artist : Omar Sosa
title : SENTIR, Live a' FIP
オマール・ソーサというピアニストを、私は否定するものではない。
むしろ、今後とも興味を持って追いかけたい音楽家だと思っている。
しかし、オマール・ソーサというピアニストの第一印象は「?」だった。
最初に聴いたCDは“SENTIR”。
その出自であるキューバのみならず、ベネズエラやエクアドルなど、カリブ海域に散らばるアフリカン・ディアスポラの遺産を絵巻物のように再構築した、ちょっとカテゴライズ不能な作品。実はモロッコのグナワにインスパイアされて具体化した作品であり、果てはHip Hop的展開やディジリドゥまで入っているのには恐れ入る。
それはまさにポスト・コロニアルというか、アンチ・ヨーロッパ的な音のモザイクであり、さらにはその商業主義によって音楽世界をも席巻するアメリカ合衆国に対する批判とも受け止められる。このように考えた場合、彼個人による次の作品が“MULATOS”とタイトルされたことは当然の帰結なのだ。
とはいえ、頭でっかちな実験作品ではなく、非常に聴きやすい作品であり、その意味ではポップ・ミュージックとして結実している。
だが、「驚異のピアニスト」、「スピリチュアル・ジャズの旗手」等々の触れ込みから抱いたピアニストとしての「驚異」を感じるほどではなかったのも事実。
テクニック的な部分だけならば、ゴンサロ・ルバルカバなどの方が、びっくりフレーズが多いのではないか?あるいは伝統的なキューバ音楽と比較すると、明らかに違ったグルーヴの上で、すっかすかなフレーズが多い・・・って、それはモンクの影響?
“SENTIR”については、個人的には「面白い」とは思ったものの、何曲かに関して、明らかに切り張りしたような楽器ごとの微妙な空気感の違いが耳についた。
「そこがHIP HOP的要素」と言っていた評論家もいたが、それこそ「Fuck You!」である。
ミックスの所為かもしれないが、タペストリーのように感じられた音の感触が、ディアスポラ的現状のメタファーだと言われれば「なるほどねぇ」と思う反面、「で、ど~したいの?」と突っ込みの一つも入れたくなる。
求めるものは希望であり方向性のはず。汎アフリカニズムと言いかえてもいい。
そういった、意識の集中化というか先鋭化というか・・・な~んて、すぐ政治と結び付けてしまうのは私の悪い癖なんだけれど。
例えば、意識の集中化の権化的な存在ならばコルトレーンであろうし、そこからスピリチュアル・ジャズなる名称まで昇華させてしまった存在としてはファラオ・サンダースがいる。あるいは、集団対個の対決のような様相の中でグニャグニャトロトロのファンクをやらかしたのがマイルス。これらすべて、一見無節操なフレーズが飛び交っていたとしても、それは最終的には「バンドの音」として、音的にも精神的にも集約されていく観がある。
しかし、この“SENTIR”では、マイルスやコルトレーンの時代よりもはるかにレコーディング技術が進歩しているにもかかわらず、個々のプレイヤーの放つ音が総体として昇華しきれていない印象を受けたのだ。
そういった、「集中化」、「昇華」を演出すべき肝心の彼の鍵盤自体がオーヴァーダビングというより切り張りしているようにも思え、一体、ライブでどうするんだろう、これは?と思ってしまった。
「驚異」っていうくらいなんだから、ライブが凄くなきゃ、と思うのはこちらの勝手なんだろうけれど。
そこで、最新のライブ盤である“Live a FIP”と題されたCD。
ラジオ局での公開録音音源だ。
一言で言って、「参りました」。
ジャズとキューバ音楽に立脚しながら、若干16ビートっぽい、いなたいグルーヴを土台に据えて、種種様々な音、フレーズがごった煮状態。
しかし、重くはなく、ピアノも躍動感に溢れている。
これなら「スピリチュアル・ジャズの旗手」と呼ぶことに抵抗はないな。
「驚異的」かどうかは別として、「凄い」演奏だと思う。
また、やたらとクリアなミックスのおかげで、パーカッション類についてはよ~く整理されて聞こえる。
おかげでポリリズミックな展開についても、非常にわかりやすい。
コンガはいわゆるキューバン・サルサ的なフレーズのオンパレードなんだけど、それ以外にも正体不明な音がたくさん出てきて・・・勉強になるというより、分析したくなる音。
でも、聴いていて一番面白かったのは、最後のピアノとボックス・カホンのデュオ。
これだけでライブやってくれないかな?
