産まないヤマメ…精原細胞を移植 9月14日3時4分配信 毎日新聞
ニジマスしか産まないヤマメを作り出すことに、吉崎悟朗・東京海洋大准教授(魚類発生学)らの研究チームが世界で初めて成功した。高級魚のクロマグロの稚魚を同じサバ科の魚に産ませるなど、魚類の生産や絶滅危惧(きぐ)種の保全に道を開く技術で、14日付の米科学誌サイエンスに発表した。
 研究チームは06年、精子のもとになるニジマスの精巣の細胞(精原細胞)を同じサケ科のヤマメに移植すると、ヤマメのオスではニジマスの精子が、メスではニジマスの卵子ができることを突き止めた。
 しかし、ニジマスの精子や卵子の割合は1割以下にとどまり、残りはヤマメの精子・卵子が占め、実用性は低かった。
 そこで、ヤマメの精子や卵子を生じさせない手段として、不妊症のヤマメを「親」にすることにした。すると、ニジマスの精原細胞を移植されたオスのヤマメはニジマスの精子だけを、メスのヤマメはニジマスの卵子だけを作るようになった。
 得られた精子と卵子の人工授精で誕生した稚魚はすべてニジマスだと遺伝子解析で確認でき、生殖能力も正常だった。
 研究チームはニジマスの精原細胞の凍結保存にも成功した。他の魚類でも保存可能とみられる。
 吉崎准教授は「漁業資源として重要なマグロを生産するために、仲間のサバを使って試したい。魚類以外の動物で応用できるかどうかは分からない」と話す。

 ↑(引用終了)

ニジマスしか生まないヤマメ?しかも、「不妊症のヤマメを親にする」だと!
どうやってその固体を探すんだ?もしかして、それも人工的にやるのか?
サバがマグロを生む?そうまでしてマグロ食いたいか?と問われれば、「・・・食べたいです」と言ってしまうんだろうけれどね、俺も。しかし・・・。

このニジマス生みのヤマメも、クロマグロ生みのサバも、人間のエゴのためにその一生を自然界のサイクルと切り離されてしまうのだ。
それって、生きとし生けるものとして、正しいこと?

グリーンランドの氷河が激減して、シロクマが絶滅の危機にさらされるのも時間の問題だという。
昨夜の某局のニュースでは、「シロクマが動物園でしか見られなくなるのも、時間の問題かもしれません」などと言っていたが、それも違うんじゃないのかなぁ。
温暖化を止める方が先でしょう?

この世界で、自然を破壊し、総体として他種の存在を脅かす所業を続けているのは人間だけだ。
何でも食べられて、何でもできる、そんな便利な社会。実はこれほど不自由な社会はない。
なんでも自分で探して、作らなくては生きていけない、不便な社会。実はこれほど自由な社会はないのだ。

女子W杯初戦なでしこvsイングランド、男子A代表vsスイス、そして五輪代表カタール戦。

2007-09-13 | サッカーよろずごと
 女子W杯初戦なでしこvsイングランド、男子A代表vsスイス、そして五輪代表カタール戦。
 この3つの試合に共通することは、とにかく流れの中でのシュートが入らない!ということか。
 得点は、なでしこ2、A代表4(!)、五輪代表1。
 A代表のロスタイムでの逆転弾を除き、全てセットプレーからのもの。
 これがサッカーの「日本化」であっては困るけれど、見方を変えれば、この事実こそが日本サッカーのレベルに対する、至極まっとうな評価のようにも思える。
 アジアのサッカーとヨーロッパのサッカーの違い、あるいは南米、アフリカとの違いなど、日本なんてまだまだ二流、三流の国だから、どことやっても自分たちのサッカーを貫けるわけではない。そういった意味で、日本サッカー協会が掲げてきた、一種の「脱亜志向」は、結果的にアジアでは苦戦、ヨーロッパ・南米相手には善戦、アフリカ相手は時の運、というレベルの、妙に中途半端な状態を生み出しているようにも感じるが、それはあえて王道を進もうとするが故にぶち当たった壁かもしれない。

