Baradomo日誌

ジェンベの話、コラの話、サッカーの話やらよしなしごとを。

これは音楽の汎アフリカニズムか?

2006-11-29 | 今日の「この音」
artist : Omar Sosa
title : SENTIR, Live a' FIP

オマール・ソーサというピアニストを、私は否定するものではない。
むしろ、今後とも興味を持って追いかけたい音楽家だと思っている。
しかし、オマール・ソーサというピアニストの第一印象は「?」だった。

最初に聴いたCDは“SENTIR”。
その出自であるキューバのみならず、ベネズエラやエクアドルなど、カリブ海域に散らばるアフリカン・ディアスポラの遺産を絵巻物のように再構築した、ちょっとカテゴライズ不能な作品。実はモロッコのグナワにインスパイアされて具体化した作品であり、果てはHip Hop的展開やディジリドゥまで入っているのには恐れ入る。
それはまさにポスト・コロニアルというか、アンチ・ヨーロッパ的な音のモザイクであり、さらにはその商業主義によって音楽世界をも席巻するアメリカ合衆国に対する批判とも受け止められる。このように考えた場合、彼個人による次の作品が“MULATOS”とタイトルされたことは当然の帰結なのだ。
とはいえ、頭でっかちな実験作品ではなく、非常に聴きやすい作品であり、その意味ではポップ・ミュージックとして結実している。

だが、「驚異のピアニスト」、「スピリチュアル・ジャズの旗手」等々の触れ込みから抱いたピアニストとしての「驚異」を感じるほどではなかったのも事実。
テクニック的な部分だけならば、ゴンサロ・ルバルカバなどの方が、びっくりフレーズが多いのではないか?あるいは伝統的なキューバ音楽と比較すると、明らかに違ったグルーヴの上で、すっかすかなフレーズが多い・・・って、それはモンクの影響?

“SENTIR”については、個人的には「面白い」とは思ったものの、何曲かに関して、明らかに切り張りしたような楽器ごとの微妙な空気感の違いが耳についた。
「そこがHIP HOP的要素」と言っていた評論家もいたが、それこそ「Fuck You!」である。
ミックスの所為かもしれないが、タペストリーのように感じられた音の感触が、ディアスポラ的現状のメタファーだと言われれば「なるほどねぇ」と思う反面、「で、ど~したいの?」と突っ込みの一つも入れたくなる。
求めるものは希望であり方向性のはず。汎アフリカニズムと言いかえてもいい。
そういった、意識の集中化というか先鋭化というか・・・な~んて、すぐ政治と結び付けてしまうのは私の悪い癖なんだけれど。

例えば、意識の集中化の権化的な存在ならばコルトレーンであろうし、そこからスピリチュアル・ジャズなる名称まで昇華させてしまった存在としてはファラオ・サンダースがいる。あるいは、集団対個の対決のような様相の中でグニャグニャトロトロのファンクをやらかしたのがマイルス。これらすべて、一見無節操なフレーズが飛び交っていたとしても、それは最終的には「バンドの音」として、音的にも精神的にも集約されていく観がある。
しかし、この“SENTIR”では、マイルスやコルトレーンの時代よりもはるかにレコーディング技術が進歩しているにもかかわらず、個々のプレイヤーの放つ音が総体として昇華しきれていない印象を受けたのだ。

そういった、「集中化」、「昇華」を演出すべき肝心の彼の鍵盤自体がオーヴァーダビングというより切り張りしているようにも思え、一体、ライブでどうするんだろう、これは?と思ってしまった。
「驚異」っていうくらいなんだから、ライブが凄くなきゃ、と思うのはこちらの勝手なんだろうけれど。

そこで、最新のライブ盤である“Live a FIP”と題されたCD。
ラジオ局での公開録音音源だ。

一言で言って、「参りました」。
ジャズとキューバ音楽に立脚しながら、若干16ビートっぽい、いなたいグルーヴを土台に据えて、種種様々な音、フレーズがごった煮状態。
しかし、重くはなく、ピアノも躍動感に溢れている。
これなら「スピリチュアル・ジャズの旗手」と呼ぶことに抵抗はないな。
「驚異的」かどうかは別として、「凄い」演奏だと思う。

また、やたらとクリアなミックスのおかげで、パーカッション類についてはよ~く整理されて聞こえる。
おかげでポリリズミックな展開についても、非常にわかりやすい。
コンガはいわゆるキューバン・サルサ的なフレーズのオンパレードなんだけど、それ以外にも正体不明な音がたくさん出てきて・・・勉強になるというより、分析したくなる音。

でも、聴いていて一番面白かったのは、最後のピアノとボックス・カホンのデュオ。
これだけでライブやってくれないかな?

