Baradomo日誌

ジェンベの話、コラの話、サッカーの話やらよしなしごとを。

踊り場脱出か?【食事と体重】

2007-07-24 | よしなしごと
昨夜はまたもや肉を食いすぎた。
と言っても、かたまりの豚もも肉を1センチ程度の厚さに切り、ちょっと叩いて塩コショウしてから油を敷かずにフライパンで焼いて、出てきた脂は捨てて、白ワインで仕上げ。
残った肉汁にオリーブオイル小さじ1、レモン1個分の絞り汁、パセリを加え、弱火で加熱してゆすって乳化し、レモンソースを作る。これを肉にかけたら出来上がりだ。
写真は撮り忘れたけれど、非常にヘルシーなメニュー。我が家の(俺の?)定番メニューだ。

もちろん野菜もたっぷりばりばり食べてる。
おかげさんで体重は79kgから上に戻る気配なし。
一方、実はここんところやや減少気味だった筋肉量が59.5kgまで復活。
そんなわけで今朝の体重は78.9kg、体脂肪率は21.2%。

で。

やっとスーツのベルトが穴1つずれた。

へっへっへっへ。なんか涙が出てきたよ。

踊り場脱出かな。
次の階段探さないとね。

週末体重増減

2007-07-23 | よしなしごと
金曜夜のメタルギニー・タカギ’sワークショップの効果。

金曜夜 体重78.5kg 体脂肪率 21.0%
土曜朝 体重77.8kg 体脂肪率 20.8%
土曜昼 体重78.5kg 体脂肪率 21.0%

77kg台にはびっくりしたが、徐々に回復。
夜、アジアカップ、日豪対決をテレビ観戦。
念を送るため、腹筋しながら観戦。

試合開始時 体重79.0kg 体脂肪率21.4%
延長戦突入時 体重78.8kg 体脂肪率21.8%
PK戦終了時 体重78.4kg 体脂肪率21.0%

日曜朝 体重79.2kg 体脂肪率21.9%
日曜夜 体重79.4kg 体脂肪率21.8%

韓国イラク戦もPK戦に突入したが、日本戦ほどにはカロリーを消化しなかったらしい。
しかし。
体脂肪率は22%以下を維持。
「標準」だよ「標準」!
「軽肥満」じゃねぇぞ!
四捨五入すれば俺の目方は79kg。
6月初旬から比較して、ほぼ5kgの減量成功!!!!

この調子で絞っていけば、上半身もろ脱ぎでジェンベを叩く姿をお披露目できるか?

な~んてあほなこと言ってたら、カミサンが食品成分表なるものを差し出した。
つまり、ここから先は、厳密なるカロリー計算に基づく肉体改造が必要、ということか?

・・・はい。

勉強しマッスル。


ブートキャンプ効果あり

2007-07-20 | よしなしごと
このブログを時たま覗いている方から、「なんだよ~、ブートキャンプ1週間やったら終わりかい?」との突っ込みをいただいた。
そんなそんな、心配御無用!しっかり毎日続けてますがな!!と、言いたいところだが、実は今週の月及び火曜は全く何もせず。
ちょっと気が緩んでいるのかもしれんね。

気の緩みは身体の緩み、数値は正直者だ。

7月15日(日)朝、79.6kg、体脂肪率21.9%
       夜、腹筋メニュー&基本メニュー
7月16日(月)朝、79.5kg、体脂肪率21.9%
7月17日(火)朝、81.0kg、体脂肪率22.6%
       夜、81.9kg、体脂肪率22.7% 胴囲90.0cm
7月18日(水)朝、81.2kg、体脂肪率22.4%
       夜、腹筋メニュー&最終メニュー
         80.4kg、体脂肪率22.1%
7月19日(木)朝 79.8kg、体脂肪率22.0%
       夜、腹筋メニュー
         80.2kg、体脂肪率22.2% 胴囲88.0cm
7月20日(金)朝、79.8kg、体脂肪率21.9% 胴囲88.0cm

実は、月曜日の夜、娘たちが通う学童保育所のイベントでバーベキューだったため、久しぶりに肉をかなり食べ、ビールも飲んでしまったことがこの数値変化をもたらした。
細胞がスポンジ状態になってたんだろうかねぇ?でも、入隊以前とは明らかに違って、リバウンドか?と思っても、確実にリカバリーできている感じはある。
また、腹筋メニューだけじゃなくて、基本もしくは最終メニューのいずれかもこなせば、かなり燃焼するし、皮下脂肪の減少にもつながりそうな気がする。
しかし、体脂肪率が22%から変動しないんだよね、それほど。
内臓脂肪に至ってはまったく変化なし。

仮入隊日(6月21日)の数値
 体重82.5kg  胴囲 99cm (7月4日の体脂肪率 22.4%)
今朝の数値
 体重 79.8kg、体脂肪率21.9% 胴囲88.0cm

なんか、体脂肪率は大して変わらず、筋肉量はほぼ60.0kg前後を横ばい、胴囲のみ減少。
しかし、毎日俺の腹を掴んだりひっぱたいたりもみほぐしたりしてくれている娘たちに言わせると、「肉が減ってきてツマンナイ、中に硬いごつごつした腹筋があってツカミニクイ!」のだそうな。

ケッケッケッ、ざまあみろ!お前らのためにある肉じゃないんだぜぇぇぇっ!
こんなもん、捨ててやるっ!!!

