Baradomo日誌

ジェンベの話、コラの話、サッカーの話やらよしなしごとを。

ちょっと気が早いけれど、2007年ジェンベの反省文。

2007-11-26 | ダトトパ教本(ネット版)

昨夜の新宿マローネでのライブをもって、今年のジェンベでのライブ予定は全て終了。
今年も中村翔のバックでジェンベを叩くライブがほぼ毎月1本。

さて。
なにぶんアコギ弾き語りの伴奏をジェンベでつけるわけだから、フレーズはさておき、音色と音量がまずは問題。
今年はずっとこのことにこだわってきた。

今年の春先、岩原大輔氏のワークで、「もっと手首を使わないと、太い音は出ない」との指摘を受けたものの、どうもうまく感覚がつかめずもやもや。
6月、メタルギニータカギ君の体育会的?ワークで、強制的に脱力状態にされたときの感覚が身体に残り、明らかにジェンベの出音が変わってきた。
実はそれまで、掌底の位置がジェンベのヘッドと同じか、ややもするとリングの位置くらいに下がった場所にあったのだけれど、それでは掌底でミュートしてしまう。
そこで、意識的にヘッドより2センチくらい浮かせて、脱力しまくって叩くようにしたら、我ながら叩いていて「気持ちえ~!」と感じるトンの音が出るようになった。
結局、掌の位置を上げることで手首の可動域を確保し、掌のみならず指先まで柔らかく使いながら音を出す、という感覚が掴めたわけだ。
しかし、トンがクリアになったら、今度はスラップが気に入らなくなる。
手首の位置を極力そのままにして、叩き分けるにはどうしたらいいか?
岩原さんの手元を覗き込み、タカギ君に教えてもらい、千葉のカツ君に解説してもらい・・・。

ようやっとコツみたいなもんが飲み込めてきたのが8月、某所でアフリカンの楽曲を演奏するライブに参加した頃のこと。
そして9月にはママディ・ケイタ師のワークに参加して大感激、翌週のライブではジェンベの皮が破裂したので急遽カホンを叩いたら、これまた以前とはまったく違う出音になっていてびっくり。
続いて岩原氏のバンド、Murphyとカップリングのライブに参加した際も、出音の快感さめやらず、方向性としてはこれでいい!と実感。

しかし。
気持ちいい音は気持ちいい腕の落としが生み出していて、肩甲骨から指先まで、余分な力を使わずに関節が自然に動くから太い音になるが、その場合、ある程度の音量が出てしまう。
ウタモノのバックとしては、さらにさらにピアノ、ピアニッシモの音を出さなくてはならないのだが、音量を落とそうとすれば叩き分けどころか、なんか詰まったような汚い音になってしまう。
期せずして、コントロール不能な領域に首を突っ込んでしまったかのよう。

そこで、音量をコントロールするために、小指をあてないように、さらに人差し指も使わずトンを出すように研究してから臨んだのが10月のライブ。
この時は音量コントロールに腐心するあまり、せっかく掴みかけていたグルーヴの「入り口」にすらたどり着けず、演奏内容は過去最低だったように思う。

そして11月、21日・25日と連続して演奏してきたが、やはり音量の問題はつきまとった。ハコの大きさにもよるが、指一本で叩いてもアクセントをつけてしまえばギターのアルペジオくらいいとも簡単に吹き飛ばしてしまうほど、空間を占有してしまうジェンベという太鼓。改めてこの楽器の音に感動してしまった反面、現状の私自身のオープン奏法では音量上、明らかに下限がある。
コンガ的な奏法から脱却したいがために、極力ミュートしながらの奏法は使わずにきたのだが、こりゃ本気でミュート系のバリエーションを増やすべく、研究しないといかんかもなぁ。

自分の演奏映像を撮ってみようかな?
そしたら何かわかるかも。

「入り口」再び

2007-11-22 | 鳴り物貯蔵庫
「自分のライブ演奏のプレイバックは聴かない」という方が、意外に大勢いらっしゃる。
俺の場合は、極力毎回録音してきては、飽きもせずに聴き返す。
なによりうれしいんだな、人前で演奏できたってことが。
その記録だから、つい聴いてしまう。
プレイバックを聴くと勿論へこむことも多いけれど、確実に毎回変化があって、課題が見つかる。
だから、いまだにライブは新鮮。
あほみたいな感想だけど、その気持ちだけは20年間変わらない。

さて、昨夜の演奏。
珍しく相棒の翔君にも褒められてしまい、少々照れくさかったが、安定感があったな。
実は、昨夜は2曲目あたりから、以前、岩原氏のMurphyに飛び入り参加した時と同じ、「入り口」の感覚があり、それがどんどん膨れ上がっていくように思えた。
だから、いつも以上にplaybackを聴くのが楽しい。
ミスショットがあっても、単なるミスであって、グルーヴからアウトした瞬間は皆無。
ソロ・フレーズもほぼ意図したとおりに叩いている。音の叩き分けは永遠の過大だけど。

ここんところ、ワークでもなんでも、ひたすらドゥンドゥンバ(というアフリカンのリズム)ばかり叩いていて、裏だとか表だとか関係なく、渦を巻きながら絡み合い、大きな渦となっているグルーヴがそこにあって、とにかく自分がどこに入るか?ってことが問題で、だからこそ何よりコミュニケーションが大切で・・・なんてことばかり追求してきた効果だ。間違いなく。
アフリカンは奥深い!

