Baradomo日誌

ジェンベの話、コラの話、サッカーの話やらよしなしごとを。

太鼓と身体は正直者

2009-06-22 | 今日の「この音」
身体って正直だなぁ、楽器って正直だなぁ。
と、今さらながらに思う。
随分長いこと太鼓を叩いてきて、日々新たな発見があるにもかかわらず、「基本」なるものの難しさばかりが日に日に増していく。

迷いあれば、できたはずの動きさえままならず、どこかしらいびつな動作となって表れる。
止心あれば、できたはずのフレーズも叩けず、グルーヴから取り残される。

俺の場合、それが顕著に現れるのがジェンベでアフリカン・トラッドの楽曲を叩いている場合のショフマンの部分。ああしたいこうしたいと逡巡しながらソロを叩いていくと、必ずショフマンのスピードが落ちる。
昨日の練習の際、タカギ君からも指摘されたこの「失速するショフマン」。
ドゥンドゥンバでのそれなんてひどかったし、ソリで失敗した時なんて自己嫌悪以外の何物でもなかった。
でも、自分自身でも内心では分かっているのだ。単なる失速ではないってことを。
ただ速く叩けば解決するものではないのだ。

周囲が上手ならなおのこと、太鼓を叩くことは楽しい。
しかし、同時に足を引っ張りたくないという後ろ向きの気持ちが出てくる。
前者で心が満たされていれば問題ないが、心の中に少しでも後者がいれば、まず間違いなく脱力できず、悪循環に陥る。止心だ。
そんな状態でソロを叩けば、叩き始めはまだしも、ショフマンにたどり着いた頃には気持ちが息切れしている。
心の中にある様々なエクスキューズを消し去らないと、太鼓は鳴ってくれないんだな。