ま、これからこれから。

読書歴 その3 これにて終了

2007-07-18 | よしなしごと
高校生の頃を思い返すと、思い出すことは剣道の稽古のことばかり。
たまには近所の友人の家に遊びに行ったり、うちに誰か来たりということがあったが、剣道部の連中や、地元の何人かを除けば、それほど親しい友人はいなかったのではないか?と思えるほど。
一人っ子ゆえの悩みなのか、持って生まれた性格のなせる業か、他者との距離感、自分の伝え方がよくわからず、自己表現のバランスを見つけられない状態にあった高校生の私。
加えて、バイクもないし、金もないし、と言い訳ばかり見つけては行動しようとしない自分にも問題はあった。結局、精神年齢が幼かった、ということになるのだろうけれど。

では毎日何をやってたのかと言えば、毎日毎日剣道の稽古。そのために学校に行っていたようなもの。
テスト期間と元日を除き、土日休日関係なく毎日学校で稽古。平日2回と日曜の午後は地元の剣道連盟の稽古や小学生の剣道教室なんかに顔を出す。
夏休みともなれば、海だ!デートだ!と青春を謳歌し、浮かれる級友達を尻目に、夏休み突入と同時に遠征合宿、続けて自分達の高校で合宿という稽古漬けの毎日。
毎日毎日稽古稽古稽古稽古・・・。午後は昼寝して、週に2日は夜も稽古。

これでは学校以外の場で友人と接する機会など皆無に等しい。せいぜい学校の稽古の帰り道に近所の蕎麦屋や喫茶店でたむろしたり、本屋で立ち読み+地元の友達としゃべるくらいが関の山。ましてや色恋など無縁・・・とはいえ、時間があればどうにかなるもんでもないが。

・・・思えば暗い青春だ。
って、高校の運動部なんて、大体そんなもんだったのかもしれないけれど。

高橋三千綱の「九月の空」という自伝的な小説がある。
私自身はこの小説の主人公ほど剣道が強くはなれなかったけれど、まるで自分の生活そのまんまのような内容。
ちょうど高校1年の頃、「自分だけじゃないんだ」と、ほんの少しの安心感と勇気をもらったことを思い出す。

さて。

高校当時、読書、あるいは勉強に関して大きな影響を受けた先輩がいらっしゃる。
それは高校剣道部の2年上の先輩(今は何をしておられるのか)。

この方は剣道もやるけど勉強もしまくる。自宅浪人して東大を目指したがかなわず、早稲田の法学部に入学したツワモノだけに、趣味等見ても若干偏っていて、「ものごとこれくらいの余裕をもって見なきゃいかん」と宝島を薦め、「これは音楽雑誌とは言えないかもしれないが」とRock’n on!を手渡してくれた。
Rock’n on!誌は投稿で成り立つ雑誌であったため、「読む」のみならず「書く」という作業が身近なものであることに気付かされたことは、今思えば非常に大きい。ひょっとすると、今こうしてブログなんぞ書くほどに言葉を弄する楽しみを覚えたのは、もとはと言えばこの先輩のおかげかもしれない。
夏休み、すでに部活を引退し、受験生に変貌した先輩が、学校での夏季講習(田舎だから予備校なんてないのだ)を終えて近所の書店で立ち読みをしておられた。
安部公房の文庫本を持った私が「こんちわっす!」と声をかけると、「そんなもん読むのはあとにして、まずこれを読め」といきなり大江健三郎を強制?
「その次はこれだな」と三島由紀夫。
加えて、薦める音楽はZepとCrimson、そしてなぜかClushとJam。当時流行っていたDuran DuranやCulture Club、あるいはJapanなんてのは一切なし。「温故知新」とか言っておられた。
一貫性があるようなないような。

そんなわけで、とにもかくにも、私の高校時代は、村上春樹で幕を開け、安部公房、大江健三郎が加わり、そのうち三島由紀夫を読み始め、村上春樹からロスト・ジェネレーションに遡り、さらにロスト・ジェネレーションに遡り、文学史に名を刻んだ海外文学を読みかじり、はたまた小林信彦にはまったり・・・。
どう考えても級友との話題にはならないものばかり読んでいた。
かといって、受験に役立つわけでもない。
これといった体系に依らぬ、単なる濫読。
相変わらず池波正太郎も読むし、司馬遼太郎も読むし、開高健もまっとうに作品を読み始めた。

そうこうするうち、当時の高校生が背伸びして?読んでいた元祖マニュアル雑誌「Hot Dog Press」で、中上健次のエッセイを読む。タイトルは「バッファロー・ソルジャー」。いわずと知れたBob Marleyのあの曲だ。

レゲエという言葉は知っていた。
「レゲエの神様、死去」というボブ・マーリーの訃報を新聞で見たとき、「レゲエってなんだ?何で神様なんだ?」と従兄弟に質問に走り、ボブの「Live!」を聴かせてもらったが、実はいまいちぴんとこなかった。
それが1981年の5月。私は中2だった。
多分、中上健次のエッセイが私にとっての初レゲエ体験だったんだろうな。
とはいえ、周囲にレゲエに詳しい友人がいるわけでもなく(バンドやってる友人はメタルかパンク、もしくはテクノだった)、ラジオをエアチェックしたり、従兄弟から音源を録音してもらったりしながら少しずつレゲエを聴き始めた。
山川健一の小説を読み始めたのも高校の頃。
作家デヴューする前はRock’n on!の熱狂的な投稿者だった、ロックバンドのボーカリストでもある、というこの作家、最近は追いかけていないけれど、高校~大学の頃は一貫して読み続けた同時代人だ。音楽とエコロジーと政治を包含した80年代的なアティテュードを体現したような作家だった。
特に「壜の中のメッセージ」「パークアベニューの孤独」「星とレゲエの島」という3部作がよかった。
「星とレゲエの島」に書かれていたMarcus Garveyのアフリカ帰還運動。これにいたく興味を惹かれ、調べ始めるのは大学1年の頃。まさかそれから大学院までラスタやMarcus Garveyについて研究することになろうとは思いもしなかったけれど。