昨夜の音を聴いていると、「あ、今見えてる」という感覚が蘇る場面がかなりある。
多分、絡み合う複数のグルーヴの中の、ある特定の渦に飛び込んでしまうと、楽曲から外れていってしまう。
いろんなグルーヴが俺の周りで渦を巻いていて、「こんなのもある、あんなのもある、あっちもいいなぁ、そっちもいいなぁ」なんて感じながら、でもシンプルに叩いている時が一番安定している。

ただ、それが観客の皆さんにも伝わってるか?っていうと別問題。
ただうるさいだけ、と思われる場合もある。

まぁ、もう少しです。
某Gt師匠の弁を借りれば「紙一枚」。
なんと丈夫な「紙」であることよ。

さて、日曜日は新宿マローネだ!

どっちがおかしい?

2007-11-20 | よしなしごと
夏の甲子園・某県予選。
某高校野球部OBのN氏は、卒業から20年以上経った今も、毎回2回戦あたりから母校の応援に駆けつけているが、ここ数年、スタンドの様相が激変しているという。
なんでも、双方の応援スタンドに陣取る保護者の皆さんが、一様に「○○高校野球部保護者会」と刺繍の入った帽子やらTシャツやらを身につけ、大挙して押しかけているそうな。
予選だよ?それも2回戦!
俺が高校生の頃は、そういうのはなかったよな~。

そんな話をしていたN氏にいきなり直球を投げたのは、隣に座っていた女性社員。
彼女の息子さんは昨年まで都立高校で野球をやっていたらしい。
「え?練習試合のときもみんなそういう帽子かぶって行くんですよ、保護者は。当番制で、御茶出ししたり、タオル配ったり、監督にご挨拶したり、大変なんですから。」
これにはN氏がきょとんとしてしまった。
「それって、マネージャーとか、下級生の仕事なんじゃ・・・」
「どこの高校でも保護者の仕事よ。せっかく運動部に入れたのに、なんで運動以外のこともさせなきゃいけないの?当たり前じゃない!」
「それって、もしかして甲子園常連校だったりします?練習もきついことやってたんですかね?」
「まさか!ウチの高校はいつも2回戦くらいでおしまい。どうせ甲子園になんて行けないんだから、週に4回も練習したら疲れちゃって勉強できないでしょ?って、監督に申し入れしたくらいなんだから。」
「はぁ~?4回?今はどこもそんなもんなんですかね?」
「ちなみにNさんの高校はどれくらいやってたの?」
「正月と試験期間以外は毎日ですよ。」
「え?じゃ甲子園行ったの?」
「いや、県で16くらいまでですかね。」
「え~?毎日練習しても甲子園に行けないの?」
「普通、どこでもそうでしたよ。みんな毎日練習したけど、強いところはそれ以上にやってるからやっぱり強くて・・・」
「甲子園に行けるわけでもないのに、毎日そんなに馬鹿みたいに練習してたなんて、無駄とは言わないけど、おかしいんじゃない?」

と、語り終えたN氏は俺の目をじっと見据えながらこう言った。

「なぁ、どっちがおかしい?」

スポーツ新聞の見出しはおもろい。

2007-11-20 | サッカーよろずごと
「オジェック内定!」by日刊スポーツ
「オシム監督に後継者指名権」byスポーツ報知

さ~て、どっちがほんと?

多分、どちらもほんとでどっちも嘘。
スポーツ紙の見出しなんて、「ツカミ」ですもん。
日刊スポーツのニュースなんて、情報の出所にはまったく触れていないし、いわゆる「飛ばし」なんではないの?
だって、リーグ優勝争いの渦中だぜ?クラブW杯はともかくとしても。
なんせ「おらが街のチーム」をアジア・チャンプにまで押し上げたサポーターを無視するようなやり方するかね?それを考えると、いくらなんでも二の轍は踏まないでしょ?(でも踏んじゃうのが協会かな?)