初恋はいつのこと?

2006-11-26 | 子どもの視線・親の気持ち
「あのね~、A君はBちゃんのことが好きでね~、C君も実はBちゃんで~。Bちゃんって凄い人気あるんだよ。」

5年生ともなれば色恋の話も始まる。
父親的には非っ常~に!気になる話題、されどあんまり聞きたくないっつ~か、なんというか。カミサンは面白がっているけれど、俺は内心あんまり穏やかではないのだよ。
自分にも覚えがあるんだけど、「だれそれがナニちゃんを好きで~」みたいな話って、公然の秘密なんだけど、知らないと乗り遅れるし、かといって聞いて回るのもはばかられるし、でも多分絶えず更新されていく人間関係・・・っていう感じで、とにかくときめきなのだ、思春期を迎えつつある子ども達にとっては。
だからしゃべりたいのもわかるんだけど、なんかむずがゆいというか、居心地の悪さを感じてしまうのだ。

さてさて。
某小学校におけるそういった人間関係相関図を、一冊のノートにまとめてしまった男の子がいたそうな。
その子は、自分のクラスでは、先生の言う事を聞かず、落ち着きも無く、授業妨害に全体力を注ぐ男子三人衆に数えられる「名士」だ。
この「名士」は忘れ物の天才でもある。
からっぽのランドセルで登校することなど日常茶飯事、今授業中であることもしょっちゅう忘れて教室の中を歩き回るし、自分の給食を食べながら、隣の子の給食にスプーンを突っ込んでいたりもする(健常児です。念のため)。
そんなある日。
理科室に一冊のノートが落ちていた。
表紙にはでかでかとその「名士」の名が。
ページをめくれば、そこには「あーでこーで、こうなんだけど、じつはこーで、あーで・・・」云々、めくるめく複雑な人間関係が全て書き込まれていたそうな。
無論、それを見つけた多数の発見者達は、みんな、そこにある自分の名前と片思いの彼・彼女の名前を発見し、大騒ぎ。
数分とたたぬ間に5年生全員の知るところとなり、「吊るし上げろ!」、「タコ殴りにしてやるっ!」と霊験新たかな単語を連発しつつ、集団興奮状態に陥った校内。
そこにさっそうと登場したのがA君。
妙に冷静に、「俺がノート返してくるよ」と一言。
保育園時代から勇名を馳せた「元」問題児である彼は、ささいな悪事も許さない母親と鉄拳制裁も辞さない先生のおかげで、いい感じのガキ大将に育った。
ほんっと、いい感じなんだこいつが。
い~い感じに、そのノートを問題の「名士」に渡すと、やおら「名士」の首根っこをつかみ、「謝りに行くぞ」と一言。
「どこへ?」
「あれに書いてあるやつ全部のところだよ。みんな怒ってるんだから。」
「えぇぇぇぇ~??」
実はその時、A君の背後には鉄建制裁も辞さずの先生が立っていた。
つまり、A君の指示は教師公認。名前が書かれている全員に謝れ!!とは天のお達し。
・・・「名士」君は逃げることも出来ず、校内謝罪ツアーに出発した、のだが、あろうことか、そのノートにはA君ですら恐れる6年生の某女の子の名前も書かれていて・・・A君はその女の子の前に「名士」君を引きずり出すと、「じゃ!」と明るく手を挙げて脱兎の如く逃げ出したそうな。

後は怖くて書けません。

これは娘から聞いた実話です。
子どもの世界って、今も昔も変らないじゃん。
ちょっと安心。

ところで娘1号よ、君の好きな子ってのは誰なんだ?