さて。
大学は史学科に行きたいと考えていた私は、二次試験の論述対策として、岩波や中公の新書を読むようになり、受験とは関係のない知識が増えちゃったけれど、ノンフィクション的な面白さに目覚めてきた。
で、見事志望校に補欠合格して以降は、一応文学部だったし、本を読まなきゃ何も始まらない生活が始まった。
専攻しようとしていた歴史に関しても、何読めばいいのかわからず、教授陣が薦めるままに手当たり次第に読んでいったし、小説も書店で平積みになっていればとりあえず開いてみる。
時間だけはたっぷりあるのが学生の特権。
だから、大学~大学院の6年間に読んだ本なんて、さらに濫読の度合いが深まり、もはや何がなんだかわからない。
バンド活動を始めてからは、あるベーシストの影響からハードボイルドにはまったり、何故かガルシア・マルケス読んだり。
さらには学食でヒョウ柄のブーツを履いたメタルと2人、ひたすら太宰治の話をしたり、グランジが流行る以前からネルシャツ愛好家だった某大学Punksの皆さんが集い、ゼロ・ジェネレーションの話を延々続けてみたり、ブルースバンドのボーカルの男と計量経済史の話をしたり。
そのくせ鷺澤萌も読んじゃうし、喜多嶋隆なんて軽~いのも読んでみたり。
なんてまじめな学生生活だったんだろう?
もっとも、同じ学科の皆さんなどからはまったくそうは思われていなかったみたいだけれど、実はいろいろ読んでいたんだなぁ。
ただ、いつの間にかSFやファンタジー系には一切目もくれず、いわゆる文学一本やりになっていたのが、今にして思えば微笑ましい。

出版社に就職しようと面接を受けまくっていた時、某社の社長さんから「現代の純文学って言ったら中上健次と坂口安吾だろ?それくらい読んでるよな?」と聞かれ、中上健次はともかく、安吾は読んでいなかったことに気付き、その帰り道に早速「堕落論」を買って読み始め、それから程なくして文庫で出ているものはほぼ読みつくしてしまった。
坂口安吾という人は、どこか挑発的なアクの強さがあるが、実は非常に読みやすく、説得力のある文章を書く人だ。ただ、その根底に流れる情念というか、制御不能な感情が実は文学的だったりして、つい何度も読み返してしまう。
小説よりもエッセイの方がいい。正直、「白痴」なんて読むと、戦時下の極限状態だからこそ生まれた感情と解釈せねば、とても主人公に共感できたものではなかったりする。無論、泥棒でありゲイであることを修辞によってこれでもか!っていうくらい美化していくジュネのような例もあるし、太宰治なんてダメ人間Go Go!って感じすらあるけれど、安吾の場合には、いくら文学的修辞を弄しても、ダメ人間を美化することに積極的な意義を見出せなくなるくらいのテクニックとしての文学、という印象すら抱いたが、実は「白痴」の場合、それすら作者の目論見なのではないか?という読後感を抱くにいたり、当時の世情、そして安吾の時代性のようなものを垣間見た気がした。
一貫して、極度に利己的である人間(=安吾)を最底辺に貶め、そこから何が見えるのか、何を思うのか、それが何を意味するのか、を強靭な精神力で書き続けた作家であり、また、戦中戦後という時期、このような姿勢を保ち続けた彼の佇まいに魅力を感じるのだ。

安吾が描こうとしたものは「光景」ではなく「感情」でもなく『空白』だったのかもしれない。

そんなことを思い始めた25歳の頃、私は創作物としての小説に魅力を感じなくなり、むしろ「Number」誌のようなスポーツ・ノンフィクションや、エッセイ的なものしか読めなくなってしまった。
それは、「小説」という『創作行為』は、あくまで「現実」に対する『解釈』なのかもしれないという疑念を持ってしまったがためであり、「創作行為=解釈」ならば、まず「現実」を知りたい、という欲求が強まってしまったためだ。
無論、表現の「技法」は身につけたい。
しかし、「解釈」し、何らかの形で「表現」する主体はあくまで自分でありたい。
それから10年間程度、主体的に小説を読んだ記憶はない。
多分、坂口安吾のせい(おかげ?)だと思う。

読書歴 その2

2007-07-10 | よしなしごと
私が小学生だった頃。

みんな自分の手と身体と頭を使って遊びまくっていた。草野球に草サッカー、ドロケイに缶蹴りはもちろん、雑木林の中に廃材で家屋のようなものを作ったり、クワガタを探して木を憶えたり、川や用水路で釣りをしたり。
そうやって身体の使い方や、里山の植生を憶えていく。
夏休みの宿題も、授業の図工も、すべて自作が当たり前。
バルサ材とマブチモーターさえあれば自動車でも船でもあるいは飛行機でも、なんでも自分で作っちまう。ナイフが使えないやつなんていなかった。
ちょっとお金があればプラモデル。ラジコンは高くて買ってもらえなかったけれど、今みたいに出来合いのものではなく、すべて自分で組み立て、調整せねば走らないものばかり。
思えば、プラモデルの類は機械の仕組みを知るための身近なサンプルであり、いわば図鑑代わりでもあった。
まだパソコンどころかファミコンもない時代。
ガンダムが登場するかしないかの頃だ。