と思ってたら、レッズ側から「既に契約を済ませている」旨報道があり、オジェックのコメントはないままにこの話は収束しそうだ。
「オジェック内定!」ならば、オシム就任時と同じく、否、時節柄あの時以上にサポーターとの間にしこりを残すような人選。
でも、川淵キャプテンがつい口を滑らせたせいで、なし崩しに始まっちゃったオシム体制という例もあるし。
少なくとも協会内でいろんな名前が飛び交ってるよ~!ということなんだろう。

一方、報知のみだしにあるように、「オシム監督に後継者指名権」ならば協会の主体性のなさを露呈するようなもんだ。
一見これは美談めいてはいるものの、オシム監督が病床にあり、予断を許さない状況下であるにも関わらず、無理に責任をかぶせるようなやり方にも見えてしまう。

本音はこんなところだろう。

今後の進め方については、「1.新監督の招聘」「2.臨時代行の設置」という二つの選択肢があって、いずれの場合にもこれまでのオシム監督とそのスタッフ、そして強化委員会とが培ってきたコンセプトを生かせる人選でいきたい。
現在、そのような条件に見合う人選や各々の場合の強化の進め方、協会としてのフォローの仕方について、複数のシミュレーションをしている。
ただ、今はまだそういうことをお話しする段階ではないと考える。
サッカーを愛する皆さん全員で、オシム監督の回復を祈りましょう。

願わくば、こんなコメントを出して欲しいが。
これって青臭い?

い~っしょ、青臭くても。
代表ユニは青いのさ。

オシム監督の回復を祈りつつ

2007-11-19 | サッカーよろずごと

オシム監督が脳梗塞のため緊急入院した。

ネット上に流れた情報によれば、深夜のため日本サッカー協会関係者と連絡が取れず、119番通報もわからず、なんとグルノーブルの祖母井氏と連絡を取って119番通報したらしい。
病院到着まで、発症から1時間半。
病院到着時まで、オシム氏は意識があり、通訳を介して英語でやり取りをしていたそうだ。
でも居間は集中治療室。
意図的に?意識をなくさせた状態での治療が続いているという。

とにかく、回復を祈るしかない。
代表監督なんて辞めてもらって結構だ。
とにかく元気に退院できることを願う。

と言っておきながら何だけど、目前に迫ってきたW杯予選はどうなるのか?
「オシムを総監督として、現スタッフ陣は継続、方向性を踏襲できる臨時代行監督を置く」という中間路線が現実的?
小野剛氏を筆頭とする技術委員会に今後の方向性を委ねた、という報道がその根拠だけど、否、本来、代表チームというのはそうあるべきなのだ。
無論、スタッフやマスコミの発言力が強すぎて、監督がその個性を発揮できない、なんていう事態に陥ってしまっては困るのだが、監督が替わるたびに暖簾を架け替え、フランス料理店がすし屋になるような展開であってもまた困るのだ。
これまで、オフト~ファルカン~加茂~岡田~トルシエ~ジーコと監督が替わってきたが、前任者の蓄積を元手にさらに伸ばす、という発想を誰がとっていたか?
「継続的な強化」というものを考えた場合、特に、トルシエ~ジーコの8年間の断裂は大きい。

言い換えるならば、代表とは、「米料理専門店」とか「日本酒専門店」であって、新メニューとしてパエリア始めました、とか、日本酒アイス新開発!とかであるべき。
国の代表チームってのは、そういった包括的な方向性こそが暖簾となるべきであり、オシムが主唱する「日本化」の中核にはそういう考え方があると思う。
いやもう、面倒だからそういうことにしよう。
そして、板長オシム氏急病のため、流しの板さんでもなんでも引っ張り込んで、この店の味を落とさぬよう、暖簾に傷がつかぬよう、日本サッカー界挙げて議論しながら戦わねば。

で?
いつぞやのWBCだったかの時の「チーム長島」みたいなもんだ。
中畑は誰だ?
反町で行く?それとも大熊さん?
いやいや、岡田さんですか?
臨時板長候補はこの御三方だろうね、現実的なところでは。


さて。
そのオシムの愛弟子、水本がキャプテンマークを巻いた五輪予選。
ベトナムを軽く見るわけではないが、日本の選手たちは「プロ」なんである。
半分アマチュアのベトナムにあっぷあっぷでは困るのだ。
先日のACLでは浦和が優勝。川崎もベスト4。Jリーグは「プロ」として、アジアでは韓国と並んでトップレベルであることを証明している。君達はその中の選手なんだから。
「おとなしい」とか「ぴちぴち感がない」とか、オブラートに包んだ言い方は無意味。
「お前ら、まだ片目も開かねぇのか?」と言うべき(古いかな?)。
「うまいだけじゃ勝てないんだぜ~!」ってのがスポーツ。
日本の五輪代表選手に対して求められるべきは、結果だし、点差なんだけれど、それ以上に試合のイニシアチヴを奪い合い、最後は強奪するだけの精神力。