しゃらしゃらからから

2006-11-26 | 鳴り物貯蔵庫

商品名はFoot JUJU。
足首に結んで、ダンスなどで使う、らしい。

正体は何かの種子。
かぼちゃの種をさらに大きくしたようなやつを、半分に切って、中の胚芽を取り出して、残った殻を紐で結んで・・・100個繋げたもの。

当方としては、ジェンベ演奏時に、左足に結んで、ハイハットのかわりにしようかなと。
でも、単調な4分とか8分でしか鳴らせないんだよな。
これでクラーベみたいに出来たら面白いのに・・・。

ジェンベ用の器材としては、相変わらずジェンベにつける鈴を探してます。
なかなかいいのがないんだよね。
真鋳製がいいんだけど、厚みがあって手ごろな大きさって、なかなか見つからない。
いっそ、インドのグンダールを手足につけて叩こうか?



あるふれ~ど~!

2006-11-25 | よしなしごと
読売新聞から引用

フィリップ・ノワレ氏(仏俳優)23日、パリで死去。76歳。
 1930年、仏北部リール生まれ。劇場俳優から56年、映画界に転じ、60年の「地下鉄のザジ」で一躍有名に。50年間で100本以上の作品に出演、仏映画界最高のセザール賞の主演男優賞を2回受賞するなど仏映画界の顔の一人として活躍した。老齢の映写技師を演じた88年の「ニュー・シネマ・パラダイス」は日本をはじめ世界各国で大ヒットした。

ニュー・シネマ・パラダイスの映写技師役しか知らないなぁ~と思っていたら、「地下鉄のザジ」の俳優さんだったんですね。
とにかく合掌。

ところで、先日ニュー・シネマ・パラダイスの完全版ってのがケーブルテレビで放映されていた。
カミサンが「一番好きな映画なんだから、絶対見る!」ってことで、早々に子ども達を布団に追い込み、久々に2人で映画鑑賞。
・・・ところが。

昔見た記憶では、な~んかほんわかした印象というか、主役のトトがとにかくかわいくてかわいくて、お母さんは気丈に働く人で、映画館が焼けちゃって大騒ぎで、失明したアルフレードの代わりにトトが映写技師になって、美しい娘と恋に落ちて、別れもあって、トトは村を出て行って・・・最後はトトが大人になっていて、アルフレードの葬式に参列し、彼が残したフィルムを見たらあのシーンのオンパレードで泣き笑い、っていう映画、だった。

それがなによ、娯楽の少ない村の人々にとって、映画が最高の贈り物だった、ってことには変らないんだけれど、映画見ながら立ったままナニしてるやつはいるし、トトと親友の何某は同じお姉さんに筆おろししてもらっちゃうし、挙句、トトは何某を出し抜いて口説き落とした彼女とラブラブになるんだけれど、彼女の引越しやら進学やらで離れ離れになってしまい、でも彼女のことが忘れられなくて、いろんな女を渡り歩いて、それをお母さんは心配していて、アルフレードの葬式に出るために何十年ぶりで帰郷したトトはその彼女にそっくりな女の子を見つけて追跡し、待ち伏せし、電話番号まで調べ上げて実はその母親であった忘れじの彼女とついに再会、ところが旦那はその親友だった何某で・・・って、お前はストーカーか?不倫か?っていう展開。
しかも、その彼女と音信不通になった原因はアルフレードの策略で、で、で、で、最後はあのシーン。

最初からこんな話だったっけ?
騙されていたんだろうか?
実は子供時代のトトの話(日本での劇場公開版)を見たときの記憶は、もとの映画の半分にも満たない内容だったわけだ。
さすがイッタ~リァ。
青い性は永遠です。

もし、大人時代のトト役の俳優がロバート・レッドフォードだったら、こうはならなかったんだろうな。

授業参観+学級懇談会

2006-11-24 | 子どもの視線・親の気持ち
http://blog.goo.ne.jp/yassakajp/e/a3e8acd54cff253c1b0a81a8d4cefc8b
           ↑
2006.11.2付け「なんで~」に書いたことの続編です。
  

先日、5年生になる娘が学校から通知文を持ってきた。
あて先は「5年1組の保護者の皆様」、差出人は「学校長」、そしてタイトルは「学級懇談会の開催について」。
授業参観の後、午後3時からから教室で懇談会実施、それが何ゆえ校長名?学級懇談会ならば担任名だろう?
もしかして、先日から続く「学級崩壊」状態に関する話し合いか?