さて。
親の心配をよそに読みふけっていた戦記ものだが、読んでいくうちに、それはすなわち技術革新の歴史でもあったりすることに気付いた。このため、次第に興味の方向が「そもそもは」という原点探しへと向き始め、図鑑と見比べながらライト兄弟の伝記を読む、とか、コロンブスの伝記を読む、など、読書と言うより調べもの的な読み方をするようになってくる。特に飛行機に関するものは目に付いたものからとりあえず眺めるようになっていた。
そして小学校6年のとき、いわずと知れたリンドバーグの大西洋無着陸横断記録「翼よ、あれがパリの灯だ」を書店で発見。
ちくま少年文庫だったと思うが、これがまた妙に難しく、いわゆる直訳的なクセのある文章だったが、巻末に掲載されたスピリット・オブ・セントルイス号の詳細なイラストを眺めたいがために購入。
ところが。
これを読了したとき、不思議と乗り物への執着が有無消散し、これ以降乗り物に関する本を手に取ることはほとんどなくなってしまった。
それは多分、スピード=抵抗を減らすこと、その究極が流線型、船だろうが自動車だろうが全てその方向に進歩していっていることを確認できたからかも知れない。加えて己が高所恐怖症・G耐性のなさにより、絶対にパイロットになぞ絶対になれないことを悟ったことも大きい。
一方、この読みにくい書物を読了したことが非常な自信となり、勢いで司馬遼太郎の「花神」を購入してしまったが、基礎知識のなさゆえか、まったく歯が立たず、そのまんま本棚へ直行。これはこれで悔しいので、親父が持っていた「人斬り半次郎」を繰り返し読み、ここで剣道ではなく「居合」というものを知ることになるが、時代劇に本格的にはまり込むのはまだ先のことである。

またこの頃。
その1で記した「花神」や「風と雲と虹と」に始まる、映画やテレビで見たものを再度小説で読みたい、という願望は日に日に大きくなっていた。
多分、流れていってしまう映像ではわからなった疑問点などを確認したいがためであったのだろう。また、映画の場合には、映画鑑賞の代償行為というだけでなく、さらにその奥の行間を読もうとする行為だったように思う。
「スターウォーズ」を読んだ時など、その際たるものだったのかもしれない。
小5か小6の時、友人たちと映画「エイリアン」を見に行き、怖いんだけど、気持ち悪いんだけど、とにかく最後まで途切れることのない緊張感と引き締まった演出に感銘を受け、その熱も覚めやらぬままノヴェライゼーションを読んだら、これまたものすごい緊張感で、その濃密な世界観にあっというまに引き込まれてしまった。
思えば、サスペンスものに最初にはまった作品だった。
SFのようなサスペンスのようなと言えば、小松左京の「復活の日」やら「日本沈没」やらを読んだのもこの頃。でも星新一の方が読みやすくてブラックなところが好きだった。

中学生になり、いきなり1年生4人ほどで部活をサボってスピルバーグの「1941」を劇場鑑賞。なんと3年の先輩方と劇場で鉢合わせしてうろたえまくったが、先輩方もサボっていたので、「この件は内密に」ってことで手を打ち、安心感からかはたまた映画のあまりのあほらしさゆえか、某中学剣道部+α総勢6,7人で高らかに笑いっぱなし。
あまりのうるささに場内にいた高校生らしきカップルに怒鳴られるというおまけつきだった。
その後購入したノヴェライゼーションもかなり馬鹿度が高かったけれど、ジョン・ベルーシやダン・エイクロイド(劇場版では「僕、南京虫ちゃん!」と訳されていた台詞が、テレビでは「僕、ゴキブリだよ~ん!」に変わってたな)のブチキレぶりや、ジョン・ランディス監督が誇り高き男として登場したり、いやもう、徹頭徹尾全力で馬鹿なのだが、そんな中で苦虫を噛み潰したような表情を終始崩さず、任務?を遂行しようとする三船敏郎が最高だった。まじめな部分としては、1930年代末に流行したというズートスーツってものを知るきっかけとなった映画でもあったが(後に一世風靡セピアが着ていたほか、スパイク・リーの「マルコムX」でデンゼル・ワシントンとスパイク・リーが一張羅のズートスーツを着て街を闊歩するシーンが印象的)、あそこまで全力であほな話はそれ以降も見た事がない。
さて、この時鉢合わせした先輩は、劇場版「スタートレック」のノヴェライゼーションの話をしてくれたり、いろいろとSF小説の話をしてくれたりもしたが、なにより素行が面白い人で、剣道の稽古中に竹刀が折れると「武器は?武器はないのか!」と叫びながら隣のやつの竹刀をひったくって打ち込んでいってみたり、学祭みたいな時にはステージで何かしらやらかしてみたり、まぁ、とにかく楽しませてくれる学校の人気者であり、なおかつ非常に後輩の面倒をよく見てくれる人だった(現在は地元で獣医をしている)。

中2の秋、新人戦の直後に風邪を引き、高熱が下がらずにいたら急性腎炎との診断が出され、学校を2週間ばかり病欠し、運動も半年禁止になった。
このとき、剣道部の仲間が見舞いに来てくれた。
涙が出るほどうれしかったけれど、見舞いの品だと言って20冊くらいの文庫本を持ってきてくれたのには驚いた。
「なに、おもしろいのか、これ?」
「シラネ~よ、俺たちゃ読んだことないもん。でもお前ならこれくらい難しくても読んじまうだろうと思ってさ。」
ありがたいやつらだぜ。
実はその過半数が横溝正史。これがきっかけでその後3年くらいかけて角川文庫の横溝作品をほとんど読みつくすことになったんだから、ほんっと、皆さんのおかげで活字ジャンキーになりました。
この時の本には遠藤周作の「沈黙」も混じっていた。書店で平積みになっていたので買ってきたらしいが、中学生には非常に難解な小説だった。
江戸時代の踏み絵の話であり、極限状態における信仰について問いかける力作だったが、しかし、読み返すほどに味の出てくる力作である。なにより閉ざされた空間での心理劇という設定が背伸びしたい盛りの少年の心を捉えた。
考えてみれば「エイリアン」もそうだし、横溝作品も共同体=閉鎖空間と考えれば同義。あるいは大学生になってから読んだ「薔薇の名前」もそう言えなくもない(映画もよかったねぇ)。
一連の法廷ドラマなどもその系譜と言えるし、なによりコメディがそうだ。
閉鎖空間においては無意味と思えたものまですべて意味を持ち始めたり、あるいは絶対に重要と思っていたものが実はまったく無意味だったり、阻害要因として負の意味を持っていたりと、既成事実化された価値観があっという間にひっくり返る。
多分、そういう崩壊と再構築の繰り返しみたいな部分が面白かったんだろうし、「ある空間に適当な集団を追い込んだら何かが起こる」という構図に興味をそそられるこの性癖は今現在も変わりない(バンド活動をやめられない理由はここにある)。