ベトナム戦のポイントは、水野・柏木との連携を含めた本田圭佑のプレー位置、そして水野~内田、本田~岡崎という、縦の連携によるサイドの崩し。
前半を見る限り、この2点については及第点だったし、特に2点目や、3点目の布石となった岡崎の突破を生んだバイタルエリアでのパス交換などは「エレガントなプレー」だった。スピーディーな展開を予想し、李&岡崎の2トップから逆算した攻撃の組み立てが見事にはまったと言えるし、スィーパーを置かず、中盤の枚数を増やしていたことも含め、攻撃への意思統一が図られていたことも大量得点の遠因。
正直、この前半ほどスピード&ラッシュと繊細なパス交換がはまったサッカーを見たのは、数多くの代表戦の中でも久しぶりかもしれない。
この展開では平山の出番はなかったね、残念ですが。

そんな中、PK以外の3点が、全て左サイドから始まっていたことは、実は注目に値するマイナスポイントだと思う。
それはFw陣とパスの出し手との相性かもしれないし、李&岡崎という組み合わせの妙かもしれないし。
また、前半開始早々から本田の動きは切れていたし、意外にも左サイドに置かれた伊野波の動きも悪くはなく、本田の裏のスペースを埋め、柏木・水野へとパスを散らすリンクマンとして影のように付き従っていたので、左だけを見れば伊野波⇒本田+柏木⇒岡崎というラインが出来ていた。
しかし、右サイドの内田はトラップミスやパスミスを連発し、水野との連携もいまひとつ精度を欠いた結果、水野は孤立し、プレーは散発的で、むしろ二の矢的なフォローに終始。
これが結果的に左偏重の攻撃を生んだのみならず、サイド攻撃を多用しつつも直線的な、平坦な攻撃リズムに陥りがちな主要因。
従って後半、本田が若干位置を下げ気味にすると、全体が下がってしまったのだ。
後半開始~15分くらいまでこの状態が続く。

前半を見て、内田のミスの多さはピッチコンディションに起因しているのかと考えた。
青山直&敏も滑っていたし。
しかし、内田はサイドが変わってもあいかわらずミスのオンパレード。
サイドチェンジもままならない。
本田は自らイニシアチヴをとって試合を落ち着けようとしたのかもしれない。
ならば自発的な岡崎とのポジションチェンジも含めてもう一つ工夫が欲しいし、そうすれば15分間にも渡って松木の「危ない!」という素っ頓狂な声を聞かずに済んだのだ。
一方、ベトナムから見れば、本田こそ日本の起点であり、本田のパスの受け手3人程度を限定的にマンマークすれば日本の攻撃は止められると考えたのだろう。
そして、それは見事に成功したと言える。
後半の立ち上がり、真っ先に交替になるのは内田、交代要員は細貝だろうと予想していたが、後半25分まで交替はなく、チェンジしたのは伊野波⇒梅崎と青山敏⇒細貝。ほぼワンボランチで走りまくった青山敏だったが、さすがに終盤は運動量が落ちていた。
しかし内田は90分間走り続け、本田は左サイドをじりじり後退しながらパスを供給し続け、水本は鼻を折り、岡崎は決定的なシュートを二度はずし、梅崎を加えて面子オーバー寸前のトップ下は異常なボール支配力と走力を発揮しつつも得点を奪えず、追加点はなんと細貝の頭!気付けば純粋にディフェンダーと呼べるのは水本と青山直の2バック!オシムじゃないんだから。
最後は岡崎に替わって出場の興梠が走りまくってPKをゲットするも、本田が失敗して試合終了。

やる気は見えたね。
根性も見せた。
なにより柏木~梅崎の走りまくるトップ下は魅力だ。

次回サウジ戦は、あろうことか出場枠1を争う直接対決となった。
でも、構図としては簡単になったからいいんじゃない?
追加召集はデカモリシ。
つまり、点とって勝つ!ってこと。
次節も本田と内田に注目だ。

お姉ちゃんは風邪のようです。

2007-11-13 | 子どもの視線・親の気持ち
このところ通っているメタルギニー主催のアフリカンダンス・ワークショップ。
ワークがある日は毎度月曜日だが、実は月曜は上の娘が学習塾に行く日でもある。
このため上の娘はご飯をセットしてから学習塾に行き、私は6時過ぎに学童保育所に寄って下の娘を拾って帰宅して3人が集合。簡単にご飯を済ませてから、3人で出発するころカミサンが帰宅、という段取りだ。
日ごろ、家ではだらけていて手伝いも自分の机の整理もままならない娘たちだが、この日ばかりはワークに行きたいがためにきびきびと動く。