なでしこ対イングランドは、開始早々なでしこが押し気味に進めたものの、徐々に主導権を奪われ、一進一退の攻防となったが、とにかくシュートが枠を捉えることができない。
 後半、目の覚めるような直接フリーキックで先制したものの、その後イングランドにいいように攻め立てられ、あっさり力負けしたように逆転。
 ところが終盤粘りを見せ、ロスタイムにまるでドラマのような直接フリーキックで同点にしてドロー。
 フィニッシュに持ち込む過程、中盤での守備など、課題は散見するが、とにかく追いつく、試合を「捨てない」というメンタリティが呼び込んだドローだった、という点で評価に値すると思う。実際、日本が主導権を握った時間帯のパスとドリブルを絡めた攻撃は、横のスペースをワイドに使って、後ろから追い越す動きも豊富に見られ、非常によかった。

 A代表のスイス戦は、前回W杯ベスト8という相手の実績に臆したのかなんなのか、セットプレー、そしてなんとハンドによるPKにより前半で2失点。
 ところが後半、松井の突破からPK、セットプレーから巻が利き足の頭で決めて同点、さらにコーナーキックからPKを得て逆転!
 と思ったら、コーナーキックからまたもやぶち込まれて同点。
 なんだよ~!と思っていたら、ロスタイムに山岸~中村憲とつないでシュート、こぼれ玉に矢野が突っ込んで再逆転!
 相手はヨーロッパ選手権を控えて選手のテスト的な意味合いが強かった(5人交替させている)ため、後半は動きが悪く、勝ったとはいえ手放しで喜べるものではない。
 個人的には、何故山岸なのか、何故大久保や前田を連れて行かなかったのか、なぜ中田浩二を呼ばなかったのか、など疑問は多々ある。
 
しかし。
 なんだかんだと叩かれ続けてきたオシムのチームが、後半見違えるような連携と精神力を見せて追いつき、追いつかれ、さらに逆転した。そして、交替選手がそれなりの結果を出した(巻⇒矢野、中村俊⇒中村憲、松井⇒山岸)、というオシムの采配。
 これは評価すべき点だと思う。