中3になると、受験勉強も適当に、本棚に眠っていた「花神」と「風と雲と虹と」をついに読破したが、司馬遼太郎にはそれほど傾倒できず、かわって角川文庫版の池波正太郎作品を買いあさり、角川を征服した後は文春、新潮と、ひたすら文庫で読んでいった。
大志を抱く武将達、義に生きた武士、幕末の志士の群像劇、はたまた市井に生きる町民達の生き生きとした姿。ぬくもりのある文体で人情豊かに紡ぎ出されていくその世界は、ちょっと小粋で大人の世界。
両親からは「背伸びしてやがる」などとからかわれたが、この頃の私は、背伸びしたいという思いよりも、「ここから出て行きたい、ほかの社会を知りたい」という思いが強かったのだ。
一人っ子であり、かつ人付き合いの苦手な自分は、この片田舎から出て、広い世界を知りたい、新たにまっさらな人間関係を作りたいと思うけれど、出て行くことは現実的に無理。しかし、江戸の社会であれ未来の社会であれ、本の中の世界は自由であり自分を変えることが出来る世界。
一種の逃避願望なのだけれど、当時、私が読書する理由は主としてそこにあったように思う。
だから、時代劇は小説としてではなく一種の紀行文として読んでいたようなところがあるし、また、開高健の「オーパ!」や「フィッシュ・オン!」などの紀行文や、小松左京の「やぶれかぶれ青春期」など、生活臭があり、かつ明らかにこことは違う空気の流れている本は、装丁がぼろぼろになるまで読み返していた。

高校1年の春、現国の教師に薦められたのが村上春樹。
たしか「羊をめぐる冒険」が出た後くらいの時期。また、小林薫と眞行寺君枝の主演で「風の音を聞け」が映画化されたりもしていて、徹底した一人称の文章に軽い驚きを覚えながらも、それまでになかったようなリズムを持つ文章に引き込まれ、新刊が出るたびに書店へ駆け込むようになる。
初期の3作品に関しては、あまりに個人主義然とした世界観?故か、一種のファンタジーとして受け止めていたように思う。むしろ「蛍」のような短編の方が好きだった(「蛍」はのちに長編「ノルウェイの森」として大幅に書き換えられ、大ヒットしたな)。
おかげで「ノルウェイの森」は読んだけれど、最近の「海辺のカフカ」はまだ読んでいない。いい加減で読んでみようか?
同時期、村上龍も読んでいたけれど、こちらは「コインロッカー・ベイビーズ」と「海の向こうで戦争が始まる」の異様な緊張感と静けさとのギャップが好きだったが、努めて平静に振舞おうとする文体を食い破って飛び出してきそうな作家の思いに気おされ、次第に読まなくなってしまった。
高一の夏休み、近所の書店で立ち読みをしていた時、他の高校に進学していた中学の先輩に安部公房を薦められ、不条理で奇妙な世界に「何事か」を感じてしまった。多分、ストーリーやあるいは作品の意味を理解したわけではない。ただ単純に「感じた」のだと思う。
「砂の女」や「箱男」など、何度読んでも発見があり、今読んでも面白い。

(多分まだ続く)

読書歴 その1

2007-07-06 | よしなしごと
読書歴

恥ずかしながら、小学校に入る直前まで「あいうえお」を最後まで書けなかった。
絵本は眺めるもので、字はなんとなく読めたけれど書けなかった。

最初に覚えたひらがなは、「つづく」。
「帰ってきたウルトラマン」のエンドロールの前に出てくるこの文字を、ずっとウルトラマンを見ていたかった俺は、「つづくって書いてあるけど、つづいて終わる、っていう意味なんだよ~!」と親に主張したが、まったく聞き入れてもらえず、毎週泣く泣く布団にもぐりこむ。
そんな俺が、保育園の頃、初めて父親にねだって買ってもらった本は、「帰ってきたウルトラマン」のとびだす絵本ソノシートつきだった。

小学校1年のとき、夏休みの課題だった読書感想文の題材に選んだのは「エジソン」。ポプラ社の伝記シリーズだった。
1学期の間になんとかひらがなは全て読み書きできるようになっていたものの、さすがに単行本1冊となると気持ちが続かず、数日かかってやっと読了。
ほとんど暗記できるほど推敲を繰り返した感想文はめでたく校内で入選し、幼い俺に勇気をくれた。
その後、ファーブル昆虫記やいわゆる伝記の類、さらには文部省推奨みたいな、課題図書みたいなやつを片っ端から読んでいたような気がする。
これらすべて親が選んだもの。
本当に読みたいものは、まだ難しかったのでね。