title : SENTIR, Live a' FIP
オマール・ソーサというピアニストを、私は否定するものではない。
むしろ、今後とも興味を持って追いかけたい音楽家だと思っている。
しかし、オマール・ソーサというピアニストの第一印象は「?」だった。
最初に聴いたCDは“SENTIR”。
その出自であるキューバのみならず、ベネズエラやエクアドルなど、カリブ海域に散らばるアフリカン・ディアスポラの遺産を絵巻物のように再構築した、ちょっとカテゴライズ不能な作品。実はモロッコのグナワにインスパイアされて具体化した作品であり、果てはHip Hop的展開やディジリドゥまで入っているのには恐れ入る。
それはまさにポスト・コロニアルというか、アンチ・ヨーロッパ的な音のモザイクであり、さらにはその商業主義によって音楽世界をも席巻するアメリカ合衆国に対する批判とも受け止められる。このように考えた場合、彼個人による次の作品が“MULATOS”とタイトルされたことは当然の帰結なのだ。
とはいえ、頭でっかちな実験作品ではなく、非常に聴きやすい作品であり、その意味ではポップ・ミュージックとして結実している。
だが、「驚異のピアニスト」、「スピリチュアル・ジャズの旗手」等々の触れ込みから抱いたピアニストとしての「驚異」を感じるほどではなかったのも事実。
テクニック的な部分だけならば、ゴンサロ・ルバルカバなどの方が、びっくりフレーズが多いのではないか?あるいは伝統的なキューバ音楽と比較すると、明らかに違ったグルーヴの上で、すっかすかなフレーズが多い・・・って、それはモンクの影響?
“SENTIR”については、個人的には「面白い」とは思ったものの、何曲かに関して、明らかに切り張りしたような楽器ごとの微妙な空気感の違いが耳についた。
「そこがHIP HOP的要素」と言っていた評論家もいたが、それこそ「Fuck You!」である。
ミックスの所為かもしれないが、タペストリーのように感じられた音の感触が、ディアスポラ的現状のメタファーだと言われれば「なるほどねぇ」と思う反面、「で、ど~したいの?」と突っ込みの一つも入れたくなる。
求めるものは希望であり方向性のはず。汎アフリカニズムと言いかえてもいい。
そういった、意識の集中化というか先鋭化というか・・・な~んて、すぐ政治と結び付けてしまうのは私の悪い癖なんだけれど。
例えば、意識の集中化の権化的な存在ならばコルトレーンであろうし、そこからスピリチュアル・ジャズなる名称まで昇華させてしまった存在としてはファラオ・サンダースがいる。あるいは、集団対個の対決のような様相の中でグニャグニャトロトロのファンクをやらかしたのがマイルス。これらすべて、一見無節操なフレーズが飛び交っていたとしても、それは最終的には「バンドの音」として、音的にも精神的にも集約されていく観がある。
しかし、この“SENTIR”では、マイルスやコルトレーンの時代よりもはるかにレコーディング技術が進歩しているにもかかわらず、個々のプレイヤーの放つ音が総体として昇華しきれていない印象を受けたのだ。
そういった、「集中化」、「昇華」を演出すべき肝心の彼の鍵盤自体がオーヴァーダビングというより切り張りしているようにも思え、一体、ライブでどうするんだろう、これは?と思ってしまった。
「驚異」っていうくらいなんだから、ライブが凄くなきゃ、と思うのはこちらの勝手なんだろうけれど。
そこで、最新のライブ盤である“Live a FIP”と題されたCD。
ラジオ局での公開録音音源だ。
一言で言って、「参りました」。
ジャズとキューバ音楽に立脚しながら、若干16ビートっぽい、いなたいグルーヴを土台に据えて、種種様々な音、フレーズがごった煮状態。
しかし、重くはなく、ピアノも躍動感に溢れている。
これなら「スピリチュアル・ジャズの旗手」と呼ぶことに抵抗はないな。
「驚異的」かどうかは別として、「凄い」演奏だと思う。
また、やたらとクリアなミックスのおかげで、パーカッション類についてはよ~く整理されて聞こえる。
おかげでポリリズミックな展開についても、非常にわかりやすい。
コンガはいわゆるキューバン・サルサ的なフレーズのオンパレードなんだけど、それ以外にも正体不明な音がたくさん出てきて・・・勉強になるというより、分析したくなる音。
でも、聴いていて一番面白かったのは、最後のピアノとボックス・カホンのデュオ。
これだけでライブやってくれないかな?