 そして昨夜の五輪代表。
森島の1トップ、家長と水野、柏木が並ぶ中盤、梶山と本田拓のダブルボランチに、伊野波、水本、青山直、内田の4バック。
 森島・柏木・内田のU20トリオが新鮮だ。もはや平山と心中すべきではなく、精神力と体調を考慮した人選とすべき。そういう意味で、U20チームの連中は「旬」だ。他にも、梅崎や槇野あたり置いておきたいけれど、五輪はベンチ入り枠が18人までだからなぁ。
また、できれば伊野波より安田を使って欲しかったが、内田とのバランスを考慮しての布陣だろうか?
試合の方はいつになく日本が能動的に試合を進め、前半早々に水野のフリーキックを梶山が頭で合わせて先制。
しかし、この後何故か日本がペースダウンし、追加点が奪えない。
ペナルティ付近までは行くのだが、そこから先がつながらない。
ときおり森島がミドルを打つ程度。
というのも、森島が楔になった場合、落としたボールを拾いに行く選手がいなかったり、森島がサイドに流れて展開しようとした場合、森島からのパスを受けようとする選手がそのサイドにかたまりがちで、中央に切れ込んでパスコースを空けるような、「第三の動き」を意識した(やろうとした)選手がいないため。
相手がべったり引いているから走ること自体も難しいのかもしれないが、相変らず外でパスをまわしているだけでは、相手選手を引き出すことにはならない。やはり人が突っ込んでいかないと、スペースは開かないのだ。
ボールを見せて相手をつり出した場合、どうやっても自陣近くで1対1の局面になるが、そこでパスミスをすればすかさずカウンターの脅威にさらされる。
むしろ、相手陣内に切れ込んでいくフリーランニングを絡めれば、それは相手をつり出すのではなく、相手をどちらかのサイドに寄せることとなるため、そこでボールをロスしても守備に戻る時間を稼ぐことが出来る。
本来、柏木と家長がその任に当たるべきだったと思うが、実はベトナム戦の後、柏木の動きについて「動きすぎ、裏を狙いすぎ」と反町が苦言を呈していたことを考慮すれば、2列目の選手の動き方については相当の制約があったと思われる。これぞ監督の戦略ミスだ。
つまり、どこで攻撃にスイッチが入るのか、意思統一できていないのだ。
この傾向は特に後半、逆サイドの水野が左に流れてくることが増えるとさらに顕著となっていき、逆にパスミスからカウンターを食らって再三ゴールを脅かされる遠因ともなっていた。
そして、梶山が怪我で交替し(⇒青山敏)、本田が退場となってからは、さらに攻撃力が落ちていき、おそらく逃げ切りを図った反町は、水野に替えて近藤を投入。
でも、これってどうなんだ?
梶山に求められていたのは攻守とも半々、むしろ守備偏重。ならば、伊野波をボランチに上げて(もしくは3バックに移行)、安田を入れることでむしろ攻撃の基点をずらすことも出来たのではないか?そして、水野から替えるならば、近藤ではなく、岡崎だったのでは?
近藤を入れることで、守備の安定化を図ったにせよ(相手の8番だったかにマンツーマンでつくことになる)、それは受身だ。この試合、特に守備面で目立っていたのはむしろ家長、梶山、森島であり、それはすなわち前目からプレスをかけていたことを証明しているのであって、受身になれば必然的に相手は上がってくる。わざわざパワープレイをさせる必要はない(パワープレイ以降は水本、青山、山本が大活躍だったが、そりゃ当たり前だ!)。
また、家長に特化して言えば、彼にはサイドをえぐるのみならず、中央に切れ込んでフィニッシュまでいくパフォーマンスを見せて欲しい。それだけの能力はあるはずだ。特に水野が交代して以降、彼の前には広大なスペースが生まれたにもかかわらず、サイドの上下のみに固執し、試合自体非常につまらなくなった。
今回の予選は2試合連続で相手の退場により終盤はパワープレイ、でも点が取れない、という展開が続いたから、今回は逆をやってみようとしたのかもしれない。
確かに時間を殺すプレイは重要。しかし、このチームはまず進化する必要があるのだから、同じ「kill the game」のプレイであっても、もう少し違うやり方があってもいい。
また一方で、家長と水野の共存、あるいは柏木を加えたトリオの難しさも垣間見えた気がする。
彼らの持ち味を発揮させるためには、もう1人、後ろから彼らを操る選手が必要。梶山がその役を担っていた前半は、ある程度機能していた。
梶山が故障した場合どうするのか?また、次戦ではおそらく復帰してくる本田圭佑がその役を担いつつ、サイドバックもこなすのか?
加えて、次戦欠場となる本田拓の不安定さもマイナス要素だ。
伊野波をボランチに据え、水本+青山直のCB、サイドに内田、安田が基本陣形ではないのか?そして、その前に梶山をセンターに、左から家長・本田圭佑・水野と並べて1トップの森島、という布陣でスタートすれば、もっと強引な展開力が望めるのではないか?

邪推だが、やっとオリンピックを目指すチームを作る準備が出来た、のではないか?ずいぶんと協会からプレッシャーをかけられているようだが、反町監督もいい意味で開き直って、自分の戦術優先ではなく、気合を全身から発散できる選手を選び、戦って欲しい。
 この年代がアジアでもたついているようでは、2010年の先まで見据えているオシムの「日本化」など、夢のまた夢だ。

こんなまねが出来るのか!

2007-09-11 | ダトトパ教本(ネット版)
先日のママディ・ワークで教わったクク・デ・マオカをうろ覚えながら譜面にしてみた。
今までの文字データよりは読みやすい。
なんせ、エクセルで作ってペイント画面に移して、jpegで記憶させて、やっと貼り付け。
もっと簡単な方法はないのか!