ところで、当時放映された大河ドラマに「風と雲と虹と」というドラマがある。
原作は海音寺潮五郎「海と風と虹と」。平将門を描いたこの作品、主演が加藤剛、ヒロインが吉永小百合!でも一番印象的だったのは山口崇が演じた平貞盛のいやらしさ。
将門と言えば地元の英雄、ロケ地も近所だったので、当時、茨城県の県西部はちょっとした将門ブーム。おかげで将門せんべいは売れるし、子どもたちまで大河ドラマを見るようになっちゃった。
そして翌年の大河ドラマは「花神」。
司馬遼太郎原作の大村益次郎を主人公とした幕末絵巻。
でも、興味を引かれたのは中村正俊が演じた高杉晋作、篠田三郎が演じた吉田松陰、そして志垣太郎が演じた久坂玄瑞。
なんか、青臭さがよかったのだ、子ども心にも。

その他NHKの人形時代劇「新八犬伝」に「真田十勇士」。原作は柴田錬三郎だったか。
思えばあの頃はNHKをよく見ていたのだ。ヤングミュージックショーだったかでKISSのライブ映像を見て度肝を抜かれたのも小学生の頃だったし。

脱線。

こういったドラマの原作は小学生には難しくて読めない。
そこで何とか読めそうな伝記ものを探しては読み始めたのが3年生の頃。
現状よりもちょっと上のレベルに身を置こうとする志向性は、この頃からすでに持っていたのかもしれない。
ちなみに、当時買った将門、幸村、高杉晋作の明石書房から出ていた伝記は、今、娘の手元にある。
物持ちがいいのだ、うちは。

ちょうどその頃。
1977年に「スターウォーズ」、ついで「未知との遭遇」が全世界で大ヒット。
しかし。
地元の映画館はもはやつぶれかけ、機動車に乗って隣町まで行かないと「スターウォーズ」も「未知との遭遇」も見られない。
田舎の小学4年生にとっては、映画を見るのも一苦労だったのだ。
二者択一を迫られた私は、お袋同伴のもと、「未知との遭遇」を鑑賞。
「宇宙戦艦ヤマト」でSFに開眼していた私の右脳は激しく反応し、帰宅後、たまたま遊びに来た伯母といとこを相手に、字幕から読み取った台詞付きのストーリーを憑かれたように語りまくった。
2時間にわたる熱演に最後まで付き合ってくれた伯母といとこは、何を思ったか「じゃ、これで本でも買いな」と小遣いをくれた。
そこで買い込んだのが当時ハヤカワから出ていた「スターウォーズ」のノヴェライゼーション。
フリガナなしもなんのその、アルファベットもなんとかクリアし、テレビ等で断片的に見ていた映像と文章を頭の中で組み合わせ、俺のレイア姫が天翔ける様を思い描き、一気に読破。

これで自信をつけた俺は、学校の図書館にあるSFと思しき本を毎日借りるようになり、それが終わるとルパンやらホームズやら明智小五郎やらの古典的な推理小説を全て読み、読むものがなくなった。

そして。

これ以降、「未知との遭遇」劇場用パンフレットに載っていたSFの系譜を羅針盤がわりに、古典的なSF、重要な作品と目されるものを探し、読み始めたが、学校にはほとんどなかったため、毎月もらっていたいくばくかの小遣いをハヤカワ書店や創元推理社のSF文庫本につぎ込み始めた。
特に「地底世界ペルシダー」シリーズにははまったなぁ。授業中も読んでいたくらい。
ペルシダーはどう見てもサイボーグ009のネタになってるな、とか、「幼年期の終わり」は「2001年」のもとネタなんだろうかとか、そういった関連付けの楽しみを覚えたのもこの頃。
まさに「未知との遭遇」だった。

また同じ頃。
「宇宙戦艦ヤマト」はいいけれど、「戦艦大和」ってどーなのよ?と、秋田書店から出ていた戦記シリーズを読み始め、戦艦、戦闘機、戦車の話にどっぷり。
なにせ、プラモデル全盛の頃。
軍艦のウォーターラインシリーズなんてのがあって、ジオラマ作りがやたら流行ったりしたのもこの頃だ。
また、件のいとこが、実は戦闘機のプラモデル作りのプロのような男で、コンテストで入賞した記念に、F4ファントムが始めて導入されたときのセレモニーに招待された、なんていうエピソードを持つ、筋金入りのモデラーだったり、親父の先輩で幼少の頃「ゼロ戦に乗りたい!」と少年航空兵に志願し、落選した経歴の持ち主がいて、うちに遊びに来るたびに戦闘機のプラモデルを買ってきてくれて一緒に作りながら延々と飛行機の歴史を語ってくれたり。
おかげで当時、居間の天井には軍用機が編隊を組んで飛んでいた。

ん~、また脱線。

とにかく、SFだの、戦記ものだのばかり読んでいる俺を見て、心配した母親が買ってきたのが「次郎物語」やら「路傍の石」やら。
まあ、名作と呼ばれるものも読んでおくべきかと、11歳の誕生日に集英社の世界名作全集全30巻を買ってもらったが、SF文庫本に比べるとまるで絵本のように読みやすい!
あっという間で読了し、気に入ったものを二度、三度と読みふける。
この中のヒットはケストナー「とぶ教室」。
寄宿舎を舞台に繰り広げられる友情物語に、純真無垢な少年だった俺はいたく感激し、こういう友人関係が作れるようになりたい、と切に願ったことをまるで昨日の事のように覚えている。
それから、このシリーズにはその後長らく書店から姿を消したこともある「アンクル・トムの小屋」もあったりして、後の自分の専攻に大いに役立った。
ちなみにこのシリーズも、今や娘の部屋にある。ほんっと、物持ちがいいねぇ。

(その2につづく)

懐かしい違和感

2007-07-05 | 子どもの視線・親の気持ち
3年前にお袋が逝った時、上の娘が「人間って電信柱みたいだね」と言っていた。「みんな電線みたいなものでつながってるんだから」と。
http://blog.goo.ne.jp/yassakajp/e/bac8906fa5d919e1008851848c6c9b8c