そして土曜日。一日授業参観の日。
あまりいい話ではなさそうだな、と思いながら学校に行ってみれば、懇談会がセッティングされていたのは、全校でこのクラスだけ・・・やっぱりね~。

1年生と5年生と、2クラスを見なきゃならんので、カミサンと2人で校内をウロウロ。
ちょうど上の娘のクラスは音楽の授業中、音楽教師の指導のもと、音楽教室でリコーダーを吹いていた。
パイプ椅子を譜面台にして、全員床に座り込んでの合奏、なんだけど、明らかに全員が飽きてる・・・。
後向いて壁の時計を何度も確認する子、とりあえず寝そべっている子、リコーダーさえ持っていない子。
まぁ、こんなもんだったよな、小学校って。
そして授業終了後、わらわらっと子ども達が廊下へ出てきたが、一向に動く様子がない。
私たちはまた下の娘のクラスへ行きたいのだが、30人以上いる子ども達がだんご状態になっていて、さながら満員電車状態。
そこに体重60キロ以上に見事に育った男の子がよってきた。
「あれ、○○の・・・?」
「お~□□、ひさしぶりだな。で、お前ら何で動かないの?」
「一列になって戻る約束なんだよ。」
「…どこが一列なんだよ、お前。だれも動かねーじゃねーかよ!」
「俺、知らね~よ~!」
そうこうするうちになんとなーく子ども達が動き出した。
あくまでなんとな~く、列をなして、ばらんばらんと・・・。

おちびのクラスへ行くと、帰りの会真っ最中。
み~んな行儀良く、イスに座って、手は膝の上。
やっぱ、かわいいねぇ~。

と、余韻に浸る間もなく、3階へ駆け上がると、階段の途中でも上の娘の教室から子ども達の騒ぐ声が聞こえてくる。
ちなみに、手前の教室は6年生。
「静謐」とでも言いたくなるくらいの厳かな雰囲気のもと、帰りの会を実施中。
う~ん。これが普通の6年生なんだろうね。
そして騒音(爆音?)発信源である娘のクラス。
娘から伝え聞いていた話そのまんまの光景が目の前で展開している。
・・・歩き回る男の子が4,5人、後ろを向いてしゃべりっぱなしの男の子が3、4人、それをいさめようと叫ぶ女の子が数人。
その男の子たちの名前は、娘が毎日「あいつがうっさくってさ~」と言っている、まさにその名前。
そうか、お前が問題のあいつか、そしてキミが学級委員の片割れね・・・う~ん、妙に親近感が・・・って、一体、何してんの、キミ達?
教室前方に先生の姿が見える。
しかし、見えるだけで何言ってるかは全くわからない。
一番前の席の連中だけが先生と話し、いつ合図が出たのかわからんうちに、挨拶すらないままに、ランドセルをつかんだ子ども達が流れ解散のように教室から出て行く。
・・・え、終わり?・・・帰りの会だったの??これが???

続く保護者懇談会、教室内に机がロの字に並べられ、黒板の前に左から教務主任、担任、校長、教頭が並ぶ。
まずは状況説明、そして、担任から今後の抱負。
子ども達に宿題を出す、保護者向けに学級通信を配付する、子ども達の話をもっとよく聞く、などなど、先日の個人面談の際に聞いたことがほとんど、だったのだが、担任の姿勢はむしろ下向きと言うか、よりいっそう覇気が失せた表情で、発言にもキレがない。
なにより自信を完全に喪失している。
これに対し、保護者から出た意見はそのほとんどが担任に対する不満であり、子どもと担任とのかみ合わない思惑についての検証であり、なにもそんな細かいことまで・・・と思うような話が多かったのだが、逆に、それくらい細かい出来事の積み重ねが、子ども達の担任に対する信頼感を失わせてきたことを実証するに足る内容だった。
ウチの娘や、その他何人かの話を聞いてみても、先生が自分たちに何を求めているのかわからない、授業も説明がわからないとまで言っている。
結局は信頼関係なのだ、子ども達が求めて止まないものは。
その点について改善されなくては、状況は何も変らないだろう。

