Baradomo日誌

ジェンベの話、コラの話、サッカーの話やらよしなしごとを。

今日で最後。

2006-03-31 | 子どもの視線・親の気持ち
娘二人合わせて、7年間通い続けた保育園。
下の娘が卒園し、今日が本当に最終日。
来週には小学校の入学式を控え、娘の成長を喜ぶ自分と、もう、来週からはここに来ることもない、という事実に、恐らく娘たち以上に寂しさを感じる自分とが同居し、妙に感傷的になっている父親がここに一人いる。

担任の先生方や、他の保護者に挨拶し、顔見知りの子ども達とひとしきりじゃれあって、外に出たらもう7時過ぎ。
せっかくだから、いつも自動車で通り抜ける通園コースを、ゆっくりしっかり両目に焼き付けて帰ろうか!と、久しぶりに自転車に娘を乗せて走り出せば、並木道の桜は満開だ。
明日からはもうめったに通ることもないだろう、この道。

「うわぁ~桜のトンネルみたいだね!」

そこで、路上に寝転んで撮った一枚。
う~ん、まだデジカメに慣れていないなぁ。
悔しいから、明日の晩、また撮りに行こうか?と父が言えば、

「寒いからヤダ!」

…あっそう…。寂しいなぁ、父親は…。

握り一丁!

2006-03-30 | 今日の「この音」
※ 画像と記事内容は無関係です。悪しからず。

ドラムを叩き始めたころから10年以上、両手とも我流のマッチドでやり過ごしてきたけれど、なんか違うな~と思い始めて早や3年。

Bluesや、Jazzなど、小音量で様々なニュアンスを出すジャンルに対応しきれず、特に4ビートのレガートなんざ初心者以下?と思うくらい、自分で聴いても汚い。

で、レギュラーに持ち替えたり、いろいろ試していくうち、やっと最近「これ?」と思える感覚に出会った(「これ!」ではないところが悲しいが…)。
ありがたいことに、私の周囲には、セッションでご一緒した時などに、打音のことであったり、グルーヴのことであったり、非常に細かな部分まで踏み込んで指摘してくださるギタリスト、ベーシストの先輩方がいらっしゃる。
おかげで、セッションに出かけるたびにさまざまな宿題を頂戴してくるのだが、どうにも消化できずに来た。
例えば、スティックを手全体で握ること、タップはただチップを落とすのではなく、意識的に行うこと、フィンガリングによるショット、手首のショット、肘のショット、肩のショット、そしてボディショットを使い分けること、などなど。
基本と言えば基本だが、思い切り基本がおろそかになっていたことを痛感。
そこで、本格的に?グリップについて考えてきたことをつらつら書き殴ってみよう。

ポイント1 脱力

以前、近所のBlue TrainというハコでのJazzセッションに参加した際、ホストドラマーである金井塚氏から「脱力」の必要性を盛んに指摘された。

その時点では、人差し指と親指の指先でスティックを「つまんだ」形で叩く癖がついてしまっていた。
これは多分、極力スティックを柔らかく扱おうと意識しているうちに、スティックに接する指の面積を狭めていった結果、かえって支点にかかる緊張が高まり、いわゆる「遊び」がなくなり、かえってバウンスそのものを制限してしまうから、打音も汚い。
とはいえ、指先を脱力してしまうとスティックを落としてしまうため、いかに肩の力を抜こうとも、指先に応用が利かない。
このため、この時点では指先まで変えることができずにいた。

ポイント2 捻挫

私は小学校の頃から剣道をやってきたためか、体の使い方や関節の動き方などに妙に興味がある。
例えば、剣道におけるグリップは、小指・薬指・中指で竹刀をしっかりと握り、人差し指と親指は遊びを持たせておく、というもの。
親指・人差し指・中指の「三本指」グリップと正反対。
おかげで、ドラムに慣れてしまっている時期に急に稽古をすると(あるいはその逆でも)、とりあえず左右の手のひらを捻挫したような状態になった。
棒を振り回すことに違いはないのに、こりゃおかしい。
ついでに、スティックの軌道についても、タムやシンバルを打つ動作が「面」ならば、スネアは「篭手」という具合で、基本は一緒のはず。
ならば、タップであれオープンリムショットであれ、肩(鎖骨、肩甲骨も含む)から腕全体が連動しなきゃおかしい。