なお、この記載について、ママディが「著作権侵害だ!」と怒ったら、速攻消します。

New Djembeの心地いい音

2007-09-10 | ダトトパ教本(ネット版)
昨日入手したギニアジェンベ。
楽~にトンが出せて気持ちいい!
カンカンに張った状態ではないけれど、しっかりスラップも出せるし。
(上記写真は販売元HPより無断拝借しちゃいました。すいません。)

喜び勇んで、午後開催された岩原ワークに持ち込んだところ、講師岩原氏も「いいですね~」。レッスン中、私がドゥンを叩いている時に、岩原氏がこいつでソロを叩いたら本気で気持ちいい音が出てきた!あ~、こういう音を出したい!!
楽器に対して自分の掌をチューニングしてしまうというか、スウィートスポットを見つけることに長けているというか。当たり前のことなんだけど、そこがプロとアマの差。
己が技量不足が情けないけど、このジェンベはもう俺のだもんね~!俺なりにじっくりポイントを探っていくのさ・・・。

とかなんとか、1時間半くらいのワークだったが、最後の方ではそれなりの音になってきたかな。
岩原氏の音にははるかに及ばないけれど。

ドラムセットを叩く場合もそうなんだけれど、いい音を出す=いかに脱力するか?だし、いいグルーヴを出す=いかに脱力するか?なんだ。俺の場合は。
とはいえ、あまりに脱力してしまうと指が丸まってしまうから、指は指先が引っ張られているような感じで伸ばし、肩甲骨~肩~肘~手首~掌~指の付け根まではぶらぶら~な状態に出来ればベスト。なんか、古武術なんかの考え方にも近いのかもしれないな、これは。
極力普段から心がけてないと、いざ叩く時だけ繕っても無理な話。
ストレッチストレッチ・・・指も手首も柔らかく・・・。

さて。
昨日のお題は「バラクランジャン」。
シンプルな曲だけど、やはりこういうキメがあったんですねぇ~!と、目からうろこがぼろぼろと。

以下覚書+α。

基本パターンは、
①ドンタカッッタンッッタカッッタンの繰り返し
②カ~ンカカットトの繰り返し
だから、オーソドックス。ドゥンのパターンが違えばモリバヤッサみたいだし、また、②のパターンはほんっとによく使われている。

そして、問題のキメのフレーズだが、教わったのは2パターン。
いずれもソロの最後に合図となるフレーズが来て、全員で決まったフレーズをユニゾンしてブレーク、そしてリズムに戻る。
1つめは、ソリストが「トトカトトカトトカッ」とやったら、全員で「タンタンタタッタ・・・・トントン・・・・」でパターンに戻る。
シンプルだから、かえって忘れそう。
ついでに、ソリストがトトカトトカトトカをしっかり叩き分けられないと、なんだかわからない。フレーズ的にも短いし。

次のキメ。
ソリストがショフマンに入って(以下「/」は便宜上入れた区切り)、
トトトカ/カカカカ/カカカカ/カカカカ/トトトカ/カカカカ/カカカカ/カカカカ
トトトカ/カカカカ/カカカカ/カカカカ/トトトカ/カカカカ/カカカカ/カンッッ
ときたら、全員で、
カラカカカ/ットロトト/トットカ/トトカッ/パンッッ/カカカカカカ
最後のカカカカカカってのは普通に6連符。2拍3連×2だな。
頭のカラカカカのカラカってのは、16分とも3連符とも言いがたいが、とにかく音が詰まった感じ。ファムドゥ・コナテの音源でもそっくりそのまんま出てくるフレーズ。あぁ、こうやってんのね!っていう感動を覚えた。

ところで。
2つめのキメに出てきたカラカカカってやつ。
この手の尺が詰まったようなフレーズは、ジェンベのソロではよく出てくる。
しかも、全ての音符が均等な長さ(あるいは西洋音楽的な分数拍)でジャストに叩かれているわけではないため、独特のかっこよさがある。
Soliではカラカカだったけれど、どちらも、もとの尺から考えると1音多いのだ。
いくつかの教則本を見た限りでは、本来の考え方としては、ジャストに4つなり3つなり打っていたものが前のほうに詰まって、後ろに一音足した感じ、らしい。
って言われると、カラカラッカッッとなったり、頭のカラが妙に強いカラカッカッカッとなったりで、このはねてるんだかはねてないんだか、ジャストじゃないんだけど妙にべたっとした、カラカカカ(と、俺には聞こえる)のニュアンスが出ない。
そこで、右利きの手順でこのフレーズを解体するとこんな風にも解釈できる。