そして、学校側から提示された処方箋は、次のようなものだった。
○ 校長、教頭、教務主任をはじめ、5年の担任&6年の担任の男性教師が入れ替わり立ち代わり教室を訪れ、授業に参加し、担任をフォローする。
○ 担任が教える教科は国語、社会、家庭、体育、教務主任がほぼ常時授業をサポート、かつ、理科と図工は教務主任が担当する(音楽は音楽教師、算数は少人数クラスにより、担任と算数教師が半分ずつ指導している)。
○ お母さん方の協力を得て、楽しいクラスを作っていきたいので、いつでも授業参観という形で教室を訪れて欲しい。

・・・な~んか、ずれてないか?
そんなに大人が出入して、子ども達を緊張させることが、子ども達の現状に対する、正しい処方箋なのだろうか?

娘によると、このクラスでは、あまりに勝手なことを言う子が多くて給食をきちんと配分することが出来ないから、足りなくなるとそこら中の教室をまわって、残った分をもらってくるのだそうだ。しかし、それをやっているのは学級委員であるウチの娘を含めてあと何人かで、その間、ほかの子ども達は先に食べ始めており、結果的に給食が食べられないこともあるらしい(他のクラスを回っている子どもの給食を、もっと食べたい子どもがかっぱらってしまうそうな)。

そんな善悪の判断すらままならないような精神状態の子ども集団をさらに緊張させたのでは、いずれ子ども達は爆発するわいな。
先ほどの「帰りの会」然り、給食の時間もまた然り、だ。
他の教員が入るならば、がっつり「けじめ」をつけさせていくならば、むしろそういった時間ではないのか?
授業中はむしろ弛緩して、リラックスした精神状態にさせるべきで、その上で一つのことに集中させることができるんじゃないのか?決して甘えさせるのではなく、ね。
そういった意味で、アプローチが逆じゃないのか?と、つい反論してしまったんだが、校長は「あくまで授業に臨む態度が出来ていないことが問題なんですから、まず授業から見直します」と、にべもないお返事。
だったら、「躾は家庭の問題だ!」くらい言ってくれよ。
でも言えないのが、悲しいかな現代社会における小学校の社会的地位を示している。
これに加えて校長曰く、
「ご家庭で、担任の悪口を言わないで下さい!」

ま、確かに、親が悪口言ってれば、子どもは真似る。
俺自身もつい、言ってしまうことがあるので、これは反省せねばなるまい。
とはいえ、な~んか引っかかる言い方だなぁ・・・と、そこで俺一人タイムアップ。ジャズ練発表会に行くために退席したんだが、その後の成り行きが気になって気になって・・・。

そして翌日。
同じクラスのお母さんが回覧版を持ってきたので、しばし談笑。
当然話題は昨日の懇談会。
「で、どうなの?」
「それがさ~、なんか、個人面談の後くらいに、8人くらいのお母さん方で、担任の先生に色々申し入れしてたみたいなのよ~。」
「なにそれ?」
「それがね、こういう叱り方だとウチの息子は萎縮するからやめてくれとか、子どもが忘れ物をしないように、全員の連絡帳を毎日点検してくれとか・・・。」
「はぁ?一年生じゃないんだから。」
「でしょ?しかも、それを言ってるのが◇◇君のお母さんだったりしてさぁ!」
「それって、先頭切って騒いでるガキその2じゃん?」
「だから~、幼稚園つながりって言うか、子ども達の関係性とお母さん達の関係性って、リンクしてないから、なんか敵味方入り乱れていろいろ申し立てちゃった、ってことみたいよ。」
「それじゃあ、学校は玉虫色になるよな~。」
「ねぇ~・・・・。」

・・・とにかく、申し入れをしたご家庭のうち、男の子の大半が昨日の帰りの会で騒いでいたり、歩き回っていた子。残りはそれを注意している子。
なんなんだ、このギャップは?
これじゃあ担任は何すればいいかわからないよ。
さて、これからどうなることか・・・。