…って、それがもしかしてモーラー奏法と呼ばれるものの正体なんだろうか?
ま、少なくとも、ボディショットのメカニズム、肩の上下で叩く動作のメカニズムについては理解できた。
ん、しかし、そうなってくると、グリップ、ってのはまさにグリップなんであって、指先の問題ではないのだな。
ここに至り、やっとそのことに気付き始める。

ポイント3 日本刀

ボディショットの考え方を演繹すると、肩の上下、というより、自分の腕の重さを利用したタップなどが可能になる、と考えた場合、握り方はどんな形でも、チップの先なりスティックの側面なり、イメージした角度でヘッドにスティックを当てていければいい、ということになる。
しかし、肘や手首まで使ってのショット、あるいは、早いレガートなどをやる場合には、やはり指先、というかいわゆる手の内が問題となる。

そこでいきなり日本刀の話。
今まで一度だけ、いわゆる本身、思いっきり銃刀法規制下にある日本刀で物を切ったことがある。
30メートル分のじゅうたんを巻いたものを立てて、袈裟切りにしたのだが、居合抜きの先生から「しっかり刃筋を立てないと、反発のため刃筋が逸れ、自分の足を切り落としてしまうからそのつもりで」とアドヴァイスを受けた。
左上段から刀を右肩に担ぐように構え直し、せいっと振り下ろしたところ、幸運にも?きれいに袈裟切りにできた。
このとき、意識としては左手の引き切りというイメージで、右手は刃筋がぶれないように添えておく感覚。

無論、日本刀は重い。
ライドシンバルよりはるかに重い。
それを支え、振るのだから、かなりの握力・腕力は必須。
しかし、刃筋を立てるためには、刀が自然な軌道を描いて対象物を切るためには、手の内は絶えず変化している。
つまり、握ってはいるが、指には余力がある。
左手も右手も、指で刀を握る、というより、手のひらで包み込む、という表現が妥当な感じか。
というより、「握る」という行為そのものが、手のひらの行為だったか。
指は手のひらの延長だ。

さて、この感覚をスティックに生かすとどうなる?
…もしかして、それがフリーハンド奏法、ってやつか?

まだまだ答えは出ないが、確実にここが入口、という実感だけは掴んだぞ。

求む!南砂町の○○さん情報!!

2006-03-27 | よしなしごと
  ↑上記写真は本文記事とほとんど関係ありまへん。

昨夜は、リトル・シゲル・ブルース・ショ~!と題し、リトルシゲル(v,g)中村翔(v,g)藤野晴信(b)という組み合わせでのライブだった。
場所は渋谷テラプレーン。道玄坂近く、円山町どまんなか、ホテル地下のブルース・バーである。

このお店については、感じの良い店だ、といろんな人から聞いていたが、出演したのは初めて。
いんやぁ、やりやすいし、いいハコでした。
都合2ステージ、あわせて2時間、20曲近く、ほぼブルース三昧。
ちょうど一年ぶりとなる藤野氏とのコンビネーションも特に問題なく(ってゆーか、あわせてもらったのか?)、まったりやらせてもらいました。

ところで、実はリハのときから、マスター氏の鋭い視線が気になり、「俺みたいなのが出ちゃぁまずいんかのう?まだ修行が足りねぇとか言われちまうのかな」などと、ちと弱気になっていたのだが、どうもそうではなかったらしい。

1stステージ終了後、突然ずずいっと寄ってきたマスター氏曰く、
「○○さん(私の本名)って、茨城出身?」
「は?」
「南砂町に親戚いないかな?俺の友達で、同じ○○っていうやつがいてね、なんか、顔立ちとかそっくりなんですよ。親戚じゃないかなと思ってね。」
…、そ、それでじ~っとこちらを見つめていたのね。
どきどきしちゃいましたよ。
2stステージ途中では、スティック飛ばした私にお絞り差し出してくれたりして。
見た目と違って(人のことは言えない?)、気配り上手なやさしい方でよかった。
また出させてください。

でも残念ながら、その南砂町の友人氏(40代前半)は、多分私の親戚ではない。
というか、近い親戚ではありません。

が!
実は、南砂町の○○さんという話を聞いたのは、これで4回めか5回めなのだ。
う~む、これだけ耳にするって事は、何かある。
わかってきたことは、茨城県出身で、一人息子で40代前半、○○さんという苗字で、見た目が俺と似ている、ってこと。

南砂町の○○さん情報求む!