~人が電信柱だとしたら、電線は人と人の心や血の「つながり」なんだろうね。
きっと、ウチと、おじいちゃんおばあちゃん、くま(わたしのこと)、おかあさん、いもうとは、ぶっとい線でつながっているんだよ。
それはその人が死んじゃっても変わらないんだ。
お友達とは中くらいの線でつないでるのかな?
きっと、今、ウチは7本のぶっとい線と、二十本くらいの中くらいの線でつながってるな。
細い線は、ないよ。切れた線もない。
(中略)
くまだって、○隈さんやなおちゃんや、死んじゃった○田さんともつながってるし、それだけじゃなくて、サッカーや剣道や、大学の友だちや、一体何本の線が体から出てるかわかんないくらいなんだろうな。
そして、その先につながっている人の電信柱から、またたくさんの線が延びて、どんどんつながっていくんだ。


先日、学生時代の同窓会があり、久しぶりに会った旧友たち。
ひとたびひざを交えて話しはじめれば、互いを自然体で受けとめ合える懐かしい空気感が、鮮やかな色彩感を伴って蘇り、鼻腔をくすぐる。
懐かしい学生時代にトリップしたかのような錯覚。
大学卒業以降の10数年間、転職や転居、結婚や出産、あるいは肉親との離別など、皆それぞれのドラマを生きてきたに違いない。
親としての生活、あるいは職業人としての生活、そして彼ら個人としての生活が、彼らを現在の地平へと導いたに違いない。
そして今、目の前にいる旧友たちは皆、学生当時の追憶の上に、新たな顔を携え、新たな空気を何重にもまとい、私の目の前に現れた。

私にとっては、大切に「記号化」し、追憶の中に半ばしまいこんでおいた、旧友たち。
その彼らが突如実体化し、記憶の色彩を互いに塗り替えていく。
その変容は、意外なほど心地いい「違和感」をもたらしてくれた。
あくまで私個人の印象ではあるけれど。
「皆変わった」のか「皆変わらない」のか、ではなく、「皆成長している」のだ。

娘たちよ、ここにもたくさん、俺の回線があるよ。
「記号化」したはずの印象はそのままに、明らかにその延長線上を生きている彼ら旧友たちの姿に、私は柔らかな感動を覚え、その感動は未だ醒めず、私に勇気を与えてくれている。

「記号化」した、だなんて失礼だね。
俺も前を向かないと。

隊長についていきます!

2007-07-04 | よしなしごと
6月21日に「仮入隊!」を宣言し、29日に体脂肪計をゲット!
一応そこから「本入隊」したつもりで、昨夜まで。
悲しいエピソード(http://blog.goo.ne.jp/yassakajp/e/49636afccd404c2ad63623a51dcbb79c)を胸に、隊長の声に励まされての13日間。
その汗と涙の結果は?

初日  体重82.5kg  胴囲 99cm
今朝起抜け 体重80.3kg  胴囲 89cm
マイナス値  2.2kg     10cm

実は途中1週間目あたりから体重はあまり変わらず、微妙な上下動を繰り返している。
一度だけ80.0kgという数値を見たんだけどなぁ。一夜の夢か?
もっとも、6月1日の体重は83.8kgという史上最高値更新か?っていう数値だったから、そこから見れば3.5kgの減(過去の最高値は84kgだったな、確か)。
ちなみに入隊後の減数値との差額(1.3kg)は、食事制限とピラティスの真似事によるもの。
胴囲は、「うりゃぁっ!」と引き締めれば85cmなんていう日もあったが、腹筋プログラムを始めたらパンプアップし始めたらしく、89から落ちない。
では見た目は?というと、腹は引っ込んできたというか、明らかに締まってきた。
あばらの下からへその上2寸くらいの位置まで、なんとな~く縦に割れ目が入ってきた。6つに割れた腹筋を理想とした場合、その上1段の二つは明らかに表に出たがってるね、既に。
でも、下2段は未だ厚い脂肪の帯の下。
強いて言えば、俺の腹筋は「3つに割れている」!
また、腰骨の奥にかしこまっていた側筋がパンプアップしてきたおかげで、胴の周りを覆い尽していた脂肪の帯が以前よりも伸び、ちょっと上のほうに持ち上がっている!
胴囲が減らない原因はこいつらだ!!
あとは、体幹部の筋肉が動き出したおかげで邪魔者扱いされ始めている背中と臀部の脂肪たち。
そろそろ縁を切ろうよ。

さて。
肥満の話題になると、何かと引き合いに出されるBMIという指標がある。
かくいう私の職場でも健康診断時に健康のバロメーターとして使われているが、その計算方法はこんな公式によるものだ。

BMI(BODY MASS INDEX)=体重(kg)÷身長(m)÷身長(m)
        肥満:BMI=25以上 (標準=22)

これに当てはめると、俺の現在のBMIは26.5。立派に「でぶ」。
逆算すると、66.6kgならばBMIが22になる。
しかしちょっと待て。
毎日体重やら体脂肪やら計測してきてわかった、ほぼ不変の数値が二つ。
それは骨量と筋肉量、それぞれ3.3kgと60.0kg。
これが減ったら一大事である。
そして、問題の体脂肪とはこの骨筋以外の重さなんである(検算すると若干誤差はあるけどね)。
BMIの考えに基づけば、体脂肪の理想量が3.3kg?そしたら体脂肪率は4.9%だぜ?
こいつはありえない話だ。筋肉量落とせってか?
どっかの記事で読んだけれど、40歳前後の男性で身長~175cmくらいならば、筋肉量は47kgくらいが理想なんだとか。確かにBMI=22から逆算するとそれくらいになるんかな?
でも、それこそ個人差激しいべ?
俺みたいに剣道やってたとか、少なくとも格闘技系のキャリアを持つ人間には酷な話だ。
脂肪という負荷が減れば多少は落ちるんだろうけど。

体脂肪についてはまだ計測始めて1週間程度だから、あんまり変化はないけど、購入初日が22.3%、今朝は21.2%。
ほぼ1%ということは、約800g?そんなに肉食えないよ~って、こりゃ脂身か。
ただ、体脂肪って、体内の水分量とかによってえらく上下動するみたい。1%くらいすぐに変わる。
理想は15%なんだそうだけどねぇ。
この場合、A(体脂肪量)÷(60.0+3.3+A)=0.15ってことだから、A=11.2。
体重は74.5kgが理想?
ちなみにこの場合のBMIは24.6。
まぁ、イイ線かな?