言うべき言葉

2006-11-22 | 子どもの視線・親の気持ち
現在、下の娘はスイミング・スクールに通っている。
バスで送り迎えしてもらっているので、帰りはバス停まで迎えに。
その時間が18:25。
一方、上の娘はその間も学童保育所にいるが、これまた18:30で終了。
しかし、18:00からケーブルテレビで放映中のスラムダンクが見たいと言うので、一人で帰宅できるよう、鍵を持たせている。

昨日はめずらしくカミサンと帰りが一緒になり、カミサンは買い物、私が子ども達を迎えに行くことにしたんだけれど、駅についたら18:20。
そこで、上の娘は家の鍵を持っているはずだから、一人で家に入っているだろう、と考え、バスの停留所に直行。
ところが道が混んでいたのか、18:30を過ぎてもバスが来ない!
18:33くらいにやっとバスが来て、タオル地の帽子をかぶったおちびがバスから飛び降りてきた。
娘を自転車に乗せ、「今日はどうだった?」などとたわいもない会話をしながら家に向かうと、お隣の娘達(中学生)がウチの門の前で騒いでいる。
「あれ~、今日はお父さんのお迎えだったんだ~!」と、お隣のお母さんの声。
「そ~なんですよ、たまには帰ってこないと~!」
「○○ちゃんがね、ウチで待ってなって言ったのに、外で待ってるって言うんですよ~。」
「だって、寒くもないし、ウチ、平気だもん!」とは上の娘の弁。
「はい?あれ、鍵持ってなかったっけ?」
「忘れちゃったんですって。妹さんのランドセル持って来ましたよ。」と、そこに駆けつけた学童の先生。
「なんだよ~、鍵忘れたのかヨ!皆さん、ご心配かけてすいませんでした~!ほれ、お前が謝んなきゃいかんでしょう!寒いだろうに、家入るぞ!」

家に入って、荷物の片付けを手伝わせようとすると、上の娘はプイっと自分の部屋へ行ってしまった。
そこにカミサンが帰ってきた。
「あいつ、かぎ忘れたって、外で待っててさぁ~お隣とかに面倒見てもらっちゃったよ。」
「えぇ~、鍵はランドセルにつけておけって言ってるのに!」
そこに上の娘が出てきて一言。
「一人で暗いところにいても平気だよ。」
「そーゆー問題じゃないだろ!」と私が言うと、さっと表情を曇らせ、また自室に引っ込んでしまった。

と、下の娘がやってきた。
「お姉ちゃんがなんか泣いてるよ。」

娘の部屋に入り、「鍵はいつもランドセルに付けとく約束じゃなかったかい?」と言うと、「だって、昨日は学校休みだったけど、お父さんが学童行くのに持ってけって言ったからはずしたんだもん。」
「だったら戻しておけよ、俺のせいにすんなよ。」
・・・と、ちょっと考えた。
「お前、暗いとこで一人っきりで淋しかったろ?どれくらい待った?」
「6時には家にいた。」
「じゃ、30分くらいか。ごめんな、がんばったな。淋しかったろ?」
ここで娘の涙腺が決壊。私の腹に顔をうずめて、しばらく泣き止まなかった。

5年生で、姉で、だからこそ強がっていた娘に対して、最初に言うべき言葉を間違えていたのは私の方だった。
ごめんな。


Diogalというセネガルのシンガー・ソング・ライター

2006-11-21 | 今日の「この音」
artist : diogal
title : Samba Alla

これは何語なんだろう?
セネガル出身とあるから、これが現地語なのか?
少なくとも、フランス語ではない。
どこか、日本語と同様の母音がほとんどに感じられるためか、妙に耳馴染みがいい。
あるいは、韓国語にも近いような・・・。

ブリリアントなアコースティック・ギターの音色と対話しているかのような、素直な発声が心地よい。
しかしその一方で訳詩を見れば、等身大の男の目線を通して語られる「平和」、あるいは「子ども」。
Diogal本人の身近な世界を通して見た、しかし我々にとっても普遍的な問題。
決して大上段に構えたものではなく、淡々と日常を写し取ったかのような内容に、非常に好感を覚えた。

無論、パーカッションの絡み方なんか、非常に勉強になるし、何の楽器なのかわからない音も多く、どの曲も驚きがある。
しかし、全体的にどこかレイドバックしたメロデイが、とてつもなくポップ。
だからこそ、これがアフリカから生まれた音楽である必然性がそれほど感じられなかったのかもしれない。

例えば、アリ・ファルカ・トゥーレなんかだと、もっとバリバリに泥臭く、無論、ブルース寄りになってくる。
否、むしろ、ファルカ・トゥーレが異質なのか?
サリフ・ケイタなんかの浮遊感のあるメロディもまた違うしな。

セネガルって、もっとダンサブルな音楽が主流だと聴いていたが・・・まだまだいろいろありそうだな。

フラメンコって、どう叩く?