ところが。

昨夜はめずらしくカミサンが先に帰宅していて、ご飯の準備が楽だなぁ~と思ったら、上の娘の顔色が悪い。
「なんか頭痛い~」
あららら。
熱はなく、食欲もあるようなのでインフルエンザではなさそう。
「行きたいよ~、休むと置いてかれちゃうよ~」
でもねぇ。
月曜日だし。ここで無理してこじらせたらもっとしゃれにならんし。
「見学だけ行く?」
「行ったらやりたいよ~」
「とりあえず、薬飲んで少し寝てろ。」

一方、下の娘。
「お姉ちゃんがね、頭痛いんだって。今日は2人で行く?」
「行く~!」
「じゃ、早く食べて着替えなさい。」
「は~い!」
と、ここまではよかった。
食事を終え、着替えを取りにベッドルームへ戻った下の娘が階段を降りてくる。
なんかゆっくりした足音。
「着替えな!」
「うん。お姉ちゃん寝てた。」
「風邪だろうと思うよ。今日は2人で行こうな。」
「うん。」
あれ?ちょっと心が折れかけてるのか?

ジェンベを車に積んでからもう一度ベッドに転がった上の娘の様子を見に行くと、実はしっかり起きていた。
「ウチは今日はやめとく。でさぁ、あいつももう二年生なんだからさぁ、今日は1人で行ってもいいんじゃん。今までそういうことなかったし。いい機会だよ。」
なによお前!すっかり保護者だね、言うことが。

んじゃぁ行きますかね、と、居間に戻った私の目に映ったのは、カミサンにしがみついてヒンヒン泣きじゃくる下の娘の姿。
「お姉ちゃんと一緒に行きたい~!」
「あららら~?さっきと違うねぇ、言ってることが。」
「1人で行けるの?って訊いたらこうなっちゃって」とはカミサンの弁。
だぁ~めだよそんなこと言っちゃぁ~!母親がいじったら折れちゃうよ~!
でも折れちゃったら元に戻らないんだよな、こういう時って。

はい。
次回は2人とも参加できるように!
体調整えなさい!

というわけで、昨夜は私1人だけ参加。これもなんか淋しい。
太鼓の練習にはなったんだけどね。

溢れるCD

2007-11-12 | よしなしごと
今の家屋に引っ越して、ちょうど10年。
引越し当時、私は8ビートを聴くのも叩くのも嫌になっていた。
なんか飽きちゃってたんだよね。
その後三十路イブの夜、REMを一晩かかって聴き直し、「もういいや」と箱に戻してそれっきり。
だから、引越しの時に箱詰めした数百枚のロック系CDは、ときたま思い出したように漁る程度で、ほとんどが今もって箱の中。
箱から出しておいたのは、レゲエだジャズだブルースだボサノバだ、アフリカの民俗音楽だ、と、基本的にカラードの人がやっているものばかり。

昨日、発注しておいた薄型(奥行き17センチ)ラックが届いたのを契機に、手持ちのCDを整理してみた。
一応、カテゴリー別、アルファベット別に並べてからラックに並べていく。
ん~!なんか爽快!

と、クラシックとアイドル系、演歌はないが、それ以外のカテゴリーについてはほぼ網羅していることに気付いた。
広く浅く聴いてきたんですね、私は。
ついでに、同じミュージシャンのものをずっと買い続ける、ということもあまりしていない。
ちなみに、同一人物(バンド)のものを5枚以上持っていたのは、レゲエではボブ・マーリー、ブルースではマディ・ウォーターズとライトニン・ホプキンスだけだった。浮気性なんだろうか、俺は?
その他R&Bやニューオーリンズものでは、
・オーティス・レディング
・JB
・ネヴィル・ブラザース
・ダーティ・ダズン・ブラスバンド
となっていて、これもなんか偏りを感じるな。
ジャズなんかもっと偏っていて、
・マイルス・デイビス
・ジョン・コルトレーン
・ソニー・ロリンズ
・ファラオ・サンダース
・グラント・グリーン
・ジミー・スミス
ときた。ジミー・スミスは意外だったな。
実は、ジャズ系をドラマーで分類するともっと極端に偏っていて、大半がフィリー・ジョー・ジョーンズ、次いでマックス・ローチ、大坂昌彦、ロイ・ヘインズ、ブライアン・ブレイドの順。
ドラマーで聴く、という傾向がもっと顕著なのはThe RootsのQuest Love関連。
The Rootsは言うに及ばず、Speech関連や、コモン名義まで含めると十数枚。久保田利伸のものまであるぞ~!
もちろん、名義はばらばらだがバーナード・パーディーが叩いているものも相当数ある。
他に日本人ではUAとシアターブルックが5枚突破。おぉ、沼澤さんが叩いているのも10枚近いな。
アフリカンではママディ・ケイタとアリ・ファルカ・トゥーレ。今後はこのカテゴリーが枚数を増やして行くんではなかろうか?
意外にも少なかったのがキューバ関連。オラシオ・エルナンデス関連で6、7枚あるものの、カテゴリーとしては少数派。
もっと聴いていたつもりだったんだけど、実は自分では買ってなかったんですね。
で、問題のロック系は?と言うと、
・レッチリ
・REM
・バーズ
・ストーンズ
・Gラブ
・ジョン・スペンサー・ブルース・エクスプロージョン
がそれぞれ5枚以上お買い上げ~!
脈絡が・・・ないよな、これは。
Zeppelinなんかの古典(失礼!)はLPやテープで聴いていたので、敢えてCDでは揃えていない。やっぱ買っとこうかなぁ。
あとドアーズとストゥージズも必要だな、うん。