安楽死?

2006-03-27 | よしなしごと

ちょっと重い話。

2年前、お袋ががんで逝った時、お袋は透析患者でもあったので、抗がん剤治療が出来るか出来ないか、ということについて、某大学病院の主治医とかなり言い合いをした。
透析患者の場合、治療効果があるかどうか、治療に耐えられるかどうか、理論上証明できない。このため、臨床報告そのものが、日本国内にはないのだそうだ。
それは抗がん剤という薬そのものの特性に起因する話だったんだけれど、理屈はわかるが、臨床例が国内にないからと言って「やりません」はねぇだろう!本人の意思を優先させろや!と怒鳴ったことを思い出す。

思えば、いい医者だったんだな、あの人たちは。
その後も、それこそ逝くその日まで、治療内容の確認、今後の方針、最終的には透析そのものを中止し、事実上尊厳死を迎える、というその決定まで、すべて私と親父に委ね、双方合意の上で最後の時を迎えた。

まさか、お袋の死に方を、息子である自分が決定することになるとは思いもよらなかったが。
その時の主治医の言葉はいまだに心に残っている。
「終末医療の現場では、いかに最後の時を迎えるか、がテーマだ」と。

ここで、富山県の射水市民病院で人工呼吸器を外された患者7人が死亡した、という事件(?)。
争点は、それが「尊厳死」か否か、「患者(もしくは患者家族)の同意」があるか否か。

どうやら、問題とされる医師は、他の医師に相談せず、呼吸器を取り外したらしい。

う~ん、そんなことって、あるのだろうか?
手続き論的な部分を取り出してみれば、医療系のヒエラルキーというか分業制の厳しさについては若干理解している部分もあるので、主治医が「こうだ」と言えば、そのまま粛々と事が進んでしまうであろう事はなんとなく想像できるんだけれど、この件は少なくとも市民病院でおきたことで、しかも終末期医療をやっているくらいなのだから、一人の患者に複数の医師がチームとして治療計画を立てて、その都度インフォームドコンセントを行いつつ、やっていく、な~ンてことは、いまや常識だろう!と思っていたのだが。
そうでもないのかな。

この医師にもそれなりの言い分はあるのだろうけれど、「尊厳死」というものが限りなく「自然死」に近いものであるとするならば、この医師のやったことは、やはり殺人とみなされてしまうのだろう。

医師っていう職業はつらい職業だな。

幸せの暗号

2006-03-24 | 子どもの視線・親の気持ち
先日、下の娘の保育園の卒園式があった。

乳幼児専門の保育園で当初2年間を過ごした上の娘がこの保育園に移ってから早や7年。
下の娘が入園してから6年。
送り迎え生活トータル9年。
それが長いのか短いのか普通なのか、いずれにせよ、もう、4月からはここに来ることもなくなるのかと思うと、感慨もひとしお。

私は過去2年間程度、保護者会の会長をやっていた時期があり、保護者のみならず園側の動きについても詳しい。
そこで「話すのは得意そうだし、ネタも豊富だろう」という思惑を抱いた周囲の保護者に乗せられ、「私たち親子にとって、本当の意味での卒園式だし」と、ついその気になって保護者の謝辞の役を引き受けてしまった。

なにせ、当初は学年別の保育だったものが、2年前からは3~5歳児については縦割りの異年齢グループによる保育へと、思い切り変ってきた保育園である。
保護者の思いも様々だから、プライベートな話は避け、なんとか保護者全員を納得させる話を、と思ったら、挨拶原稿が妙に長くなってしまった。