2006-11-20 | 今日の「この音」
artist : 沖仁 
title : New day to be seen

沖氏には申し訳ないが、大儀見元氏がパーカスを叩いている、という理由で購入した一枚。
実はフラメンコって、まともに聞いたことがなく、ギターで、情熱的で、こんな感じ?っていうなんとなくのイメージしかなかった。
このアルバムはそんなフラメンコ初心者である私にとっては、非常に入りやすいアルバム。
これが伝統的なフラメンコ、というわけではないのだろうし、あえてさまざまな表情の楽曲を演奏しているようだけれど、非常にゆったりとした、やさしい気持ちにさせてくれる。

もしかして「癒し」を求めているのだろうか、俺は?

それはともかく、購入目的の大儀見氏のパーカスが心地よく、シンプルなプレイではあるが、確実に空間を広げてくれている。
ドラムマガジンのインタヴューで読んだけれど、大儀見氏は、このアルバムに参加するまで、フラメンコを叩いたことはなかったらしい。
だから、ここでの彼のプレイは、正統派のそれではなく、あくまで「大儀見流」。
しかし、そういう部分に彼の音楽性が発揮されているわけで、俺的には非常に勉強になるのだ。

晴れた休日の朝に聞きたいかも。

勉強⇒反省⇒そして次回のライブ!

2006-11-15 | LIVE情報
ちょっと時間を置いて。
先日参加した「音鳴らし@FOOL CAFÉ」の反省をひとしきり。

正直言って、ジャンベについては思い切り我流だし、教則DVD等を参考に、2,3曲のパターンを憶えているのみ、という現状では、もろアフリカンのセッションではついていくのがやっと。
しかも、大人数でのアンサンブル、となると、先日岩原大輔氏のワークショップに参加したのみで、ずぶの素人に近い状態なわけだ。
そんな自分が、何を得たか。

まず、カツさん、タクミさんのイニシアチブのもとで演奏している状態は、いわば懸かり稽古。仮にソロを叩いていても、自分がイニシアチブを握っているわけではない。
こういう状態は、実は非常に疲れるんだけれど、反面、これほど要領よくスキルアップできる手段はないのだ。
いつでも他者との関係性の中で太鼓を叩いていることを意識しながら演奏する、ということは、アフリカンに限らず非常に重要なことだが、カツさん、タクミさんという、かなり上手のプレイヤーが織りなすグルーヴが、初心を思い出させてくれた。
なにせ、となり、もしくは真正面で、指の握り開きもなにもかも、全て目に焼き付けることができる位置で、グイグイビートを引っ張ってくれているわけだ。
視覚に飛び込んでくる映像を自分の手で再現しつつ、休むことなく叩きつづければ、自然と自分の出音も変わろうというもの。
感謝感激である。

そしてもう一点、非常に印象的だったのがカツさんの話。
いわく、「アフリカンのソロは、まったくフリーな演奏ではなく、ソロパートというべきもの。また、それはドゥンドゥンのビートに対して叩くことが多い」。
・・・う~ん、これは深かった!