手順 a右左右左  ⇒ b右右左右  ⇒ c右右左右  
音   aカカカカ  ⇒  bカカカカ   ⇒ cカカカカ  

aでは単純に4つ打ち。同じテンポで手順を変えたのがb。パラディドルみたいなもんだ。
そして、頭の右手二連発の間に左手を一発入れるとcとなる。
Soliのような3拍子系だとこうなる。

右左右 ⇒ 右右左 ⇒ 右右左
カカカ  ⇒  カカカ  ⇒ カカカ

いずれの場合も「右右左」と正確に叩けるに越したことはないが、単に均等割された音符が並んでいる(つまりジャスト)では味がない。
実は上記の「ラ」(左手)は均等に打っているはずの右二連打の間に無理やり割り込む感じなので、二発目の右(カラカの後の方のカ)が後ろに押されて若干もたつく。つまりこれが一種の「なまり」になってるんじゃないかと思うわけだ。

まぁ、こういう分析をしても、ノリそのものは伝えきれるもんではないのだろうけれどね。
個人練習の目安にはなるだろうか。
このニュアンスを叩けたらかっこいいよなぁ~。


ま、先日葛飾でやったあのユニットが動き出したら、こういうフレーズをうまく入れてメリハリつけて演奏したいね。


Cajon礼賛。そして反省。

2007-09-06 | LIVE情報
いんやどうも。
昨日帰宅したら、このありさま。
爆発、だな、どう見ても。
すんげえ音したんだろうな、これ。

な~んて感心してる場合じゃないんだよ。
これからライブだっつ~のに、ど~すんのよ!俺!!
ジェンベなかったら演奏できない・・・ど~すべ!!

うろたえにうろたえまくり、「今日は出られない。ごめんなさい!」と、相方に写真付のメールを送った時、先にメールしておいたカミサンからお返事?メールが。
「コンガは?カホンは?ヤンブーは?」

・ ・・そうでした。
台風だからコンガは厳しいとしても、カホンて奴がいましたね、我が家には。
このところ主役の座をジェンベに強奪され、ステージはおろかリハにさえお呼びがかからず、楽器としてのプライドを踏みにじられ続けながらも、日頃より娘の勉強机や踏み台として日常生活に対して大いに貢献。
その功績を讃え、誰よりも(どの楽器よりも)我が家族に暖かく受け入れられている俺のカホン。
屋根裏で惰眠をむさぼり続けるコンガ達よりも。
庭先に置いておいたらムクドリに巣箱と間違えたヤンブーよりも。
階段下収納を占拠するドラムセットよりも。
「邪魔だから処分して!」とめちゃめちゃ不評のシモンズ・エレドラよりも。
なんて頼りになる奴だったんだ、君は!
ちょっとやそっとじゃ壊れない。
移動中の電車の中では椅子にもなる。
雨の日だってへっちゃらだ。

ありがとう、カホン。
夕べは大活躍だったね。
君のおかげで、ステージに穴を開けずに済んだ。
お客さんも、あるいは共演者のバックの方々も、初めて聴かせる君の音に喜んでくれた。
なんか俺もうれしくなって、ついつい腕の振りがでかくなっちゃった。
お店のスタッフの方も喜んでくれて、「パーカスのユニットとかやってるなら音源持ってきて!」と名刺をいただいて。

は~助かった!
ありがとう!Myカホン!!

そして。
ありがとう、俺のカミサン。
大事なことを思い出させてくれた。
そこにあるもので対応して、表現するのが音楽屋。
太鼓一つあれば、「見せる」ことができなきゃ、「聴かせる」ことができなきゃぁいけなかった。
「一体、何年太鼓叩いてるのよ!」
そ~でした。
皮なんてまた張りゃあ済む話さ。
それより大事なことを忘れていた。
「@鳴り物」なんて名乗ってるくせに、恥かしいッたらありゃあしない。

反省、反省。
海よりも深く反省。
反省しながら飲む酒が、こんなにうまいとは知らなかったな。