やっぱ、75kgを現実的な目標体重としておこう。

あと5キロちょい?
道のりは長いな。


ライブ告知【番外編】

2007-07-04 | LIVE情報
たまげちゃった。

毎度サポートでジェンベを叩いている、若い相棒・中村翔君の日記を見てたら、7月25日下北沢Mona records 出演、とあった。

で、サポートが、なんと!



なんとなんとなんと!!!!



なんとなんとなんとなんとなんと~!!!!





岩原大輔氏!!!!


おぉぉぉぉぉ~っ!



私、最近、この方のワークに通ってるんでございます。
いわば、『ジェンベの先生』。



見たい~!聴きたい~!
でも俺、その晩仕事なんだ・・・・。




あれ?
ちと待て。
俺は仕事だからその日は出らんないよー!と言ったのが25日のライブの話だったな。
う~!
まぁいいや。こういうニアミスもあり、だろ?

とにかく、皆さん見に行ってやってください。
必見・必聴!

U20-W杯カナダ大会開幕!

2007-07-03 | サッカーよろずごと


U20W杯が開幕した。
いきなりヨーロッパ予選2位のスコットランド相手。
どうなることかと思ったら、前半からイケイケのサッカーで3対1の勝利。
ちょい地味な内田とガンバのお調子者安田という2人のCBがしっかり要所を締め、ボウズ頭福元&トサカ二号槙野の2CBと実は篠ひろ子の甥っ子・ワンボランチの青山がしっかりブロックを形成。
平均身長では6cm劣るらしいが、ポジショニングと運動量でスコットランドの屈強な選手を囲い込み、ボールを奪っていく様子は、見ていて気持ちがよかった。
そして、梅崎・柏木・田中という二列目とデカモリシ&河原の2トップは、とにかく後ろから追い越し、追い越し、サイドをえぐり、どんどんペナルティエリアに進入してくる。
デカモリシの先取点は相手のミスに付け込んだものだけれど、絶えず前から守備、そして押し上げ、ゴールへ!という意識がなければ生まれえないもの。
比較的横方向のポジションチェンジは少なく、その分大きなサイドチェンジと、前へ前へと追い越す動きがはまると、このチームは波に乗れる。
基本は守備ありきのチームなんだな、と再確認。
とはいえ、「攻撃的な守備」だ。
う~ん、好み。
ひょっとするとこのチーム、ナイジェリア大会のときのチームより穴が少ない?
報道等を見る限り、大会前カラオケボックスで気合を入れすぎてガッサガサの声で合宿入りした選手が数人いたり、チームワークはあほみたいによさそうだし、なにより中盤の梅崎・柏木・田中の3人が突破力があるってところがいい。
これほどドリブラーを揃えたユースチームって、今まであったっけ?

ナイジェリア大会のチームでは、小野や高原、遠藤、稲本など現在のA代表の主軸を擁し、トルシエ軍曹のもと、日本サッカー史上初の世界大会ファイナリストとなったが、ドリブラーと呼べる選手はいなかったように思う。
アルゼンチン大会のチームは未だ伸び悩む田原とか、森崎兄弟とかいたけど、全体的におとなしかった印象がある。ドリブラーとしては石川がいたけど、なんか伸び悩みだな。
UAE大会は小粒な印象はあったものの、坂田が得点王になったり、平山が出てきたりして、意外に勝負強さを見せた。徳永や今野もこのとき?でもドリブラーって印象の選手はあまりいないなぁ(そう言えば阿部祐太朗はどこへ行ってしまったのか?山形に行ったところまではフォローしてるんだけど)。
オランダ大会は家長、水野など現在の五輪~A代表がいて、リハビリ中の中村北斗がいて、平山やカレン、飛び級の原石森本、韋駄天苔口など、いい素材はそろっていたが、オランダに木っ端微塵に粉砕されちゃった。

こう眺めてくると、トルシエのフラット3以降なにかと言えばシステム論に陥り、実践上はどうにもばらけていたディフェンス戦術が、世代を経るごとにある程度整ってきて、4バックだろうが3バックだろうが、とにかく中盤をコンパクトに保つプレッシングが浸透し、機能し始めている印象を持つ(オランダ大会の緒戦は除く)。
加えて、最近の少年サッカーはドリブラー養成に力を入れ始めているのかな?と思えるね。なんせ、今回のチームにはセクシーフットボール青木もいるし。
両サイドバックと中盤の前目~FWは個人で仕掛けまくる奴ばかり。
1対1の攻防をまず見たい俺としては、期待せずにはいられない、そんな雰囲気を持ったチームだ。
次戦はコスタリカ。
楽しみだ。

って、まだ初戦に勝っただけでああだこうだと言うのは早計に過ぎるが、期待せずにはいられない雰囲気を持ったチームだ。
なんと言っても、得点した後のあのパフォーマンス!
こんなところにも隊長の影が・・・

応援したくなっちゃうよなぁ~って、そう思うのって俺だけかい?