しかたなく、本番はかいつまんで話すつもりでいたが、いざマイクの前に立ってみたら、さすがにこみ上げるものがあり、涙でつっかえつっかえ、言葉が続かなくなってはアドリブで脱線し、の繰り返し。
弱いんですよね、こういうのに。
とはいえ、話すうちに芸人根性がムクムクと頭をもたげ、卒園児に話し掛けたり、在園児に話し掛けたり、園に対する謝辞のはずが、居並ぶ全ての皆様に感謝感謝の雨あられ、気が付けば10分間にも及ぶ大演説。

「面白かったし、子ども達が最後までしっかり聞いていたし、先生方の涙腺も決壊してた」とは他の保護者の弁。

フォローありがとー!
ま、私のドラムと同じく、チカラ技の演説と相成ったわけだ。

最後は、まだまだ元気な園の運営者、御年74歳の理事長(爺長?)先生に向けて、「願わくば、私たちの孫がここに入園するまで生きていてください」と、失礼千番承知之上の言葉で締め括ったら、「その前にもう一人作れ」と返された。
ったく。

そう言えば、私が大演説をぶっている間、上の娘は「恥ずかしくて隠れていた」そうだが、当の主役、下の娘は半べそかきながらも得意満面。

やっぱり気付いてくれたね、「宝物」ちゃん。
謝辞の中で、一度だけ使ったこの単語。
他の誰も知らない、ウチの家族だけが知っている幸せの暗号なのさ。



ライブやりますぅ~!!!

2006-03-20 | LIVE情報
3/26 Little Shigeru Show!
:at渋谷テラプレーン
 http://www.terraplane-blues.com/

リトルシゲル(v,g)中村翔(v,g)藤野晴信(b)おれ(dr)
open19:00
start20:30
MC1000

ベースの藤野晴信氏とは、昨年のフーチークーチー以来、丸一年ぶりの顔合わせだな。



4/15柏Blues Meeting vol.2
:at柏ナーディス
 http://www.hi-ho.ne.jp/k-nardis/

live start about 8pm 1st & 10pm 2ed
宮本繁g,vo、八木英哉vo,bharp、中村翔vo,g、三樹慶継p、米林一晃b、おれds  
¥2000+order

不定期ながら継続しそうなイベントです。
今回は、New Orleansネタをたんまりと。

お時間ある方、よろしくです~。




鳴り物的 Jazz Selection(Help Me!その後)

2006-03-15 | 今日の「この音」
以前ここに書いた、初心者向けJazzお薦めCDのご依頼の件だが、結局、自分が「これ好き!」と言える曲、演奏をまとめるのが一番かな、と考えた。
で、かき集めたものが下記のリスト。

1.Reflection
Roy Haynes(drums)
Phineas Newborn Jr.(piano), Paul Chambers(bass)

2.Woody N' you
Bill Evans(piano)
Philly Joe Jones(drums), Paul Chambers(bass)

3.Cleopatra's Dream
Bud Powell(piano)
Art Taylor(drums), Paul Chambers(bass)

4.'Round midnight
5.Satin Doll
Wes Montgomery(guitar)
Melvin Rhyne(organ), Paul Parker(drums)

6.You be so nice to come home to
Art Pepper(alto sax)
Red Garland(piano), Philly Joe Jones(drums), Paul Chambers(bass)

7.If I should lose you
8.This I dig of you
Hank Mobley(tenor sax)
Wynton Kelly(piano), Art Blakey(drums), Paul Chambers(bass)

9.Giant Steps
John Coltrane(tenor sax)
Tommy Flanagan(piano),Art Taylor(drums), Paul Chambers(bass)

10.Caravan
Kenny Drew(piano)
Philly Joe Jones(drums), Paul Chambers(bass)

11.Four
Miles Davis(trumpet)
John Coltrane(tenor sax), Red Garland(piano),
Philly Joe Jones(drums), Paul Chambers(bass)

12.Milestones
Miles Davis(trumpet)
Cannonball Adderley(arto sax), John Coltrane(tenor sax),
Red Garland(piano), Philly Joe Jones(drums), Paul Chambers(bass)

と、並べてみてびっくり!
ベースは全てポール・チェンバースだった!
もっとも、マイルスのマラソンセッションで本格的に聴き始め、やはりマイルスを軸に聴き漁ってきたのだから、いたしかたないのかもしれないが、とはいってもウェスのベースレストリオ以外の全部だなんて!