で、幅60センチ、高さは天井まで伸ばせるタイプのラックにカラードのものから順に並べて行ったら・・・結局ロック系の大半はダンボールに逆送致。もう一本ラックが必要だ。
彼らが陽の目を見るのはいつのことか・・・。


「いじめたる!」⇒後日談

2007-11-07 | 子どもの視線・親の気持ち
その後の後日談。
「修学旅行のときのことで、ウチをいじめるから一緒にいじめようって、言ってまわってる子がいてさぁ。」
なんてことを娘から聞いたとき、正直言って、特に大事にはならんだろう、と予想していた。
というのも、娘の話を聞く限りでは、学校生活における彼女の姿は、クラスの連中から比較的信頼されているようだったし、また、いわば無党派というか、女子校ノリのべたべた群れたがる女の子ではなく、男の子たちのなかにに1人っきりでいたとしても、それが何らかの目的集団であれば、自発的にその場を仕切ってしまう反面、他者を傷つけないような気遣いも、私以上に出来ている部分があるから。
多分、娘に味方する者も多いだろうと思ったのだ。

で、結局、相手の子たちは「いじめ」集団の構築に失敗し、昨日はその張本人が「ねぇ~、この問題わかんないんだけど。」なんつって寄ってきたそうな。
そして、それを合図としたかのように、「いじめ」案に賛同していた別の子が、「実はさぁ、あいつうざくてさあ~。」とほぼ1週間ぶりに話しかけてきたり。
気付けば、修学旅行に行く前とまったく同じような関係性に戻ったそうだ。

まぁ、めでたし、めでたし、かな。

今回の場合、「いじめる」理由は彼女の失策(ちくってしまった、ということ)ではあるが、「ちくられた」子たちのルール違反は、「いじめ」ても帳消しになるもんではない。
まして、「ちくられた」子たちは、これまでも種々多様なルール違反をまったく悪びれることなく仕出かし、学校でも問題視しちゃうくらい、ちょっと浮いた存在らしかった。
だから、仮に彼女を「いじめる」ことに賛同する者が現れたとしても、その子たちが長期間自らの「いじめ」行為を正当化できる理由は皆無に等しい。その子自身がうちの娘との間で特に何かトラブルでもない限りは。
だから大丈夫だろうと思っていたのだ。
むしろ、「いじめ」が具現化した場合には、クラスの中で既に他の子が標的になっているだろうし、今回のようなケースの場合には他のクラスでも同様のことが起きるはず。「いじめ」方も陰湿であったり、ひどく暴力的であったりするはず。
しかし、現状では、そのような、「いじめ」がエスカレートしそうな要因は見当たらず、当方の思いは幸いにも杞憂に終わった、と言える。
子ども達のモラルが勝ったのか?と思うが、娘に言わせると、モラルと言うよりバランス感覚らしい。
バランス感覚を駆使し、つまらないスケープゴートごっこを回避した、わけだ。
それはそれで怖い気もするが。

さらに加えて。
依然として「いじめてやる」と言っていた子たち自身の問題は残る。

もうすぐ中学校なんですけどね。
この先に起こることの方が不安だね。

あふりかん・鳴々あふりかん・アフリカン

2007-11-05 | よしなしごと
昨夜のおさらい。
昨夜はトオルくん、ハルくん、タクミくん、と俺の4人。
ほぼ全編タクミくんがサンバン叩いて、残る3人がジェンベ。

まず、ドゥンドゥンバ。
グルーヴを感じつつ、パッティパというアコンパに始まり、ケンケニとかぶるパターンに移ったり、また戻ったり。横太鼓が3人しっかり入ったらどうなるかわからんけれど、以前よりはるかに空間を把握できている自分を感じる。
その後、トオルくんが踊ってくれたので、それに合わせてソロ。
「トントントントン」とブレーク出すタイミングが難しい。
サンバン聴きながら、ダンス見ながら、なんとな~く。
お互い探りあいながらやっている感じだな。
ショフマンの閉めかたも、なんか恐る恐る、って感じで情けない。
きちんとメンバー固めて練習しないと、掴みきれないかもなぁ。