例えばジャズ、あるいはファンク、様々なジャンルでドラムソロ、パーカッションソロがあるけれど、そういったものは、基本的にメロディとそれを支えるグルーヴに対する解釈に基づき、半ば即興的に構成される演奏だ(と個人的には解釈している)。
通常のセッションでは、ドラム及びベースのソロでは、他の演奏者は音を出さない。
実はこれが苦手(単に下手なだけか?)。
理想的には、ドラムソロの間も、他のインストゥルメンツが鳴っていて欲しかったりする。そうすれば、それはそれで和音を伴った音楽として成立できるのではないか?リードギターによるギターソロがあるならば、リードベース的ベースソロ、リードドラム的ドラムソロ、なんてのがあってもいいんじゃないの?
でもそれはセッションじゃ無理なのかな?ややもするとミニマルミュージック的な展開になるのかもしれないなぁ、それってバンド的な展開かな?いわゆる「ソロ」とは全く違ったものになるんかなぁ・・・な~んてことを常々考えていたりするんだけど。
そこで、カツさんの話だ。

先日のセッション途中、カツさんのプレイに目を見張ったnezzさんが、「あれってどうやってるの?」と質問したことに対する回答が、「アフリカンのソロは、まったくフリーな演奏ではなく、ソロパートというべきもの。また、それはドゥンドゥンのビートに対して叩くことが多い」という話だった。
へぇ~、なんて相槌を打ちながら、次のセットを始め、俺のソロに回ってきた時、意識的にカツさんが叩くドゥンドゥンの音に絡むよう、極力単純なパッセージを入れていったところ、急に彼が煽りだした(ように感じた)。
それがうまくいったかどうかはともかく、結果的にグルーヴのポケットにアクセントを落としていくような演奏になり、少なくとも自分が感じるグルーヴは格段によくなった(ように思えた)。
これこそ、「リードドラム」なんでない?
その瞬間、目からうろこがぼろぼろっと・・・。

・・・深いです。遥かなるアフリカ。
多分、入口をちょっと覗かせてもらっただけなんだろうけれど…。


そんなわけで、今後の予定。

11月18日(土)夜
馬橋オリンズにて「ジャズ練発表会」
http://ameblo.jp/olinz
出演者多数の発表会スタイル、なんだけど、ドラム、コンガ、ジャンベ、カホン、ヤンブーなど、さそわれるままに片っ端から叩く予定(単なるお蔵出しかい?)

11月30日(木)夜
http://www.otonami.com/tenmado/schedule/index.htm
高田馬場にある「四谷天窓」にて中村翔(withさかいり@Djembe)ライブ

お時間ある方よろしく。

CHUNKY6

2006-11-12 | 子どもの視線・親の気持ち
私の従兄弟・坂入ジュニアjrがドラマーとして参加しているバンド、CHUNKY6が、現在、Sony Music×Sony ericsson×MTV  オーディション最優秀アーティスト候補に残っている。
晴れて1位をとるとSony ericsson携帯CMのタイアップだそうな。

実は、その従兄弟の親父・俺の親父の末弟・つまり俺の叔父は、生前、デザイナーだったんだけど、ドラムも叩いていたんだな。
Jazzドラマーだったその叔父には、俺自身もドラムを始めた当初、色々と示唆を受け、いまだに消化できていないことが山ほどあったりして…。
ちょうどうちの長女が生まれる1年前に他界したんだが、せめてもの恩返しにと、当時の俺のバンドのデモテープを棺に入れたっけ。

ついでに、その叔父とも仲良しだった、私の最年長の従兄弟も、その昔モップスの前座をやったことがあるってのが自慢のアマチュアドラマーで、俺自身は彼の影響からドラムを始めている。

叔父の死後、その血を受け継いだ従兄弟・坂入ジュニアjrはドラムに目覚め、叔母の話によると、どうやら私の昔のバンド、STEREO LOUNGEのライブを見に来た頃からかなり熱が上がりはじめ、OASISとハイロウズで思い切りはまった模様。
そうこうするうちに中学3年生になった彼は、ちょうどウチの次女が生まれたとき、わざわざ病院まで見舞いにきてくれた…と、思いきや、実はドラムの練習をどうすりゃいいのか相談に来たのだった。

確かその後、菅沼孝三さんの「手数王」のビデオか何かを渡したこともあったなぁ。

…と、勝手に人の経歴を書き連ねているけれど、とにもかくにもウチの家系では4人目、俺の従兄弟の代では、3人目のドラマー(最年長の従兄弟⇒俺⇒ジュニアJr)。

3人目の正直?で、ついに身内からプロドラマーが出るかな?

ご興味ある方は下記サイトを覗いてみてくださいな。

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CHUNKY6公式サイト http://www.chunky6.com/

ソニー投票サイト http://www.sonyericsson-music.com