ドラムを見ると、やはりフィリー・ジョー・ジョーンズが叩いている楽曲が多い。
ドラムに限ればアート・ブレイキーやアート・テイラーなんて名前も出てくるが、やはりマイルス関係者が目白押し。
そう言えば、ハンク・モブレーもマイルス関連だったか。
"This I dig of you "はブレイキーの太鼓がイイ。
冒頭テーマ9小節目?の頭で、若干食い気味に入ってくるベードラとシンバルの混じった「ごーっ」という感じがスモーキーでよい。
私の思う「これがジャズドラム」という音、雰囲気が、まさにこの「ごーっ」。
シズルの音が混じってるからなんだろうけど。

しかし、全体的に賑やかなリズムが多いな。
なにせ、選んでる本人がドラマーだからやむをえないかな。

また、この中ではピアノ・トリオがけっこう多いことに自分でも驚いた。
大好きな"Reflections"はフィニアス・ニューボーンだし、バド・パウエルにケニー・ドリューにビル・エバンス。
俺って、結構ピアニスト好きなのね。トリオじゃないけれどトミー・フラガナンの音源も入ってるし。

2曲しかないギターは、この中では変り種。
ケニー・バレルとかグラント・グリーンとかも好きなんだけれど、個人的にはギターはブルースギターの方が、やはりしっくりくる。グラント・グリーンもR&B系の方が泥臭くてイイ。
ウェスのアルバムからピックアップした2曲はスタンダード。オルガンとドラムとのトリオが心地よい。
オン・ザ・ロックのジンが入ったグラスの汗を「ぼけ~っ」と眺めつつ、床の上にあぐらをかいて聴きたい感じ。

今回は、なんか、今まで知らなかった「Jazz Fan」的な自分が見えて面白い作業だったな。
今まであまり熱心なJazz Fanではなかったし。
意外に好きだったんだな、と再確認しちゃったりして。
とはいえ、やっぱ偏った選曲…かな?
これがピアニストやホーン奏者だったらまた全然違うんだろうな。

久保の腰痛再発

2006-03-10 | サッカーよろずごと
一昨日深夜。
毎晩恒例、自宅残業をてきとーに切り上げ、Yahooを開けた私は思わず叫んでしまった。
「え"~?そりゃ絶対ジーコが使いすぎたんだ!」

そう、久保の腰痛再発である。
昨日のサンスポ1面にもでかでかと報道されていたけど、なにせ、リハビリに丸一年以上を要したほどの腰痛だ。
慎重に慎重に調整してきたのに、急に負荷かけたからじゃないのか?と邪推してみても始まらない。
とにかく、「動くのも怖い」ほどの状態とのこと(本人談)。
W杯も絶望か??

ところが、昨夜1時頃、飲みすぎてヘロヘロになりつつ帰宅後、どうも気になってネットを開けたら、「久保復活!」。

はいぃ?

今日の日刊スポーツでも「ケロリとフルメニュー」とか書かれている。
「キレキレで豪快なボレーを連発!」だと。
岡田監督のコメントも「どこが痛かったのかな?一人情報戦とかやってんのかな?」ときた。

あのぉ~?狼少年かい?
とりあえず一安心、なんだが、爆弾を抱えていることには違いない。
う~ん、不安だ。
でも、まぁ、久保だからなぁ。よしとしよう。

バーチャル赤ちゃんごっこ

2006-03-09 | 子どもの視線・親の気持ち
もうすぐ小学生になってしまう次女。
上の娘が2歳の頃、母親の胎内に宿った新たな生命。

私たちは当初、この新しい生命を「こぐまちゃん」と呼んで祝福した(私が家族から「くま」と呼ばれているため)。
上の娘は毎朝保育園に出かけるとき、母親のお腹から赤ん坊を受け取り、腰をかがめて手を引き、先に自動車に乗せ、シートベルトをかけてから自分の席に座る。
保育園につくと、母親のお腹に赤ん坊を戻し、「じゃあね、こぐまちゃん」と言って教室へ入った。
父が送るときは、自動車まで連れて行って何事かをささやき、玄関に戻って母親の胎内に赤ん坊を戻し、やはり一声かけて出かける。
私たち両親が「バーチャル赤ちゃんごっこ」と呼んでいた、この”朝の儀式”。
全身で喜びを表現していた娘の姿は、私たちのみならず、彼女に関わるすべての大人たちに幸せをふりまいてくれた。