次、エコンコン。
随分前にやった気がするけれど、忘れてる。
でもシンプルだから比較的まとめやすいかも。
なんかアゲアゲな曲だ。ライブの1発目とかにいいかもな。
次回、タクミくんに横も全部教わりましょうかね。

最後にクク。
途中、タクミくんと交替してサンバン叩いてみたけど、最後の方は腕が疲れてよれよれ~。情けね~。

次いで、せっかくだから、ママディに教わったクク・デ・マオカってやつをやってみた。
自分から言い出してやってみたけれど、細かいところを忘れていてつっかえまくり。
こりゃ、ソリストがしっかりすればなんとかなるんだろうけれど。ええい!
アコンパはせわしないんだけれど、意外にブレークはゆったりしてるんだよな、これ。
すべてインテンポだから、それさえ掴めればなんでもない。
また、1人だけ3連系のアコンパを叩くんだけれど、場合によったら基本的にソリストがそれをやって、ニュアンスを変えていく、っていうアレンジでもいいんだろうし。
これはバンドでやりたい。

あと、昨夜はティリバをちょっとやったな。
これはママディの音源にあるブレークがかっこいいのでそのまんまコピーしてやってみたけれど、バンドの音としてグルーヴをまとめるのには苦労するかも。

しかし、俺自身を省みれば、岩原さんに教わったソリのソロを知ってるくらいで、上記の曲についてのソロフレーズはまったく知らないんだよね。
自主練としてやっている分には、思いつくままテキトーにいろんな事やるから、それはそれで訓練として有効なんだろうけれど、例えばライブをやる、となったらどんなもんなのか?
「アフリカンです」と明言するのはちょっとはばかられるな。

蛇足ながら。
例えばブルースなり、ジャズなりの場合、元のメロディに対して日本語の歌詞を載せちゃうとか、あるいはブルースのフォーマットを利用して日本語でオリジナルを書く、とか、そういう作業が一般的になされているけれど、ジェンベと横太鼓を用いて、トラッドのメロディに日本語を載せてみる、とか、まったく別のメロディを載せちゃうとか、そういうことをやっている人はいるんだろうか?

って、そういうことをやりたいな、と、日々夢想しているのだが。
最小単位ならばジェンベ×2+横太鼓1人のトリオ。
人数少ない分、やることははっきりさせやすい。
ただし、この編成だと、我流の解釈によるトラッド楽曲に加え、オリジナルを突っ込んだり、歌ものを入れたりしないと1ステージもたないだろう。

「元ネタはアフリカンです、でもソロは自分なりの解釈でやります、歌も自分の解釈で。」

ということになるかなぁ。
多分それは音楽としては「アリ」なんだろうけれど、純粋にアフリカン~!な人たちからすれば「不敬だ!」と怒りを買うことになるかもしれない。
しゃちほこばった考え方をすれば、だけど。
非常に悩ましいのだ。

実際のところ、どうなんだろう?


ってぐだぐだ悩みつつ、結局、パーカッションだけのバンドを組むことばかり頭の中にあるのだった。
いい加減、腹をくくってとりかからないといかんですね。

個人面談 2

2007-11-01 | 子どもの視線・親の気持ち
http://blog.goo.ne.jp/yassakajp/e/ce231a85f11e228743b894ea988f1f76からの続き

担任教師との面談でわかったことは、ごく当たり前のことかもしれないが、担任教師は子ども達を「問題を起こした子」と「起こさない子」、あるいは「日常的に問題のある子」と「問題のない子」とに大別し、前者への指導を集中的に行うことにより、全体のレベルアップを図ろうとしている、ということ。
こういう切り分け方もどうかとは思うが、その関係性は、教師と「問題のある子」、「問題のない子」の3者が、順番は入れ替わるにせよ直線上に並んだ関係となっている。
日常的には、教師⇒指示⇒「問題のない子」⇒伝達⇒「問題のある子」。
現状は、教師⇒叱責⇒「問題のある子」⇒代償行為⇒「問題のある子」。
本来なら、これら3者が三角形であることが望ましいはず。
いや、本来明確な線引きは不可能だと思うんだが。
そこでこんな風に続けてみた。

俺:
そもそも、子ども達に対して、明確な動機付けが足りていないのではないか?
「問題のない子」というか、言われなくとも「ルールを守れる子」は、今回の修学旅行で何も得ていない。本来、なんらかのインセンティヴがあってもいい。
「ルールを守らなかった」からペナルティを、という考え方が前提のようだが、むしろ、「ルールを守った」ことによって得られる達成感を感じさせるような指導をすべきだ。
無論、先生方は褒めたりもしているとは思うが、一連の「あぶり出し」が達成感やプラスの感情を全て押し流し、むしろマイナスの感情だけにしてしまっているのではないか?
今後、児童が達成感を味わうことが出来るようなイベントなどはあるのか?

担任:
担任としては、今後の半年間で児童の意識を上げていくことが最大の目標だ。
大きなイベントは卒業式くらいだろうか。あとは日々の生活の中でやっていく。

ここでいい加減に選手交替。
カミサン:
今後のことでお願いしたいのは、何かを決める局面など、先生にいて欲しい時に、そこにいて欲しいということ。
例えば、バスの席決めの際、そこまでが精一杯だったと言うが、実際には先生はその場に立ち会っていなかったと聞いている。それで効果的な指導が出来るのだろうか?
子ども達を信頼するのは結構なことだが、子ども達が必要とするときにそこにいなければ、子ども達は先生を信頼できなくなる。
娘から話を聞く限り、これまでの半年間で、子ども達の先生に対する信頼感が揺らいでいる、と感じる。
少しずつ子ども達の心に「?」がたまっていって、今、一気に崩壊したような、そんな印象だ。

・・・。
あ~た、俺よりもキツイことをしれっと言うねぇ!
実は担任の先生も、この攻撃にはどぎまぎしてしまい、さらに歯切れが悪くなった。

担任:
そんな風に思ったことはなかった。
よく考えて、できるだけそのようにしていきたい。

カミサン:
娘の話では、座席表にしても、もっときちんと作りたかったし、他のクラスと比較して、これでは恥ずかしいと言っていた。
この件について、修学旅行の前に、先生に申し入れをしようか?と夫が言うのに対して、娘が「やめて欲しい」と言って止めた、という経過がある。
そういった気持ちを汲んで欲しい。
自分たちでやるんだ、という意識を持って望んでいる子ども達を伸ばすような指導をお願いしたい。
それから、いじめについては、娘の話では、クラスの女子の4分の3くらいが問題の2人の女子の側につく、と回答しているらしい。
もっとも、「あの子いじめるから仲間に入れ!」と言って「いじめ」を始める、というのはあまりにも幼いし、また、その子達が普段の生活でどれくらい影響力を持っているかによって、「いじめ」の中身も変わってくるだろう。
そこは注意して見ていって欲しい。

担任:
了解した。

ここでついまた俺がしゃべってしまった。

俺:
「いじめ」に関して言えば、先生の側では、「ルールを守らなかった」子ども達の間で「いじめ」がある、と想定していたのだと思うが、実はそうではない方向で「いじめ」が始まろうとしている。
大人の予想が外れたわけであり、しかもカミサンが話したように、先生に対する信頼度が低下している現状ならば、思春期の女子集団に対して、男性教諭が下手なアプローチをすることは危険だ。
まして、相手方がこれだけ幼く、社会規範等への認識がない、となると、突発的に何をするか、予想もつかない。
ここはあえて動かず、ただ、命だけは守って欲しい。

担任:
わかりました。


というところで、規定の時間を大幅に超えていたので打ち切り。
一応、言いたいことは伝えられたかな?
多分、他の家庭からもいろいろ言われてるんだろうなぁ。
我々の前に面談していた、あるお母さんは、担任が口を挟む隙間もないほどブチキレまくり、吠え立てていたし。
個人面談と言っても、あまり生産的ではない場合もあるんだなぁ。


面談の次の日(つまり昨日)のこと。
クラスで席替えがあり、娘は問題の2人とはかなり離れた席となった。
また、「ちくったとかどうだとか気にしてないし、うちはあんたの味方だから!」と言ってくれた仲のいい女子が同じ班になった!と大喜び。
他にも何人かの女子から「あたしはいじめたりしないし、そんなことあったら味方するからね」と言ってもらっているようだし、ここは一安心。
そんななか、ある女子が娘にこういってきたそうだ。
「あんたをいじめてやる、って言われてるのに、よくそんな平気な顔していられるね?」
「じゃ、どんな顔してればいいの?関係ないよ。びびったらそれこそ負けじゃん。」


さて。
お昼頃、娘は担任から会議室に呼び出された。
「あなたを『いじめ』るグループが結成されているそうだけど、それはどういうわけでそうなったんだろうか?」
「なんかあったら、すぐ先生に言うんだよ。」
と、まぁ、そんな話があったそうだ。
早速反応したようだから、いいような気もする。
でも、俺は「あえて動くな」と言ったんだがなぁ・・・なんて娘に言ったら、娘はこう言い放った。

「なんかあったら、じゃ、遅くね?」

ん。
それは正しい。
娘の心には、すでに「大人」が住み始めているようだ。