娘が3歳になり、2か月が過ぎた頃、待望の妹が生まれた。
妹が病院から戻ってきた翌朝、長女となった彼女は、ベビーベッドを覗き込んで「行ってくるね!」と言うと、スタコラ車に乗り込んだ。
「いつも赤ちゃんの手を引くまねをしていたのに、しばらくできないね?」と聞くと、「何それ?知らないよ」という返事。
なぜか、「バーチャル赤ちゃんごっこ」そのものを完全に忘れてしまっている様子。

生まれる前の赤ちゃんは、触ることができない。
だから、私たち両親は、長女が「こぐまちゃん」をバーチャルな存在として認識し、「ごっこ」遊びをしているのだろう、と考えていた。
ところが長女は、母の胎内にいる「こぐまちゃん」を、肉体性は抜きに、シンプルな「存在そのもの」として認識していたらしい。
あるいはスピリチュアルな存在だったのか。
いずれにせよ、「触ったりはできないけれど、いつも一緒にいる」大切な存在。
そして、私たちが「バーチャル赤ちゃんごっこ」と呼んでいた”儀式”は、彼女にとっては「現実」そのものだったのであり、妹の「誕生」前から連続する日常の1ページでしかなかった。
だから、生まれてみれば、実体のなかったところに「こぐまちゃん」がスポンッとはまり込んだようなもので、なんの違和感もない。
違っていることは肉体の有無。
やっと会えたね、こんなにほっぺプニプニなんだ、毎朝握っていた君の手はこんなにちっちゃいけど、温かいね!初めて気が付いたよ、という感じ。

次女もまた、長女がいつも一緒にいる、という感覚を持って生まれ、育ったように思う。
ぐずっていても、長女がそばにいると泣き声のトーンが落ち着く。
保育園に通うための慣らし保育もほとんど必要なかった。
保育園では、姿は見えなくとも長女が建物のどこかにいる、という認識が、次女を安心させていた。

このため、長女が小学校に入学し、保育園に1人で通うことになると、次女は途端に毎朝さめざめと泣き始めた。
この時、次女は生まれて初めて「一人ぼっち」という感覚を実感したに違いない。

次女が落ち着くまでには2ヶ月くらいかかっただろうか。
彼女が生まれた頃の長女と同じ、ちょうど3歳になった頃のこと。

無論、妊娠中のエコー映像を毎回長女にも見せたり、いつも家族3人で胎内の「こぐまちゃん」に呼びかけていたこと、出産の晩も陣痛室まで長女を連れて入ったことなど、2人が「良い関係」を築けるよう、私たちが仕向けたことの影響は大きい。
しかし、その言葉を素直に受け入れ、信じることができた無垢な心こそ、大切なもの。
そして、二人はすでに私たち両親の想像を超えた、はるかに緊密な信頼関係を築いている。

娘達がじゃれあう姿は、当時とは比較にならないほど迫力を増しているが、周囲にふりまく幸せは相変わらず。
そんな姿を毎晩のように眺めながら、私たちは幸せを噛み締めている。


染みた

2006-03-07 | よしなしごと

生きているということ
いま生きているということ
泣けるということ
笑えるということ
怒れるということ
自由ということ

谷川俊太郎氏の「生きる」という詩の一節。
ふと思うところ引っ張り出した詩集に見つけたこの詩に、思わず膝を打った。

喜怒哀楽あることが、すなわち「生きる」ということ。
あたりまえのことの羅列、なんだけれど、我と我が身を振り返り、なんと不自由していることか…。

心に染みたなぁ。